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エダヒロ・ライブラリー講演・対談

(社)四日市青年会議所 10月例会 第一部 「地球温暖化を考える」

(社)四日市青年会議所 10月度例会 環境フェスタ パネルディスカッション(2008.10.19) ※「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」を執筆された武田邦彦先生とのディスカッションを抜粋しています。
2008年10月19日
団体主催
講演
 

枝廣 (冒頭発言)
ありがとうございます。皆さん、こんにちは。環境ジャーナリストという肩書きはついていますが、通訳をやったり、翻訳をやったり、講演をしたり、いろいろな活動をしています。それから日本の情報を世界に発信するNGOの共同代表としても活動しています。

温暖化とのかかわりで言うと、おそらく皆さんがいちばんよく知ってくださっているのは、アル・ゴアさんが書かれた『不都合な真実』の翻訳を私が担当したことかと思います。そういった点から温暖化関係のいろいろな場面に呼んでいただいたり、今度の月曜日に初めて麻生総理のもとで開かれますが、首相直轄の「地球温暖化問題に関する懇談会」に、市民代表というような立場なのでしょう、産業界や大学の先生方と混ざって、参加しています。

温暖化について、このあと時間をいただいているので、そちらで話をしますが、一言だけ話をしたいと思います。私の知り合いに「環境問題は関係問題なんだ」と言っている人がいるのですが、本当にそうだなと思っています。

温暖化をはじめとする環境問題は、私たち人間とさまざまなものとの関係性の問題なのだと思います。人間と地球との関係、私たち同士の関係、それから自分と自分の心の関係--いろいろな関係性の問題が、ひとつの症状としての「温暖化」となって表れているんじゃないかと思います。

そういう点で、温暖化を切り口に、本当に関係性をちゃんと考えていこう、そういうきっかけになればと思って活動しています。

お話を始める前に、ちょっと皆さんに質問をしてみようと思います。「温暖化は問題だ。何とかしなきゃいけない」と思っていらっしゃる方、どれくらいいらっしゃるでしょうか? ――ありがとうございます。では、日本でもいま、いろんな取り組みが進んでいますが、「まだまだ足りない。もっと加速しないといけな
いんじゃないか」と思っていらっしゃる方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか? ――勢いよく手が挙がりました。ありがとうございます。

私は活動の中で、あちこちで一般の方や企業の方にお話をする機会も多いのですが、大きな変化を感じています。5、6年前だと、環境の講演会をしても、ほとんど人が集まらなかった。動員をかけないと集まりませんでしたが、最近は市民向けでも企業向けでも、講演会で立ち見が出るぐらい、たくさんの方が関心を持っていらっしゃる。おそらく今日も、関心の強い方々がいらしているんだと思います。

「温暖化の問題があるかないか」という議論は、おそらくもう過ぎていて、「じゃあ、何をしたらいいんだろう?」という議論に入りつつあります。でも、それがなかなか分からない。たとえばマイバックを持つとか、マイ箸を持つとか、そういうことを地道にやっているけれど、でもそれで本当にホッキョクグマが助けられるの? 温暖化が止まるの? という思いの方が増えているなと思います。

今日、最初の時間は10分しかないので、詳しく話ができないのですが、今、温暖化が進行しているといわれており、実際にこの100年で0.74℃温度が上がっています。世界の多くの科学者は、「2℃上がるとかなり大きなリスクが出てくる」と言っています。ですからヨーロッパあたりでは、2℃を超えないようにするにはどうしたらいいか、という議論をかなり真剣にやっています。

2℃上がると、かなり大きな変化が出る。しかし、すでに、その3分の1にあたる、0.74℃上がっている。その影響があちこちに出てきているのは、皆さんも感じていらっしゃると思います。「何か季節がずれてきたな」とか、「暑い日が続いているな」とか。年による気候の変動があるので、今年夏が暑かったからといって、それが温暖化だとは言えないのですが、全体的な傾向として、やはり年平均の気温が、昔よりもこの10年、かなり高くなっている。気温上昇の加速が見られます。

その結果として、たとえばこれはよくニュースにもなりますが、北極海の氷が溶けている。今年の夏も、史上2番目の小ささまで、北極海の海氷が溶けてしまいました。そうすると、「北極海の下にある石油が採れる」と言って、虎視眈々と動いている国々もあります。

昔は氷の下だったから採れなかった。でも、氷が溶けてきたら採れる。でも誰も、そこで採れるかもしれない石油を、「未来のために残しておこう」という話はしていないんですね。どこが先に採るか、という話をしている。それも先ほど言った関係性の問題、自分たちと未来世代との関係性の問題がそこにもあるなと思います。

あと、熱中症の患者数や死亡者数も増えている。マラリアなど、熱帯にしかない病気がだんだん北上している。農作物にも影響が出ていて、日本のお米も、九州あたりだとかなり等級が悪化しています。農作物は、いまちょうどいい気候の所でつくっているんですね。でも、気温が上がると、ちょうどよくなくなってしまうので、収穫量が減ったり、上手にできなくなったりします。いろいろな影響が出ている。

じゃあ、どうしたら温暖化が止まるのか。こまめにいろいろやること、6%削減も大事だけど、本当に温暖化を止めるにはどうしたらいいかと言うと、答えは非常にシンプルです。

私たち人間が出す二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスを、地球が吸収できる量まで下げればいいんですね。地球は毎年毎年、森林、海などが二酸化炭素を吸収しています。その吸収できる量の範囲内で私たちが出していれば、大気中に残りませんから、温暖化は起こらない。

ちなみに数字を言うと――いまの数字なので、また変わっていきますが、いま地球が1年間に吸収している二酸化炭素は、炭素換算の数字で31億トンといわれています。それに対して、われわれ人間が化石燃料を燃やすことで出しているのは72億トン。つまり半分以上は吸収できなくて、大気中に残ってしまう。それが温暖化の原因となっています。

温暖化を進めるのはCO2だけではないですが、日本の場合ほとんど、95%がCO2なので、ここでは二酸化炭素ということで話を進めさせていただきます。

では、72億トン出しているのを31億トン以下にするには、どうしたらいいか。実際には、出す量を減らしていくと吸収できる量も減っていくので、いつまでたっても31億を目指せばいいのではなくて、もっともっと減らしていく必要があります。けれど、当面の目標として72億トンを31億トン以下にするには、6%削減で
はなく、60%、70%という削減になります。

それをこの1、2年、各国政府が、科学者が言っていたことを、やっと政治の世界にも反映するようになった。

たとえばフランスは、2050年までに75%削減するという目標を立てています。イギリスは、つい先日まで60%削減するという目標だったのですが、2、3日前、新しい目標を発表して、それを80%に引き上げました。
(注:詳しくは、日刊温暖化新聞のこちらの記事をどうぞ!
http://daily-ondanka.com/news/2008/20081019_1.html 

アメリカのブッシュ大統領は全然動きませんが、次の大統領候補は、どちらが選ばれたとしても、70〜80%減らすという数字を出している。日本も福田ビジョンで2050年までに60〜80%削減するという数字を出しました。

これは、それができるかどうか、どうやってやるかがわかっているのか、ではなくて、そうしないと温暖化は止まらないという、言ってみればバックキャスティングの形で目標を決めている。そうして目標を決めてから、実際にどのように実現するかということになってきます。

実際に、そうやって各国が動き始めていますが、CO2が減ってきたかと言うと、残念ながら減っていません。最新の数字では、72億トンどころではなくて84億トンに増えている、というデータも出ています。ですから、なかなかまだ減っていない。

しかし減り始めている国もあります。ヨーロッパで言えばドイツ、スウェーデン。こういった国は、一人当たりにしても、国全体の総量にしても減り始めている。しかし日本はまだまだ増えている。そういう状況です。

温暖化が前半のテーマなので、温暖化の話をしましたが、私は、温暖化は実は問題ではないと思っています。「温暖化は問題ではない」と言うと、何を話しに来たんだろうと思われるかもしれません。

私は、温暖化は問題ではなくて、より根源的な問題のひとつの症状にすぎないと、思っているのです。温暖化が問題なわけではなくて、もっと深い問題がある。そのひとつの症状が温暖化という形で出ているのだと、私は理解しています。

そのより深い問題とは、有限の地球の上で無限の成長を続けようとしていることです。地球は46億年前にできてから、ひとつも大きさは変わっていない。ひとつだって新しい資源が生まれているわけではない。外から入ってくるのは太陽光だけです。

でも、その地球の上で人の数はどんどん増え、経済がどんどん大きくなって、もっともっとそれを成長させようとしている。もう地球が支えきれなくなっている。地球の限界を超えてしまった。これが根源的な問題だと理解しています。

つまり、「地球が吸収できる二酸化炭素の量」という限界を超えてしまったから、温暖化という症状が起きている。ですから、魔法の杖で温暖化という問題を消したとしても、根源的な成長という問題を考え直さない限り、同じような問題がきっと起こるであろうというふうに思っています。

実際に、いまの人間活動を支えるために、地球は1個では足りない。1.4個必要だというデータもあります。つまり私たちと地球との関係性をもう一度考え直さないといけない。科学の力、技術の力で時間稼ぎはできるでしょうけれど、本当の意味で、温暖化をはじめとするさまざまな問題は、科学技術だけでは解決できないだろうと思っています。

温暖化の議論にはいろいろあります。どの時代にも、どういったテーマであっても、みんなが同じ意見を言うのではなくて、もちろん違う意見を言う人たちがさまざまにいらっしゃいます。今日、そういう意味で、武田先生とご一緒できるのを、今回初めてですが、わくわくドキドキという感じで来ているのですが。

大事なことは――これは控室でお話を伺っていて、多分、武田先生も同じように思われていると思いますが、大事なことは、こういった議論を通じて、「一人ひとりが考える力を持つこと」だと思います。誰かが言うから、お上が言うから、テレビが言うから、有名人が言うから、ではなくて、じゃあ私はどう考えるということを、一人ひとりが考える。そういうきっかけにならないといけないと思っています。

私は講演で温暖化の話をよくしますが、よく質問のときに、「でも温暖化なんか起こっていない。人間のせいじゃないと言っている、こういう学者の先生がいます」という反論というか、質問が来ます。そのときは、私がどう考えるかしか、お話しできないのですが、このようにお話ししています。

もしかしたら温暖化懐疑論者の意見が正しいかもしれない。じゃあその場合、私たちが失うものは何だろう? そういうふうに考えます。もし、懐疑論者が正しいと思って温暖化対策をしなくて、でも本当は温暖化があったとしたら、私たちが失うものは何だろう。そのリスクをどう評価するかだと思います。

もし、「懐疑論者は正しい。温暖化なんかない。だから何もしなくていい」と思って、本当に温暖化があったら、取り返しのつかないことになります。未来世代に対する責任をどうするんだという話になる。もし懐疑論者が正しかったら、温暖化対策をいっぱいやったのに、でも本当は温暖化がなかったということだったとして、失うものは何でしょう?

先ほど言ったように、温暖化はひとつの症状だと思っています。もっと私たちに近い問題で言うと、エネルギーをどうするかということだと思うんですね。二酸化炭素のほとんどはエネルギーから出ています。ですから、私たちのエネルギーの使い方や、どういったエネルギーをどれくらい使うのか。それを考え直す必要がある。

そういった観点で温暖化を考えれば、もしCO2が温暖化を起こしていないにしても、特に日本の場合で言えば、もう枯渇することがわかっている化石燃料にこれだけ頼って、それも遠くから運んできて、そして日本の中にある自然エネルギーをなかなか使わない--それをずっと続けるのがいいとは思わないんですね。

温暖化の議論では、エネルギーの自給自足を高めよう、化石燃料ではなくて自然エネルギーに切り替えていこうという動きが、ほとんどイコールで起こるはずです。そうしないと温暖化は止まらないので。そうしたら、エネルギーの安全保障が高まる。食べ物だって、遠くでつくって運んでくるんじゃなくて、日本の中で地産地消を進める。温暖化対策としてそれを進めれば、たとえ温暖化が起こっていなくても、私は失うものより得るものが多いんじゃないかと思っています。
(注:この議論については、こちらに図も含め、詳しく書いています。
http://daily-ondanka.com/changeagent/qa_index.html 

私はそのような整理をして考えているんですが、一人ひとりが自分の軸を持って、いろんな意見がある、でもその中で自分はどう考えるか。

大事なことは、ひとつの意見を決めたら変えちゃいけないということではない、ということです。私も意見をいつ変えるかわかりません。だって、そのときそのときで、新しくいろんなことがわかってきますよね。そのときに柔軟に、これまでこう考えていたけど、こういうことがわかったから、じゃあ、こういうふうにスタンスを変える。行動を変える。柔軟に一人ひとりが意見や考えをつくっていくというのか、進展させていく。

そのきっかけに、この温暖化の議論がなれば、と思っています。大げさな言い方ですけれど、人類の進化というか、日本の本当の民主主義というか、そのためにも温暖化の問題が役に立つんじゃないかなと思っています。

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武田先生(冒頭発言) 
私はいつも少数派なので。結論は、私は科学者として考えたときには、まず第一にCO2は温暖化の原因ではないと考えています。何かと言われれば、宇宙線と水かな、くらいに思っています。これは学者によって見解が違いますから、私の考えが正しいというわけではなくて、私はそう思っています。

もうひとつは、温暖化するといいことが増えるというのが、僕の考えです。三重県なんか、いいことばかりです。大体、温暖な地方に行くということはいいことを意味していまして、寒冷な地方に行くというのは嫌なのが普通ですが。ここまで洗脳されると、多くの人は温暖化って恐ろしいように思うんですが、ちょっと
10年ぐらい前を考えたら、暖かくなるというのはいいことで、別段それほどひどいことではないと思っています。

それから私は、日本政府もそう思っていると思います。麻生さんも違う委員会をつくるみたいですが。なぜかと言うと、京都議定書というCO2の削減を約束したあと、国際的な条約を結んだあと、日本政府と産業界、経団連は密約を交わしました。いまから5年くらい前ですね。非常に激しい密約です。要するに、CO
2を削減するには産業界の協力がなくてはできないが、日本政府は産業界にCO2の削減を求めないと。そういう密約をしました。それで国民にだけするということになりました。

それで皆さんに呼びかけたので、多くの人は、われわれがひとつでも頑張ってCO2を減らさなくてはいけないんだなと思っていますが、何で日本のCO2が1990年を基準にすると14%増えたのか。日本政府は、次から次から、リサイクルだ、レジ袋だ、クールビズだと言ってCO2対策を出してくる。

先ほど手を挙げられたように、多くの国民はそれに協力してきた。にもかかわらず、日本のCO2がどんどん増えているのはなぜかと言うと、政府にやる気がないからです。政府がいまやっている政策は、CO2が減らない政策を、CO2が減るとして言っているんです。それは意味がないからです。と、政府が思っている以外ないんです。

世界を見ますと、この前、あるテレビ番組で、女性アナウンサーが、僕が「CO2なんか関係ないよ」とか、「温暖化はいいことばかりだ」と言ったら、「先生、そんなこと言っていいんですか? 世界の人たちがみんなCO2を減らそうとしているのに」と言ったから、僕は、「大変に失礼ですが、あなたの言う世界って、
どこですか?」と。

いま、世界でいちばん出しているのはアメリカ、2番目中国。北アメリカ、南アメリカ、アジア、アフリカ、ロシア、世界のほとんどの国はCO2を制限していません。わずかにヨーロッパでも――ヨーロッパというと、何か最近は、ドイツというと世界という感じですが、ドイツとスウェーデンとイギリスとフランスぐらいです。あそこ辺だけが言っているんです。

理由はいろいろあって、北海の沿岸であるとか、環境で世界的に特別な所にあるとか、日本で言うと滋賀県みたいなものですから、ちょっと真剣にならざるを得ないところがあるんです。温暖化というと、あそこはメキシコ海流が変わって、もしかするとひどい被害を受ける可能性があるんです。だから、自分たちのために頑張るというのはわかるんだけど、ほかの国は知らん顔しているんです。だからわれわれが「世界」と言うときに、世界というのはどこなのかということです。

なぜこれを言うかと言うと、僕は戦争のことがすごく気になっているんです。前の戦争のときに、日本人は310万人死んだんです。広島、長崎の原爆、名古屋の空襲もみんなそうですが、幼い子どもたちが死んだんです。なぜ死んだかと言ったら、大人が判断を間違ったからです。なぜ日本の大人が、そのころ判断を間違ったか。

僕はそのころ大人だったら、召集令状が来たら突撃して死にますよ。大人だからしょうがないですけど。だけど子どもに巻き添えをくわしちゃいけないんです。大人が間違ってはいけないんです。

なぜいま温暖化で、僕が間違っていると思うかと言うと、それは政府とかマスコミが出す情報がみんな違う。密約、絶対に言わなかったです。それから世界の中で、温暖化をやっている国はヨーロッパの片隅だけだということも、絶対言わなかったんです。

私、一回テレビで言ったら、役所の出身の人が、「そんなこと、先生、国民に言っちゃだめですよ」と言ったんです。だから、民主主義なんだから。考えるのは国民なんだから。

太平洋戦争の前のときに、日本はドイツと組んでいた。ヒトラーと組んでいたんだから。考えられないですけど、なぜヒトラーと組んでいたかといったら、ヒトラーがユダヤ人を殺していることも絶対に言わない。ヒトラーは『我が闘争』という本の中で、日本人のことを「イエロー・モンキー」、黄色いサルと呼んだんですね。それを翻訳するときに、翻訳家が取ってしまったんです。で、ドイツと連盟を結んで戦って、多くの子どもたちが輝かしい人生を失ったんです。いまも、環境ではまったく同じことが行われています。

この前、名古屋の南のほうの講演会に行きました。環境の講演会をする。そしたら、僕の出る前に、小学校の体育館みたいな舞台で、小学生が手をつないで、「私たちに何ができますか」って踊っているんです。僕、ぞっとしました。子どもたちに、そんなことをさせなくていいんだ。子どもたちには、自然の成り立ちとか、自然と生き物の関係とか、そういうのを教えるのは大変に重要です。

これを戦争の前で言えば、日本がアメリカと戦争するときに、アメリカ人は鬼だと思わないと僕らは突撃できないから、それでいいんですけど。大人にはね。だけど子どもたちにはやはり、どうせ戦争はそのうち終わるんだから、アメリカの文化とか、そういうのを教えるべきなんです。ですから子どもを巻き込んではいけないんです。だから、子どもを巻き込んで、こんなことをして、本当にかわいそうにと思いました。

僕みたいな人がいるんです、実は科学者で。温暖化はCO2ではないということと、CO2というのは、生物が成育する上でどうしても必要なもので、恐竜の時代か何か見ると5分の1になっていますから。これを回復するというのは――これをお話しすると、皆さん全然違うから、「この先生、何を言っているのかな」
と思うかもしれないけれども、いまは恐竜の生きていたような生物がさかんに生きていて、いまは非常に寒い第2氷河時代で、本当に生物は、先ほど話があったように、熱帯雨林ぐらいしかだめなんです。もうちょっと暖かくならないといけないですね、生物のためを考えれば。

人間が環境に対してできる唯一のことは、CO2を増やすことです。コントロールはしなきゃいけませんが、どうやってCO2を増やしながらほかの生物と共存できる社会をつくっていくか、というのが私が考えていることであります。だいぶ違いますけど。

それから、四日市という点を考えたら、日本の先駆的なコンビナートとして、いろんな環境問題を起こし、それを克服して、いまは四日市に来て汚れている町とは見えません。そういうのは克服してきましたから。何で克服してきたかと言うと、われわれの努力で克服してきました。

いまやるべきことは、地球環境のためにレジ袋を我慢するんじゃなくて、レジ袋みたいなモノに焦点を合わせるのではなくて、心を豊かにすることによって、その結果としてモノが減る。そのような行政なり国策をやってもらいたいと思います。

私は「愛用品の五原則」というのを書いていまして、これは国語の教科書に採用されたりしていますが、私の愛用品の五原則というのは、モノを磨くとか、磨きがいがあるとか、故障しても自分で直せるとかいうことを書いているわけです。僕の教科書に対して、受験などの模範解答は、「モノを大切にしろと著者は言っている」というふうに言うんですけれども、私は違うんです。私は、自分の愛するもので囲まれた生活をすることによって、その結果としてモノが減る。モノを減らそうと思っちゃだめだと。

地球温暖化を退治しようと思っちゃだめだというのが、僕の考えです。レジ袋を持っていく人を非難なんかしてはいけないんです。あれは便利なものだから、どんどん持っていきなさい。ただ、私たち全体の生活は、どういう生活が望みなんですかと問いかける。

たとえば、この前、建築家協会という所に行って講演したら、建築家協会のほうもエコがはやりで、これもエコ祭りとか言っているんですが、こういうのが多くて、何でもエコとつければいいかと思ってつけるんですけど。そう言っては青年会議所に申し訳ないですが、自由に発言させてもらって。

で、エコ住宅ってあるんです。エコ住宅大賞というのがあって、「こういうのですけど、先生どうですか?」と言うから、「人間はエコのために生きているんじゃない」と言ったんです。エコ住宅をつくる人は、大変に失礼ながら、自分の人生でどういう住宅に住みたいかがわからないんです。わからないから、エコ住宅に
住むんです。人間はエコのために生きるんじゃなくて、生きている結果、エコにならなくちゃいけない。順序が違うんです。

だから、政府とか自治体がやるべきことは、市民が「ああ、いい人生だったな」と思うようなまちづくりなり道をつくることであって、直接的にレジ袋を退治したって何の意味もない。あれは石油を増やしますからね。四日市は石油産業がいいから、エコバックが通用すると石油の消費量が増えるからいいかもしれないけど、そういうひねくれたことをやらずに、正面から、私たちの生活は本当にこれでいいんだろうか。四日市はせっかくきれいになって、これから豊かな人生を送るわけです。豊かな人生を送るのに、辛抱する必要はないです。

日本人は、GDP当たり、世界でいちばん低いんですから。世界の中でいちばん低い国なんです。いちばん低い国がさらに減らそうとすると、今度はつらい思いになっちゃうんです。もう人生をやめて、全部死んだほうがいいんです。

そうではなくて、もっと日本人にプライドを持って。何しろ日本人がいちばん節約しているんですから。数字が必要だった、僕はいつでも、「アメリカ人の何倍」とか言いますから。大体、ヨーロッパとか、そういう所のまねをするというのは、優等生が劣等生のまねをするみたいなもので、よくないんです。

だからアメリカの人たちはばかだから、ヨーロッパもばかで、こんなに使っているんだから、日本を少し見習いなさいと。いまの日本を見習いなさいというようなことだと、私は思っています。以上です。

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枝廣 
私は日本の中だけではなくて、世界のほかの国に出て会議に参加したり、いろんなネットワークに参加して、意見交換をする機会が多いのですが、そういうときに思うのは、日本はすごくまじめで、温暖化というと温暖化だけ、みたいな。温暖化一色。

たとえば、このあいだスウェーデンに取材に行ったときに、スウェーデンでいちばん温暖化対策が進んでいる都市という表彰を受けた都市に行きました。トロルハッタンという小さな町でしたが、そこで担当の人に「CO2どれぐらいですか?何をやってどれぐらい減らしたんですか?」と取材しても、全然答えが返って
こないんですね。

彼らが一生懸命やっていたのは、エネルギーを替えるということです。その結果としてCO2はだいぶ減っているのは間違いないんですが、それは温暖化がどうとか、ホッキョクグマがどうというよりも、自分たちの国の安全保障を考えたときに、ロシアのエネルギーに頼っていては危ない、だから、自分たちの国でエネルギーを自給自足できる仕組みをつくろう、と。

それで輸入の石油や天然ガスから、スウェーデンの場合はバイオマスですが、森林を活かしたエネルギー転換をして、その結果として、GDPは44%増やしつつ、同時にCO2は8.7%減らしています。温暖化対策としてそれだけでやっていたわけではないとことをあちこちで感じます。

そういう意味で言うと、多分、武田先生が感じていらっしゃる反発というか、「温暖化」と言ったら、それが水戸黄門の印籠のように、みんなが「ハハー」と言って言うことを聞かなきゃいけないような扱われ方をしている。それは、そういう出し方をする政府が悪いのか? 政府にそれほどの力があるとは思えないん
ですが、ただ、そういうふうに受け入れてしまう私たちのまじめさというか、それもあるんだろうなと思っています。

武田先生のお話で、私が認識している現状とちょっと違うなと思ったことがあります。「温暖化をやっているのは、日本や一部のヨーロッパの国だけですよ」という、かなり極端なお話だったと思いますが、ここ半年、1年、大きく変わってきたのは、途上国を含め、やっぱり自分たちで、少なくともできるところからや
らなきゃいけないという動きは広がっています。

インドネシアでも、発電所から出るCO2は減らすという目標を決めましたし、南アでも化石燃料の発電所、石炭火力の対策を進めていますし、中国もおそらく、量で言えば日本以上にCO2を減らしています。ですから、ほかの国が何もやっていないわけではないということは、皆さんにもお伝えしておきたいと思います。

その上で賛同できるというか、私もそうだと思うのは、「これまで日本のCO2が減っていないのは、政府にやる気がないからだ」とおっしゃったわけですが、私もそうだと思います。本当に減らそうと思ったら、こまめに省エネを呼びかけるよりも、エネルギー転換を図るしかないんです。

確かに民間、私たち家庭部門からのCO2は、残念ながらかなり増えているのですが、なぜ増えているかという要因を分析すると、私たちの家庭が1軒当たりに使うエネルギー消費量が増えたという原因よりも、排出原単位といいますが、1キロワット時の電気をつくるときにどれだけCO2を出しているか、その悪化のほうが大きな原因になっています。半分以上はそちらの原因です。

それは私たちがコントロールできるものではないんですね。電力会社がどういう原料を使って発電するかで決まってしまいます。原発が止まり、石油の値段が上がりということで、いま日本では、石炭火力への移行が――これは先進国でほとんど日本しかないんですが――増えています。石炭火力が増えれば、当然CO2の原単位は悪化します。ですから、私たちがどんなにこまめに省エネしても、エネルギーの消費量が減ったとしても、排出原単位が悪化すればCO2は増える。

私が一緒に活動している人たちにも、政府の国民大運動的なキャンペーンは、啓発としてはいいけれど、実効性はないと思っている人がけっこういます。それをきっかけに、みんなが行動を変えたり、考えを変えたりする。その啓発としての意味はもちろん大きいですが、みんなで省エネ、たとえばみんながレジ袋をやめたとしても、日本のCO2は0.2%しか減らないというデータがあるように、「じゃあ、レジ袋をやめたら温暖化が止まるんだね」ということには全然ならないんですね。そういう政府の国民大運動的な呼びかけは、「まるで竹やりで戦争しようとしているようなものだ」と、私の友人はよく言います。

ですから、啓発としての意味と実効性を伴う削減を、両方やっていかないといけない。政府はこれまで啓発ばかりやってきた。それは、先ほど武田先生がおっしゃった「産業界には負担をかけません」という密約があったというその影響もありますが、ただ、これからはそうも言っていられないので、産業界も負担する形で変わっていかざるを得ない。そのときに大きな鍵を握っているのがエネルギー転換だろうと思っています。

もうひとつだけ、先ほどコーディネーターの方がおっしゃったことにひと言。武田先生は違う意見だと思いますが、温暖化が起こっているということと、その温暖化を起こしているのは人間の出しているものが原因だということに関しては、少なくても世界の温暖化に関する研究者が集まっているIPCC――武田先生はその研究者の選び方も偏っているときっとおっしゃると思いますが――、そのIPCCでは、間違いなくその可能性がかなり高いと、前の報告書よりも今回の最新の報告書では、確信度を強めた言い方で言っています。

なので、2,000人、3,000人の科学者がそう言っており、一方で、そうではないと言う人もいる。そのときにどう判断するかは、きっと一人ひとりの判断になると思います。

もうひとつ最後に、リサイクルは無駄だという意見、もしくは温暖化対策の活動が無駄だという意見があると思いますが、そういうときに考えないといけないのは、「直接影響」と「間接影響」の両方です。たとえば「レジ袋を使わないことで、直接どれぐらいCO2が減るわけ?」というのが直接影響ですね。「リサイ
クルすることで、どれくらい資源の消費が減るわけ?」というのが......

武田先生 
増えるんですね。

枝廣 
私は減ると思っていますが、確かに、増える場面もあるでしょう。そうしたときに、「実際に直接増えたの? 減ったの?」というところと、そういう活動をすることで人々の意識が変わったり、価値観が変わったりすることでの間接的な影響がありますよね。

なので、リサイクルそのものを見たら、モノによっては、おそらく直接的には、武田先生がおっしゃるように資源消費量が増えてしまうかもしれません。けれども、その悪化を勘案したとしても、それをやることで、みんなのモノとの関係性を見つめ直すきっかけになり、それが価値観や、生き方や、ほかの場面でも、さ
まざまな変化につながったとしたら、その場面だけ切り出すと確かに増えているかもしれないけど、全体としては減るということも、私はあると思っています。環境教育は、間接影響をいかに大きくするかというのが大事な部分ですが。

特に研究者の方は、「直接影響」を主におっしゃることが多い。自分の分野ですので。武田先生もご専門は材料だとおっしゃっていました。でもそのときに、社会にいる私たちは、直接の影響だけではなく、それをやること、やらないことの間接的な影響についても併せて考えていく必要があると思っています。

最後に、武田先生にお答えいただければお聞きしたいのですが、私は企業でもいろいろ講演などして、「これからこういった温暖化への取り組みを考えていかないといけない」という話をするんですが、そうすると経営者の方が、机の中からゴソゴソと武田先生の本をお出しになって、「いや、でも温暖化は起こってないと言っていますから、何もやらなくていいんですよと」と。よくあちこちで言われます。

おそらく、そうやって「何もやらなくていい」と、そこで思考停止することを求めて書かれたわけではないと思うんですね。なので、本当に武田先生が求めていらっしゃるのは何なのか。どういったことを望んで、このような挑発的な、みんなに議論を巻き起こすような言動をされているのか。

たぶん、スタンスというか、立場は違っても、求めているものは重なっているところが多いんじゃないかとは思っているんですが、どうも私が会う経営者の人たちには、武田先生の本によって、残念なことに「もう何もやらなくていい」と思考停止になってしまっている例が多いので、そのあたり、もしお答えいただける
のであれば、コメントいただけるとうれしいです。

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武田先生 
僕は、とても明るい未来と。楽観的な性質なのかもしれませんが、学者の中でも悲観的でおっちょこちょいという人たちがいて、その人はまじめに温暖化を心配したりしちゃうんですね。割合と心配性で、何か、「これはこのままこうなったらどうしよう」と思う人たちがいるんですね。その人たちは、悪気じゃないんだ
けど、温暖化を心配しているんですね。

これは性格の問題もあるかもしれないけど、僕なんかは割合と明るくて、どうせ子どもたちはもっとやるから大丈夫だと。そういうのもちょっとあって、いろいろ意見が分かれるということがあるので。必ずしも、未来のことなので、われわれが本当に科学的に全部詰めてわかるかと言ったら、実はわからないので、それぞれの人の性格とか、データの見方によっても大きく変わってくるということもあります。

いま、枝廣先生からの質問というか、宿題という感じになったんですが、私が心配しているのは2つあります。1つは、子どもたちの影響です。これは日経新聞が、小学校の校長先生と企業のトップと組んで、子どもたちへの環境教育を始めたわけです。それで、新聞にはこう書いてあったんです。「地球が温暖化して、南極の氷が溶けて、海水面が上がって、ツバルが沈んでいるという映像を子どもたちに説明したら、青ざめていた」と書いてあったんです。

僕は、それをやっていた学校のリストが日経新聞に載っていたから、全部の部校長先生と企業の社長に手紙を出したんです。「気持ちはわかる」と。「温暖化を食い止めようという気持ちはわかる。気持ちはわかるけど、4つもウソをついていいのか」と。

南極はいま、温度が下がっているんです。これは非常にわかりくいですけど。IPCCは――枝廣さんは先鋭なほうじゃないからあれだけど、IPCCの報告書は、「南極は気温が変わっていない」と書いてあるんです。「雪も変化していない」と書いてある。IPCCの第4次報告ね。「将来、南極が暖かくなることがあったら、氷は増える」と書いてあるんです。これはIPCCの正式報告書。

それに反して、南極は温暖化して海面が......。海水面なんか上がっていないですから、ツバルなんか。ツバルは沈んでもいないから。ウソを4つも積み重ねて、子どもたちにウソを教える。

環境問題というのは、僕なんかじいさんなんだから、すぐ死んじゃうんだから、関係ないんです。僕らの孫に関係がある。「孫に関係があることを、孫にウソついちゃいけない」と言っているんです。孫には本当のことを言って、僕らより孫のほうが頭がいいと考えなきゃいけないんです。そのためには、孫に誤った印象
を与えてはいけない。

僕の大学の学生なんかも、最近プラスチック・リサイクルをやめていって、東京都もやめましたが、「僕がプラスチック・リサイクルが環境にいいと思ったのは、小学校の先生がリサイクル工場連れていってくれたからだ」と言うんです。こんな素晴らしいものができるんだったら......。あのころ、ウソで背広とか見せてい
たんです。

この前、日本テレビで、放送を見られた人いるでしょうけど、環境大臣が環境省のショーケースの中から出してきたリサイクル品が石油からつくったもので、リサイクル品と関係なかったですよね。そういうウソを塗り固めて、日本の未来をつくっていくというのに、僕はものすごく反対です。温暖化もそうです。これが
1つあります。

もう1つは、僕の個人的趣味だから、この青年会議所にせっかくこういう場所をつくってもらって、恐縮かもしれませんが、日本人の家畜化です。家畜化ってひどいもので、おなかの周りを測って85センチ以上はだめだとか。そしたら大相撲はやめてくれと言いたくなるんです。大相撲だけ特殊だって、僕も特殊だからね。だから、僕のおなかもちゃんと認めてくれというわけです。

何やらシンドローム。英語で言うとき、みんな怪しいんです。焼却のことを最近、サーマル・リサイクルと英語で言うようになった。英語で言ったら全部だめです。それからレジ袋追放でしょ。僕らの生活って、全部縛られちゃうんです。

それでリサイクル、枝廣さんが言われたのは確かにそうなんだけど、動機づけというか。あれに5,000億円も税金をかけているんです。今度、温暖化に3兆2,000億円です。皆さんに一人当たり税金を1年3万円使うんです。それは3万ぐらいまあいいと。お金があるからいいと言うかもしれないですよ。

だけど、1万人の人がもらっているんです。リサイクルを。一人当たり、今までもらった金が5億円ですよ、税金。リサイクルをこのまま続けたら、さらにその人たちは5億円取るんです。しかも資源は全然減ってないんです。

だから、これを僕らはよくわかっていますから。リサイクルしている業者はわかっています。政府もわかっています。だからごまかすんです。それに乗っちゃいけないんです。そこのところが、僕らの魂の切れどこなんです。どっちに切るか。私たちが今の生活を続けて、「何かおいしいものを食べたいな」と言って切ってはいけないと言っているんです。私たちは日本人の誠を信じて、社会がどう言おうと、そういうズルは許さないと。これでバシッといかないといけないと思います。

だから現在は、レジ袋はそうですけど、僕は学生がおとといいいことを言ってきたんです。僕の本なんか読んでいるから、多少影響があって。僕、NHKが嫌いなんです。NHKが嫌いになったのは最近で、環境報道があってからで、その前は結構NHK好きで、必ずNHKのは見ていたんですけど、最近急激に嫌いになった。

彼がこう言ったんです。「レジ袋を追放するって、私には意味がわかりませんでした。私にとっては、すごく大切なもののひとつです」。独身の学生です。「レジ袋がなくなったら困るんです。何で、レジ袋をなくすんだったらNHKをなくさないんですか?」と言うんです。「私にとって、NHKなんかなくなったって、民放を見ればいいし、視聴料を払わなくて全然困らないです。インターネットもあるんです」と。

この話は本質を突いているんです。なぜかと言うと、何かをやるときに、「私の思想がそうだから、あなたもそうしなさい」というのが嫌いなんです。それが大嫌いなんです。人間は、個人個人生き方があるんです。レジ袋が欲しい人もいるし、分別すると膝が痛い人もいるし、いろいろいるんですね。それにどうやって応じていくかです。

だから、レジ袋をなくすんだったらNHKをなくしたほうがいい。僕も賛成。だからそういうふうな社会ではなくて、レジ袋を使う人は使い、使わない人は使わないでいいんですよね。別に、環境なんか人に強制しなくたって、マイバックがいい人はマイバックを使えばいいんですからね。人に、「あなたはキリスト教じゃないか」とか言ったって、それはその人の信じることだから、いいと。

環境というのを守るのは一人ひとりの心なんだから、私は一人ひとりの心がそのまま認められるような社会のほうに行ってほしいと。太りたい人は太って、それで早く死んだら、しょうがないです。それが本人の考えなんですから。僕らが言うのは、「あなた、85センチ以上のおなかになったら早く死ぬよ」と言ってあげればいいだけ。「あなたどうするの?」と聞いてあげればいいだけです。タバコだったら隣の人が迷惑するけど、おなかの周りがちょっとくらい大きくても迷惑かけないんだから。

だけど、そのほうにどんどん行って。お役所は、仕事がなくなったら困るから、どんどんつくりますから。納税者は、「あなたはそんなことやらなくていいよ」と言わなきゃいけないんじゃないかと思います。


【第二部へ続く】

 

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