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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2018年02月04日

細胞から学ぶ「幸せな社会のあり方」~高野翔さんへのインタビュー(前編)

大切なこと
 

幸せ経済社会研究所ウェブサイトのインタビューコーナーに、JICA職員でブータンでも活動され、現在シューマッハ・カレッジに留学中の高野翔さんへのインタビューがアップされました。
https://ishes.org/interview/itv14_01.html

バイオテクノロジーの研究からの「細胞社会学」のお話など、本当にワクワクと楽しく、あっという間に時間が過ぎていったインタビューでした。前後編に分けてお届けします~。写真などはぜひウェブからご覧下さい。
https://ishes.org/interview/itv14_01.html

~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~

高野 翔さんJICA(国際協力機構)Schumacher College留学中

JICA(国際協力機構)に入構後、アジア・アフリカ各国でさまざまなプロジェクトを担当し、2014年から2017年8月までブータンで持続可能な地域づくりを担っておられた高野翔さん。ブータンが取り組むGNH(Gross National Happiness: 国民総幸福量)やこれからの経済のあり方などお話を伺いました。

まずは学生時代に研究されていたバイオテクノロジーの世界について。人間の体と社会との興味深いつながりからお聞きしました。

■細胞や微生物の研究から社会のあり方を考える

枝廣:さっそくですが、そもそもどういった経緯で現在の活動に至ったのか、教えていただけますか。

高野:大学・大学院を通じてバイオテクノロジーを学んでいました。小中学校から高校の時は環境問題が世界中で社会問題化し始めた時代でした。生まれが福井でして、毎週末父親に連れて行って遊んでもらっていた山や川や海といった自分にとっては当然ながら身近にある自然やその景色が、だんだんと世界の各地で失われていくことにすごく違和感をもっていました。自然や環境のあり方に興味をもち、自然のもつ力や生命のもつ仕組みを活用して環境問題や社会の課題を解決できるような方策を考えたいなという気持ちで、まずバイオテクノロジーを選んだんです。

枝廣:バイオテクノロジーの分野では特にどういったことを研究されていたのですか?

高野:大きく2つあります。1つは、生命の最小単位である細胞の動きや細胞間の相互作用の仕組みの研究。もう1つは微生物が集合体となったときに見られる性質の研究です。

微生物は集合体になることで初めて活性化する役割があります。私の場合は微生物単体と微生物が集合体を形成したときの性質の違いを追ったりしていました。もう一つの細胞に関しては、がん細胞と正常細胞の違いについて興味をもって勉強していました。最終的には、がん細胞を生体に近い環境下で評価する実験のモデル系を作りました。通常の実験では平面のシャーレの上に細胞を撒いて細胞の挙動を観察するわけなんですが、実際私たちの体を構成している個々の細胞は3次元的に四方八方、他の細胞に囲まれた状態で存在していますよね。そこでシャーレの2次元の平面で細胞を見ていても3次元の生体内で行っている本当の挙動は見えていない状況に等しいなと思い、より実際の生体環境に近い3次元のゲルの中にがん細胞を入れ、その中で細胞の挙動や細胞間のコミュニケーションを評価する方法を修士論文では提案しました。

枝廣:おもしろいですね。2つとも大きくつながっているものがありますね。

高野:私たちの体は、極めて多様な細胞同士の物質・エネルギー・情報の交換、つまりは細胞同士のコミュニケーションのなかで、細胞間のコミュニケーションの総体として存在しているので、それを単体の性質だけで物事をみて判断するのは明らかに限界があるというか、それでは見えていないものが多々あるはず。集合体のあり方というのは、我々人間社会のあり方においてもまったく同じだと思います。私自身は人間の社会とは人々の関係性の集合体であると思っていますし、微生物や細胞でもそのような興味は変わらずもっていましたね。

枝廣:今でこそ、システム思考や「つながり」という概念がありますが、当時は大学・大学院の先生が研究されていたのですか?それとも自分の問題意識として持っていらっしゃったのですか?

高野:自分の中に問題意識があった気がしますね。当時、「ヒトゲノム計画」というものがバイオテクノロジーの世界では圧倒的な注目を得ていました。ヒトの設計図とも呼ばれる遺伝情報をすべて解読していこうというものです。バイオテクノロジーはアメリカが進んでいたのでアメリカに短期間ですが研究留学したのですが、そのとき一番インパクトが大きかったのが、ネズミの背中に人間の耳の形をした細胞構造体をつくりだす、という論文が生物工学や再生医療の最先端として注目を浴びていたことでした。

(写真:解読された全ヒトゲノムの上製本)

でも、再生医療で世界的に有名な教授の論文を見て、それはバイオテクノロジーをやっている人には憧れの論文なのですが、「僕にはできないな」と直感的に思ったんです。私の中で、倫理面でスイッチが入ったというか、なにかしらのブレーキがかかってしまったんですね。論文の世界では「これがすごい、再生医療に使える」など書けたと思うのですが、自分の子どもや家族にそのことを心から自慢して説明できる実験かと言えば、自分にはなんかできないなと。遺伝子や生命を操作するという感覚にブレーキがかかってしまったんです。

どちらかというと、相互関係しあう集合体としての性質、コミュニケーションしながら助け合う調和や共存の機能を私たちは本来的に生物として持っているわけなので、そちらに焦点をあてたほうが、日本人が培ってきってきたDNAとしてやれること、世界に貢献できることが大きいのではないかとその時思い始めていたので、そういう研究をやっていきたいなと思いました。考え方の違いを生命体の見方で感じたんですね。

■集合体がとるコミュニケーション相互作用なくしてありえない生命体

枝廣:分けて操作するという論理的思考やクリティカルシンキングと相対や全体として物事をとらえるということは、ある意味両極端ですよね。アメリカでそのような話をされたときはどのように受け取られましたか?

高野:当時学生で、アメリカの研究室では周りが年上の博士の方々ばかりだったのですが、そういう疑問を呈することはまったくできませんでしたね。英語で深いところを話せないという、英語力の問題も正直ありますしね(笑)。自分の自然観や生命観を伝えるということは難しかったです。逆にそれは自分の中で恥ずかしさであり、なんとかしたい、次の仕事で果たしていきたいという気持ちとして残りました。

枝廣:アメリカや西洋では、総体や集合体という考えはなかなか理解しにくいかもしれないですね。

高野:機能を細かくしっかり分けながら分析していくというのが今の科学の基本姿勢だと思います。例えば、最先端のバイオテクノロジーでは、人間の体の中のひとつの細胞をとりだして、相互依存する集合体ではなく、その単体としての細胞の挙動を見るという研究が流行っていましたし、そのほうが潮流でした。また、遺伝子のことを考えてみると、細かく分けていくことにより分かってきたことがたくさんあります。遺伝情報をつかさどっているのはたった4つの物質という、それは素晴らしい発見だと思うんです。ただ、たった4つの物質の組み合わせの延長で、生命の神秘や私たちの人間社会の複雑性を生み出していると考えると、分けて考えてきたものを相互作用する関係に結びなおし、関係性の中での調和や共存のあり方に価値が置かれる時代がくると思うんです。そのとき日本人の考え方が合うのではと思います。

枝廣:東洋医学と西洋医学の違いもそうですよね。東洋医学だと全体とか気の流れを言いますが、西洋だと細分化して、専門医が存在します。微生物の場合、1個の微生物ではなく集合体になることで微生物らしさが生まれる挙動とはどんなことが挙げられますか?

高野:微生物は単体ではなく集合体を形成するのが普通なのだとおもいます。単体では他の存在とコミュニケーションできませんからね。物理的に接触するというコミュニケーションや化学物質を外にだし、またそれを受け取るというコミュニケーションなど、多様なコミュニケーションを通じて集合体を形成して、ともに生活しているというのが自然な形なのだと思います。

例えば、私は、微生物が集合体になって形成する菌膜、バイオフィルムと呼んでいましたが、そのバイオフィルムの研究をしていました。我々の歯に微生物単体ではなくバイオフィルムが形成されると取り除きにくくなります。それは単体の機能の単純な足し算では表せないような集合体としての役割として粘着的な物質を出したりということが次々と集合体内で起こってくるからです。そういう機能をもっているのが集合体ですね。

枝廣:私も分けるという考え方に頼ってしまっているのだなと思って聞いていました。単体では出せない物質を集合体になって出せるとのことですが、その物質は無から生まれるわけではないので、それぞれ単体にあるものが集合体になることでスイッチが入るということですか?

高野:そうですね。集合体を形成することではじめてスイッチがはいる現象は自然界にたくさんあります。コミュニケーションの密度の度合いはいろいろとあると思いますが、集合体であることは普通のことで、相互作用あるその関係性の中でしか単体としても生きていくことができない、ということなのだと思います。

■「細胞社会学」の世界

枝廣:単細胞生物の場合はひとりで生きていけるんですか?

高野:単細胞生物は一つの生命体として存在できるわけですが、ただ単細胞生物が単体だけでいる、ひとりでいるという状況はないと思います。必ずその周りに他の単細胞生物がいて、その中でのコミュニケーションというのは必ずある。また、その単細胞が内包している水やいろんな物質は絶えず循環しているはずです。私たちの体を構成している細胞も3カ月後には違う細胞にすべて入れ替わっているといわれています。なので、最初にあったものが死ぬまで同じ形というのはありえないはずなんですね。

枝廣:細胞学を研究している人はそういうふうに見ているんですね。

高野:どうなんでしょう(笑)。私は最近、ブータンに行ってからこういう見方をし始めました。人間社会のあり方と細胞社会のあり方というのはかなり高い親和性を持っているのではと。これは決して学問として確立しているわけではないのですが、「細胞社会学」といったものになると思うんです。

枝廣:細胞が3カ月に1回入れ替わって人間は保たれている。細胞1つ1つも取り入れては出すという循環をしている。「the細胞」というのはなく、瞬間を切り取ったら細胞の形は見えるけど出たり入ったりする。これは仏教的な見方ですよね。

高野:そういう見方もあるんだと思います。学問や技術というのは間違いなくその国の思想観というか、生き方の歴史の積み上げのようなものが反映されて出てくるものだと思うので、その思想観で一歩でもより積み上げられれば世界的に貢献できることがあるのだと思います。それを他の国の思想観を借りているだけだと、僕らのDNAや文化の積み上げはなくなってしまいますよね。日本人が、和のあり方、循環のあり方、諸行無常のあり方を感覚でもち、研究できるのであれば、それは本当に素晴らしい研究結果が出る可能性があると思いますね。

■周りとの関係性で自己を規定し生きるためにコミュニケーションを求める正常細胞

枝廣:ブータンでは人が亡くなったときに明るくおくってあげるんですよね?

高野:お墓を作らないですし、お葬式も悲壮感があまりありません。四十九日は日本と一緒ですが、四十九日以降は悲しんではいけない。次の人生に旅立ったという捉え方をするので、そこで悲しんでしまうとお化けみたいにとどめてしまうという感覚があるんです。その感覚は日本とは違いますよね。私だったら天国でおばあちゃんが見守ってくれている、というような感覚がありますが、彼らはそうではなく、次の人生として牛になっているかもしれなし、植物になっているかもしれないという感覚をもっています。

枝廣:自分も死んだあと何になるかわからないから、絶対に殺生しないんですよね。

高野:ハエとかも殺さないですね。

枝廣:命も循環しているというような考えですか?

高野:そうですね。実際、例えば、私が排泄すれば、その物質は、土の養分となり、植物を養い、動物を養い、人がその動植物を食べて、体を構成する細胞の一部となっていく。このような循環が自然界では常に行われている。仏教や宗教に関係なく、科学的に見ても物質はいろいろな命をまわりめぐっているわけなので、そういう意味で命がつながっている、循環しているといえますよね。それを彼らは仏教の文脈の中で、おそらく物質だけにとどまらない命の循環性を、家族や地域での生活を通じて、自然に身につけているわけですね。

(写真:ブータンの首都ティンプーの街並み)

枝廣:私たちは大きな循環の中にたまたま生かされている、私たちを構成している細胞も入れ替わっている。そうなると、「存在」とは何になるんでしょう?

高野:「存在とは何か」というのは難しい問いですよね。がん細胞と正常細胞の話に戻りますが、正常細胞は基本的にまわりとの関係性をもって自己を規定します。

私たちには足があったり、手があったり、脳や心臓があったりと、60兆個におよぶ細胞が多種多様な組織をつくっているわけですが、細胞が新たに生まれたときに最初からその細胞の役割が決まっているわけではありません。正常細胞は自分がどこにいるかを3次元的に位置把握できる性質をもっており、自分の場所を認知し、そして周りの細胞とのコミュニケーションを通じてはじめて自分の役割を決めていきます。足の一部になったり、脳の一部になったりと、各々の細胞が役割を決めていき、全体として調和し我々の一つの体をつくっています。

さらに、細胞はまわりの細胞とコミュニケーションがとれないと死んでしまいます。細胞の実験をしている方にとっては肌感覚として理解している現象だとおもいます。シャーレに、細胞を培養するために必要な栄養素が入った液体の培地※をいれ、そのあとに細胞をシャーレに移して、細胞がどのように育つのかを観察します。そのときにシャーレに移す細胞の数が少ないと、培地にどんなに栄養素が豊富に含まれていても、細胞は育つことなく死滅してしまうんです。

※培地とは:細胞や微生物の培養に必要な栄養成分をもつ液体や固形物

細胞間のコミュニケーションはある程度の密度にならないととることはできません。密度が少ないと、個体という存在になる。そうなると、周りとのつながりをつくれずに、いくら豊富に栄養があったとしても、細胞は死んでしまうのですね。周りとのコミュニケーションがあってはじめて生きていける。正常細胞は生きるためにコミュニケーションを求める、というのが、私たちの体の中で常に無数に起こっていることなんです。

■学ぶべきものは体のなかに

枝廣:細胞は単体では生きていけないようにプログラムがされているんですか?

高野:細胞は単体だけで、必要なエネルギーや物質、情報など、自分が生命体として維持されるために必要なものを保つ、ということができないのではないかと思います。単体の細胞だけでできることは限られるし、担える役割もごくごく一部なので、ほかの細胞群と補完することではじめて生存ができる。

また、正常細胞は決まった回数だけですが増殖することができます。ただ、細胞同士等の物理的な接触があってはじめてスイッチがはいり増殖が可能となります。足場依存性といって、細胞は足場のような物理的に何か固定したものと接触していないと増殖できないという特色をもっています。人間社会と同じかもしれませんね。何かしっかりとした土台や足場や仲間がいないと成長できないのは。正常細胞は利他性を含む多様なコミュニケーションをもって豊かな細胞社会を形成し生命を維持させる。それが、生命の神秘であり美しいところなんだとおもいます。

その正常細胞と真反対にあるのががん化したがん細胞です。がん細胞に関してはまだまだ分からないことだらけですが、がん細胞は他との接触や関係性を必要とせずに、無限に自分だけで増殖することができるんです。正常な細胞には、増殖の回数上限、つまりは寿命があって、新しい細胞に役割を任していくという循環がありますが、がん細胞にはそれがない。足場も必要ない。まわりの正常細胞の秩序を切りながら、自己を拡大していく。そして、その拡大が細胞の集合体であるヒト個体の生命を死においやり、自己も死へと向かうことになる運命をたどる。短期的で無秩序な快感を伴うような増殖の追求が、長期的で調和した命の定常状態を壊してしまう。

(写真:生体環境に近い3次元のゲルの中で観察したがん細胞)

なぜ正常な細胞ががん細胞になるのかというのは、いくつもの諸説がありますが、その一つとして、細胞間のコミュニケーション不全があります。細胞同士のコミュニケーションを担っている部分にギャップ結合という物質が細胞間を行き来できるようなトンネルのようなものがあるのですが、その結合になんらかの遺伝子変異が起こってしまって、相互のコミュニケーションがうまく取れなくなってしまい、細胞のがん化が進行するという説があります。もちろんこれが原因のすべてという単純な話ではありません。

枝廣:人間の体ってすごいんですね。

高野:すごいですよね。学ぶべきものは体のなかにたくさんありますね。一つ一つの細胞同士のコミュニケーションの総体として我々の体が存在しているわけなので、神秘的ですよね。人間世界も一緒で、コミュニケーションの総体が人間社会ということだと思うんです。

■「環境」の影響を受ける細胞

枝廣:今までこんな風に細胞の話をしてくださった方はいなかったです。個体にしても集合体にしても、コミュニケーションができるかどうか、エネルギーや情報のやり取りができるかどうか、それによって生かされているということですよね、細胞社会も人間社会も。

高野:そうですね。細胞社会も人間社会も相似関係なのだとおもいます。コミュニケーションの循環が止まってしまったかたちががん化なので、人間社会に当てはめると、コミュニケーションがうまくいかない、循環しない社会というのはある種のがん化のシグナルというか、そうさせてしまう社会環境がおかしいということかもしれません。がん化の進行も細胞を囲んでいる様々な環境条件によって変わるんですね。社会のその時の雰囲気によって、人間社会ががん化してしまう、周囲と円滑なコミュニケーションをとることが難しくなってしまう人が増えてしまう、ということはあり得るのだとおもいます。

正常な細胞が寿命があるのに対して、がん細胞は無限に増殖すると言いましたが、同様に京都大学の山中教授が作成に成功したiPS細胞(様々な細胞へと分化することができる万能細胞の一種)も無限に増殖する能力をもっています。でもiPS細胞の場合は、特定の刺激、一種のコミュニケーションともいえるかもしれませんが、それによって、医療の目的に応じ、心臓の細胞になったり神経の細胞になったりと、求められる必要な役割へと変化していくことができる細胞なのです。無限に増殖するという同じ機能をもっているのに、がん細胞はコミュニケーションをうまくとれないことで、何に必要とされているかという役割を自己で把握することができずに、人を死に致しめる。一方で、iPS細胞は周りの細胞とコミュニケーションをとれることで役割を自己確認し、未来の医療として人々の命を助ける、という違いが出てくるんですよね。

枝廣:本当の意味でのがん患者というのもそうですし、人間社会の「がん」という意味でも同じように捉えられますね。がんはどうやったら治せるのでしょうか?

高野:がん細胞が体内にできたときにそのがん細胞を100%取り除くということは現代医療ではできないのだと思います。そこで大事なのが環境です。体内環境であり社会環境。生きている限り紫外線などで遺伝子変異はどうしてもおきますので、がん細胞の発生を0%にしようということは現実的ではありませんが、がん化を進めないとか発生する可能性を下げるという環境条件は必ずあると思います。そのような環境をどのようにしてつくっていくか、体内のがんも人間社会のがん化も同じところにいきつくような気がしますね。

■ブータンは正常細胞?私たちは?

枝廣:人間社会に置き換えたときのお話をもう少しお聞きしたいのですが、たとえばブータンや昔の日本は正常細胞で構成されるような社会で、日本のある部分や先進国が、がん化した社会だという見立てはありますか?

高野:仮定としてはできますよね。もちろんそう言ってしまうと寂しいところもありますが、どちらかといえば、人間らしいという点において、ブータンの方が正常細胞であふれた社会であると。

枝廣:人間をどう規定するかですよね。人間らしいといったときに、たとえば経済合理性をとるとどうか。

高野:そうですね。人間を合理的経済人、自己の利益を最大化させる行動をとるものと仮定する今の経済学の視点を前提にすると、我々日本や先進国のほうが合理的な経済活動をたくさんおこなっていますよね。人間は合理的経済人で収斂されるような存在だとは私は思っていませんが、人間は自己の利益を最大化させるものだという狭い視点だけにたてば、正常細胞よりもがん細胞の挙動のほうが優位に働く社会となってしまいますね。

また、正常細胞のような豊富なコミュニケーションを維持し、持ちつ持たれつの関係性の社会という場合にはブータンのほうが近いでしょうね。ブータンにいると仕事は3割、家族は3割、地域コミュニティは3割というような時間の過ごし方をしていて、必ず周りとの複数の関係性があって、自己の役割があるような居場所みたいなものがあるんですね。金銭的に貧しくても拡大家族のような支え合うインフォーマルな保証があるし、地域コミュニティの役割もあるので、関係性のスイッチが入らないということはない。また、仕事だけに偏って時間を使うこともなく、残業とかもほとんどしない。夕刻定時になれば、家族や地域コミュニティとの時間のスタートです。

おもしろいのは、例えば、ブータンの同僚とご飯を食べているときに同僚に電話がかかってきて、楽しそうに話をしていたので、終わってから何の話をしていたのかを聞くと、間違い電話だったと。なぜ間違い電話でそんなに楽しそうに話すんだろうと(笑)。日本人なら間違い電話だとわかるとすぐ切るじゃないですか。でもブータンの人は「地元どこ?」とか「なんで電話してきたの?」「なんの用事?」とか、どんどん話を続けながら接点を探して、結果、「共通の友人がいたんだよ」みたいなことで盛り上がっているんです。それって日本ではありえない関係性の持ち方ですよね。もちろんブータンでも、人と人とのつながりはすべてがポジティブなものだけではなく、なかにはネガティブなものもあるわけですが、ただ日本よりも「つながっていることが心地よい」という感覚があきらかに高く、関係性に生かされて生きているなというのがブータン人のあり方です。とても正常細胞っぽいですね。

枝廣:仕事3割、家族3割、地域コミュニティ3割、時間的にもコミュニケーション的にも調和をとっている。ブータンのその価値観というのは、それが自然だということでしょうか?

高野:私はそれが自然なんだろうなと思っていますね。人間としてそれが自然で心地よさを感じているので続いているんだろうなと思います。もう一つはブータンの国是であるGNH(国民総幸福量)という大きな思想が守ってくれているという側面があると思います。GNHは9つの領域を定めていますが、その一つは「時間の使い方」です。日々の生活を支えるお金などの財産(「生活水準」)と同じだけ「時間の使い方」が重要と国としても位置づけています。

(図:GNHの9つの領域)

■短期的な快楽が導く世界とは

枝廣:コミュニケーション不全に陥って、自己や社会の短期的な利益の最大化に走ったときに社会のがんが生まれると思うのですが、その時の大きな原因は「お金」かなと思うんです。お金の持つ価値を最大化することだけを目的化してコミュニケーションを考えなくなる。もしコミュニケーション不全の原因の1つがお金だと仮定すると、過去にブータンは開発のペースをコントロールして、無秩序に行うというかたちではなかったと思います。ただ今はインターネットの影響もあり、すべてがつながっています。そうした時に首都のティンプーをみていると、ある意味先進国化しているところがあるなと思います。これまでのブータンと今ティンプーで起こっていることをご覧になって、何が変えていると思われますか?

高野:変化は現実として起こっていると思います。ブータンでも地方に行けば昔から変わらないところがたくさんありますが、首都ティンプーは少し別世界になっていますね。

幸せというのは私の感覚では2つに分類できるのかなと思っていて、「快楽を伴うような短期的なもの」と「心の平穏のような中長期的なもの」。ブータンでももちろん両者あります。ただ、私自身ブータンに行って初めて、その違いを体感したというか、中長期的な平穏な幸せというものも確実に人々の中には存在する大事なものだと学ばせてもらいました。

しかし、短期的な幸せのほうが早く影響が出るというか、政治としてもそちらのほうが比較的成し遂げやすいものが多いし、我々の短期的な欲求的なものと今の経済やお金との相性もいいと思うんですね。ティンプーなどの都市部には国境を越えてたくさんのものが入ってきます。一方で心の平穏を守り同時に築いていくという姿勢には長い時間軸での視点が欠かせません。ブータンであっても、大きな世界の潮流としてグローバリゼーションが進行する中で、短期的な利益の追求という影響を避けられない状況なのだと思います。

経済の視点からみると、ブータンはインドと中国に挟まれた内陸国ですが、中国とは国交をもっておらず、インドとの関係がきわめて強いです。輸出入のほとんどをインドと行っているといっても言い過ぎではありません。経済も人口も比較にならないほどインドのほうが大きいので、ブータンがインドにどう接するかということよりも、インドがブータンにどう接するかによって経済的に大きな影響を受ける関係性にあり、他国の影響は無視できない状況にあります。

枝廣:がん化した細胞が後先考えずに短期的にどんどん増殖して、最終的には人を死に導いてしまう。そうなったらがん細胞たちも生きてはいけないわけですよね。

高野:そうですね、生命を維持する調和ある正常状態を壊すことになってしまいますからね。

枝廣:短期的なほうに目が奪われてしまう。それは人間も同じですよね。

(前編ここまで)

「防波堤の役割を果たすGNH」から始まる後編もお楽しみに~!続きを今読みたい方は、こちらからどうぞ!
https://ishes.org/interview/itv14_01.html

 

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