エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2013年03月06日

原子力/エネルギーの未来は国民との対話によって決まる

 
 3.11の東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故が私たちに残した教訓は数多くあり、人や組織によってもさまざまだと思います。しかし、日本の国・社会として、私たち一人一人に突きつけられた教訓と課題の1つは、「エネルギーという大事なことについては、専門家だけではなく、すべての市民がそれぞれ考え、みんなで話し合っていかなくてはならない」ということではないでしょうか。 ●みんなのエネルギー・環境会議    このような問題意識から、3.11前からエネルギーに関する情報発信や話し合いを続けてきたメンバーが中心となって、2011年7月に「みんなのエネルギー・環境会議」を設立しました。  電力をはじめとするエネルギーは、あらゆる産業や企業の活動はもちろん、私たち一人一人の暮らしを支える「活力」ですが、これまでは「電気代を払っていれば何の心配もなく好きなだけ電気を使っていい」と、"コンセントのあちら側"のことは気にしていなかった人がほとんどでした。  しかし、3.11を受けて、自分たちの使う電力の量やその作り方に対する意識と関心を持ち、「自分たちのエネルギーについて知りたい」「考えたい」「話したい」「変えていきたい」と思う人が増えました。  日本のこれまでのエネルギー政策は、経済産業省を中心とする国が業界と調整をしながら作ってきました。その政策策定過程には、審議会やパブリックコメントなど、主に専門家を対象とした部分的なヒヤリングの機会はあっても、広く私たち生活者の考えや意思に耳を傾け、政策に反映することはありませんでした。  生活者が自分たちでこの国のエネルギーについて考える際にまず知る必要のある「現状はどうなのか」「このままだとどうなるのか」「代替案をとるとどうなるのか」「それぞれのコストや負担額はどのような前提で計算されているのか」などの国民の素朴な疑問に対して、政策策定者や研究者たちがデータや予測、計算などの情報を開示し、質問に答え、議論を深めるオープンな場も、これまでありませんでした。  3.11後も、国の「エネルギー政策の作り方」は変わっていないのではないか。その方向性や政策が、今を生きる私たち一人一人はもとより、私たちの子ども・孫をはじめとする未来世代に大きな影響を与えるにもかかわらず、また、3.11を受けて国民の間にエネルギーに対する不安と関心が高まっているにもかかわらず、以前と同じく、国と産業界の調整だけで作ろうとしているのではないか。    そうではなく、エネルギー政策を作るプロセスそのものを国民に開かれた場にしていきたいと思いました。  「みんなのエネルギー・環境会議」は、原発推進/反原発・脱原発、自然エネルギーの今後等について、「こうあるべき」という特定のスタンスを打ち出すためのものではありません。それぞれの観点についての賛成・反対を含め、さまざまな立場や考え方の人々がオープンに、日本の産業や暮らしを支えるエネルギーの今後について、考え、語り、議論し、対話する場を作っていくことをめざして立ち上げたものです。  「みんなのエネルギー・環境会議」がユニークなのは、原発推進派も反/脱原発派も、自然エネルギー推進派も自然エネルギー懐疑派も、一緒に発起人になっていることです。考えが違っても(違うからこそ)、みんなでオープンにエネルギーについて話し、聞き、対話していこうという場なのです。  エネルギーを考えるにしても、事故などのリスクや環境への影響、コスト、技術開発力、世界の地政学的状況その他、いろいろな要因が絡んできます。どの要因を重く考えるかは、人や立場によって違いますが、少なくとも、「どこまでは共通認識となっていて、どこは考えが違うのか」「それぞれの考えの根拠や基準はどのようなものなのか」をひとつずつ一緒に確かめていくことはできます。  こうして「みんなのエネルギー・環境会議」は、茅野での設立会議を皮切りに、この1年半の間に3回の会議を主催したほか、京都、札幌、広島、佐賀、福井での地域版「みんなのエネルギー・環境会議」のお手伝いをしきました。  毎回150~300人ほどの人々が会場で対話・議論に参加するほか、毎回数千~2万人ほどがインターネットの生中継を視聴する形で参加しています。原子力や再生可能エネルギーのテーマはほぼ毎回取り上げられており、ほかにもどのように制度を作っていくか、国民的議論を進めていくかといったテーマについて、考えを共有・確認する作業を続けています。  手弁当での運営のため、なかなか大変なこともありますが、エネルギー政策を民主的に作っていくと同時に、エネルギーの議論を通じて日本の民主主義の質を高めていく「エネルギー・デモクラシー」の場が小さいながらもできたことをうれしく思っています。 ●柏崎市「これからのエネルギーと柏崎の未来を考える」シンポジウム  また、原発立地地域での推進と反対の分断を超えるお手伝いもしています。これまで多くの市民と議論し、柏崎など立地地域の推進・反対の方々と話をする中で強く感じるのは、絶望的といってよいほどの国民の「不信」、そして「分断・対立」です。    特に原発立地地域には「二重の分断」と呼ぶべき構造があります。地元では原発推進派と反対派が誘致開始以来40年以上にわたって反目し合っていることも稀ではなく、それでも地域社会でともに生きていくための方便として、「地元では原発やエネルギーについては一切話をしない」という状況になっています。  これはとても悲しい分断であり、エネルギーや原発など自分たちにとって大事な話を地域で安心して話し合えるようになってほしいと思います。  この立地地域内での「賛成/反対」の分断に加えて、「消費地と生産地」という大きな分断・対立もあります。3.11以降、特にメディアの「生産地はこれまでこんなよい思いをしてきた」という報道のせいもあり、消費地では「生産地は交付金をもらっているのだから」という目で生産地を見る人も少なくありません。  生産地はそれに対して「自分たちは国策として引き受けてきたのに」「そんなことをいうなら、電気を止めてやろうか」と反発します。これも悲しく、実りがないばかりか、日本の社会を分断し、本当の問題解決を阻んでしまう対立が生じています。  少しでもそういった分断・対立の構造を変えていけないかと、2012年に柏崎で数か月をかけて、地域の原発推進派・反対派の方々と、「原発についてのスタンスは違っても、柏崎の未来を幸せにしたいという思いは同じ」という共通の土台を頼りに、何度も話し合いを重ねる作業を事務局としてお手伝いしてきました。  そして9月末に推進派・反対派の方々が初めて一堂に会し、それぞれの歴史と思いとこれからをみんなで語る、というシンポジウムを開催することができました。  参加した市民からも「こういう場は初めてでよかった」「賛成派も反対派も冷静に議論できることを知ってうれしかった」「是非このような場を続けてほしい」と、とても好意的な評価をもらい、今後の継続と展開に期待をしているところです。 ●核廃棄物の最終処分  同じく9月には日本学術会議から提言が出されましたが、今後核廃棄物の最終処分をどうするか、という問題もクローズアップされてくることでしょう。  これまでの高レベル放射性廃棄物の最終処分に関わる政策策定プロセスは、主に推進派の専門家の研究の取りまとめを根拠に進めてきており、国民の議論を喚起していません。処分方法の"技術的信頼性"以前に、その政策のつくり方の"プロセスの信頼性"が欠如していることが問題です。  また、これまでは「合意形成」の働きかけの対象が「候補地」に限定されており、「社会全体の合意形成が必要である」という認識が薄いのではないかと思っています。「地域は社会全体から孤立しているから、その地域との相対でやりとりすればよい」という時代ではありません。社会全体の合意があってこそ、その地域も受け入れられるのです。  時間はかかりますが、社会全体に対する働きかけが必要です。原発や最終処分について国民的議論を反映しながら政策をつくっているドイツやスウェーデンでも、20年、30年という年月をかけて、丁寧な説明と合意形成を進めてきた結果の現在がある、と言います。  好むと好まざるとにかかわらず、原子力やエネルギーの未来は国民との対話によって決まる時代がやってきました。  「これまでどおり」のやり方では物事が進められなくなっています。どうやって新しい対話や社会的合意、共創のプロセスをつくっていくのか、そのときに求められる作法やスキル、場はどのようなものなのか――これからも考えつつ、いろいろと試行錯誤しながら、少しずつでも社会をよい方向に動かしていければ、と願っています。 (2012年11月15日記)  
 

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