エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2013年03月06日

江戸時代は定常型経済だった! (2013年3月4日掲載)

 
 前号で「日本は持続可能な『定常型経済』に向かいつつあるのではないか」という見方をご紹介しました。    定常型経済とは「活発な経済活動が繰り広げられているが、その規模自体は拡大していかない経済」ですが、日本にはその実例があります。江戸時代です。  ご存じのとおり、江戸時代(1603年~1867年)の265年間、日本は外国から侵攻されることもなく、初期と幕末を除けば海外とのやりとりを絶って鎖国をしていました。    また、国内でもほとんど戦争のなかった平和な時代で、日本の経済や文化が独自の発展を遂げました。  当時の日本の総人口はほぼ3,000万人で、ほとんど変動がなく、2世紀半もの間人口が安定していました。首都・江戸の人口は、約100~125万人と推定されており、当時のロンドンの人口は約86万人(1801年)、パリが約67万人(1802年)でしたから、当時は世界最大の都市でした。  現在は多くの食料・エネルギー・木材・その他の資源を輸入に頼っている日本ですが、江戸時代は鎖国をしていましたから、海外からは何も輸入せず、すべてを国内のエネルギーや資源で賄ってなっていました。  江戸時代にはさまざまな"リサイクル業者"が活躍していました(リサイクルという言葉はありませんでしたが)。    現在のように「ゴミ問題」を解決するためにリサイクルをしていたわけではなく、モノが少なく、何であっても(灰のように現在は厄介者扱いされるものでさえ)貴重な資源だったからです。  リサイクルだけではなく、ものを大事にそのままの形で何度も使うことも江戸時代では当たり前におこなわれていました。寺子屋で使う教科書は子どもの所有物ではなく、学校の備品でした。1冊の算術の教科書が109年間使われていた記録が残っています。  ご心配のとおり、このような形では、紙屋も印刷屋も製版屋も出版社も運送屋もあまり儲かりません。次々と新しいものを買ってくれないと、経済は成長しません。  江戸時代の研究家・石川英輔氏の計算によると、幕府が雇う大工の賃金が2倍になるのに200年かかっており、ここから計算すると、経済成長率は年に0.3%ぐらいだそうです。  当時の人の寿命を考えれば、1人の人生の間に「経済が大きくなった」とは実感できない、いわば定常型経済でした。  経済がゼロ成長だった江戸時代、人々は不幸だったのでしょうか?  いえいえ、江戸時代の末に日本を訪れた欧米人がこぞって「礼儀正しく、朗らかで、なんと幸せそうな人々だろう」と称賛した記録が多数残っています。  もちろん、江戸時代にもたくさんの問題があり、決してユートピアではありません。でも、日本には265年間にわたって、自国にある資源の持続可能な活用だけで社会を成り立たせ、人々はそれなりに幸せに暮らしていた、「持続可能な社会」の1つのお手本があることは、日本にとっても世界にとっても大事なことなのだと思うのです(という話を海外でするとみなさん、びっくりします!)。
 

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