エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

第17回

自然資本が支える「本当に大切なこと」

 

 去年あたりから、「幸せ」や「生物多様性」について話をさせていただく機会が増えてきました。すると、「どうして、温暖化だけではなく、こうした問題にも取り組むのですか?」と聞かれることがあります。「だって、すべてのものはつながっていますから」とお答えしてきたのですが、もう少し分かりやすい説明がないかな、と思っていたときに、元世界銀行のエコノミスト、ハーマン・デイリーの「デイリーのピラミッド」を思い出しました。
 このピラミッドは、環境、社会、経済、幸福という、お互いにつながりのあるものを個別ではなく全体としてとらえる枠組みで、いちばん下には「自然資本」があります。たとえば太陽のエネルギーや生物、さまざまな原材料など、すべての基礎になるものです。
 その上にあるのは、「つくられた資本」です。「自然資本」に科学や技術を用いることで、たとえば工場で使う原材料や、工具・道具など、人工的な資本をつくっています。自然資本が「究極の手段」だとすれば、こちらは「中間的な手段」となります。
 この「中間的な手段」である原材料や工場を使って、生活に必要な消費財などさまざまなものをつくり出していきます。自動車メーカーであれば自動車を、電力会社であれば電力をつくり出します。ただし、多くの人にとって、自動車や電力そのものが目的ではありません。自動車や電力といった「中間的な目的」は、「究極の目的」をかなえるための手段なのです。
 今、さまざまな環境の取り組みが行われていますが、そのほとんどは「中間的な手段」に注目したものばかりです。たとえば、「どうすれば原材料の無駄を減らしてクルマをつくれるか」「どうしたら効率よく発電できるだろうか」といった具合です。
 こうした改善が大事なのはもちろんですが、ほかの部分、つまり「自然資本」については、まるで「ないもの」であるかのように、無視され、見落とされてしまっているのです。
「原材料として使われているものは、そもそもどのように自然界から運ばれてきたのか」「それを生み出してくれる生態系はどうなっているのか」「今後もこれまで同様に、供給できるのか」などについては、政治の分野でも経済の分野でも、顧みられることはほとんどありません。

「幸せ」と「生物多様性」をつなぐもの

 もうひとつ、現在顧みられていないのは、ピラミッドの上部です。モノやサービスをつくり出しているのは何のためでしょうか。何が「究極の目的」なのでしょうか。ひと言で言えば、「幸せ」なのだと思います。充足感とか自己実現などと言ってもいいでしょう。「人は何のために生きているか、何のために働いているのか」の答えにあたるものです。
 私たちは、GDPの増大や経済成長のために生きているわけではありません。「幸せ」のために生きているのです。もともとは「GDPが増えれば、経済が成長すれば、幸せになれる」と思って、経済活動に邁進してきたはずでした。
 でももし、「GDPが増えても幸せになるとは限らない」「GDPや経済の無限の成長がなくても幸せになれる」とすれば、ピラミッドの頂点にある「究極の目的」から、「中間的な目的」そして「中間的な手段」に影響を与えることができるはずです。そうすれば、底辺の「究極の手段」である自然資本や生態系の破壊も止めることができる。こうした思いで、このところ「幸せ」(6月号参照)や「生物多様性」(4月号参照)への取り組みを深めているのです。
 デイリーのピラミッドを常に心の中に置き、全体のつながりをしっかり考えていきたいと思います。いま自分がやっていること、やりたいと思っていることが、全体のどこに位置づけられるのか。大事なのにつながりが十分に認識されず、ないがしろにされているのはどこか。そのギャップを埋めるためにできることは何か。こういった考え方は、社会や世界とのつながりの中で、自分らしい生き方を模索している方すべてにとって、とても大事なことではないでしょうか。

2009年8月号

 

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