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エダヒロ・ライブラリー講演・対談

グリーンビジネスと社会のシステム変革

東京大学生産技術研究所「エコエフィシエンシーとエコデザイン」特別研究会主催 箱根研究会講演(2009.07.03)
2009年07月03日
教育・研究機関主催
講演
 

皆さんこんにちは。ご紹介いただきました枝廣です。
私が今回いただいたお題は、「グリーンビジネスと社会のシステム変革」です。普段考えていることを中心にお話をしていこうと思います。

グリーンビジネスというのは、いろいろな定義ができると思いますが、大きな意味でのグリーンビジネス、それから社会の変革、どちらかだけがあるということはなくて、お互いに影響を与え合っています。これが好循環に向かっているのか、それとも悪循環に向かっているのか。それが国によって、業界によって、いろいろ違いが出てきているのではないかと思っています。

好循環の一例にスウェーデンがあると思います。スウェーデンは、社会のシステム変革ということで税制をいろいろと変えてきています。特にエネルギーに関して、意識的にCO2や化石燃料に対して税金をかけています。たとえば、スウェーデンでは木質バイオマスが極めて安くなりましたので、「環境にいいから」というのではなくて、「経済的にそのほうがいいから」ということで、みんなが使うようになりました。

その結果どうなったか。これまでスウェーデンの森林や山村は、日本と同じで、人がどんどん出ていって過疎化が進んでいたそうです。ところが、森林がエネルギーになってお金になるということで、若い人たちがどんどん山に戻りはじめました。いまでは、山に住むのがステイタスだとわれるぐらい、社会が変わってきているそうです。そうすると、また新しい産業が出てくる。このように、スウェーデンでは好循環のループがうまく機能していることが分かります。

残念ながら、日本ではこの好循環がまだ進んでいないと私は思っています。どうして日本ではこのような好循環が進んでいないのか。みんなの意識はあるにも関わらず、どうして低炭素社会に向けた取り組みが進んでいないのか。

先日、参議院の調査会に呼んでいただいたとき、この理由を6つお話してきたので、ご紹介しようと思います。

一つは、そもそも何か考えるときに、科学をベースとしたぶれない軸が日本にはないと、私は思っています。このあいだの中期目標に関しても、総理の懇談会で色々な議論をしたわけですが、麻生総理が中期目標を発表された記者会見の席で、IPCCという言葉は一度も出てきていません。欧米の政治家の場合、「科学によると」とか「IPCCによると」という言葉がまずあって、それを認識した上で「わが国はこうする」という話がありますが、麻生総理が科学について述べたのは、「科学の要請には応えてないという批判があるかもしれませんが」という、その断りぐらいで、この科学がまず軸になっていません。

それから、資源・エネルギーの制約が厳しくなってくる時代に、単なる温暖化政策ではなく、日本としてどういう国づくりをしていくのか、エネルギーや食糧、いろいろなものの移動をどう考えていくのか。将来なりたい国、あるべき国のビジョンがないので、パッチワーク的な形でしか決めることが出来ないのではないかと思います。

中期目標でも長期目標でもそうですが、それを言っているだけではもちろん実現しないわけです。でも残念ながら、目標を実現するための政策パッケージが、日本には用意されていない。それから温暖化で言えば、燃料転換をかなり進めないといけないのですが、そこが非常に消極的です。

政策パッケージと同じ意味合いですが、日本は個人の意識変革とか、企業の自主的な取り組みにばかり頼っていて、社会全体をある方向に向けさせていくための仕組みづくりがあまりないと感じます。

もう一つ、これは市民の側の問題でもあるし、マスコミや政府の説明の問題でもあるのですが、コストや負担に関する考え方が、非常に不十分だと思っています。なので、中期目標もそうでしたが、「-25%を選んだら、一般の家庭は33万お金がかかるんですよ」という、脅しのようなコストの出し方。じゃあ、それをやらなかったらどうなるのかという説明はない。このコスト・リテラシーについては政治家も市民も高めていかないといけないと思っています。

バックキャスティングというビジョンのつくり方は、皆さんよくご存じだと思います。これはスウェーデンの例ですが、スウェーデンは、2050年に温室効果ガスの100%削減を目指しています。それが一番遠いビジョンで、あるべき姿、理想像です。そのために2020年の中期では-40%という中期目標を立てています。ちなみにうち3分の1は、CDMを使って外から持ってくるので、真水で言うともっと少ないのですが、しかしその目標に対して、政策のパッケージをきちんと出しているのですね。たとえば-40%のために何をどれだけやるかということを、きちんと分担を決めて、さらにそれを進めるために、さまざまな政策パッケージを行っています。

恐らく、この中で日本がしっかりやってきたのは、国民への啓発情報キャンペーンぐらいではないかなと思います。スウェーデンでは、税金を変えることから、いろいろな助成金なども含めて、もしくは外の排出権取引の制度とリンクするなど、パッケージとして実質的な削減をしています。この部分が日本はまだ少ないと思っています。

私も以前同じような考え方をしていた時もありますが、日本の政府は、一般の人々を2つの軸で分けて考えています。環境意識があるかないか。つまりCO2とか温暖化に対する意識があるかないか。実際に行動しているか、していないかですね。理想的なのは、意識があって行動している層です。その人たちを増やしていきたい。いま困った人たちは、意識もなくて行動していない人だと。

ごく自然に私たちが考えてきたのは、意識啓発をして、意識を高めれば、自然に行動につながるだろうと。恐らくこういうことを考えて、想定していたと思います。ですから国の政策も、環境省が国民大運動とか、チームマイナス6%という形で、意識啓発を中心にやってきました。私のような伝える立場の人も、一生懸命、皆さんの意識を高めるような活動をしてきたわけです。

でも、何年かそれをやってきて、いま思うのは、思ったようになっていないなと。どういうことかと言うと、いま増えているのは、意識はあるけど行動していない人たちです。

いろいろな調査を見ていても、温暖化やいろんなことに対しても、意識の高い人は日本に非常にたくさんいる。だけどそれが行動につながっているかと言うと、つながっていない。それを行動につなげるために、さらに意識啓発をしようとしている。実際はそうではないんじゃないか、もしくは、それだけでは足りないのではないかと感じています。

確かに、意識が上がった人たちのうち、ある割合の人は行動にまでつながります。でもそれは、少なくとも私が最初に想定していた割合よりも少ないと思っています。

減らすための仕組みの一つが、ようやく日本でも始まった、CO2に値段をつけるという考え方です。CO2は出してほしくないものだから、出すのであればその分払いなさいと。これを産業界に使えば排出量取引になりますし、家庭用だと炭素税のような形です。国の場合は、CDMなどで排出量を買うというような形になります。もともと目には見えない、出しても出さなくても変わらなかったCO2に値段をつけることで、見える化をして、人々の行動を変えていこうという仕組みです。

ここで詳しく話す必要はないと思いますが、世界的にはこの動きはもっともっと進んでいて、たとえお金が儲かったとしても、CO2をたくさん出すようなものには投融資をしないとか、CO2はすでに負債としてコスト計上される仕組みができているとか、そのような動きが出てきています。ROCという指標が日本でも入り始めていると思いますが、同じ売り上げの場合、CO2をどれだけ出したかによって企業の競争力を測る。業界が違うとちょっと比べられませんが、同じ業種だったら、ROCが優秀な企業のほうが競争力があると見なされます。これが企業のスクリーニングや格付けに入ってくる。これからはこうった動きが少しずつ出てきています。

先ほどもお話したコスト・リテラシーですが、どうしても私たちは、いくらかかるかというところだけで話をしてしまう。たとえば「日本の省エネ設備をこれだけ替えるといくらかかる」と。でも、「それによってどれぐらい得するの?」という話もあります。省エネ設備に替えたら、それだけエネルギー代が減るわけです。

もう一つ大事なのは、もしそれをやらなかったら、省エネ設備に替えてCO2を減らしたり、エネルギー代を減らさなかったとしたら、将来どういうコストがかかってくるの?これを全部合わせて、それを出した上で、国民や市民や、もしくは経営者に考えてもらう必要があります。

「Cost of Action」がやったときのコストです。一方の「Cost of Inaction」はそれをやらなかったときのコスト。先ほど話が出ましたスターン・レビューの一番大きいなポイントというのは、温暖化対策のCost of ActionとCost of Inactionを明らかにしたことだと思っています。「温暖化対策をしなかったら、世界のGDPの5〜20%かかっちゃうよ。でも、それを防ぐためのコストは、世界のGDPの1%でいいよ」というのが、スターン・レビューの結論だったと思います。

負担論に関しては、これからもっと出てくると思いますが、私たちはよほど気をつけて議論していかなければいけないなと思っています。よく、温暖化対策の、「家庭ではいくら負担しますか?」という調査をして、「1,000円以下」と言う人がほとんどなので、国民は負担したがっていない。だから、その負担が大きくなるような中期目標はいかんのだという言われ方がされています。

もしくは、経産省の余剰電力の買取制度にしても、「アパートに住んでいる貧しい自分が、どうして一戸建の金持ちの人を援助しないといけないんだ。おかしいじゃないか」と、こういう投書が新聞に載っている。これも、社会全体の低炭素化を図ることで、社会全体のコストを下げるという認識ではなくて、そこと自分たち、というふうに分けて考えてしまうわけです。先ほどの、「これをやったらどれだけプラスなの?」――日本全体で、もしくはあなたのおうちで。「やらなかったら、どういうコストがかかってくるの?」という議論をしないといけないのです。

もう一つ、あまり明らかになっていないので、一般の人はあまり気がついていませんが、私たちは既にいろんな形で負担をしているのです。東京電力の方もいらっしゃるので、もし正確でなかったら、訂正していただければと思いますが、燃料費調整額という形で、燃料が上がったり下がったりしたときに、それを調整するということをしています。いまは化石燃料が中心だと思いますが、化石燃料がどんどん上がっていったら、一般家庭はたくさん負担しないといけない。でも、これをいくら負担しているとか、それはほとんどの人は知らないんですね。「燃料費調整額の形で負担をしますか?それとも買取制度の負担をしますか?」「将来的に日本はどっちがいいんでしょう?」といった形で負担論の話をしないといけないのだと思っています。

経産省の買取制度が発表される前に、環境省の研究会から買取制度の一案が出たので(図1を参照)、それを元に3月に300人の主婦を対象にアンケート調査をしてみました。これは、環境に関心のある主婦ではありません。ごく一般の方々です。その時、「これをやればこういういいことがあります」、たとえばGDPが増えるとか、雇用も増えるとか。「でも、そのためには月々1世帯260円負担する必要があります」と伝えました。260円という数字は、先ほどの環境省の研究会の出した数字ですが、「それでも、この制度をやったほうがいいか」という調査を行った時、53%が「それでもやったほうがいい」と答えました。「お金を払うんだったら嫌だ」と、この負担が嫌だから反対というのは、全体の5%しかいませんでした。

図1


なので、どういうふうに説明するかというのも、とても大事だと思います。中期目標もそうですが、つい先日も共同通信と朝日新聞の同じような調査についての数字があまりにも違います。それをよく見てみたら、設問の仕方が全然違うんですね。ですから、設問によって答えは当然違う。でも、それをもって世論調査という形で結果が出してしまう。それが受け入れられてしまう。それがいま、とても危険だなと思っています。

大事なのは、企業が声を上げていくかどうか。逆にそうならないといけないんじゃないかと思います。皆さんが取り組んでいるようなグリーンビジネス、もしくは環境負荷を下げようとするビジネスが成長するような、そういった土俵づくりを日本でやっていかないと、いまのままではやればやるほどコストになってしまいます。今は、高い意識もあってお金もあるような企業しかできないような、そういう仕組みになっています。

そうじゃなくて、やればやるほどプラスになる。そういった社会のシステムをみんなでつくっていかないといけません。たとえば、いま皆さんがいろんな苦労をして、お金をかけてCO2を減らしても、それはほとんど評価されません。でもそれが、これから導入される排出量取引のような形できちんとお金につながれば、やったことがプラスになります。

ご存じの方も多いと思いますが、アメリカにはUSCAPという産業界、企業のグループがあります。イギリスにはCorporate Leaders Groupという同じような産業界のグループがあります。このグループ、特にアメリカのUSCAPは、かつてのブッシュ政権のころから政府に圧力をかけていました。

それは、「産業界を傷つけるような環境政策をやるな」という、日本で聞かれるような圧力ではなくて、「早く高い目標を決めて排出量取引をやれ」という圧力です。「そうしないと、自分たちが一生懸命やっていても、それは認められないし、自分たちも続けられない」と。ですから、正しいことをやっているグリーンビジネスとか、正しいことをやっている人たちがちゃんと報われるような土俵をつくれ、という圧力をかけていたわけです。

日本でも個別企業ではいろいろな取り組みがあるのですが、社会全体の土俵をそれで変えていこうという動きには、残念ながらまだなっていないような気がします。ですから、この「スピード」の研究会は一つのそういった募集体になるんじゃないかと思いますが、みんなで集まって、どういう形だったら自分たちのやっていることがきちんと評価され、認められるか。それをつくっていく、もしくは政府に圧力をかけるぐらいの動きになっていかないかなと思っています。

たとえば、発表がありました余剰電力の買取制度ですが、これは判断基準を経産大臣が決めるということになっています。なので、あとになってどのようにいろんなことが調整されていくのかがわからないまま、この制度が始まるのです。もしそんな制度だったとしたら、企業として投資することができるかどうか。もしくは見通しが立つかどうか。

電力の買取制度というのはとてもいい考え方だと、つまりCO2に値段をつけるということをやっているのでそれはいいと思うのですが、何かをやるときに大事なのは3つのレベルで評価する必要があるということです。

一つは原理原則です。たとえばグリーンな電力をつくってそれを買い取る、発電コストよりも高く買い取ることで、それを促していこうという、原理原則は正しいと思っています。でも、次のレベルの、それをどういう制度設計にするか。あとで説明しますが、いまの経産省のレベルだと、これがまだ十分ではない。つまり、もともとは推進したくてやっているはずです。でも、推進策としてほんとにこれで進むのかどうかという点で、制度設計をもう少し変えられないかなと思います。最後は、実際に制度が決まってから、いかにそれが運用されるかです。

よくあるのは、たとえば運用のところでうまくいかないから、原理原則まで否定してしまったり、制度の設計にミスがあったり、それがうまくない設計だったとき、「ほら、うまくいかないでしょ。だから原理原則は駄目なのよ」という言い方をされたりする。

この原理原則と、制度設計と、運用と。それは、きちんと分けて政策を見ていかないといけないし、運用のところと設計のところをいかに目的に合ったものにするか、ということは考えていく必要があります。

電力買取制度について、経産省の制度とドイツの制度を見ていただくとわかるのですが、まずドイツの制度は全量買い取りです。経産省がいまやろうとしているのは余剰電力です。どういうことかと言うと、余剰電力というのは、誰かそこで使っている人がいないといけないのですね。発電した分と使った分の差を買い取りますということです。一般の家庭だと、大体3キロワットぐらい使うので、5キロワットぐらい大きな設備を載せられる人しか対象になりません。

たとえば、ドイツの制度のように全量買い取りだったら、私が住んでいるようにマンションでもできます。マンションで余剰電力を計算するのは難しいのです。誰がどれだけと分けて考えるのは難しい。でも、全量買い取りだったらマンションの管理組合で、みんなで「つけましょうよ」と言えばできます。もしくは、企業の工場などでもつけることができる。だから企業の投資対象になります。

それから対象となるエネルギーも、いま経産省の制度は太陽光のみが対象ですが、日本はあちこちにいろんな自然エネルギーがあるわけですよね。なので、太陽光だけではなくてすべてを対象にすべきですし、価格の決め方が、いまのところ経産省の制度ではよくわからない。先ほどお伝えしたように、大臣が決めるというふうになってしまっているんですね。

ドイツは、毎年5%ずつ買い取り価格が下がるというのがわかっているので、早く投資したほうがいいというインセンティブがきちんと働きます。何年に投資したらいくらになっているというのが計算できれば、企業としても一般の人としても、将来の見通しが立って投資できますよね。この辺のわかりやすさが違うなと思っています。

地域の特性について考えても、太陽光発電だけというような制度設計にされてしまい、それはおかしいと思っています。「うちは太陽は照らないけど、風は強いんだ」「うちは地熱はあるんだ」という、そういった自然エネルギーもちゃんと買い取って、同じようにやってくれないと、太陽光はいま日本の産業振興の目玉になっているので、太陽光に力を入れるのもわかるのですが、環境のためにやっているというよりも、産業振興のためにやっている。それが非常にあからさますぎると思います。エコポイントもまったく同じですよね。

エコポイントに関して、最初から何か変だなと思ったのは、テレビでも冷蔵庫でも、大きいのを買った人のほうがたくさんポイントをもらえるんですね。大きいのを買ったら、それだけ容量を食うわけです。電気を使うわけです。なので、ほんとは小さいのに買い替えた人にエコポイントをたくさんあげてもいいんじゃないかと思うのですが、大きいのに買い替えた人にたくさんポイントをあげる。

このあいだ、環境省の人にその話をしたら、これは経済の活性化が前面に出ているので、そういうデザインになっているとおっしゃっていました。ですから、さっき言った原理原則、正しいことをした人に、望ましいことをした人にお金を返すというのはいいとしても、制度設計のところがどうなのかなというふうに思ったりしています。

ここまでは社会のグリーンビジネスの話でしたが、今度はもう少し企業ないし産業界に寄って話をします。単につくるものとか売るものがグリーンになるだけではなくて、たとえばグリーンな商品とか、グリーンな電力とか、モノがグリーン化するだけではなくて、一番大事なのはビジネスのやり方、ビジネスのフォーマットが変わることだと思っています。

私が確信をもって感じる変化の一つですが、これまでは企業が企画し、設計し、製造し、販売するというスタイルがほとんどでした。企業が、「これがいいだろう」と設計して、つくって、売れるか売れないかが分かる。そこではじめてリトマス紙のように、消費者のもしくは市場の反応を見るというスタイルです。

そうではなくて、いま始まりつつありますが、使う人とか市民、もっと大きく言えば社会の求めるものを、一緒に企画して、設計して、製造して、そして売っていくというスタイルに変わっていくと思います。

企業の中でも少しずつ、たとえばフォーカスグループとか、消費者インタビューとか、いろんな形で声を入れる動きはもちろんあると思いますが、それは企画の最後に来てからですよね。そうではなくて、最初につくるところから、何が社会に必要なのかというところから、一緒に行う。企業がすべてを知っているというスタンスではなく、市民の側と一緒につくっていくスタイルになっていくと思っています。

この点で一番有名な事例の一つは、グリーンピースとパナソニックのノンフロンの冷蔵庫の開発物語だと思います。ご存じの方も多いと思うので詳しく話しませんが、グリーンピースの呼びかけが一つのきっかけとなって、日本でそれまではなかったノンフロンの冷蔵庫をパナソニックで開発して販売するようになって、それが非常に大きなシェアを取ったという話がありますよね。

スウェーデンでも、最初にスウェーデンでエタノール車が非常に増えて、世界の、もしくはヨーロッパのこういった分野を引っ張ってきていますが、そのはじまりは2000年ごろのことです。環境に関心のある市民団体が、自動車はガソリンだと環境に悪いから、エタノール車を造ってほしいということで、自動車メーカーがたくさんあるスウェーデンに話を持っていったそうです。ところがみんな断った。なぜならば、新しい車を造るというのは、金型からして新しくしないといけない。お金がかかるわけです。「造っても売れるかどうかわからないものを造るわけにいかない」と断られたんですね。

そこでその市民団体は何をしたかと言うと、「じゃあ、最少ロットはいくつですか」と聞いたら、「3,000台です」とフォードが答えてくれました。「じゃあ、3,000人買う人を集めますから、それで造ってください」と。その市民団体はあちこちに呼びかけをして、実際に「できたら買う」という人を3,000人集めて、それでフォードに造ってもらったんです。一回金型ができれば、あとは安く造れますから、そういうことで、スウェーデンでのエタノール車が非常に広がった。

これも、企業が造ってあげようと思ったわけではなくて、市民の側とのやりとりで生まれてきたわけです。いま、日本でも広がりつつある市民共同発電所も、そういった動きでしょうし。

あと、環境の分野ではないのであまり知られていない、環境に関心のない人たちのほうがたくさん知っている面白いウェブがありますよね。 「空想生活」というウェブをご存知でしょうか。

これは、いろんな人が、「こんなものがあったらいいな」というのを、ウェブにどんどんアップしていくんですね。「それだったら、それができたら私も買うよ」という人がそこに投票していくんです。ある人数になったら、メーカーに発注してつくってもらう。別に環境に限っていませんが「あったらいいな」みたいなものを、人々の「買いたい」という気持ちを集めることで商品化につなげている、とても面白い試みをウェブでやっている会社があります。

こういった形で、社会が必要としているものをみんなでつくっていくような、それがグリーンビジネスの神髄の一つではないかなと思います。昔のやり方で、最後に出てきたものがグリーンかどうかだけではなく、という意味です。

もう一つは働いている人ですよね。一部の人、環境部署、CSRの人たちがグリーンなわけではなくて、働いている一人ひとりが、どの部署にいたとしてもグリーン志向になっていく。これがグリーンビジネスのもう一つの大きなポイントだろうと思っています。

私は「日刊温暖化新聞」というウェブサイトを主催していて、ここで実際に伝えたり、考えたり、行動につなげる、そういう活動を一緒にやっています。ここでは、市民とのつながりをつくっていったり、新しい動きをつくっていったり、みんなで学びながら、特に異業種のネットワークができるので、そこから生まれる新しいものがないかと思っています。ご興味のある方、ぜひ声をかけてください。

これからいろいろ考えていくときに、特に社会のシステムを変えていくときに、私たちがもう一つ考えないといけないことがあると思っています。これはデニス・メドウズがよく使う図(図2を参照)なので、彼の講演を聞いた方はご覧になったことがあるかもしれませんが、現状が赤い所で、緑が行きたい所だとします。あるアクスションを取るとすぐに緑の所へ行けるけど、別のアクションを取るとどんどん駄目な所に行くと。

図2


これは「やさしい問題」、Easy Problemといわれます。これは、スタートしてあるタイミングで評価の時間が来たときに、正しいことが正しいと評価される、こういうものです。だから、途中経過もいいし最終的にもいい方向に行きます。こうなるのはやさしい問題の場合です。デニスに言わせると、政治家や企業のリーダーは、こういう問題は大好きで、これはみんな彼らに任せておけばいいと。つまり、何かをやるときに、次の四半期の決算とか、次の投票のときもそれがいいとわかるから、これはみんな喜んでやるわけです。

ところが、世の中の問題の多く、資源とか環境関連の問題などの難しい問題の場合、そうはいきません(図3を参照)。たとえば、アクション1は、短期的には良くなるのですが、でもそれは最後にはうまくいかない。アクション2こそ、本当は取らないといけないんだけど、それは短期的には悪化する。「Worse before Better」という言葉を、私たちは使います。本当に必要なことをやるには、最初は悪化する。そういったことはよくありますよね。それができないと、すぐにいいことばかりやろうとしていると、本当に大事なことができない。

図3


企業でいえば、たとえば開発などに資金を回すのはアクション2だと思います。それは、次の四半期には決算を悪く見せる。でも、長期的には絶対必要なことですね。でも、それは次の決算で悪く見えちゃいけないとなると、売り上げを上げるとか、コストを削減するとか、次の決算で良く見えることだけをやろうとする。それは、長期的な企業の力を損ないますよね。

まったく同じことが、社会にもいえるし、個人にもいえるわけですが、こういった問題を、私たちはどうやって解決していくことができるか。

一つ大事なのは、時間軸を伸ばすということです(図4を参照)。つまり、時間軸を伸ばせば、本当に正しことが正しいと評価される可能性が高まります。

図4


デニスが言っていましたが、オーストリアでは選挙の期間を延ばそうとしている動きがあるそうです。つまり、政治家が短期的にプラスを出さなくても、本当に必要なことができるように、ということですね。

もう一つ、私が大事だと思うのは、企業が――これは皆さんの企業にとって、可能かどうかわかりませんが、四半期ごとに株主の顔色を伺わないといけない、このような株主との関係をつくらないような道を取っていくということです。これからは、IRのやり方を変えていく必要があります。「うちに投資したら儲かりまっせ」と言っているだけでは、長期的なことは絶対にできません。でも「うちは、10年後、30年後、こういうふうになろうとしている。それに賛成してくれる株主さん、来てください」というようなIRがきっとできるんじゃないかと。上場をやめちゃうというのが一番簡単かもしれませんが。

もう一つは、社会の中で長期的な時間軸を持っている人たちの力を強めていくことです。私も含めて、NGOは大体、長期的な時間軸を持っています。四半期決算とかないですから、10年後、30年後、100年後のためにどうしたらいいかということを考えている人が、きっとほとんどです。そういったNGOなど、市民社会の時間軸の長い人たちの力を社会の中で強めていくこと。これも、時間軸を伸ばす上でとても大事なことだと思っています。

「グリーン何とか」などもそうですし、中期目標の闘いもそうだったのですが、よく「環境か経済か」といういわれ方をします。「環境を大事にすると経済がマイナスになる」というような形ですね。でも、いま、本当の闘いは、環境対経済ではなくて、新しい経済と古い経済の闘いなのだと思っています。

たとえば、このあいだ、コンビニのお弁当の見切り販売に関する話がありましたね。行政処分が出ましたけれど、あれは、コンビニの店主さんたちに負担を与え、年間にすごい量のお弁当を廃棄させる。それで成り立っている古いビジネスモデルと、そうではないやり方の闘いなわけです。なので、環境、経済というよりも、古いビジネスモデルと新いしビジネスモデル。これの闘いというふうに、私は思っています。

私は、あちこちで一般の人向けに、「もし読んでないのだったら、新聞の折り込みチラシも断りませんか」という呼びかけをしたりしています。

いらないDMについて面白いデータがアメリカにあります。皆さんのとこにも来ると思いますが、アメリカでもいらないDMが沢山届いているそうです。開けもしない、中を見てすぐ捨てるようなDMです。これらのいらないジャンクメールに、アメリカ人は、一生の間どれぐらいの時間を使っているかという計算をしたNGOがあります。何と8カ月。一生のうち8カ月、DMのいらないものの処理に使っている、それぐらいだったら、断ったほうがいいと思うのですが。

日本でも簡単に、「受取拒否」と書いてポストにもう一回入れれば、受け取らないで済みます。ついでに、新聞の折り込み広告もいらないんだったら、販売店に電話すれば止めてくれます。うちはそれで止めているのですが、読む時間がないのでそういった話をしています。

このあいだNHKでも同じ話をしたら、抗議のメールとかが結構来るんですね。それは新聞販売店からなんです。「あなたは知らないかもしれないけど、新聞販売店の利益というのは、あの折り込み広告からもらっているんだ」と。新聞を売ってもほとんどお金にならないらしいのです。なので、「それをやめるというのは、新聞販売店にとっての死活問題だから、自分たちの首を絞めるようなことは言わないでほしい」という意見が来ました。

それも、新しい経済と古い経済、もしくはビジネスモデルの闘いだと思います。環境に悪いことをやりながら、でも、いまの人たちの職を守るにはどうしたらいいかというよりも、新聞が販売店の折り込み広告に頼らなくて済むようなビジネスモデルをつくっていかないといけないと思うのです。

このような一見環境と関係ないような分野でも、これからたくさんの問題が出てくると思います。そのときに、人々はよく「環境か経済か」という軸で見がちですが、そうではなくて、新しい経済と古い経済、新しいビジネスモデルと古いビジネスモデル。ここの闘いがこれら出てくるのではないかなと思います。

そういったときに、社会のシステムを変えて、新しいビジネスモデルやグリーンビジネスなど、望ましい動きが広がっていくような形で、私たちが後押ししていくことができればいいなと思っています。

以上です。ありがとうございました。

 

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