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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2018年12月17日

『ゆっくり、いそげ』~カフェ「クルミドコーヒー」の影山知明さんの素敵なお話 (2018.12.17)

新しいあり方へ
 

幸せ経済社会研究所のインタビューコーナーに、素敵なインタビューがアップされています。『ゆっくり、いそげ』というご本を書かれたカフェ「クルミドコーヒー」の影山知明さんのお話、ぜひどうぞ!
https://www.ishes.org/interview/itv16_01.html

著書『ゆっくり、いそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済』

==(Amazon紹介文より)

経済を目的にすると、人が手段になる。

JR中央線・乗降客数最下位の西国分寺駅――そこで全国1位のカフェをつくった著者が挑戦する、「理想と現実」を両立させる経済の形。

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写真などはこちらをご覧ください

~~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

外資系コンサルティングやベンチャー企業への投資事業など、お金を動かすビジネスの世界から一転、2008年に西国分寺にクルミドコーヒーというカフェを開業された影山知明さん。木のぬくもりを感じられる店内やこだわりのメニューにたくさんの方が魅了されています。

影山さんは著書『ゆっくり、いそげ』で、カフェやシェアハウス、地域通貨、出版事業などを通じて感じられた人と仕事とお金の仕組み、売上や利益、短期的な成長が目的になりがちな資本主義システムから、「ゆっくり、いそげ」と考えられるようになった経緯などを語られています。

影山さんが考えるお金とは、経済や社会のあり方、地域との関わり合いとはどのようなものなのでしょうか。

2016年7月に開催したオープンセミナーから、影山さんと枝廣とのトークおよび会場の皆さんとの質疑応答の部分をお届けします。

■不特定多数ではなく、特定少数でもなく、特定多数の人と

枝廣:私はこの『ゆっくり、いそげ』を5回くらい読みました。普段あまり同じ本を繰り返し読むということはないのですが、この本は5回読むと5回分、いろいろなところで考えさせられたり、気が付いたり、すごく面白いんです。クルミドコーヒーにはまだお邪魔したことはないんですが、本やお話を聞いていて、「無常」のお店なんだということがわかりました。

たとえば、これは本に書いてあったことですけれど、「仕事に人をつけるのではなくて、人に仕事をつける」。トマトのジュースを担当されている方が卒業されたり、トマト農家さんが何か違うものを作り始めたりしたら、おそらくクルミドコーヒーのトマトジュースはなくなると思います。

普通だったら、トマト農家の方がいなくなったら別の農家を探そうとか、作っているスタッフが卒業されたら、同じものを作れるスタッフを雇おうとか、もしくはトレーニングしようとか考えます。そうではない形で、今のスタッフの方が作り出したものをお店の力にしていく。そういった意味で言うと、ずっと同じではない店なんだなと思いました。

もう1つ、ぜひキーワードとしてお聞きしたかったのが、そういうお店のあり方を経済的にも成り立つ形でやっていくための鍵って何だろうなと思ったときに、これは本の中にも書いてありますが、「特定多数」という言葉がキーワードだと思いました。まずはそのあたりの考え方を説明していただけますか。

影山:はい。普通、僕がかつて関わっていたベンチャー企業もそうですし、大企業であればあるほど、基本的には不特定多数のお客さんを想定して、そういう人たちに普遍的に「いい」と言ってもらえるようなものを作るという方向に商品開発・サービス開発は向かっていくように思います。そうすると、より安いほうがいい。すごくわかりやすい価値ですね。同じ値段だったらより機能性が高い、という競争に収れんしていくでしょう。

そういう点で言うと、もうちょっと顔が見える関係になってくると、たとえば私と枝廣さんという関係であれば、世の中一般にはそれがいいと思われていないようなことでも、私はそれに対してお金を払ってもいいと思うものが、商品やサービスになり得るということが起こるなと思いました。

そこで、不特定ではなくて特定の人と、ということが大事だとまず思うようになりました。だけど、特定の人というのは、結果的に自分の身内とか、限られた範囲ということ、つまり特定少数になってしまうと、経済としては成り立たない。売り上げをつくっていく上での規模が実現できなくなってしまうからです。そういうことから、その間があるなと思ってたどり着いたキーワードが「特定多数」です。

具体的には、たとえばクルミドコーヒーのお店という単位で言うと、正確な統計ではありませんが、クルミドコーヒーのことを応援してもいいと思ってくださっている方が3,000人から5,000人ぐらいいるように感じています。ある程度、頭に思い浮かべられるような人たちですね。

その人たちが支えになってくださっているので、世の中のトマトジュースの3~5倍の値段でも、思いを込めた仕事をしていけば、それをいいと思ってくれる人はきっといるはずだと思えて、実際、経営としても、ここまでのところ成り立っているということがあると思います。

枝廣:私たちの幸せ経済社会研究所で「経済成長を問い直す」というプロジェクトを行いました。「経済成長って何ですか」「それって必要ですか」「可能ですか」みたいな7つの質問を100人に尋ねるというものです。

エダヒロの100人に聞く「経済成長についての7つの質問」

その中のお一人で、哲学者の内山節さんにお話を聞いた時、影山さんと近いことをおっしゃっていて、そこを読みますね。地域の経済の話をされている時です。

内山節さんのインタビュー

「ケーキ屋さんを開くとか、ご夫婦でやっている若い人が結構いるんです。そこでは多分、1万人のお客さんはいらないんですね。1日にたとえば100人くらい。場合によって30~40人が買いに来てくれれば回る経済でしょう。30~40人来るためには、その10倍か20倍のお客さんが必要かもしれないけれど、5万人、10万人は絶対いりません。来てくれる人たちを大事にする経営をすればよいのです。そういう経済がいろいろな形でできていく時に、通常の資本主義型の経済がだんだんと限定された領域に移っていく。押し込められていくという形の変革になっていくと思います」ということをおっしゃっていました。

影山:ほんとにその通りですね。

枝廣:私たちは何か経済とか事業をやるときに、つい不特定多数を対象に考えます。そのほうが、パイ(総額、市場全体)が大きいからですよね。

だけど、不特定多数が対象になった瞬間に、わかりやすい基準がお金になってしまいます。そうすると、「高いか、安いか」という話になってしまって、「値段だけじゃないよね」というところが、全部負けてしまうんですね。

「値段だけじゃないよね」という関係、だけどビジネスが成り立つ。たとえばクルミドコーヒーさんとか、今のケーキ屋さんの話だと、何万人もいらなくて、3,000人から5,000人。それで自分たちがつくり出したい価値をつくれるというのがすごくおもしろいし、あまりこれまで考えられていなかったことかなと思います。

特に、内山先生がおっしゃったように、商圏としての規模感だけはなくて、「値段だけじゃないよね」という交換が成立するって、すごく大事だと思っています。もしトマトジュースのリコピンだけ取りたかったら・・・

影山:サプリメントだっていいということですから。

枝廣:ですよね。そのあたりを、850円のトマトジュースでも、「それがいい」と言って飲みにいらっしゃる方がいる。「値段だけじゃないよね」ということですよね。

■受け取ってくれる方が喜んでくれるように
つくり手の存在を感じるものを

影山:どの部分に850円なりの価値を感じて払っているか、人によって違うと思いますけれども、1つ欠かせない要素ということで思うのは、つくっている人の存在だと思います。

たとえば、トマトジュースのトマトをつくってくださっている榎戸秀晃(えのきど ひであき)さんのトマトに関して言えば、残念ながら、まったく無農薬の肥料ということではないです。ただ、減らすための努力は積み重ねておられます。それと比べれば、場合によっては、無農薬、無肥料で作っているようなトマトジュースもあるかもしれない。でもぼくらがそうではなくて榎戸さんのトマトを選ぶのはなぜかということになると、人の存在というところだろうと思います。

最近、たとえば大手のチェーン店や大衆居酒屋さんでも、産地や作り手が明記されていたり、農薬を使っていない野菜を使っていたりしますよね。そういう哲学は割合、皆さんの活動のかいもあって広まってきていると思います。

ただ、そういう哲学みたいなことはあるけれど、毎日居酒屋さんでご飯食べていたらどういう気持ちになるかと言うと、私は満たされない気がしていて、それはなぜかと考えると作り手の存在を感じないからではないかと思うんです。そこには人から受け取りたいという人間の心理があるんだと思います。どんなにいいものであったとしても。

だから、私の場合、娘が作ってくれる卵焼きだったら、別に卵が何だろうと、味がしょっぱかろうが甘かろうが、間違いなくおいしいわけです。そういう作り手が持っているパワー、作り手と受け手の関係が感じさせてくれる味ってあると思います。

そういう意味で、トマトジュースについても、うちのスタッフの今田と生産者の榎戸さんという2人の存在が、飲む方に伝わっているので、「あいつらのためだったら、払ってもいいか」という気持ちになってくれている部分が大きいと思います。

枝廣:それは「テイクではなくてギブから」という、すごく大きなテーマですよね。今の話を聞いていた時、たとえば、私などが取りがちなよくあるパターンは、榎戸さんのトマトを使うときに、地域の小規模・家族経営で、いいやり方でやっている農家を応援したい、応援するためには食べてあげないと、買ってあげないと応援できませんと考える。そういう形でのNGOとか、社会的・文化的な取り組みもあると思います。それもテイクですか?

影山:そうですね。NGOとしてのミッション達成のために、食べてくれる人を利用するという形だったとすると、それはテイクとなってしまう危険はあると思います。

また、そこに派生して自分の問題意識を加えると、実際僕らもジレンマにさいなまれる局面があります。地産地消で地元産の野菜を使いたいと思うんです。ただ、地元産の野菜の旬はすごく短い。1個所から仕入れようと思うと、ピークが短くなってしまいます。

具体的な例で言うと、冬の時期にブロッコリーを使ったメニューを出していたのですが、ある時期からぐっと味が落ちたということがありました。ここで僕らは選択を迫られて、国分寺産にこだわって、でも味が落ちたものを使い続けるのか、味を大事にしてほかの土地で作られたものでも使うのか、どっちにするかという局面がありました。

結果的に、僕らは後者を取りました。これは多分、いろんな正解があるので、違うご意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。僕らが一義的にどこに責任を負っているのかと考えると、僕らの仕事を受け取ってくれるお客さんが喜んでくれるように仕事をすることが大事だと思っています。

喜ばせ方も、理性的に喜ばせるのと感性的に喜ばせるやり方があります。世の中には「地産地消の野菜だから、おいしくなくても、それがうれしいよ」と言ってくれる人もいるとは思います。これは、どちらかと言うと理性的な納得感で、数で言うと少数派だと僕は思います。

そうではなくて、お店に行ったらおいしいものが食べたい。気持ちのいい時間を過ごしたいと思う人が、割合で言うと多いのではないでしょうか。お客さんをちゃんと喜ばせてあげるということに責任を持っているんだとすると、他県産であったとしても、おいしいブロッコリーを使うのが僕らの責任かなと思うことが多いです。

枝廣:そのときに、お客さんをどれくらい、どういうふうに信じるかというのは難しいところですよね。たとえば、「味がおいしければ」というお客様は、農薬とか遺伝子組み換えとか、それでもいいと思うかもしれない。お客様のためだったらそうするか、という問いにはどういうふうに考えますか?

影山:そうですね。そこがゼロか1か、ではないというところでもあると思います。たとえば、国分寺産のブロッコリーは使えないにしても、どこのものを使うかということについて選択肢があるわけだし、さらに産地だけではなくて、どういう生産者のものを使うのかということについては、僕らに選択の余地はあるわけです。

その中で、もう1つ、僕らがずっと立ち上がりから自分たちに言い聞かせている1つの哲学が、「子どもたちに出せるような、ちゃんとしたものを出そう」という気持ちがあります。

僕に娘ができた時にお店をつくったという経緯もあるので、自分の娘に食べさせるとしたらどうかということでの判断軸があるわけです。そうすると、薬まみれのものは絶対使わないということに自然と落ち着いてきますね。

枝廣:そこで1本、大事な理念というか、判断軸があった上での選択ということですね。

影山:そうですね。まずは「おいしい」とか「楽しい」と感じてもらえる入口があって、「実は、これは地元のブロッコリーです」とか、「実は、これは国産の小麦粉を使っていて」というふうに、次に大事なことをちゃんと伝えていく。そうすると「やっぱり」ということになります。より納得感を高めてもらう努力も惜しんではいけないとは思っています。

枝廣:そのあたりが、カフェという現場を持っていらっしゃる強みですね。

これも本に書いてありましたが、たとえば文字だけで、それがいかに大事なものか伝えても、それは左脳で、理性的な判断で、それだけで動ける人はすごく少数。だけど、「おいしい」とか「気持ちいい」とか、そこから入ることの大事さ。「カフェっていろいろな役割がある」と、さっきお話をしてくださいましたけど、いろいろなことを伝えたり、体験してもらう、すごく可能性がある場なんでしょうね。

影山:カフェはそうだなと思っていますし、ちょっと広げて経済ということで言っても、そこの明暗を握っているのは流通業である気がしています。今の世の中の大きなダイナミズムでいうと、流通業がどんどん大資本化している。

そういう意味で、流通が大資本化すると、生産者、ものづくりをしている側からすると、卸せる選択肢は限られてくるわけです。かつ、彼らのbuying powerは相当なものですから、結果的に、こだわっていいものを作るよりも、安くて"そこそこ"のものを作るほうに、作り手側も動機づけられることがあると思います。

ただ、売り手が、流通者がそこを踏ん張って、価値をあきらめずに届けていく。しかも、左脳的な伝達だけではなく右脳的な伝達を含めて流通者が頑張れれば、結果的にそれが生産者を支えるという構図になってくると思います。

■「健全な負債感」が宿る関係
大事な価値観をつくる

枝廣:さきほどの「ギブから始まる」という話と、「人と人の交換が大事」という影山さんのご本もそうですが、経済も人間関係も、"ししおどし"というか、シーソーというか、等価になると動きが止まるんですね。ですから、「ちょっともらいすぎたな」とか、今度は向こうが「もらいすぎたな」と思うような、等価にならないことがエネルギーを生み出して、モノとか気持ちの交換がつながっていくということだと思っています。

影山さんが「健全な負債感」とおっしゃったのが、すごくいい言葉だなと思っていて、内山節さんの本だと、「反対給付義務」という、ちょっと硬い言葉ですけど、もらったから反対にこちらから差し出さないといけない義務が生じるということですよね。そういった意味で言うと、チャラにしないということがすごく大事なんだろうなと思いました。

その時に思い出したのが、私は地域のビジョンや元気をつくるお手伝いをしているんですが、1つは、山形に行った時にまちづくりをやっている方と話をしていて、その方に何かをいただいたんですね。なので、東京に帰ってきてすぐにお礼の品を送ったら怒られたんです。「すぐに返すものじゃない。ばか」と言って。口の悪い人だったんですけど、そういうものじゃないんだとおっしゃられました。

それから、今かかわっている島根県の海士町でも、ある建設会社の専務さんが、自分の休日を全部使って高校の菜園づくりを手伝ったり、家庭の庭をつくりたいという方がいると自分でやってしまうんですね。社員を使うとお金がかかるから自分がやると。その話をしていた時に、「お金を返されたら怒る。もう絶対やらない」という話をしていました。お金でチャラにしてはいかんということは、おそらく地方には今でもあるのでしょうね。

そう考えると、さきほどの7,000円だとチャラになっちゃうという、こちらのエネルギーの負債感がなくなる、お金をチャラにしてしまう怖さをすごく感じました。これは、お金のチカラとして現実にありますよね?

影山:そうですね。すごく便利な道具であるだけに、関係を省略できると言いますか、何事でもそうだと思います。

たとえば、僕は今、髪がボサボサで何とかしたいと思っているんですけど、髪を切ってもらうときに、美容室に飛び込んで、3,000円なら3,000円、5,000円なら5,000円払えば、僕が何者であろうと切ってくれます。すごく便利ですよね。だけど、たとえば自分の知り合いに、友人関係の中で切ってもらおうと思うと、お金はかからないかもしれないけど、いろいろやり取りは発生するわけです。

そういう意味で、お金を使うことで、関係を省略できることは間違いなくあって、お金を使わない人生は、そういう意味ですごく人間関係は豊かになるかもしれないけど、面倒でもある。ある部分でお金に頼ることはあってもいいと思うんですけど。実は、気が付いてみると、今、すべてがそれになっていやしないかという問題意識が出てくるところです。

枝廣:そうすると、値段だけじゃない、お金だけじゃないという、ほかにも大事な価値観、それを大事にしようよということと、その場その場でチャラにしない、負債感を感じたり、それをいつどこでお返ししようかなと考え続けたり、価値観と時間軸が複雑化することの豊かさのポイントを影山さんはつくっていらっしゃいますよね。また、そういうものにひかれる人たちが増えていると思います。短期的な効率至上主義のこれまでの資本主義では、そのあたりは最初に抹殺されます。

■複線的な価値の交換ができる市場をめざして

枝廣:影山さんから「別に人が悪いのではなく、システムの力でそうなっている」というお話がありました。システム思考の考え方ですよね。問題をどこからどう変えていったらいいのかというとき、影山さんは国分寺でクルミドコーヒーをやるという選択をとられた。それは、勝算があるというと変な言い方ですが、どういうふうに捉えて進んでこられたか、またこれから進んでいかれようとしていますか。

影山:すごく大事な問題提起だと思います。システムはあらゆる領域で、政治にもそういうシステムがあるし、教育にも医療にもあらゆる分野にあることだと思います。こと経済に関して言うと、経済の取引はすごく単純化すると、2つしかないと思っています。「売り買い」か「貸し借り」ということですね。

売り買いというのは、狭義で言う「実体経済」ですが、貸し借りは「金融」と呼ばれます。売り買いと貸し借りの両方の制度設計を変えることに挑みたいんですね。売り買いの制度設計を変えることの第一義が、通貨を変えるということだと思っています。それが変わることで、交換の動機が180度変わってくるという面があります。

もう1つ残されているのが、金融の制度設計を変えるということです。さっき言ったように、結局はお金の出し手が、受け手に対する発言権を持ってくるという側面があるので、ここの関係性が変わらないと、どうしても、何よりお金が大事というふうに、経営者は振る舞わざるを得ないということがあるので、それを変える。

どういうことかと言うと、実際に一部、僕が名前だけ出していたんですが、ミュージックセキュリティーズという会社の中でやっていることです。金銭的な価値だけではない価値を交換する資本市場をつくりたいと思っています。

具体的に言うと、クルミドコーヒー、今度2つ目のお店をつくろうとしています。

※胡桃堂喫茶店(2017年、国分寺市に2店目となる「胡桃堂喫茶店」をオープンされました)
http://kurumido2017.jp/

たとえば、ざっと言って3,000万ぐらいお金がかかるとします。この3,000万をどうやって調達するかというときに、セキュリテという仕組みを使って、小口の1口5万円みたいなお金で集めてみたいなと思っています。

チャレンジしてみたいのは、5万円出したときに、お金としては、たとえば4万円しか戻ってこない、みたいな制度設計ができないかなと思っていて。5万円出して、お金としては4万円しか返ってこない。利回り-20%です。だけど、その結果、お店ができたということや、減ってしまった金銭的な価値を補えるだけの何か別の社会的な価値が生み出されるということを信じられれば、お金が減ってもいいから出すと思う人はいるんじゃないかと思うんですね。

そうすると、お金の貸し借りの関係が複線化したということになります。お金として行って帰ってくるだけはなく、それ以外の価値に対しての投資が行われることになる。そうしていくと、今の資本主義、資本主導という仕組みの中でも、金銭的な価値以外の価値を取り扱うことができるようになってくると思います。

そのセキュリテみたいな仕組みが、東京証券取引所を補うような存在に育っていったらいいなということも見据えながら、やっているところです。

枝廣:クラウドファンディングとかソーシャルバンキング、ソーシャルファイナンスみたいなのは、利子のためだけはない価値を生み出す動きもたくさん出ているし、そういう方向が1つの主流になっていくといいなと思います。

もう1つ、主流の今の貸し借りの世界ですよね。マイナス金利になったときに、お金をどこかに融資したから、プラスになって返ってくるということ自体、想定できない時代になったときに、これまでの主流はどうなるんですか。

影山:おそらくマイナスの金利にはなっても、ほかの運用方式よりも金銭的にメリットがあると思ってそれが選ばれることはあるでしょう。長期国債の利回りがマイナスになっているという現状があるので、そこは同じようにマイナスに見えるけど、金銭的な理屈で動いているということは変わってないと思います。

僕は、これからということで考えると、お金が増えればいい、それだけじゃないよねという選択肢が、今、ミュージックセキュリティーズがやっている範囲で言うと、年間10億円くらいの規模です。でも、東京証券取引所が扱った金額は、正確にはわからないですけど、とんでもない額です。まったく比較にさえならない。ましてや、寄付型のクラウドファンディングになると、より小さい。

でも、こういうものの変化は、合気道的なところがあると思っていて、直線的には変わっていかないと思います。つまり、10億円が15億円になり、30億円になり・・・みたいになって、1つの会社に限らず、そういう制度がほかにも増えて、それがある閾値を超える、そうなったとき、ぐっと世の中が変わることが起こるような気がしています。運用や金銭的な利回りだけでない判断軸でお金を動かすということが、実は、気づいたらよりメジャーな動きになるというのは、どこかの瞬間で起こり得ると思っています。

また別の観点で、世の中の成長や幸福度みたいなことは、GDPだけでは測れないということが記事で書かれていましたけど、本当にそうだと思います。今言ったみたいな複線的な価値の交換ができる資本市場ができると、ひょっとしたらGDPは減るかもしれないと思いますが、でもGDP以外の価値、経済以外の価値が、その分増加していると捉えられると思うので、総体的に見れば価値は増えているということはあると思います。

枝廣:いろいろな状況で、これまでの幸せな思考停止が許された状況が続かなくなって、一人ひとりが考えなければいけない状況になってきました。それは、お金の意味もそうだし、経済などが、自分たちが何を目指すとか、それが果たしてGDPで、そのままでいいのかということ。緩やかな思考停止で、これまで幸せにそれができていたんですが、それが溶け始めた時代にいるような気がしています。

そのときに、今おっしゃったような、直線的な変化ではない変化、たとえば「目標はGDPじゃないよね。幸せを測ろうね」という地域や国が増えている、といったようないろいろなものが連鎖し合って大きく変わる時期が、もしかしたら、そんなに遠からずくるのかな、くるといいなと思いました。

■会場から質問をいただきながら、トークは進みます

Aさん:「不等価」という言葉が耳に残っていて、すごくわかりやすかったです。それは、不等価になるように意識されてやっているのか、結果として不等価になることの意義を感じられていてやられているか、お伺いしたいと思います。

影山:ありがとうございます。不等価を狙ってやっているのかという点についてですが、値段がどう決まるかというので言えば、トマトジュースがなぜ850円かと言うと、お店として想定している原価率というのがあります。それを想定したときに、当社の価格はこれくらい取れないと成り立たないというのがあります。

ただ、それが一定見えてきた次のステップで考えるのは、850円であるならば、850円以上の価値を感じてもらうために、僕らが何をできるかという考え方で、等価性を崩していくことをします。かつ、等価性を崩していくやり方を、お店の中で2つカテゴリーを考えています。それは、通常営業と非通常営業です。

さっきのトマトジュースは、期間限定の非通常営業、僕らの通称で言うと「マゾ企画」と呼んでいるものです。ここまでやらなくていいだろうという感じのことを、ある一定時期に限ってやることが、年間に何回かあります。スタッフが毎朝2時に出社し続けるというマゾ企画、これは、極端に等価性を崩していくものです。

ただ、そういうものがあるときに来てくださった方は、より負債感を感じてくださるみたいなことはあるようです。そういうものをエンジンに、通常の営業の中で、通常のメニューの中でも、どう価格を上回る価値をつくり出せるかという考え方でやっています。

Bさん:クルミドコーヒーをつくった時に、「子どものための場所をつくりたい」という話がありました。少子高齢化という問題がある中で、クルミドコーヒーを起点にして、子どもと地域の関係性をつくったり、問題解決をする、明るい地域をつくられたいというような意識はあるでしょうか。子どもという観点でお聞きしたいと思います。

影山:子どもたちのことについていうと、クルミドコーヒーは「子どもたちのためのカフェ」という言い方をしています。子どもというのは、文字通りの子どもという意味ももちろんありますが、実は、僕としての力点の置き方は、大人の中に眠っている子どもたちというイメージも強いんです。

なぜかと言うと、今、世の中がこんなにおかしくなっているとするならば、たいがいは、大人が理性的な頭で考えたことが原因で、それらは大体間違っているという気がしています。子どもに言っているような、すごくシンプルな原則みたいなことを大事にしていったら、世の中こんなにおかしくならないと思うんですね。

皆さん、誰しも、子どもに向かって「ウソをついていいよ」とは言わないじゃないですか。でも、大人たちが背中でそれを示せているかと言うと、相当怪しいです。「周りに対して感謝の気持ちを示さないといけないよ」と言っていても、大人はやっていない。そういうことがすごく残念だなと思って。僕らも筆頭だけれど、それぞれの大人の中に、眠っている子どもたちに働き掛けるように、そこにウソをつかないようにやっていくということの、1つ象徴として、「子どもたちのためのカフェ」という言い方をしているということがあります。

ただ、もちろん子どもたちともいろいろやっていきたいと思っていて、お店の企画で、今は月1回ですけど、お店の開店準備、お店をオープンさせるための掃除とか、テーブルセッティングなどを子どもたちと一緒にやるという企画を定期的にやっています。

子どもたちというのが、どちらかと言うとお客さんというよりも、未来を一緒になってつくっていくパートナーという感覚で思っているので、「一緒にやろうぜ」という感じで子どもたちの手を借りていますし、外部のイベントに出店するときなども、子どもたちに手伝ってもらったりもします。

Cさん:「スタッフにとって、お店は人生の道すがら」とおっしゃっていましたが、個性的なスタッフが独立したり辞めたりすると、お店の魅力に大きな穴が開くと思います。そこをどのように解決されてきたか、お聞かせください。

影山:今までも、スタッフが抜けたことによって、それまでやっていたメニューがごっそりできなくなったということが起こりました。本の中で紹介しているのはビーフシチューというメニューの例ですけれども、12月の看板メニューで5~6年やっていたものが、川上さんというスタッフがいなくなったことで作れなくなりまして、いなくなって初めての12月は、前の年と比べて2~3割売上が減りました。経営者的には笑えない状況ではあるんです。

でも、そうやって空白が生まれると、そのクリスマスの時期に、「自分だったらこういうことをやってみたい」という、次の創造性を生み出す余地にもなる面もあります。短期的にはショックですし、経営的にもダメージですけど、それは次の機会でさえあると思って、今のところやっています。

枝廣:ありがとうございます。少しだけコメントを追加させてください。

不等価ということで、値段設定に対する不等価性の説明をしてくださったんですが、私が今、次の経営のために読んで考えている中でよく出てくるのが、「経済も人間関係も、パスを出すことだ」と言うものです。

パスを出せば出すほど、その人の所にまたボールが回ってくる。なぜならパスを出す人だから。それは仕事もお金も同じだと。それを自分の所でパスをじっと大事に握り締めている人の所には、もうパスは回ってこない。影山さんは「ギブから始まる」とおっしゃっていましたが、パッサーになることだともいえます。

では、「なぜ、自分から先にギブするのよ」という話が、もしかしたら出るかもしれません。それは、「そもそも自分は受け取っているからだ」というのが1つの答えとしてあります。「自分が今ここにこうやっていられるのは、たくさんのいろんな人たちの仕事のおかげであり、いろんな人たちのおかげで自分がいる。だから自分はもう受け取っている立場だから、自分が次に出すのは当然のことだ」という。なるほどと思って読んでいました。

その「不等価性」というのを、もう少し時間軸の長い、経済とかお金のやり取りとか、もしくはクルミドコーヒーと地域とか、もしくは社会とのやりとりで考えたとき、どんなふうに考えられますか?

影山:おっしゃってくださった通りだと思います。加えて言うと、本編でも触れ切れなかったかもしれないと思うのは、こちらが何かギブしたり、ギフトをしたときに、「返してくれる」という言い方をしましたけれど、受け取った人からしてみたら、それをその次へと「送る」という選択肢もあります。「恩返し」ではなくて「恩送り」と言いますね。「ペイ・フォワード」と言ったりもすると思いますけど、それはいいなと思っています。

お店に来てくれた方がいい気持ちで帰ってくださることで、気が付いたら、道のごみを拾っているということがあるかもしれない。あるいは、その後電車に乗ったときに、おじいさん、おばあさんに席を譲っているということが、いい気分だから自然にできたということがあるかもしれない。それでいいじゃないかと思います。

そのペイ・フォワードしてくれたものが、巡り巡って自分たちに帰ってきているとも思っているので、そういう意味では、パスを出している側でもあり、パスを受けている側でもある。この間の、すべてのパスの経路は見えないことがおもしろいですよね。そこを信じる、信じない、みたいなことで人の選択が分かれることがあるんだなと思います。

ただ、お店をやっていて、そういう意味で恵まれていると思うのは、自分たちが、自分ひとりだけにおいてここにいるわけではないということを、すごくわかりやすく日々の営業で痛感するわけです。

前職の時とかパソコン仕事の場合は、自分が世界を牛耳っているとか、パソコンさえにらんでいたら動かせる感じさえあったりするんですけれど、お店をやろうと思った時に、さっきのトマトを作ってくれる人がいなければ成り立たない、店頭に立ってくれるスタッフがいなければ成り立たない、カフェでシチューを売ってくれる人がいなければ成り立たないということを、身体的に痛感するので、そこからいただいたものを、僕がきちんと送れるかという感覚で、僕自身、日々の営業をやっている感覚があります。

枝廣:Cさんのご質問に関するお答えを聞いていて、今度は森林のようなお店なんだなと思って聞いていました。

このあいだ、山を訪ねる機会があって見ていたんですが、時々、大きな中心になっている木が倒れたりしますよね。それは、森にとっては、瞬間的には損失かもしれないけど、その木がなくなったことで別の木に光が当たるとか、別の木がその空間を、今度は自分がそこで伸びていこうとします。生態系ってそういうもものですね。

なので、瞬間的にはきっと、そのスタッフがいなくてすごく大変だと思うけど、それがないんだったら、「自分は今度これをやるよ」とか、そういう生態系のような、森のような形で、何かあったときに次の力がどんどん回ってくるというのは、すごく強い形なんだろうなと思って聞いていました。

Dさん:おいしいものを提供したい、ギブしたいという気持ちのお話がありましたが、お客様を喜ばせるためという、お客様にギブをし続けるための選択は、テイクの気持ちに近い部分があるような矛盾を感じてしまいましたが、どのように考えたらいいでしょうか。

影山:僕らがおいしいブロッコリーを使ったメニューでお客さんを喜ばせたい気持ちで考えているという、さっきの例ですね。

そういうことで言うと、「関心の輪」と「影響の輪」という考え方をするといいと思います。僕らが、お店を訪ねるくださるお客さんを喜ばせようと思うってどう振る舞うかというのは、影響の輪の中に入っています。僕らが何をするか、選択する権利を持っているわけです。

それを提供した結果、そのお客さんが喜んでくれるかどうか、また来てくれるかどうかについては、僕らにとって関心はあること。それがあることでお店が成り立っていくということはあって、関心があることではあるけれど、影響の輪の中ではないと思っています。それはお客さんが決めることであって、ぼくらにコントロールできることではない。

だから、僕らにできることは、来てくださった方にいい時間を過ごしてもらえるようにベストを尽くすことだけ。ただ、それをちゃんとやっていけば返ってくるということを、8年間の中で経験的に学んだと思っています。

Eさん:お店を立ち上げて今まで、体験的に、イメージ的に幸せを考えたことがありましたか? 幸せと経済のつながりについて、さかのぼって考えると、経済の中のどこに幸せがあるのでしょうか?

影山:今日は幸せというテーマについてあまり言及ができなかったのですが、これも研究されている方もいらっしゃる中で言うのもはばかられますが、僕なりに幸せな人生とか幸せな社会を考えたとき、指標になるものは、今から言う2つの質問に「YES」と答えられるかどうかではないかと思っています。

1つは、「あなたは誰かの役に立っていると思いますか」「自分は社会に役割があると感じていますか」という質問に「YES」と答えられること。もう1つは、「あなたが本当に困ったときに助けてくれる人がいますか」という質問に、「YES」と答えられること。この2つに「YES」と答えられるのであれば、網羅的ではないかもしれないですけど、かなり幸せな人生ではないかと思います。

言葉を置き換えると、前者は「自己効力感」だということだと思います。自分が社会において何か役割を担っていて、必要とされているという感覚を持てる。自分には効力があるということを実感できる気持ち。一方で、困ったときに助けてもらえるとか、自分に役割があるなしにかかわらず、自分は自分でいいと思える気持ち。これを「自己肯定感」といえるかなと思います。

自己効力感と自己肯定感は、少し似ている言葉ですが、ニュアンスは違うと思います。僕らがお店をやるに際してまず心掛けているのは、お客さんにとっても、スタッフの一人ひとりにとっても、自己肯定感を感じられる場であることが、スタート地点にあります。

たとえば、お客さんがお店に来るときに、人によってはすごく緊張して、お店の扉を開けて来られる方もいらっしゃると思います。また一方、すごく期待して入ってくる人もいる。そのときに、スタッフが別の作業をしながらその人を見るでもなく、「いらっしゃいませ」と振舞っていたとすると、お客さんに場違いな所に来ちゃったなと思わせないとも限らない。

だから僕らはお店の一連の業務の中で、ある意味、最も大事だと言ってもいいことは、お客さんをどうお迎えするかということだと思います。入ってきてくださった方に正対して、どうしても作業上そちらに体を向けられない場合も、視線や気持ちをちゃんとその人に向けて、その人を受け止めた上で出てくる言葉をその人にかける。それは「いらっしゃいませ」かもしれないし、「こんにちは」「今日は暑いですね」かもしれない。その人を受け止めたときに、自分の内側をちゃんと通った言葉をかける。マニュアルに定められた言葉ではなくて。

そうやって、受け止めてあげたということがあいさつで示せると、来てくださった方が、自分はここに来ていいんだ、ここにいていいんだと安心できる。そうすると、お店の中でのスタッフとのやり取りも、その先すごく気持ちがいい形でできるなと思いました。お客さんの存在を肯定してあげるということは、お店にできる役割の一つなのだと思います。

一方で、うちのスタッフについては、人生の途中でいろいろ悩んだり傷ついたりしてきた人も中にはいます。そうした中、「今月はどれだけの成績が出せたか」とか、「ケーキを作るのに何分かかったかとか、その人の機能性を評価するところから入ってしまうと、常に試され続けているという負荷を与えることになる。

そうではなくて、「仕事ができようができまいが、ケーキを作るのが早かろうが遅かろうが、あなたはあなたでいい」ということを、ちゃんと伝えてあげる。認めてあげるということがベースラインにあると、スタッフも安心感があるからチャレンジができます。仕事に関係なく、自分は自分でいい、帰れる場所があると思うと、挑戦する気持ちも沸いてきます。

挑戦は、うまくいくこともあれば失敗することもあります。その中でちょっとでも成功できると、「自分はやればできるんだ」という効力感を感じられるようになる。肯定感に基づいた効力感みたいなことを実現していくことが、お客さん方向でもスタッフ方向でも心掛けていることです。そういうものを感じられる人生をそれぞれがめざしていくと、それはかなり幸せな状況になるんじゃないかと思っています。

枝廣:今の自己肯定感と自己効力感、私がよく使う違う言葉で言うと、「居場所」と「出番」。自分はここにいていいんだという「居場所」があって、自分を求めてくれる人がいるという「出番」。それは幸せの条件として同じことを言っているなと思いました。

2つ目のお店、金融の融資の仕組み、国分寺をどういうふうに変えてくか、それが変わっていくことで日本にどういう影響を広げていくかということを、また一緒にお話しできたらうれしいなと思います。 今日はどうもありがとうございました。

<プロフィール>
影山 知明(かげやま ともあき)
クルミドコーヒー店主
株式会社フェスティナレンテ代表取締役

1973年、東京都国分寺市生まれ、愛知県岡崎市育ち。
大学卒業後、経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、独立系ベンチャーキャピタルを共同創業。総額30億円のファンドを立ち上げ、投資先とリスク/リターンを共有した事業開発に従事。

2008年、空き家となった生家を建て替え、多世代型シェアハウス『マージュ西国分寺』をオープン。1階に、こどもたちのためのカフェ『クルミドコーヒー』を開業。開かれた場づくりから、一人ひとりが「いきる」社会づくりに取り組む。2015年、NHKテレビ NEWS WEB の第4期ネットナビゲーター(火曜日担当)も務めた。 著書に、『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』(大和書房、2015)。

クルミドコーヒー
https://kurumed.jp/
https://www.facebook.com/kurumed/

胡桃堂喫茶店
http://kurumido2017.jp/
https://www.facebook.com/kurumido2017/

 

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