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エダヒロの本棚

ライオンボーイⅢ カリブの決闘
翻訳書
 

ジズー・コーダー (著)、枝廣 淳子(訳)
PHP研究所

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チャーリーの冒険もいよいよクライマックス。感動の完結編です!

訳者あとがき

 『ライオンボーイ』第一巻、第二巻を読んでくださった方々から、「第三巻はいつ出るのですか?」「楽しみに待っています」「子どもから、まだなの?と毎日聞かれて……」といううれしいお便りやメールをたくさんいただいていました。こうして第三巻をお届けできること、とてもうれしいです!
 子どものころに大好きで何度も読み返していた本に『赤毛のアン』シリーズや『次郎物語』『あすなろ物語』などがあります。主人公が成長していくにつれて、考え方や行動、人との関係などが変わっていく様子がおもしろさのひとつだったのだろうと思います。
特に『赤毛のアン』シリーズは本当に数え切れないぐらい読み返しましたが、あるとき、おもしろいことに気づきました。このシリーズはアンが小さな少女時代から、思春期、青年期を経て、結婚し、子どもを育てて……と、アンの人生をなぞって数十年もの広がりを持っているのですが、「いまの自分とほぼ同じ人生の段階にいるアンに最も共感する自分がいる」ことに気づいたのです。つまり、読み返す○作目の数字が、自分の年齢にあわせて少しずつ後ろに移行していったのです。
『ライオンボーイ』も、チャーリーという少年の成長物語でもあります。第一巻では、何も心配せず、何も考えずにすんでいた少年チャーリーが、突然、両親を誘拐され、自分も敵に追われ、自力で道を切り開かざるを得ない状況に陥るわけですが、巻を追うごとに、チャーリーがしっかりとたくましく成長し、思いやりの「思い」を「やる」範囲も広がり、温かな心や責任感も育っていることがわかります。
第一巻では誘拐によってむりやり「親離れ」させられたチャーリーが、第三巻では、自ら親離れしていくようすも感動的です。そして、「大人の論理」で「よかれ」と思ってしたことが、「子どもの純粋な目」からは「全然よくない」ことであったりする、という、ついつい忘れがちで押さえつけがちな世代間のギャップも鮮やかに描かれていて、親としても元・子どもとしても、「うーん」と考えさせられます。
こういうギャップを否定するのではなく、だからこそ人は自立していくのだ、親子が「面倒を見る者・見られる者」という関係から、互いに独立した人格の持ち主同士の関係へと変わっていくのだ、と。心理学的にも深いなあ!と感心します。もちろんこれは、母親のルイーザが頭の中だけで考えた物語ではなく、まさに我が子イザベルの成長を見守りつつ、いっしょに作ってきた物語だからこそ、でしょう。
 さて、子どもは成長し続けるように、そして青年期以降も人間的な深みを増す精神的な成長がつづくように、チャーリー少年の成長物語も、これからもまだまだつづきます。それがいつか、ルイーザとイザベルの手によって生み出されることになるのか、はたまた、読者のみなさんの胸の中でつづくことになるのか、それはわかりません。いずれにしても、チャーリーの今後の成長ぶりがますます楽しみです!
 今回の翻訳も五頭美知さんにお手伝いいただき、イタリア語は森節子さんに助けていただきました。たくさんの質問に打てば響くように答えてくれたルイーザ、原書を目で追いながら日本語で読み上げる訳文を正確・迅速にテープ起こししてくれた阿部泰子さん、素敵なイラストを描いてくださった天野喜孝さん、編集者の木南勇二さん、いつも温かくしっかりとサポートしてくれる関美穂さん、ありがとうございました。
そして、初校をあっという間に読んで、第一、二巻との整合性や読みやすさの観点から「目からウロコ」の指摘をたくさん書き込んでくれた中学三年の長女みさきにも感謝です。彼女や次女あかりの成長をなぞるように楽しみながら、『ライオンボーイ』の翻訳を楽しく終えることができ、とてもうれしく思います。いつの日か、「チャーリー青年」の物語を訳せる日が来ることを楽しみにしつつ。

二〇〇五年 紫陽花の美しい日に
枝廣淳子

 

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