エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

第23回

「コスト」を考えるときに大切な3つの視点

 

 デンマークの首都コペンハーゲンで開催された、気候変動枠組条約の第15回締約国会議も終わり、いよいよ「ポスト京都議定書」に向けて、温暖化対策も新たなステージに入りました。そこで今後、ますます活発に議論される課題の一つが、「必要な対策費用を誰が負担するのか」という点です。
 温暖化をはじめとした環境問題に取り組むには、それ相応のコストがかかります。残念ながら、祈っているだけでは何も解決できないのですね。そして、将来世代への影響を考えれば、温暖化対策は「コストがかかるからやらない」というわけにはいきません。
 私は市民の方向けに講演をさせていただく機会があると、いつもこうお伝えしています。何かの問題を解決するために「いくらかかる」と言われたら、「それによって削減できるコストや生じるメリットは?」「それをやらなかったときのコストは?」の2つを問いかけてみよう、ということです。
 とかく私たちは、「いくらかかるか」だけで議論しがちです。これは「Cost of Action」(やるときのコスト)と呼ばれます。一方で、「そうすることで、いくらトクするのか」も考える必要があります。たとえば、古い家電製品を最新の省エネ性能が高いものに買い換えたら、あるいは思い切って太陽光発電設備を取り付けたら、月々の電気代がどれぐらい減るでしょうか。これが「Benefit of Action」(やることのメリット)です。
 それと同時に、「それをやらなかったら、将来のコストは?」という点も忘れてはいけません。先進国だけでなく、中国やインドなど新興国でも石油需要は増える一方ですが、産油量はじきに(すでに?)ピークを迎え、化石燃料の価格や化石火力発電コストが高騰していくでしょう。省エネ設備や自然エネルギーを導入しなければ、将来的にどれほどのコストがかかることになるでしょうか。そして、今のペースで温暖化が進んでいった場合、皆さんの子供や孫など、将来世代はどのようなツケを払うことになるのでしょうか。この「Cost of Inaction」(やらなかったときのコスト)も常に考えておく必要があります。

「コスト・リテラシー」を高めよう

 私たちが国や自治体の新しい政策を見る場合にも、コストについて、この3点を漏れなく考え合わせて判断することが大事です。温暖化対策について、「家庭ではいくら負担してもよいか」と尋ねる内閣府の世論調査がありました。ここでは「月額1000円以下なら構わない」と答えた人が6割以上いたといいますが、それだけを根拠に「国民は負担したがっていない」と結論づけられても困ります。
「1000円、捨てますか?」と聞かれたら、誰だって「いやだ」と答えますよね。でも、「今1000円払わなければ、後で2000円払うことになりますよ」と言われたらどうでしょう? 「今お金をかければ、こういうメリットがあります。そして、今お金をかけなければ、将来こういうコストやデメリットが生じます」という全体像を示して初めて、きちんとしたコストや負担の議論ができるのです。ところが政府や役所の中には、市民がこうした「考える力」を持っていないと考える人もいるのか、コストに関する3つの情報がきちんと提供されないことがよくあります。
 昨年11月から、太陽光発電に関する新たな買取制度が始まりました。太陽光発電で発電した電力のうち、自分の家庭や事業所などで消費しない、余った電力を電力会社が買い取り、そのコストを電気の利用者が負担するという仕組みです。
 これに先立ち、さまざまな議論が展開されていたころ、私は一般の主婦300人を対象にアンケートを行いました。こうした制度を中心とする政策によって、太陽光発電をどれぐらい増やせるか、化石燃料の節減や太陽光発電の輸出増加で、GDPはどれぐらい増加するか、今はたった4%のエネルギー自給率をどこまで高められるかなど、コストだけでなくメリットを説明した上で意見を聞いたところ、53%の人が「月々の電気代がアップしても制度の導入に賛成」と回答しました。「コスト負担が増えるなら反対」は全体の5%です。
 さまざまな環境問題への取り組み方や、新しい仕組みの導入を検討するとき、「やるときのコスト」「やることのメリット」「やらなかったときのコスト」という3点を常に意識して判断する力、いわば「コスト・リテラシー」というでも言うべき力を高めていく必要があります。温暖化対策のコスト負担についての議論は、一人ひとりがしっかり全体像をつかんで考える力をつけ、日本が本当に民主的な社会になっていくための、よい練習問題ではないかなと感じています。

2010年2月号

 

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