ホーム > 環境メールニュース > 鳥取県智頭町の「次々と素敵なプロジェクトが生まれるしくみ」とは?(2017.06...

エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2017年06月09日

鳥取県智頭町の「次々と素敵なプロジェクトが生まれるしくみ」とは?(2017.06.09)

新しいあり方へ
 

地方創生の国の掛け声(と予算)はいつのまにか尻すぼみになってしまった感がありますが、地方ではたとえ国がなくなっても(?)自分たちの地域はしっかりと回していく必要があると、素敵な取り組みが着々と進められているところがあちこちにあります。いま素敵な取り組みとして注目されているところは、私の関わっている島根県の海士町もそうですが、国が「地方創生」と言い出すずっと前から、自分たちの未来を考え、しっかりと取り組んできます。

鳥取県智頭(ちづ)町にうかがって、そんな素敵な取り組みが継続しているヒミツを取材させていただき、世界に発信しました。お届けします。写真はぜひウェブからご覧下さい!

~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~

JFS ニュースレター No.177 (2017年5月号)
住民一人ひとりが無から有への一歩を、智頭町活性化の取り組み

地方創生の先進的な取り組みを行っている地域として、よく名前が挙げられる町の1つが智頭町です。智頭町は、岡山県と接する鳥取県の南東に位置し、鳥取市から特急で30分ほど、約7,300人が暮らしています。面積の93%を山林が占めており、「日本で最も美しい村」連合にも名を連ねています。

日本には島根県の海士町や徳島県の神山町など、地方創生の取り組みで注目されている町がいくつかあり、「海士町役場の○○さん」「神山町のNGOの○○さん」と名前を知られた個人の活躍がよく語られます。しかし、智頭町にはそういう"スター"がいるわけではないようです。それでも、素敵な取り組みがさまざまに生まれ、多くの住民が町づくりに参加し、行政も住民を支える役割に徹している智頭町。その取り組みとパワーの源泉を知りたいと思い、智頭町を訪問して町役場の國岡大輔さんと芦谷健吾さんにお話をうかがいました。

○智頭町日本1/0(ゼロ分のイチ)村おこし運動智頭町の取り組みの基盤となっているのが、1997年に始まった「智頭町日本1/0(ゼロ分のイチ)村おこし運動」です。「ゼロ分のイチ」というネーミングには、ゼロ(無)からイチ(有)を生み出そうという思いが込められています。

日本の多くの地方の町と同じく、智頭町も長い間「村社会」でした。村社会には、昔の庄屋-小作人の時代の関係から「親分」がいます。「親分の言うことにみんな従う」という風潮があり、一人ひとりが自分の意見を述べたり、何かを変えたりしよう、ということがあまりありません。「それではだめだ。閉鎖的で保守的な風習を打破し、自分たちの村を自分たちで守ろうという意識を町民にもってもらわなくては」という思いで、みんなの意見を聞こうとした"親分"がいたそうです。そこから、1/0活動につながっていきました。「大事なのは、意見が言える仕掛けをつくること。出番をつくらないと当事者意識を持つことはできない」という考え方が智頭町の取り組みのベースにあるのです。

この1/0活動は、最初は集落ごとに始まりましたが、現在は地区ごとに行われています。智頭町には地区が6つありますが、そのうち5つが地域振興協議会を立ち上げ、地区の住民が地域の特色を生かしたプロジェクトを考え、その提案に対して町が補助するという仕組みです。それぞれの地区では、地元にある宝を確認して活かしたり、都会と交流したり、さまざまな取り組みを行っています。

町から地域振興協議会への資金援助は、1年目と2年目は100万円、3年目以降が50万円で、10年までで自立へ持っていくという考え方です。それぞれの地区が主体となる活動ですが、各地域振興協議会の副会長には町役場の職員が就くことになっているので、各地区と町役場が風通しのよい関係性で進めて行くことができるようになっています。

町役場は、プロジェクトを考える上での外部アドバイザーを紹介したり、必要な関連部署につないだりといったコーディネーターの役割に徹しています。「役場はコーディネートはするが、最終的な決定権は地区が持っている」というスタンスです。「町の職員は、普段から地区の人と顔の見える付き合いをしているので、向こうからも話しやすいし、こちらも、何かあったときに気軽に声を掛けることができます」。

具体的に、役場のコーディネートを活用して、地区内の廃校になった校舎や空き家を利用して、コールセンターやパン屋を誘致し、地区の収入や雇用を生み出している地区もあります。10年後を見据えてキクラゲの栽培を始めている地区もあります。

地域振興協議会は「住民すべてが参加すること」が要件となっています。この地域振興協議会で活動することで、今まで行政に無関心だった人たちも、「自分たちも一緒に行う」という意識を持つようになり、率先してプロジェクトやイベントに参加するようになったりしています。また、もともと地区にある老人クラブ、婦人会、青年会など、さまざまな組織が地域振興協議会という共通の土台を持つようになったことで、連携もはかれ、一緒にイベントを行うなど、つながりが強くなっているそうです。

また、すべての地区が参加する活動発表会を開催するほか、会長会を年3~4回行っています。このように、お互いに情報交換をし、学び合ったり、良いものを取り入れたりするなど、各地区の連携と活動の向上につなげています。

○「百人委員会」このように、1/0運動は集落単位・村単位の"地縁型"の活動ですが、「地域」という軸だけではなく、「取り組むテーマ」という軸で、町に在住・在勤する人々が住んでいる地域にかかわらず自由に参加してアイディアやプロジェクトを生み出す場も設けられています。2008年に始まった「百人委員会」です。

「百人」というのは多数という意味で、今後のまちづくりを進めて行く上で、行政だけではなく、たくさんの町民からもまちづくりのアイディアを得よう、町民自らプロジェクトをつくっていこう、というのが目的です。

現在テーマ別に、商工・観光、生活環境、健康、林業、特産農業、教育・文化、獣害対策の7部会があり、96人が参加しています。任期は1年で、基本的には継続です。運営は各部会が自分たちで行い、事務員として町役場の職員も参加しています。

各部会でプロジェクトを練り上げ、12月に公開プレゼンテーションを行います。住民グループが、町長・副町長・町の幹部・担当の課長などの前でプロジェクト企画をプレゼンし、予算要求をするのです。

「かつては、半分ぐらいのプレゼンは要求・陳情型でした。町長が陳情型は通さないという姿勢を明らかにし、プレゼンのうち半分ぐらいの企画しか通りませんでした。でも、今では、みんな要求・陳情型ではだめということがわかっているので、提案型のプレゼンです。物理的に不可能だというプロジェクトをのぞき、9割ぐらいが通ります」とのこと。

面白いのは、プレゼンの結果、企画の予算に対するプラス補正もあること。公開プレゼンでいろいろな質問でプロジェクト案を吟味していく中で、「それならここまでやったほうがよいのではないか」「ここにも予算が必要だろう」など、町の方からプラス補正の提案をすることもあるそうです。

2009年から予算が付くようになりました。2016年度の町からの予算は、8事業で400万円です。提案の内容によって、たとえば、健診受診率向上プロジェクトや薪ストーブ普及のための補助金プロジェクトなど、本来の町の予算分から出すものがあります。通常、自治体の補助金が使いにくい小規模案件やサラリーマンなど個人でも取り組みやすいものとなっています。

この百人委員会から生まれたプロジェクトには、たとえば、藍染めのプロジェクトがあります。藍染めの葉を育てるところから染めるところまでやっていた組合が高齢化で存続が難しくなってきたことを受けて、若い人たちのグループが始めたものです。

ほかにも、エコキャップを集めてワクチンに替えるプロジェクト、ルバーブを栽培してジャムをつくろうプロジェクト、休耕田で子どもたちとお米をつくり、ケニアの孤児院に送って食べてもらおうプロジェクト、シカ皮の加工やジビエ料理を開発しようプロジェクトなど、さまざまなプロジェクトがあります。

開始から9年、予算が付くようになって8年ですが、藍染めは独立プロジェクトになり、ルバーブジャムは店舗での販売につながるなど、実績が出てきています。

○森のようちえん「まるたんぼう」百人委員会から生まれて大きく育ったプロジェクトに、「森のようちえん」があります。森のようちえんとは、1950年代にデンマークから広まった屋外での自然体験を主とする幼児教育です。智頭町では「町の面積の93%を占める森の中で子育てをしたい」という一人の女性の思いから、森のようちえんを百人委員会で提案し、実現しました。数年間進めたのち、現在は独立したプロジェクトとなっています。

2009年に開園した森のようちえんは大人気で、そこに通う子どもの半分は、智頭町の外からの移住者です。子どもが生まれる前から「森のようちえんに通わせたい」と智頭町への移住を決める人もいるほどです。移住して保育・運営スタッフとして勉強し、いずれは自分の地元に帰って森のようちえんを開きたいという研修スタッフも後を絶たないそうです。ちなみに、鳥取県県下に森のようちえんは3カ所ありますが、スタッフのほぼすべては智頭町の「まるたんぼう」で勉強し、経験を積んで、開園・展開しています。

○地域通貨「間伐材の木の宿場(やど)プロジェクト」もう1つ、百人委員会から生まれたプロジェクトが、2010年に始まった「間伐材の木の宿場(やど)プロジェクト」という地域通貨の取り組みです。百人委員会のプロジェクトとして1~2年間やってから、独立したプロジェクトになりました。

町の面積の93%が森林である智頭町では、林業も行われています。林業では適切なタイミングで間伐を行う必要がありますが、間伐の作業費が出ないため、間伐ができず森林が荒れてしまっている地域が日本各地に見られます。

智頭町では、林業者に1トン当たり6,000円の地域通貨を支払うことで、間伐を進め、山の手入れをしています。そうして搬出される年300~400トンの間伐材は、町にある温水プールの補助燃料として使っています。地域通貨は、町内の40店舗ほどの商店で使うことができます。地域通貨を受け取った商店は他の商店で使うことができ、事務局で換金することもできます。地域通貨の財源は町の補助金と温水プールの補助燃料費の予算から出ています。

とても素敵なのは、地域通貨のデザインを小学生が行っていることです。毎年小学校で地域通貨のデザイン・コンテストを行い、選ばれた小学生の絵を使います。毎年デザインが違う地域通貨なのです。小学生の絵を地域通貨に採用することで、森林や間伐に直接関係のない人たちも地域通貨に関心を持つようになります。裏面には複数の店舗で使用できるように記載があり、町内での循環を促進しています。

○次世代の地域づくり力を高める智頭町では、2014年から小中学校での地域学習で、「地域への提案をつくる」という事業も始まりました。また、2015年からは予算化され、中高生が具体的な事業を始めています。

農林高校では、藍染めに取り組んでいます。智頭町は宿場町なので、おのおのの宿の暖簾をデザインし、藍染めでつくっています。また、町の建具屋さんに教えてもらって、サッシの外に格子をはめるプロジェクトも行っています。宿場町の素敵な景観づくりに大いに役立っています。また、農作物の販売にも力を入れています。これまではイベント時など、年に数えるほどの販売でしたが、現在では出張販売として、月一回、空店舗などを使って販売しています。

中学校の地域学習は、中1で地域について学び、中2で提案をつくり、中3で実際に行動して成果物をつくるという流れになっています。1年目の取り組みでは「町の達人図鑑」をつくりました。写真の撮り方もプロに習って自分たちで撮影し、原稿もすべて自分たちで書きました。町の達人図鑑は、町内のお店や図書館に置かれています。

2年目には、「町外の同級生に向けて、町の観光地図をつくる」というプロジェクトを行いました。10人のグループに分かれて、それぞれが取材をし、原稿を書きました。この観光地図は観光協会などに置かれています。

このような住民主体のさまざまな取り組みは、日本中の自治体の悩みのタネである人口減少に対しても、大きな効果を生んでいます。「町の人口7,300人は、2040年には半分の3,700人になる」と予想されていましたが、森のようちえんへの入園希望による移住者・移住希望者が増加したおかげもあり、急速な人口減少に歯止めがかかり、人口予測は5,000人ほどに改善しているそうです。

移住の問い合わせは年間120件ほどあり、2010年以来、空き家バンク経由だけで250人以上の人が移住しました。特に、2012年に移住者の家を直すための補助金などを設定してから、移住希望者が増えています。「移住者を探すよりも、移住者を受け入れる家などの体制を整えるほうが大変」という状況だそうです。

○恩返しから始まった疎開保険智頭町は2010年から、「疎開保険」というユニークな取り組みを全国向けに行っています。「災害等があったとき、避難所からの"疎開"を智頭町で受け入れ、7日間暮らせる場所と食べ物を提供する」というものです。災害がなく疎開しなかった場合は、智頭町自慢のお米や野菜、工芸品などの特産品が年に1回届きます。また、民泊や森林セラピーなどの智頭町の体験メニューを半額で楽しめるのも加入者特典の1つです。保険代金は年当たり、1人コースが1万円、2人ファミリーコースが1万5千円、3~4人ファミリーコースが2万円です。現在250人くらいが申し込んでいるそうです。

都市住民のレジリエンスを高めるユニークな取り組みだと、その経緯を聞いてみると、「目的は、地域のおじいさん・おばあさんへの恩返しなんです」との答えにちょっとびっくりしました。

山がちの智頭町には農地は少なく、面積の2%しかありません。主に自家消費用にそれぞれの家庭で畑を持って、野菜などを作っています。自家用なので、肥料や農薬も使っていません。自家消費用といっても、多くの場合は、家族で食べる分量より少し多めにつくっています。

このように地域のおじいさん、おばあさんが自分たちの畑でつくったものを町が買い取って、疎開保険の返礼品として使うことで、「智頭町をつくってくれた先人たちへ恩返しをしたい」という町長の思いとアイディアで始めたのが疎開保険だそうです。

返礼品として町が買い取るしくみをつくったことで、「智頭野菜新鮮組」というグループができて、畑でつくった農作物をまとめて集荷するしくみもできました。現在80人ほどが参加しているそうです。事務局は町役場で担当し、臨時職員を雇って集荷作業をしています。勢いが出てきて、返礼品のための出荷だけではなく、自分たちで神戸に売りに行ったり、近郊のレストランから買い取りに来たりするようになっています。

○最後に人口減少社会に突入した日本の中でも、いまだに人口が増えている首都圏以外は、急激な人口減少と高齢化に直面し、いかに地域を保つか、つくっていくかが大きな課題です。

かつてはそれぞれが自分の意見を言いにくかった村社会だった智頭町。平成の大合併をめぐって町が二分化していた時期もあります。「大事なのは、意見が言える仕掛けをつくること。出番をつくらないと当事者意識を持つことはできない」という信念で、町の人々のアイディアや行動力を引き出す素晴らしいしくみをつくってきたことに感動しました。

地域をベースとする1/0の取り組みから「稼げる地区」が生まれていること。テーマ別の百人委員会が具体的なプロジェクトを生み出し、実行していく「インキュベーションセンター」の役割を果たしていること。この「地域」と「テーマ」という2つの異なる軸での活動の展開が、智頭町の強みの1つであることを感じました。また、小中学高校生たちの「まちづくり力」をしっかりと育てていること。そして、町役場がそういったしくみづくりと町民のアイディアやプロジェクト実現のコーディネート役に徹していることも智頭町の「持続可能なまちづくり」の成功要因です。これからも新しい「地域の、地域による、地域のためのプロジェクト」が次々と誕生していくであろうことは間違いありません。

全国に名の知られた少人数の"スター"はいないけれど、小学生から畑仕事をしているおじいちゃん・おばあちゃんまで、「全員がスター」の智頭町の取り組みは、日本のみながず世界の町や村のモデルの1つです。今後の展開も楽しみです!

スタッフライター 久米由佳、枝廣淳子

*本記事は、アサヒグループ学術振興財団の助成を得て行った取材を基に作成しました。

 

このページの先頭へ

このページの先頭へ