エダヒロ・ライブラリー講演・対談

「生命って何だろう?」

女性のための崇城サイエンスギャラリー パネルディスカッション(2008.10.18)
2008年10月18日
教育・研究機関主催
講演
 

●司会者 
命とはなにでしょうか? どのようにお考えでしょうか?

●枝廣
命というのはすごくパーソナルなものでもあります。私の命は私のもの、ですよね? ですから、自分がどういうふうに生きても、それは自分が納得いく限り、いいんだと思います。

でも同時に、もっと時間的、空間的な広がりの中でのつながりというか、連鎖というか、それ全体が命だと思うんですね。

たとえば、私たちがいまここに存在しているのは、お父さんとお母さんがいて、またそのお父さんとお母さんがいてと、ずっと過去のつながりがあってはじめて、ここに命として存在しているわけです。そういった時間の流れの中での、つながりの1つの結び目としての自分の命というのがある。

もうひとつ、人間だけではなくて、微生物から植物から動物から、この世界にはいろいろな命があって、それぞれ関係ないように見えるかもしれないけど、それもつながっています。たとえば、人間は食物連鎖のいちばん上にいるわけですが、私たちが食べるもの、その食べ物の餌になっているもの、連鎖で全部つながっていますよね。

そういうふうに考えると、すごくパーソナルな個人の命でもあるけれど、同時に時間的、空間的な広がりのつながりの中で生かされている命、でもあります。

私は英語の通訳をやっていたことがあるので、言葉をすごく気にするんですか、「生かされている」というのは、なかなか英語にできないんですね。これはすごく東洋的な、日本的な感覚だと思います。英語でも「生かされている」と言うことはできるのですが、"by 何々"というのが必要になるんですよね。○○によって生かされている、というように。「神によって」とか。

でも、私たち日本人が「生かされている」とか「もったいない」とか思うときは、別に「神」とか具体的な何かではなくて、「八百よろず」というか、すべてのものに生かされている、その輪の中にいること自体が自分の命だ--多分そんな感覚があるのだと思います。

それは、なかなか西洋の人にはわかりにくいものです。でも私はとても大事なものだと思っています。そういう網の目の中の1つのつながりとしての自分の命。そのあり方によって、同じ時代に生きているほかの命にも影響を与えるし、自分の先に生まれてくる、これからの命にも影響を与えることができる。すごく漠然とした言い方ですが、そんな存在として、私は命を感じています。

●会場からの質問
9月11日、熊本県知事が、42年間地域を対立させ分断してきた川辺川ダム問題に対し、球磨川は地域の宝であると判断し、ダム計画の白紙撤回を表明し、ダムに頼らない治水を最大限国に求めるとしました。この川辺川ダムか提起したことについてのお考えをお聞きしたいと思います。

●枝廣
9・11の白紙撤回の宣言、もしくは川辺川ダムが、私たちに何を教えてくれているかということを考えると、これは、これから日本全体が、そして世界全体が必要としている、もういま必要になっていますが、ますます必要となってくる新しいアート――アートというのは芸術という意味ではなくて技というか、プロセスというか、その先行事例だろうと思います。

それはどういうものかと言うと、これまでは、つねに「何かをつくる」、そして「先へ進む」、それだけを目的として、私たちの社会は動いていきました。そうではなくて、「つくらない」、もしくは「つくったものを元に戻す」ということは、私たちの社会は、これまでやってきたことがない。そういう教育はないですよね。つねにつくること、前に進むこと--この教育は山ほどやっていますが。

たとえば、つくったものを元に戻す、もしくはつくらないことにする。つくると決めたことをやめる。「やめる技術」というのは、なかなか難しいんです。つくったり、前に進むほうがずっと楽なので、みんなそれをやりつづけています。

でも、これから私たちに必要なのは、たとえ前に決めたとしても、やはり現状を考え、今後を考えたら、やっぱりやめたほうがいい、というときにはやめられる柔軟さだと思います。

それを技という意味で、アートと言いましたが、いったん決めたことを、もう一度決め直す。見つめ直す。もしくは、これまで正しいと信じていたこと、たとえば「成長すること」とか「増やすこと」とか、「開発すること」。それが正しいと、みんな信じてきたけど、それは正しくないかもしれない。本当に大事なのは何だろう? ともう一回考え直すこと。こういったことが、いまとても必要になってきていて、そういった意味での大きな先行事例として、今回の川辺川ダムの白紙撤回は位置づけられるのではないかと思っています。

先日、東京の有名なまちづくりのコンサルタントをやっている方と話をしていたときに、「最近、僕のところに持ち込まれるのって、面白いのがあるんですよ」とおっしゃっていました。その方は有名なプロジェクトをたくさん成功させている方ですが、最近増えている依頼がどういうものかと言うと、「何年か前に決めちゃったけど、やっぱりやめたいと、やめるためのプロジェクトを僕に頼んでくるんだ」と。

一回行政が「やるぞ」と決めると、やることになっちゃうんですね。そうではなくて、「人口は減っていくし、産業だって疲弊しているし、ここにレジャーパークをつくってどうするの?」という、見つめ直す声が上がったときに、それを上手に、やらない、もしくは別の形に変えていくためのプロジェクトを頼んでくる人が増えているんだという話をしてくれました。そういった意味で、川辺川ダムだけのことではなくて、同時並行的にそういう動きが、あちこちでいろいろあるんだろうなと思います。

私は心理学をやっていたので、どうしても心理学的に思いを馳せてしまうのですが、私が好きな心理学者の一人にカール・ユングという人がいます。ユング心理学で有名な人ですが、彼が言った言葉に、「人生の午後」という言葉があります。人生の午前中は、どんどん大きくなり、成長し、盛んになっていく。でも、あるところで、誰もが人生の午後を迎えます。

そのときに、午後になったことを認めない、もしくは気がつかないで、ずっと午前中と同じつもりで、「イケイケどんどん」でやっていては、その人も幸せではなくなるし、周りも幸せではなくなる。

しかし、どんどん成長すること、前に進むことがよしとされる社会なので、午後の生き方を、私たちはまだ身につけていない。人生の午後とは、だんだん衰えるという意味よりも、より内面的に豊かになるということです。外から見た活動量は減るかもしれないけれども、もっと豊かな内面性を持つようになる。そういっ
た意味での午後です。

私は、このユングの話を読んだときに、人類も同じだと思ったんです。途上国はまだまだこれから発展しないといけない、成長しないといけないかもしれないけど、日本や先進国は多分もう、「人生の午後」に切り替えないといけないのに、いまだに午前中の張り切りで、特に日本はそうですが、いろいろなものをつくり、イケイケどんどんをGDPで測る--みたいなことをいまだにやっている。

私たち、つまり多分ここにいらしている方は、そういう方が多いと思いますが、うすうす、「それって違うんじゃない?」「それをやっていても、どこにも行かないんじゃない?」「幸せどころか、不幸せにつながっているんじゃない?」と思っている。でも、そうではないやり方や、そうではない目標、そうではない生き方についての社会の価値観がまだつくり出せていないので、おかしいと思いつつ、これまで通りのGDP至上主義を続けている。

そういった時代に、いろいろな意味で「価値あるもの」が変わってきます。これまでは、「お金が儲かれば」「大きくなれば」「成長すれば」いい--これが価値だったけれど、きっと違うものに価値が出てくる。

さっき上勝町の話がでましたよね。「いろどり」というんですよね 。葉っぱを売るってどういうことかと言うと、私が聞いた話によると、上勝町の年配の方々が旅行に行ったそうなんですね。旅館に泊まって、食事のときに、お刺身だ何だって、和食が出てきますね。そのときに、モミジの葉っぱとかが彩りに添えてある。

その葉っぱを見て、「こんな葉っぱを大事にしているの?」「うちの山にいっぱい落ちているわ」という話になったときに、「もしかして、料理屋とか旅館とかに、彩りの葉っぱって、高く売れるんじゃない?」ということになって、上勝町の年配の方々が、畑とか山にある葉っぱを集めて、それを料亭とか旅館で使ってもらう商売を始めた。葉っぱを売るわけです。町に才覚のある素晴らしい方がいたわけですが、ビジネスを上手に立ち上げられたんですね。

いまでは、上勝町のお年寄りは、ケータイとか、いろんな電子機器を駆使して、「いまはこういう葉っぱが売れ筋だ」とか、「これぐらい出荷があるから、これはもう、取ってもあまり売れないから、こっちにしよう」とか、そんなことで頭のトレーニングにもなるし、足腰も強くなるし、町のいろいろな売り上げとか、皆さんの親睦もつながる以外に、生きがいとか健康とか、いろんな素晴らしいものをつくり出している、と聞いています。

それはもともと、これまで価値として考えられなかった、その辺に落ちている葉っぱだったと思います。でもそれが実は、新しい時代になったときに価値を持つ。それを上勝町の人たちはいち早く、上手に活かしていらっしゃるのだと思います。

同じように、低炭素の話につなげると、これまで、出しても出さなくても同じだった二酸化炭素に価値が、マイナスの価値がつくようになっています。日本はまだその動きになっていませんが、アメリカなどの大手の金融業界はもう、「二酸化炭素は債務である」という考え方をしています。ですから、ある企業に融資をするかどうか考えるときに、その企業の決算を見るだけではなくて、その企業がどれぐらい二酸化炭素を出しているか、報告させます。それに1トン何ドルというのを掛けて、それをコスト、つまり債務の計算に入れます。二酸化炭素は債務であるという考えが、ごく普通になっている。これまで、出しても出さなくても一緒だったのですが。

「持続可能な社会」とは、「地球の限界の範囲内で幸せに生きる社会」だと私は定義しています。地球が吸収できる二酸化炭素の量しか、人間は出さない。地球が提供できる森林の成長量しか、人間は木を切らない。地球の限界、つまり地球が許容できる範囲の中で、しかも、ただ数字のために「GDP増大!」ではなくて、本当に私たちが幸せになっていく社会。それが持続可能な社会だと思っています。

そういった社会に変わっていくとき、先ほど言った、これまで大事ではなかった「やめる技術」や「考え直す技術」、そういったプロセスが大事になり、これまで価値がなかったものが価値を持ち、これまでどうでもよかったものが、マイナスの価値を--たとえば二酸化炭素のように--持つようになってくる。このよ
うに、非常に大きく変わっていくのだと思います。

川辺川ダムだけではないですが、先ほど言ったように、一回始まってしまったら、私たちはやめるための技術を持っていないので――特にこれは官公庁、行政はそうですね、NPOとかNGOとか民間の企業だったら、「やっぱりちょっと違うから変えよう」とかできますが--、一回決めたことは変えられないというプロセスをこれまでやっているので、そこを変えていかないといけません。

行政の人と話をするときに時々話すのは、アポロが月に着陸したときのことです。あのとき、地球の発射台から到着予定地まで、軌跡――こういう道を通っていくという、その道をもちろん計算しているわけです。実際に到着予定地に着きました。

でも、あとで、実際にアポロが飛んだ軌跡を解析してみると、あるべき軌跡に乗っていたのは5%ぐらいだったそうです。あとの95%はずれていたんですね。ちょっとこっちに行ってずれて、「ちょっと違う」と方向転換して、また「ちょっとずれた」と方向転換して、ということをやりながら、最終的にちゃんと着いたわけです。もし、最初「こっちだ」と決めて方向を変えずにずっとやっていたら、多分、全然違う所に行っていたことでしょう。

行政だけの話ではないですが、一回「こちらだ」と決めたら突っ走る、というのではなくて、現在地と目指している方向とあるべき姿を常に見ながら、リアルタイムでフィードバックをかけて、プロジェクトであっても事業であっても、修正をかけたり、必要だったらやめたり、そういったことをやっていく、その技術とプロセスを日本はもっと考えて入れていかないといけない。世界も同じだと思っています。

そういう意味で言うと、川辺川ダムの話は、ひとつのローカルな――ここにとってはローカルな展開だと思いますが、日本にとっても世界にとっても大きな教訓というか、大きな次への、世界で同時進行的に進んでいるであろう動きを顕在化させた動きだと思うし、できればそういうふうに位置づけて、日本の中にも伝えていきたいし、世界にも伝えていけたら、と思います。そうしたら、「あ、それって」と気がつく人、「うちも」と気がつく人、もっともっと増えるんじゃないかなと思います。


●会場からの質問
私は、将来、研究者になりたいと考えていますが、サイエンスに関わっている女性は日本では大変少ないのが現状です。そのため、今回のような女性のためのサイエンスギャラリーが開催されていると思います。このことについて、どのように考えておられますか。

●枝廣
女性か男性かが重要ではないと思っています。私がいつもこの問題を考えるときに思うのは、「女性か男性か」ではなく、「女性性か男性性」か、ということです。そのほうが大事と思っているので。女性性、男性性とは、女性、男性とイコールではないんですね。女性でも男性性が強い人もいるし、男性でも女性性の強い人がいます。

私がいま思っている男性性と女性性はどういうものかと言うと、「男性性」とは、どちらかと言うと「切断する」「切り刻む」「分ける」そういう活動です。「女性性」とは、それに対して「包み込む」「包含する」「つなぐ」といった動きや志向性のことです。

これまで男性性が強くてうまくいかなくなってしまった社会を変える上で、いまは女性性が必要な時代だと思っています。女性が必要というよりも、女性性が必要な時代だということです。ですから、いろいろ切り刻んで、さまざまなものを分断して、そして戦って競争して、ではなくて、つないで、包含して、受けとめ
て、受け入れて、みんなでつくっていく。そういった女性性が必要な時代だと思っています。

面白いのは、うちの会社に1人だけいる男性社員もそうですし、うちのNGOで活動している男性も、女性性が非常に強い人たちが多いのです。なので、男性か女性かよりも、男性性か女性性かと考えています。

そういう意味で言うと、女性のほうが女性性を持っている場合が多いかもしれませんが、だれの中にも男性性も女性性も両方あるんですね。男性性が強い人もいるし、女性性が強い人もいる。でも、自分の中の女性性をもう少し大事にしてもいいかもしれないですねと、男性にエールを送っておきます。

●司会者
さいごにひと言。

●枝廣
最初に「命とは」という問いかけに、時間や空間を超えたつながりだという話をしました。

イギリスのある環境の科学者が言っていることですが、温暖化やいろいろな地域の開発といったさまざまな原因によって、いま生物がどんどん絶滅しているんですね。もちろん自然淘汰でも生物の絶滅は起こるのですが、いま起こっている絶滅は、自然のペースの1,000倍ぐらいの速さでが起こっているといわれています。

ある種がいなくなるというのはどういうことなのか。たとえば、私たちと直接関係がないような微生物とか、日本にはないような植物がなくなっても、直接私たちに関係がないような気がします。

でも、先ほど言ったように、全部つながっている1つのクモの巣のようなものだとするとどうでしょうか? その科学者が言っていたのは、「いまは、高速で飛んでいる飛行機のビスを1本、2本と抜いているような状況だ」。直接関係ないように見えるその生物がいなくなっても、特に何も起こらないように見える。で
もどこかで、最後の、「これはまずい」というビスを抜いた瞬間に、その飛行機は空中分解するだろう。いま、それと地球は似たような状況だと。

現在、1日何種類もの生物が絶滅しているそうです。それは直接私たちの生活に、いまのところ何の影響もないかもしれない。けれど、そうやってビスをあちこちで抜き続けた結果、「あれ?」と思ったときにはもう、いろいろな状況があっという間に悪化してしまうかもしれない。

今日の話の中で、男女共同参画の話が大きなテーマとして出てきましたが、男性、女性というよりも、大切なキーワードは「多様性」なのだと思います。ジェンダー、性という意味だと男性と女性ですから、多様性を重視しようと思ったら、「いまあまり活用されていない女性を活用しよう」という話になりますが、たとえば、企業の中のCSRで「多様性」というと、男性、女性もあるけれど、たとえばハンディキャップを持った人とか、いろんな意味での多様性を意味しますよね。

多様性は、何も社会貢献とか事業活動として大事なのではなくて、多様性にこそ力があるから大事なのだ、ということです。

たとえば、作物を植えるときに、単一作物、つまり1つの作物だけ、同じ作物だけを畑に植えていると、それがかかってしまう病気がはやったら、みんなやられてしまいますね。でもそうではなくて、「混作」といって、いろんな種を混ぜて植えておくと、病気がはやったとしても、それに強い種もあるわけで、全部だめ
になるということはありません。

でも混作すると手間がかかるし、単一のほうがずっと効率がいいので、みんな単一栽培をしている。それは短期的な効率を求めることで、実は長期的な効率を失っていることではないかと思っています。

なので、、多様性をいかに大事にするか。それは、それが慈善活動として大事だとか、かわいそうな人に対してどうのこうのではなくて、そこにこそ力があるということを、いつ私たちは本当に実感して考えていけるんだろうか、と思うのです。

アメリカのほうが、日本より先行した動きをしていますが、それでもアメリカのある詳しい人に聞いてみたら、「本当に多様性の力を信じている人と、多様性に配慮しないと訴訟が起こったりするので、大事にしているふりをしている人と、だいたい、半々ぐらいじゃないかな」と言っていました。

命というのは多様性があってこそ守ることができる。はぐくむことができる。そして進化し、発展していくことができると思っています。

そういうことで言うと、日本の社会の多様性はまだまだ足りないですよね。男性に偏っていたり、年齢でも下のほうの人とか上のほうの人は社会から排除される仕組みになっていたり、ハンディキャップを持っている人が社会の中でなかなか暮らせない仕組みになっていたり。多様性を、男性性で切り刻んで、短期期な効率が悪いからと落としていくのではなくて、いかにそれを包含して、つないで、そしてそれがつくり出す強さをつくっていけるか、ということを考えながら、みなさんの話を聞いていました。

今回のトークセッション、自分の中でもいろんなことが考えられて、いい時間をいただきました。
ありがとうございました。

 

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