エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

第2回

温暖化は「問題」ではない ~うねりをつくり出すもの

 

 72と31。この数字が何を表しているかご存知ですか。これは、一年間に私たちが大気中に出している二酸化炭素と、地球が吸収できる二酸化炭素の量です。
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告によると、世界全体で私たち人間は、石油や石炭、天然ガスといった化石燃料を燃やして、大気中に年間72億トン(炭素換算)の二酸化炭素を出しています。一方、地球には、大気中にある二酸化炭素を吸収する力があります。森林生態系と海洋が年間に合計31億トン(炭素換算)の二酸化炭素を吸収しています。
 私たち人間が出す二酸化炭素が、31億トン以下であれば二酸化炭素は当面増えませんが、毎年72億トンも出しているわけですから、排出量の半分以上は大気中にたまってしまいます。これが温暖化を起こしているのです。
 世界の舞台でも、国内でも、温暖化をめぐってさまざまな動きが加速しています。特に今年に入ってからは、新聞やテレビで連日のように温暖化関連のニュースが流れていますね。
 ただ、断片的な情報が多ければ多いほど、私たちは問題の本質を見失いがちです。気候変動で自然災害が増えるらしい、農作物も不作になるかもしれないなど、いろいろな予測が聞こえてきますが、何が本質的な問題で、根本的な解決策は何なのか、なかなか見えてこないのではないでしょうか。
 
 本質的な「問題」とは?

 意外に思うかもしれませんが、実は温暖化は「問題」ではありません。温暖化はもっと根源的・本質的な問題の「症状」の一つに過ぎないのです。根源的・本質的な問題とは、「有限の地球上で、無限の物理的成長を続けようとすること」です。このために、「成長の限界」にぶつかってしまっています。
 二酸化炭素吸収源の限界にぶつかったために、温暖化という問題が生じました。資源の限界にぶつかりつつあるために、石油をはじめ、資源やエネルギーの価格高騰が起こっています。
 たとえ、大きな掃除機でブォーッと大気中の二酸化炭素を吸い込んで温暖化を止めることができたとしても、「有限の地球上で、無限の物理的成長を続けようとする」という根本的な問題の構造が変わらない限り、必ず別の問題が生じることでしょう。
 だれも温暖化を進めたいと思っていません。多くの人が何とかしたいと真摯に思い、組織でも個人でも努力をしています。それでも、日本や世界の二酸化炭素排出量は増加の一途です。どうしてでしょうか? 先月号でお話しした「システム思考」を思い出してみましょう。
 なにも私たちの思いや根性が足りないせいではありません。現在の社会や経済が、「二酸化炭素排出量を増やしてしまう構造」になっているためなのです。冒頭の72と31という数字がまさにそれを示しています。社会や経済のルールやしくみを変えることで、この構造自体を変えない限り、短期間に大きく削減することは難しいでしょう。「温暖化は症状である」ことを踏まえ、テコの原理を使って、小さな力で構造全体に働きかける必要があるのです。

小さな変化を大きなうねりに

 日本がホスト国を務める7月の「洞爺湖サミット」では、温暖化が大きな焦点の一つとなります。今後も、政治や経済でも温暖化をめぐって大きな動きがたくさん出てくることでしょう。日本の場合、残念ながらまだ国や経済界のレベルでは、他国に遅れを取ることが多いのですが、自治体や個別企業、そして一人ひとりの取り組みレベルでは、世界の先進事例に決して引けをとりません。
 今、次々と変化が加速しています。さらに広がっていけば、絶望的な状況に陥る前に、きっと状況を好転させられると思っています。地球温暖化問題について、深く考え、行動する人をもっともっと増やしたい。持続可能な社会の実現に向けて、勇気ある一歩を踏み出そうとする人たちと一緒に進んでいきたい――そういう思いで「日刊温暖化新聞」というウェブサイトを立ち上げました(http://daily-ondanka.com/)。
 変化の「構成要素」である、一人ひとりの思いや願いが抱かれ、温められ、形になり、伝えられつつある―小さな雨粒が集まって激流をつくるような、「うねり」の芽生えをあちこちで感じているのです。

2008年5月号

 

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