エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2013年04月10日

対話力の時代 (2013年4月1日掲載)

 

 エネルギー基本計画に向けての総合部会が始まりました(残念ながら私は委員から外れました)。
顔ぶれや進め方を見ていると、エネルギー政策の民主的な作り方という点で、後退してしまった感があります。

 前の基本問題委員会も「女性が少ない」(25人中4人)、「若い年代の声が届かない」(60才以上が64%)状況で、そのことを繰り返し問題提起し、少しでも補いたいと、「エネ女の集い」「エネ若の集い」を自主開催し、声を委員会に届けてきました。
こういった集まりでも「委員の人選を、性別や年齢的にも国民をより代表するような形にしてほしい」という声が強く出されていました。

 しかし今回の部会の委員名簿を見ると、ますます「女性が少ない」(15人中2人)、「やはり若い年代がいない」状況で、脱原発の意見を有する委員は8人から2人に激減してしまいました。

 民主党時代の基本問題委員会や国民的議論の進め方にはいろいろ課題もあり、改善すべきことも多いですが、委員会の議論をはじめてネット中継し、アーカイブも用意することで、いつでもだれでも委員会の議論を見ることができるようになりました。
また、いくつものやり方で国民的議論をおこない、その声に耳を傾けようとしたことは評価すべきだと思っています。

 今後の議論も、すべて公開し、政策策定のプロセスで国民的議論をおこない、その結果を勘案して方向性を定めていってほしいと思います。政権としての方向性は異なっても、国民との関係性や政策策定のプロセスにおいては、前政権から後退することは許されません。

 政治家や官僚と話していると、「国民の理解は大事だ。丁寧にわかりやすく説明すれば理解してもらえるはずだ」というイメージを持たれているんだなあと思うことがよくあります。
たしかに、理解のためにわかりやすい説明は必要です。でも「わかりやすく説明されれば、理解できる」というものでもない、というところがわかっていないのではないかな?と。

 わかりやすく説明されて、内容が理解できたとしても、「それは自分たちにとってどういう影響や意味があるのだろう?」「あれとこれの関係はどうなっているのだろう?」等々、聞き手側にはいろいろな疑問や連想、自分に引きつけた問いが出てきます。

 それらを出し合って、対話・議論していくこと(自分にとっての意味を見出していく=ワガコト化)が鍵なのです。腑に落ちるか落ちないかの分かれ目です。ここを抜かすと「理解はすれど、受容はしない」ということになりかねません。

 日本では企業でも「対話や議論は、話を蒸し返したり時間がかかったり、面倒くさいもので、できればない方がよい」と思っているところがまだ多いですが、これからは「対話力」が企業の競争優位性を左右する時代です。

 ダイバーシティと言われて、性別など多様性を確保しても、対話によって考え方や物の見方の多様性を力に転換できなければ意味がありません。

 「理解のために、丁寧な説明だけではなく、継続した対話を」。今後のエネルギー政策のプロセスに強く願っています。

 

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