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エダヒロ・ライブラリー一日一題

「働き方改革」は、「学び方改革」があってこそ機能する

2016年10月28日

今朝の新聞に「2015年度に、全国で約7万2千人の小中学生が1年で計90日以上欠席の不登校」だったという記事がありました。朝日新聞の記事では、不登校の受け入れの例として、「アバター」という生徒の分身が通うインターネット上の仮想学校を紹介していました。不登校の小中学生は、教室にログインし、自分の分身を通して、"教室"での授業に参加するとのこと。現在の日本では、そういう方法を工夫して不登校を受け入れなくてはならないという現状に悲しい思いをしました。

海外の仲間の中には、米国でもインドネシアでも他の国でも、「うちの子は、ホームスクールで勉強しているよ」という人がけっこういます。「ホームスクール」とは、学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うこと。私の参加しているバラトングループにも、子どもを学校に通わせずに、親が教えたり、地域でグループを作って共同で教え合ったりしているメンバーが「ホームスクーリング・グループ」をつくって、教材や教え方などの情報交換をしているほどです。

この「ホームスクール」は、米国では法的に問題ありません。合法ですから、たくさんの家庭が安心して、子どもを学校にやらず、家庭や地域で教育しています。その支援をする民間団体や草の根ネットワークがあちこちにあり、ホームスクール用の教科書や参考書も多数出版されており、そういったものを専門に販売する業者もたくさんあります。主な大学のほとんどがホームスクール出身者の入学を受け入れているそうです。

ホームスクールでの教育を選ぶ主な理由は、「学校から遠い」「宗教・思想的な理由で学校での学習内容に満足できない」などのほか、「そのほうが子供により良い教育を受けさせられるから」というものも多いと聞きました。

「学校教育は学校で受けるべきでしょ!」というのが、これまでの、そして多くの人の考え方でした。たしかに、日本の文部科学省では、学校教育法の規定により、「義務教育を家庭で行うことを認めていない」としています。ですから、日本国内で「うちはホームスクールで教育しますから、学校には通学させません」というと、学校教育法に抵触することになります。

目的は何なのだろう?と思います。目的は「子どもを学校に行かせること」ではなく、「子どもによい教育を受けさせ、次の社会を創り出し、支えられる人を育てること」ではないのでしょうか? 

AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)などによって、働き方や人間の役割・有用性が激変する時代になっているにもかかわらず、とにかく「学校教育とは全員がそろって受けるものだ」「とにかく学校に行かなくてはならない」という、前世紀のメンタルモデル(思い込み)に縛られていては、個々人の幸せも、社会としてのレジリエンス(しなやかな強さ)もおぼつかないでしょう。

決まった就業時間に全員がそろって仕事をするのではなく、もっとしなやかでもっと多様な働き方が必要だし、そのほうが効率的・効果的だと「働き方改革」が進んでいるように、もっとしなやかでもっと多様な学び方が必要ではないでしょうか。クルマの両輪のように、「学び方改革」も進めていかない限り、本当の意味での「働き方改革」は実現しないと思うのです。

みなさんはどう思われますか?

 

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