ホーム > エダヒロ・ライブラリー > これまでの活動 > 講演・対談 > 21世紀の危機:環境・食料・水

エダヒロ・ライブラリー講演・対談

21世紀の危機:環境・食料・水

日中産学官交流機構主催「21世紀の危機:環境・食料・水―日中は危機を乗り越えられるか」シンポジウム(2004.10.22)
2004年10月22日
団体主催
講演
 

皆様こんにちは。今ご紹介いただきました枝廣と申します。今日はこのような大事な機会にお話をさせていただくことができてとても光栄に思っています。今日は、様々な専門分野、様々なご関心を持った方々がいらっしゃるとうかがっております。

「日中は危機を乗り越えられるか」が今回のテーマでございますが、これは日中それぞれの国について、またはこの東アジアの地域においてのみ重要なわけではなくて、日本と中国を合わせますと、いろいろな意味で世界の中でもいろいろな意味で非常に影響力のある地域でありますので、世界にとっても地球にとっても大事なテーマであると思っています。

今日はそれぞれ、例えば中国の専門家の先生、農業や食糧の専門家の先生、エネルギーや資源の専門家の先生がパネルディスカッションのほうでおいでいただいています。私のほうは環境ジャーナリストというタイトルが示していますように、何かの専門というわけではありませんが、様々な情報をやりとりする中で、日本の中もしくは世界のあちこちから届いている情報を基に、今日はお話をしたいと思います。

今、中井先生のほうから過分なご紹介いただきましたが、10年ほど前から、レスター・ブラウンとずっと様々なやりとりをしております。それとともに3年前から、今日お話をしますが、ローマ・クラブから委託されて、『成長の限界』という本を1972年に書きましたデニス・メドウズさんともやりとりをしていまして、彼のグループの中でも、日本からは唯一の参加者として合宿に参加するなど活動しています。そのようなわたしが知っている中から、今日お話ができればと思っています。

ご紹介いただきましたように、元々心理学の出身で、カウンセリングの勉強をしておりました。自分が通訳になるとか、環境の分野でこのような形で活動するとは思っていなかったのですが、わたしが元々関心があり今もずっとやってきているのは、「伝えることとつなげること」です。

今日本でこうなっている、中国でこうなりつつある、世界のほかの国ではこのような状況になっている、そういった情報をそれぞれの国、それぞれの人々が持っているだけではなくて、伝えてつなげていくことで大きく変えていけるのではないかと思い、個人的にも、NGOでも活動しています。

また、個人の活動として、日本語で環境メールニュースをだしています。レスター・ブラウンが日本に来るたびに、わたしは通訳としてまた友達としてずっと付き合っていますので、彼が講演では言わないようなおしゃべりとかいろいろな情報を皆さんにお伝えしたり、通訳の会議で聞いた新しい情報をお伝えしたりするメールニュースを5年ほど前から出していて、今7,000人ちょっと日本の中で読んでくださっている方々がいらっしゃいます。

そのほかに、先ほどご紹介いただきましたジャパン・フォー・サステナビリティーでも活動しています。日本には様々ないい取り組みが、例えば政府のレベルでも企業のレベルでも、また民間でも個人のレベルでもありますし、例えば江戸時代は循環型社会だった、日本には「もったいない」という素晴らしい言葉があるなど、これから持続可能な社会い生きるために必要な知恵や技術、そして取り組みが日本にはたくさんあると、わたしは思っています。

しかし、残念ながら言葉の壁があって世界には伝わっていません。それを英語というツールを使って世界に伝えようということで2年前に立ち上げたNGOです。今、約世界160か国に毎週情報を届けています。各国のオピニオンリーダーの方々が日本の環境情報を読んでくださっています。

このような活動をしているわけでありますが、今日主にお話をしたいのは、先ほど言いました『成長の限界』についてです。これは、1972年に出された本で、ローマ・クラブというグループが、デニス・メドウズさんやドネラ・メドウズさんたちのグループに委託をして、このままいくとどうなってしまうのかシミュレーションしてほしいという研究が始まりました。

この基本となった考え方が「システム・ダイナミクス」です。個々の問題や事象を扱うのではなくて、それぞれの問題や事象、その間の要因がどのようにシステムとしてつながっているのか、ここのシステムのここのところを増やしたらこちらが増える、そしてこちらは減るといった、非常に複雑なモデルをつくり、人口や産業、例えば排出物、技術の開発など、いろいろなパラメーターを変えることでシミュレーションをし、その結果をまとめたのがこの『成長の限界』という本です。

この本は世界中で訳されていますし、世界に非常に大きな影響を与えたことは皆さんもご承知だと思います。特に日本で、わたしが環境の活動をしていると、あちこちでこの『成長の限界』を読んでショックを受けて環境活動を始めましたという方に非常によくお目にかかります。そういった影響力のある本だと思っています。

そしてその20年後に、同じグループが『限界を超えて』という本を出しました。こちらもご存知の方はたくさんいらっしゃると思いますが、『成長の限界』を出して20年たって、20年前の自分たちの予想はどうであったのか、シミュレーションはどうであったのかということを振り返り、そこから先をまたシミュレーションした結果を書いた本です。

この本を非常に簡単にまとめると、「20年前にこのままいくと崩壊してしまうというシミュレーションの結果が出て、そうならないための方法を提示したが、世界は相変わらず崩壊の方向に向かってどんどんと成長を続けており、残念ながらこのような結果が出ている」というものです。

そしてそれからさらに10年、実際には12年たっていますが、デニス・メドウズさんたちが新しい本を2004年5月に出しました。ドネラ・メドウズさんは、例えば「地球が100人の村だったら」という話でよく知られた方ですが、ドネラさんは残念ながら2002年に亡くなっています。

『成長の限界 人類の選択』という本の英語版が2004年の5月に出ています。今わたしが日本語版にすべく翻訳をしているところで、2005年の春にはお届けできるようにとがんばっています。(※枝廣注:無事3月に出ました!)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478871051/junkoedahiro-22

この本は、『成長の限界』から30年たって実際どうであったのかを再び振り返っています。30年前の自分たちは、できる限り知恵を絞り、モデルやコンピュータを使って30年後を予測した。その自分たちが投げたボールを30年後に受け止めてどうであったのかそこで振り返る。そしてこの先どうなっていくかということをまたシミュレーションし、警告を発し――残念ながら警告はやはり同じ崩壊のパターンをたどっているということなのですが――、そうならないための道がまだあるということを訴えている本です。

わたしが今からお見せするのは、この新しい本の中の図表や、デニス・メドウズさんたちと9月に1週間ほどハンガリーで合宿をしていたときにデニスがしゃべっていたプレゼンテーションの図表をもらってきたものです。

まず全体としての世界の話をさせていただきます。そのあと日本と中国について、この地域について、先ほど申しましたように専門家の方々がたくさんいらっしゃるので、わたしのほうは多分断片的なお話ですが、いくつか図をお見せして、そのあと、では考えていくにはどのような枠組みを持ったらいいのか、というお話に続けていきたいと思っています。
(※枝廣注:グラフはお見せできなくてすみません〜)

最初の図は、世界人口を示しています。赤い縦線が入っているのは、あとのグラフにも出てきますが、1972年のところです。すなわち72年に『成長の限界』を出したときにはここにいたということです。このままいくとどんどん成長が大きくなって崩壊に至ってしまうという警告を出した時点が、赤い線の引いてあるところです。

これを見てお分かりのように、「人口を抑えないと」という話はもちろん『成長の限界』に出ているのですが、その72年を超えても、同じようにというか、それ以上の勢いで世界の人口が伸びていることが分かります。

工業生産高も同じです。実線が総額で、破線は1人当たりですが、同じく、1972年の段階でもうすでに増えている傾向が明らかだった。「それを止めないと成長の限界に達してしまう」という警告を発したのがこの72年でしたが、それと同じ勢いで、もしくはそれ以上の勢いで伸びているのが分かると思います。もちろん1人当たりは少し鈍化していますが、これは成長が鈍化したためではなくて、人口の増加が大きくなったためです。

こちらは世界の金属の消費量です。これも同じです。デニスが水の消費量そのほかたくさんのグラフを見せてくれましたが、みんな同じです。72年、自分たちが『成長の限界』を出した段階でもうすでに伸びていた。しかしそこからも全く変わらずに伸びているというのが、どこの側面をとってもいえます。

これは二酸化炭素濃度です。これも温暖化という問題で、今なんとかしなくてはならない問題ですが、大きく増えています。これは1700年の段階から少しずつ点線が出ているのですが、別のグラフでもう少し長い期間をお見せしたいと思います。

これは44万年前からの二酸化炭素の大気中濃度を示したグラフです。ここが40万年前です。ずっと上下はあるのですが、ほとんどある幅の中でした。今ここが2001年、この段階です。ここからまっすぐ上がってきているのです。そしてこのままいくと、もう本当にY軸に平行な形で上がっていってしまいます。一番上のところが2100年の予想が出ているところです。ここまで上がるだろうと言われています。

どうしてこのように二酸化炭素の濃度が増えているのでしょうか? 皆さんいろいろご存知だと思いますが、1枚の写真をお見せしたいと思います。これはNASAから撮った地球の映像です。
http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/image/0011/earthlights_dmsp_big.jpg

こちらがヨーロッパです。真夜中です。真夜中にNASAの衛星から地球の写真を撮ったものですが、このあたりがヨーロッパ、イタリアの長靴の形などが見えると思います。アフリカは暗いです。これからわたしたちの住む東アジアの地域が出てきます。インドはだいぶ国の形がでていて、明るいのが分かります。

そしてこれが日本です。日本は世界のどこと比べても明るいです。そして、中国にも非常に明るいところがたくさん出てきています。沿岸のあたりですね。これはアメリカですけれども、真夜中にこれだけ電気をつけておく必要があるのか?と思います。

そして再びデニスから借りた図に戻りますが、これが2000年までの段階の予想です。様々なパラメーターを変えて、シナリオを10何種類、本の中で出しており、その一つの例ですが、大体このようなシナリオが多いのです。これは、2000年の段階で図を切ってあります。この先どうなったかというのは後でお見せします。

これが資源の使用量です。これが人口です。食糧消費量、工業産出高、そしてこれは難分解性の化学物質です。こういったものがどんどんと増えて、そして資源が減っているということが分かると思います。

今回の新しい『成長の限界 人類の選択後』の本には、デニスたちの何とかこの問題を一般の人たちにもっと分かってもらうための工夫のひとつだと思うのですが、新しいコンセプトが入っています。実際にはこれは新しいわけではなくて、すでに世界のあちこちで使われているのですが、デニスたちがとりあげたのは初めてです。「エコロジカル・フットプリント」という考え方です。

恐縮ですが、エコロジカル・フットプリントという言葉をお聞きになったことがある方はどのぐらいいらっしゃるでしょうか。はい、ありがとうございます。「フットプリント」というのは足跡という意味です。わたしたち人間の活動がどれぐらいの大きさの足跡で地球を踏みつけているかということを示したのがエコロジカル・フットプリントです。

例えば、日本人と同じ生活をするためには、地球があと3個必要だとか2個必要だということをお聞きになったことがあるかもしれません。それはこのエコロジカル・フットプリントという考え方を使っています。

エコロジカルというのは環境、もしくは生態学的な意味でということなのですが、わたしたちは地球という有限の土地の上でいろいろな活動をしています。今わたしたちの活動は、その資源の消費量とか廃棄物の排出量という点では、実際の地球の表面よりもっと大きな表面を踏みつけてしまっているということを示しているのがこの図です。

ここの例えばデニスたちが『成長の限界』を書いた72年の段階、これは大体0.8ぐらいでした。0.8というのはどういうことかというと、今地球上で人間が行っている活動を支えるために地球は0.8個必要だということです。

ですから、この時代は、わたしたちは地球の持続可能な範囲の中で活動していました。人間の様々な経済活動を支えるために必要な地球は0.8個で済んでいたのです。まだ0.2は余裕がありました。

ところがこの時点でそれを越えてしまいました。今はだいたい1.2といわれています。つまりわたしたちが地球上で行っている様々な経済活動や人間の活動を支えるために必要な地球は、1個ではもう足りなくなっています。1.2個必要です。持続可能な範囲を20%越えてしまっているというのが、このエコロジカル・フットプリントの示しているところです。

もう少し詳しくご説明したいと思います。今日本を含め10数か国のエコロジカル・フットプリントが計算されていますが、どのいうふうに計算するのかといいますと、あるエリア、例えば日本でも中国でも東アジアでも、もしくは地球全体でもいいのですが、そこの経済活動の規模を土地の面積に換えて表します。

すなわち、その土地、例えば日本に住んでいる人たちの食糧を作るための農地はどれぐらい要るか、海はどれぐらい要るか、例えば日本の場合は、食糧の自給率はカロリーベースで40%弱ですから、ほとんど輸入しています。輸入しているとしたら海外で日本人のために必要としている土地はどれぐらい要るか、それも含めて考えます。

このように食糧のための土地、それから木材や紙を作るためにどのぐらいの森林が必要なのか。日本は中国の今1人当たりにして10倍の紙を使っています。日本人が使う紙を作るためにどれぐらいの森が必要なのか。

またこれがとても重要になってくるのですが、その活動をすると化石燃料を燃やしたりして二酸化炭素が出ます。それを吸収するために森林がどれぐらい必要なのか? 

ですから資源を取ってくるところと、出す二酸化炭素を吸収するところを合わせて、面積として計算します。そうすると、日本だったら日本の活動を支えるためには何ヘクタールの土地が必要であるということが分かります。

それをその人口で割るのです。日本であれば日本の人口で割ります。そうするとこのエリアの1人当たりの活動を支えるために何ヘクタールの土地が必要かが分かります。そして日本の国土を日本の国民数で割ると、実際にわたしたちが1人当たり何ヘクタール持っているかというのが分かります。それを比べるのです。

先ほどお見せしましたように、世界では1.2です。世界全体では20%オーバーしています。では日本ではどれぐらいだと思いますか。日本のエコロジカル・フットプリントというのは、実際の日本の面積に比べて多いだろうというのはどなたも思われると思いますが、どれぐらい多いのかというのをお見せしたいと思います。実際には先ほどのような形で計算をすると、日本は1.2倍どころではなくて、2.7倍という結果が出ています。

すなわち、世界中の人が日本人と同じ生活をしようと思ったら地球が2.7個いりますということです。それは今の段階の経済活動、今の段階の人口です。ますます人口が増える、ますます経済活動が活発になる、そうするともっともっといるようになるのです。

今のところ。中国のエコロジカル・フットプリントについては研究を見つけられなかったので、あとでご専門の方にお聞きしたいと思いますが、まだまだすごく小さいです。人口が多いですし、経済活動もここまでは多くないですから。

では世界で一番エコロジカル・フットプリントが大きいのはどこだと思いますか。多分皆さんはお分かりだと思いますが、当然ながら、当然という言い方は失礼ですが、アメリカです。アメリカのエコロジカル・フットプリントは、なんと地球5.6個分です。世界中の人がアメリカ人並みの生活をしようと思ったら地球が5.6個いりますという話です。

ご存知のように、アメリカは二酸化炭素の全世界の排出量のうち4分の1を出しています。今日は日中の話なので、あまりアメリカの話はしませんが、日中のわたしは重要な役割の一つとして、日中のこの地域をどうするかだけではなくて、アメリカをどのようにちゃんとした軌道に引き戻すかということも、日本は中国と一緒にやっていかなければいけません。

日本はそのいろいろな知恵や技術があります。中国にはアメリカを動かす経済力があります。アメリカの中国に対する貿易赤字というのは非常に大きいですから、そのあたりを協働してやっていく必要があると個人的には思っています。

このエコロジカル・フットプリントという考え方を、ぜひ今日はお土産に持って帰っていただきたいと思います。

先ほどのシナリオを2100年まで延ばすとどうなるのでしょうか。資源は先ほどここまで下がってきていましたが、急速に下がります。そして人口は爆発的に増える。産業の産出高、工業産出高は、あるところまで非常に伸びますが、そこからピークに達したあとはどんどん落ちてしまいます。この形での産業がもう維持できなくなるということです。

今回の新しい本でも10数種類シナリオが入っています。残念ながらそのほとんどがこのような崩壊パターンを描きます。新しい技術が入ってくるとか、いろいろなパラメーターを変えても、多少右側に伸びるかな、山が来るのが右側に伸びるかなということはいえますが、基本的なパターンはあまり変わらないのです。

ではどうしたらいいのでしょうか。実際には、このシミュレーションのグラフでいうと、ここの2000年を過ぎていますから、ある意味崩壊が始まっている、すなわち勢いよくいっていたわけだけれども、だんだんそれが下向きになってきているという状況なのです。

日本やアメリカ、ヨーロッパの経済を見ていると、なかなかそれが実感できないかもしれません。ただ、もうすでにそのような崩壊、もしくは衰退が始まっているということをデニスは強調しています。

世界の178か国のうちの3割にあたる54か国では、すでにもう2003年の段階で、10年以上にわたって1人当たりの生産量がどんどん落ちています。主に途上国ですが、このように10年以上にわたって、どんどん下がってきているのです。

日本も不況が続いていて、やっと少し好転したかと思うとまたという形ですが、これが本当に経済の小さな周期だけの話なのか、もっと根本的なところでつながっている問題なのかということを考えずに、「どのようにして景気を刺激するか、景気を上げていくか」ということをいっても、それでは、ますますこの崩壊を早めてしまうだけではないかと思います。

今アメリカで、昨今ガソリンの値段が上がって、石油の値段も上がって大変な騒ぎになっていますが、実際にはアメリカの石油の産出量というのは1970年にもうピークになって、あとは下がる一方です。

しかしアメリカ人が使うガソリン、石油の量はどんどん増えていますから、足りなくて遠くから持ってくる。それを持ってくるためにいろいろな国に軍隊を派遣したりというようなことになっています。

ではそのアメリカが頼みにしている世界の石油がいつまでもあるかといいますと、やはりそれもそれほどはなくて、2020年前にピークが来るといわれています。かつてはこのような図を示してお話をしていたときは、アメリカの話だけしていればよかったのですが、今はここにご存知のように中国の影響が出てきます。アメリカと中国が石油をめぐって争う、もしくは食糧をめぐって争う、こういった構図になりつつあります。そして全体的な資源の消費量は、このグラフのように、減っていかざるをえないということになります。

このような崩壊するだの減っていくだの、そのような話ばかりしているとみんな暗くなってしまうのですが、デニスの本の中では、それでも持続可能な開発、サステナブル・ディベロップメントの道は残されているとして、ちゃんとシミュレーションの結果で、こういうグラフも出てきます。

ただデニスが言っていたのは、1972年の段階でこの話をしたときには、このような持続可能な方向に進んでいく道の幅がまだ広かった。でも30年たってその幅がどんどんどんどん狭まっている。なくなったとは言わないけれども、どんどんどんどん狭まっている。

この30年間、その道を広げたり歩んでいくことをせずに、逆にどんどん狭めるような形で開発してきたのです。あと30年同じことをやる時間はないとデニスは言っています。どのぐらいの時間軸で考えるか、この30年、本当にもつのかどうなのかという話になってくると思います。

それでも、希望がなくなったわけではなくて、持続可能な道、例えば、資源の消費量も下がってくるけれども崩壊はしない道もあります。これは上手に資源を使う、リサイクルをするということでできるでしょうし、人口もあるところまでは増えるけれども、それから減らしていくことができる。これは無理なく減らすということです。無理なく家族計画などで、特に発展途上国の人口を抑えていくことができる。このような持続可能な道があります。

では、持続可能な開発をしていくために、何が必要なのでしょうか。

まず様々な分野での新しい技術が必要です。例えば、エネルギーでも土地でも、それからもちろん食糧もそうでしょうし、汚染の除去など、いろいろな新しい技術が必要です。

ただし、新しい技術だけでは十分ではありません。技術というのは、あくまでもアプローチであり、ツールです。「言ってみればハンマーみたいなものだ」と昨年のバラトン合宿でもデニスが言っていました。ハンマーを大工さんに渡したら役に立つものをつくってくれるけれども、危ない人にハンマーを渡したら、凶器になるわけです。

ですから、技術そのものがいいとか悪いではなくて、それをどのような方向に向かってどう使うかによって、よかったり悪かったりするわけです。ですから新しい技術は必要だけれども、それだけでは十分ではない。やはり、どのような地球にしたいのか、どのような世界にしたいのか、そういったビジョンに基づく価値観があってはじめて、技術も賢明に使われるし、持続可能な道をたどることができます。

経済や市場も同じです。経済成長が必ず正しいとか、「経済成長市場主義」とわたしはよく言いますが、市場のシグナルが必ず正しいというわけではなくて、経済や市場を使って、わたしたちが人間として行きたい方向に、地球なり経済なりを向けていかなくてはいけないと思っています。

もう一つの考え方として、GDPの見直しをご紹介したいと思います。わたしたちはGDPを非常に重視していて、何%上がったとか下がったとか、このままでは困るとかそのような話をします。

しかしGDPというのは、お金が動くと上がるのです。さっき言ったハンマーの例と同じなのですが、いいことをやっても、物が動き、人が動けば、お金が動くので、GDPは上がります。悪いことや人を不幸にするようなことをやっても、お金や人や物が動きますから、GDPは上がります。

ですから、例えば家庭内暴力が増えるとか、自殺が増えるとか、環境破壊が増えると、GDPは上がるのです。お医者さんが忙しくなったり、例えば環境破壊が進んだら、それを除去するための技術や会社や資材が使われますから、それは経済活動になります。いいことにお金が使われても、本当はほしくないものに使われても、GDPは上がります。

では、実際に、GDPが上がることがわたしたちの幸せなのでしょうか?--このような問い直しが、今あちこちで始まっています。その一つの考え方が、GDPではなくて、本当にわたしたちの幸せが進んでいるのか進んでいないのか、それを測る指標を作りましょうという考え方です。そのひとつがGPI(Genuine Progress Indicator)と呼ばれる指標です。「本当の進捗を示す指標」という意味です。

家庭での活動やボランティア活動などは、今経済活動としてGDPにはカウントされていないですね、お金のやりとりがないですから。でもこれは人の幸せにつながっている活動であります。ですからGDPにこれを足すのです。

そして犯罪や公害、家庭の崩壊など、お金は動くからGDPは増えるけれど、でも人々の幸せにはつながっていないものを引くのです。GDPを基にしているけれど、本当は足すべきものを足して、本当はいらないものを引いて、本当のわたしたちの進捗がどうなのかを見ようとしているのがGPIです。

日本でも大橋照枝氏らによって、日本のGPIの結果も出されています。
(以下は参考です)
http://homepage1.nifty.com/o-terue/elneos/2004/elneos06.html
http://www.cuc.ac.jp/~a240129/iso14001/2004-5-24.html

世界で10数か国のGPIが発表されていて、今お見せしているグラフはアメリカのものですが、どの国も同じような傾向を示しています。この上の線が、いわゆるGDPです。わたしたちがよく新聞で見るものがGDP。これは1950年から2000年にかけてずっと上がっています。もちろん時々不況がありますから下がったりはしていますけれども、基本的には上がっています。

しかし先ほど言った、いらないものを引いて、本当に必要なものを足した場合のGPIはこのように、1960年から70年にピークに達して、そのあとは下がっています。

GDPは上がっているけれども、わたしたちの本当の幸せは、実は下がってきていることが、GPIのグラフから分かります。そうしたときに、GDPが1%上がったとか下がったとか、これを上げるためにどうするかという議論が本当に正しいのだろうか?それよりも「経済が成長したことでわたしたちは本当に幸せになったのだろうか?」というようなことを議論しないといけないと思います。

特に世界のほかの国の人たちと話していてよく思うことがらいます。日本は外から見ると、もちろん経済大国ですし、いろいろな意味で優れた国です。技術もありますし、人々の価値観やライフスタイルもほかの国よりしっかりと考えている部分もあります。

でもわたしがいつも不思議に思うのは、どうして日本の社会には幸福感がないのだろう?ということです。人々があまり幸せそうではないのです。こんなに技術が発展して、こんなに経済が大きくなっているのに、「これでいい」とか「幸せだな」とか「じゃあ楽しもう」というようなようすがあまりないのです。

「日本は外から見ると確かに先進国だけれど、メンタリティとしてはまだ発展途上国のメンタリティではないか」という指摘をしている方がいました。こういった意味からも、実際に「GDPさえ伸ばせばいい!」ではなくて、GPIも考えていくことに日本は取り組まなくてはいけないし、おそらく中国もそうだと思います。

中国に限りませんが、いま途上国はGDPを伸ばそうとしています。先進国に追いつこうと「GDPを伸ばそう!」としていますが、それよりは「GPIで追いつこう」とか「GPIでは途上国のほうが上」と考えたほうがいいのではないかと思うのです。

ここから、少し断片的な話になりますが、中国の話をして、それから日本と中国の課題について話をしたいと思います。中国のまず食糧についてですが、先ほどご紹介いただいたように、わたしはレスター・ブラウンと10年以上前から仲良くさせてもらっているので、彼が中国に対していろいろな警告を発したり助言をしてきた、その歴史をずっと見てきています。

中国にお詳しい方はご存知だと思いますが、95年にレスターは『Who Will Feed China?(だれが中国を養うのか)』という本を出しました。まだ中国が大きな環境や資源の面での脅威になるということをだれも言っていなかった時代に、「このまま行くと中国は(その段階ではすべて自給していたのですが)自給自足できなくなる。大量のエネルギーや特に食糧を海外から買うことになる。そうしたら国際市場が大きく揺れてしまって、中国だけではなく特に途上国にしわ寄せがいく。そうならないためにはどうしたらいいか」ということを今から10年前の段階で出したのです。

この本を出したあとは大変でした。翌週に中国の政府が、すぐに北京で記者会見を開きました。彼らが言うのは「China will feed China」、中国が自分たちを養うのだ、ほかの国のお世話になどならない、そんな心配はないということですね。そしてレスター・ブラウンの論をいろいろと批判、非難しました。

レスターのアパートはワシントンの郊外の非常に静かな所にあるのですが、彼のアパートのすぐ下に中国大使館が見えます。たまたまそこに中国大使館があるのですが、「この本を出したあとはあそこから見張っているのだよ」と冗談を言っていました。

また、たまたま中国に行く機会があったらしいのですが、中国に行ったら政府の役人だけではなくて、どこに行っても、例えば観光船に乗っても、同じ観光船にたまたま乗り合わせたご婦人が、ハンドバッグの中から『Who Will Feed China?』の中国語版を出してきて「あなたがレスター・ブラウンですか? ここに書いてあることは違います」ということを言ってきたそうです。

それぐらい徹底的に中国政府から一般の人たちまで敵視されたようです。レスター・ブラウンという人は、人を攻撃するとか国を攻撃するということはしません。事実を告げて、このままいくとこうなってしまう、そうならないためにはこのようにしなければいけないということを淡々と言う人なので、個人的に恨みを買うような人ではないのですが、このときはそれなりに大変だったようです。

そのあと、1998年に揚子江で大きな洪水がありました。このときたまたまわたしは、ワシントンのレスターのところで一緒に仕事をしていたのですが、急に公共ラジオのラジオ局から電話がかかってきて、この揚子江の洪水について、レスターと中国大使館の書記官だったと思いますが、2人の対談をしたいからきてくれということで駆けつけました。

わたしも面白そうだと思ってラジオ局について行っていたのですが、そのときにレスターは、「揚子江の洪水は、もちろん雨がたくさん降ったせいではあるが、これは天災というよりも人災だ」と言いました。

なぜならば、揚子江の上流の木を、この時点ですでに8割以上切っていたのです。ですから保水力がなくなったのが原因だ。前だったらこのような洪水にはならなかったのに、木の力が弱って水を貯める力がなくなって洪水になったのだ、だからこれは人災だ」とはっきり言っていました。中国の書記官の方は「絶対にそんなことはない、これは全くの自然災害であって、われわれが悪いのではない」と言っていました。

ただこのときは、中国政府の対応は非常に早かったです。翌週か2週間後ぐらいには、今度は北京で記者会見が開かれて、「これはよく調べたらやはり人災の可能性がある、上流の木を切ってしまったからこのようになったのだ」と認めたのです。

このときの中国政府のせりふがすごくて、レスターはこれを繰り返し新しい経済の考え方として引用していますが、中国政府はそのとき「立ち木1本、つまり、立ったままの木1本の経済的な価値は、切って木材にした木の3倍ある」と言ったのです。

これこそ「エコ・エコノミー」の考え方です。これを切って木材にしたらいくらで売れるか、計算できます。立っている木はただ立っているだけです。ただ中国政府は計算をして、それを切って木材にしたときはいくらで売れる、でもそのまま立っていたら水を保水してそして洪水を防ぐ、もしくは空気をきれいにする、気候を安定させる、そういったいわゆる「生態系が提供しているサービス」といいますが、それを経済価値に直したらどれぐらいかということを計算して、立ち木は3倍の価値があると言ったんですね。

それから中国政府の反応はすごくて、揚子江の上流で何万という人々が木を伐切って暮らしていたのですが、中国政府の命令で、一夜にして彼らは木材伐採業者ではなく、植林業者になりました。この辺は中国のやはり強いところではないかと思うのですが、何十万という人たちが今度は植林を始めて、とにかく人口が多い、つまり人手が多いですから、何をやっても大きな影響になります。わたしが聞いた時点で50億本ほど植えたといっていたと思います。

このように、中国政府は、ある意味、わたしたちやアメリカ、ヨーロッパよりもずっと進んだ考え方をして、自然の生態系が提供しているサービスを経済の中に入れるという、今わたしたちがやらなければいけないといっていることを、先にやっている面もあるのです。

あとレスターが中国のことで一番心配するのは、やはり水不足です。水が不足すると食糧ができなくなります。小麦1トンをつくるのに水1,000トンが必要だとよく言います。穀物を1トン輸入するというのは水を1,000トン輸入することと同じですから、非常に効率がいいのです。したがってエジプトや北アフリカの諸国などは、不足しているところは水の代わりに穀物の輸入を急激に増やしています。

中国もそうなっていくでしょう。中国の場合は、水を使うのに川から引くか、もしくは地下水からくみ上げるかどちらかです。川から水を引きすぎて、衛星写真で見たときに、30年前には載っていた川がたくさん消えてしまっているそうです。

例えば黄河も内陸河川になってしまうという状況だといわれていますし、かつては存在していた川もどんどんなくなっている。地下水はそれよりもっと恐いんですね。なぜかというと、川の場合は、水がなくなってきたのが見えます。でも地下水は分からないのです。

地下には帯水層という地下の岩の間に水がたまっていて、そこから地下水をくみ上げるのですが、帯水層が何メートルの深さで、あとどのぐらい残っているのか、上からは分かりません。ですからみんなあるだろうと思って、みんなあちこちでくみ上げます。そしてどんどん減って、ある日なくなってしまう。

そうしたらもう水は使えませんから、雨が降ったら水やりができるけど、そうでなければ乾燥しているという状況で農業しなくてはならなくなります。実際にそのような形で水がなくなって、2万4,000もの村が村を捨てる、もしくは農業ができなくなったというように、2004年春にレスターが報告を出していました。

水不足のほかにも、中国の方針として、農業よりも工業を進めようという方針がありますので、それもあって1997年のピークから30%も小麦は生産量が減っています。しかし食べる人口は増えていますから、この差はやはり輸入に頼ることになります。レスターが『だれが中国を養うか』を出したときに、自分たちで養うのだから心配するなと言っていましたが、今は非常に大量の穀物を輸入しなくてはならないという状況になりつつあります。

レスターが日本にきて中国の話をするときによく「日本はいろいろな技術もあるし、例えばODAなどの資金もあるから、ぜひその中国、特に華北平原の帯水層の深さを測ってほしい」と言います。アメリカでは実際そういう例があるそうです。オガララ帯水層というアメリカのグレートプレーンという、たくさん食糧を生産している場所ですが、その下の帯水層がどれぐらいあるのか、多分ボーリングをして調べるのだと思いますが、これぐらいの帯水層で今これぐらいしか残っていない、だからこの調子で使うとこれぐらいでなくなるということが分かります。

そうすると残された水をどう使うかということにもう少し賢くなれますね。でも今は、全くみんなが見えないところですきなだけ採っていますから、いつなくなるか分からない。ですから、日本の技術や研究の力で、中国のその帯水層を測ってくれないかということを、繰り返し言っていた時期があります。

もう一つは、先ほど少し言いましたが、食糧をめぐってもアメリカとの対立がこれから大きくなると思います。しかしここで分かりやすい対立にはなかなかならないのです。アメリカと中国というのはお互いに依存しあっています。アメリカは中国の市場がないと困るし、でも中国のほうもアメリカがないと困るしということで、単純な衝突や対立ではありません。

例えば、レスターは「中国の対米黒字を使えば、アメリカが生産している食べ物をすべて買うことができる」と言います。購買力はあるわけですから、中国は食糧がなくなってきたら、お金を使って買うようになるでしょう。穀物は、今世界全体でも輸出国は数えるほどしかありません。輸入国は100以上あるのですが、輸出国は本当に五指に入るほどです。

そのうちの最大の輸出国がアメリカなのです。アメリカだけで全世界の輸出量のうち半分を輸出しています。ですから海外から穀物を輸入するというのは、アメリカから輸入するということになります。そうすると、中国も足りなくなればアメリカに向かわざるを得なくなります。

アメリカ側では、穀物をそのようにどんどん買われてしまうと、国内の食糧価格が上がっていきます。それは大統領にとっても議員にとってもまずい状況です。食糧価格の高騰は、選挙民が許しませんから。そうしたときに、中国とアメリカの国民は、アメリカの生産する食糧をめぐって争うといった構図が出てきます。

レスターはそういったことを2、3年前から繰り返し警告を発しています。実際に中国は、今とても食糧の価格が上がっているそうです。このあと専門家の先生にいろいろとお話をうかがえると思いますが、穀物の価格は30%も上がっているし、そのほかもどんどん上がっているといわれています。

次はエネルギーですが、このグラフは全世界の石油シェアを各国別に見たものです。今中国がこれぐらいです。だから国でいうとアメリカがもちろん一番多いのですが、それに逼迫するほどの量を中国が輸入しています。

欧州はたくさん集まっているので一国にするとそうでもありません。日本は以前は多かったのですが、少し下がってきています。日中の違いがよく分かると思います。

資源でいっても世界の石炭、鉄鋼の約30%を中国が使っているとか、それでいながら鉄のリサイクル率はまだ低いとか、こういった話が中国の政府のほうから、自分たちで話すようになっています。中国のほうが、ある意味日本よりも真剣に循環型社会を考えているようにも思えます。おそらく、考えざるを得ない状況になっているのだろうと思います。日本の10倍の人口がいますから、少しの成長を保とうと思っても、すごい原材料が必要なのです。

例えば、中国人がアメリカ人と同じように紙を使うようになったら、世界中の木がなくなるとか、アメリカ人と同じように一家に1台持つようになったら、世界中のくみ上げている石油を使っても足りなくなるとか、よくそのようにいわれます。計算すると本当にそうなのです。それは人口が非常に多いからです。

その人口を支えつつ、しかし緩やかであっても経済を伸ばしていかなければいけないといった非常に難しいところに中国は現在います。おそらく中国の人たち、特に政府の人たちはとても強い切迫感を抱いているのではないかと思います。リサイクルもこれからだと思います。

このあたりは日本が少なくとも制度や仕組みのうえでは先行していますから、いいものは中国に使ってもらう、日本であまりうまくいっていないところはそこを直した形で使ってもらうという形で、いろいろお役に立てるのではないかと思います。

中国の一つの課題とは、先ほど言いましたが、経済成長を止めずに、しかし持続可能な社会や経済の仕組みに変えていかなければいけないということだと思います。先述したように、いわゆる環境効率とか資源生産性というのは、中国はまだそれほど進んでいませんし、リサイクルもこれからです。

そういった意味で今の経済活動の環境への影響を下げていく必要があります。これは日本の技術とか、これまでの取り組みが大いに役立つところだと思います。しかしそれを日本並みに下げたところで、非常に環境効率がよくなったところで、やはり負荷が絶対に出るのですね。ゼロにはならないのです。

中国だけの話ではありませんが、単位量あたりにすれば減っても、総量はゼロにはならない。そして地球に影響を与えるのは総量ですから、いくら「単位あたり売上100万あたりの環境負荷が下がりました」といっても、売上が上がっている分には総量は増えているわけですから、地球は参ってしまうわけです。

ですから現在の環境負荷を下げつつ、「じゃあ50年後どういうふうな中国だったら?」もしくは「50年後どういう世界だったらやっていけるのか?」を同時に探していかないといけません。

ここが中国の今難しいところだろうと思います。今の経済を進めながら、環境負荷を落とし、しかしそこだけ見ているのではなくて、先にどのような社会、経済にしなければいけないかも同時に作りだしていかなければいけない。

しかし、わたしは中国には強みがあると思っています。例えばビジョンを描くとか、先ほどの植林もそうですが、実際にやらねばならないと思ったときの実行力は、アメリカや日本やヨーロッパの国々よりもはるかに強いと思うからです。ですから、正しいビジョンとやるべきことがはっきりと分かってきたときには、中国のほうがぐっと先に行くのではないかというのがわたしの感触です。

それに対して、日本では少子高齢化が進むわけですが、これは多分止まらないと思っています。わたしは女性の友だちやメールニュースの読者に20代、30代の人たちがたくさんいますが、みなさんからのメールやフィードバックを見ていても、たとえ3人目の子どもに助成金がついたとしても、それで「じゃあ生みましょう」という状況ではないのだけどなー、と思います。

一つには、こういう今の世界なり、こういう日本の中に子供を生むのはかわいそうだ、かわいそうでとても生めないという思いを抱いている人が多いことです。これは多分生存本能かもしれません。

それからもう一つは、いまの日本の社会では、例えば自分が自己実現をしたいと思ったら、子供と持つことはマイナスになると思われがちです。子供を生んだら母親は家にいなければいけないとか、仕事にもなかなか戻れない。そのような状況では、「自己実現か、子供か」という選択肢を迫られる女性がたくさんいます。子供を生んでも自己実現ができるような社会の仕組みにしない限り、今は自己実現への希求が非常に強まっていますから、子供のほうをあきらめる人がますます増えると思います。わたしはそんな気がしています。

そうして、少子高齢化が進むわけですが、日本のしなければいけないことは、これ以上ぐずぐずせずに、どのような経済、社会の仕組みにしなければいけないかを早く見つけることだと思っています。

もう一つ、これは中国だけではなくて、世界全体に関わることですが、日本がすべきことがあります。中国にいろいろ教えてあげたり、途上国に援助の手を差しのべることも重要ですが、日本自体が世界に迷惑をかけない国になることです。

日本はエネルギーの8割を輸入して、食糧の6割を輸入している。それを作るために、それを日本に輸出するために、輸出国ではどれほど環境が壊されているか。

例えば食糧でいうと、今日本が輸入している食糧を海外で作ってもらうために、日本国内の農地の2.5倍の農地を海外で使わせてもらっている計算になります。さっき言いましたように1トンの小麦をつくるには1,000トンの水を使いますから、膨大な水を使わせてもらっているわけです。

これから食糧問題では水が非常に重要なポイントになります。日本は幸い水がある国なのです。ありすぎて困ることもありますほどです。日本は水がある国なので、それをちゃんと使って食糧を作って、少しでもほかの国からの輸入を減らして、ほかの国に迷惑をかけないような国になっていかないと、いくらいい技術を外に出したところで、「自分のことをまずきちんとやってください」という話になると思います。

今日は詳しく話す時間がありませんが、日本には幸い、そういう動きが出てきています。国のレベルというよりも、志や先見の明ある自治体、それから地域が「うちの町の食糧自給率は100%に近い」とか、例えば山形県の立川町というところは非常に風が強く風力発電をやっているのですが、町で使う電力の60%近くは町に吹く風で作っています。そのような地域の小さな循環が今日本のあちこちで試みとして始まっています。

それがもっともっと増えてきて、日本を一つの国としてみるのではなくて、3,000の小さな地域が、それぞれ自立して循環している地域が集まったものが日本だとなれば、食糧の自給率を100%にするとか、取り組んでいけます。「日本のエネルギーの自給率を100%にすることは夢物語で考えられない」とおっしゃる方が多いですが、別に日本全体がそのようにならなくても、ある地域ではそうだよ、というところが増えていく動きになっていくと思います。

そのときに、日本の一つの強みといいますか、希望は、「元気な個」の出現です。これはNGOであったり、気持ちのある市民であったり、もしくは個別企業、それからさっき言った自治体などもそうです。わたしは中小企業とお仕事をすることが多いのですが、最近非常に面白いな、心強いなと思うような企業の経営者によく会います。

小さいところです。大体中小、数十人からせいぜい200人規模の会社ですが、「うちの会社はもう成長するのはやめました」ということを明言している経営者がいます。「これまでのようにどんどん大きくしようというのはもうやめました。考えてみたら、今の規模で今の利益であれば十分社員も幸せだし、地域の人も幸せなのだから、それをいかにもっと幸せにするかということを考えます。ですからもっと売ろうとか、もっと利潤率を上げようとかそういうことはもう考えません」--そのようなことを企業の経営者が言ってくれるようになっているのです。何社もそのようなところがあります。

まだ孤立した動きですが、例えば消費者にしても、どんどん物を買って幸せになるのではなくて、「本当の幸せとは何だろう?」と考えるようになって、物を買わない人が増えています。物を買っても幸せにならないことに気がついてきているのです。そのような人たちがでてきているということと、それがどんどん広がってつながり始めているということが、日本を大きく変えてくれないかなと思っています。

中国にしても日本にしても、もしくは世界全体でもそうですが、わたしがいつも言うことなのですが、「今のままではいけない」ことはもうみんなわかっているのです。なんとかしなければいけないというときには、二つ必要なものがあります。

一つはビジョンです。ビジョンというのは、現在の問題や現状はとりあえずおいといて、「理想的な姿としてどういう姿になりたいか?」がビジョンです。これは、『ビジョンが描ける国 描けない国』、『ビジョンが描ける人 描けない人』という本が書けるぐらい、できる国とできない国があります。

ビジョンとは短期的なものではありません。例えば50年後の日本をどうしたいのか、50年後の日本が持続可能な国になっているとしたら食糧はどのようになっているのか、モノはどのように移動しているのか、エネルギーはどこからきてどうなっているのか、そういう全体像を描くのです。

そしてビジョンというのは、1日頑張れば、徹夜で頑張れば届くというものではありません。国のビジョンとか地域のビジョンというと、何年も何十年かかります。そうすると、当初の熱い思いが冷めてきたり、新しい問題が出てくると、進みづらくなってきます。

そういったときに、それでも着実に進めていく仕組みとして「マネジメントシステム」があります。お聞きになったことがある方もたくさんいらっしゃると思いますが、例えばISO1401というのは、環境の側面でこのマネジメントシステムをやっていきましょうという国際規格です。自分たちの環境をこうしたい、その目標に向かって少しずつでも必ず継続してよくしていきましょうというしくみです。

わたしは、これは個人のレベルでも同じように必要だと思っています。自分は何のために生きているのか、5年後どのような自分になりたいのか、そのために今何をするのか、そしてそのやろうと思ったことを、例えば飽きてきたり、もっとやりたいことが出てきたり、本当にこれでいいのかと思っても続けていくしくみを、私は「自分マネジメントシステム」と言っていますが、そのようなしくみが同じように必要だろうと思います。

ビジョンについて、よくあるのはこちらのフォア・キャスティングと呼ばれているやり方です。まず、現在の社会があります。例えば今の日本の状況を見て、例えば廃棄物の処理場がもういっぱいで逼迫しているから困る。では廃棄物をとにかくごみ捨て場に持ってこないようにしようと法律を作ったり仕組みを作る。ごみ捨て場を延命しようとごみを燃やしていたら、ダイオキシンが出てしまった。

ダイオキシンも困るから、ではダイオキシンを規制しなければいけない、焼却炉の基準を変えよう......というふうに、その目の前、目の前、目の前の問題を解決しているのだけれども、実際にどこに行きたいのかがわからない。「ではそのやり方を全部つなげていって、50年後の日本をどうしたいのですか?」がなかなか出てこないと思うのです。

それに対して、バック・キャスティングというアプローチがあります。これは北欧の国などが得意なのですが、今の現状はどうかは別としてまず理想図を描く。そこから今を振り返って足りないところを埋めていこう、そういう考え方です。

わたしは先ほどご紹介いただいたように、通訳をやっています。国際会議の通訳に出ていると国の違いをよく感じるのですが、アジアの環境の担当の方々が集まっている会議で通訳をしていたときに、中国の方がこういう発言をされました。「われわれは50年後の中国をこのような国にしたいと思っている。だから今この施策をうっている」。

わたしは通訳をしながらすごいなと思いました。少なくとも中国の人たち、その政府の人たちは、「環境という面で50年後の中国をこうしたい」という姿が見えている、それをもう話し合って決めているわけです。「そのためにこの法律を作っています」「こういう施策をしています」という話ができます。でも、日本などではなかなかそういう形での話ができません。「今この問題があるから、これを乗り越えるためにこの施策をやっています」という、どちらかというと、フォア・キャスティングなんですね。

そうではなくて、今いろいろ問題があるけれども、でも本当はどうなりたいというビジョンを描く力が必要です。例えばこれから石油がひっぱくしてくる、食糧もなくなってくる、多分どの国も浮き足立ってくると思います。それをビジネスチャンスととらえる人もいるでしょうけれども、目の前の状況だけを見ていては、多分持続可能なビジネスにはならないと思うのです。

ですからこう浮き足立ちかけている今、今回の会議のように、日本そして中国に関心のお持ちの方々が、じっくりと、「ではこの東アジアは50年後どういう地域になっていたらいいのだろう」「どういう地域になっていたら、日本のため、中国のため、そして世界のためになるのだろう?」ということをじっくりと考えて、そのために今何をすべきかということを考えていく必要があると思います。

先週たまたま古紙回収業者さんのところへ取材に行っていたのですが、今、古紙もみんな中国のほうに流れてしまって大変だと浮き足立っているそうです。盗まれたら困るとかいろいろと言っています。もちろん、その今の問題に対応することも重要ですが、「では50年後、日本と中国とこの地域は紙の循環ではどうなっていたらいいのだろう? 原料はどこからきて、そして使い終わった紙はどういう循環をしているのだろう?」ということを考える必要があります。

これまでは日本の中だけで循環してきましたが、今ではもう事実上中国との循環になっています。中国には、例えば衣料メーカーや家電メーカーさんがたくさん工場をつくっています。そこで作った製品を日本やほかの外国に輸出するときに、外箱としてダンボールがいるのです。ですからダンボールを作る工場が今中国にいっぱいできています。

見に行った人の話は、昔の田子の浦のようだと言っていました。排水処理をしていないそうなんですね。ダンボールを作る工場にはその原料が必要ですが、しかし中国には木があまりありませんし、市中から回収する紙も日本ほどはないんですね、もともとひとりあたりの紙の使用量は日本の10分の1ですから。

そこで、日本からどんどん原料を持ってきています。例えば家電を日本に輸出して、その帰り便、船便は空きになりますから、空いているぐらいなら積んでいっていいというような安い値段で中国に紙を持っていくことができる。そしてそこでダンボールになってまた家電と一緒に日本にきている。そういう状況がもうすでに起こっています。

リサイクルといったときに各国での仕組みと、それから地域全体での仕組みと考える必要があります。家電製品もそうです。例えば、テレビは、日本国内で組み立てているテレビはほとんどないです。組み立てはすべて中国その他、東南アジアの国になっていますから、地域全体でどうするか、それと共に日本はどうあるべきかを、さっきいった食糧やエネルギーの自給率を上げていくことを含めて、考えていく必要があると思っています。

わたしは情報を扱う立場にいますので、具体的な技術論というよりも、今中国の状況はどうなのか、日本でどんなリサイクルの仕組みがあって、何がうまくいって、何がうまくいっていないのか、どんな新しいビジネスがうまくいっているのか、どんなエコ製品が出てきているのか。そういう情報を日本からどんどん発信していくべきだし、中国の情報もどんどんこちらにもらって、やはり情報をやりとりすることでお互いに学びあう、そしてお互いにそれだったらこれが使えるとか、それだったらこれをやってみたらとか、それだったら一緒にこうやってみないかとか、そういう話が始まるのではないかと思います。

今回この会を開かれている主催者の方々も、きっとそういうお考えで活動されていくと思います。わたしも、これからもこの地域は中国も含め、大事なところだと思っているので、これからもご一緒できればと思っています。ではわたしの話はここまでにします。ありがとうございました。

 

このページの先頭へ

このページの先頭へ