エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2008年03月17日

recycle-based society

 

日本ではよく、「循環型社会」という言葉を使います。「循環型社会形成推進基本法」など、法律名にもなっていますし、環境関係の会議などでも必ずといってよいほどこの言葉が出てきます。

通訳をしていた頃、この「循環型社会」をどう英訳するか?と、ずいぶん悩みました。「こう訳せば必ず伝わる」という英語の定訳がないのです。

「循環」はcycleで、「社会」はsocietyですから、文字どおり英語にすれば、cyclical societyでしょうか。でもそれでは「なんのこっちゃ?」という顔をされてしまいます。

私がこの悩みに最初にぶつかったのは10年ほど前のこと。アースポリシー研究所のレスター・ブラウン所長と日本経済新聞社・三橋規宏論説委員(当時)の対談を通訳していたときに、三橋氏の言う「循環型社会」がうまく英語にできなかったのです。

「何か違う。足りない。部分的にしか伝えられていない」と思いつつ、必死に通訳をして、対談が終わったあとで、レスターに聞いてみました。

「日本語の循環型社会の言いたいことはこういう感じなんだけど、英語では何ていえばいいのかなあ?」レスターはしばらく「うーん」と考えていましたが、「recycle-based society かな」と教えてくれました。

そこで、それからは「循環型社会」と言われると、recycle-based societyやrecycle-oriented societyと訳すようになりました。

もっとも、三橋氏がのちに指摘されたように、「これでは物質的な循環はわかるが、“循環”に込められている精神的な要素はまるっきり落ちてしまっている」とも思います。

そこで、単に廃棄物をリサイクルするということではなく、何度も繰り返し大切に使う「もったいない精神」や、長持ちする製品をつくり使うこと、廃棄物を出さない経済社会・地域・企業などを包含した言葉としての「循環型社会」を英語にするとしたらどうなるか、米国の知り合いの若手研究者たちに聞いて回ったことがあります。

そのときに返ってきた答えは、
○perpetually circulating society
○permanent (continuously) recirculating society
○closed loop society
○zero waste, full use society
などでした。

思ったとおり、物質の循環やごみが出ないというポイントはわかってもらえるのですが、「もったいない精神」はやはり理解しがたいようでした。

「ちょっと違うんです。こういう気持ちや思いもこもっている言葉なんです」と必死に説明していたら、「英語にそういう言葉がないのは、米国にそういう習慣や考え方、精神がないからだよなぁ、恥ずかしいねぇ」と若手研究者たち。

単なる3Rを超えて、「循環型社会」に込められた精神や思いも添えて、この言葉を世界に伝えたいなと思ったのでした。

 

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