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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2013年01月25日

日本の私の考える持続可能性のビジョン~広島での国際会議でのスピーチ (2013.01.25)

新しいあり方へ
 

おととい、広島で開催中の国際会議に登壇しました。

Ninth International Conference on Environmental, Cultural, Economic &Social Sustainability
23-25 January 2013 Hiroshima, Japan
http://onsustainability.com/the-conference

参加者はほとんどが海外の方です。「日本のあなたの考える、持続可能性のビジョンについて話してほしい」というリクエストに、以下のような話をさせてもらいました。(実際は英語のスピーチです)

~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●持続不可能な人間活動の拡大と、台頭する新しい動き世界中で、今日のように、「持続可能性」をテーマとした会議や講演会、シンポジウムやセミナーなどが数知れず開催されています。なぜなのでしょうか? それは、いうまでもなく、今の世界や社会が持続可能ではないからです。

エコロジカル・フットプリントのデータを見ると、現在の人間活動を支えるために、地球が1.5個必要になっています。地球は1個しかないのに? 私たちの世代は過去の遺産を食いつぶし、未来から前借りをすることで、1個しかない地球が支えられる以上の活動を続けているのです。

銀行口座を考えてみてください。元本に手をつけず利子だけで暮らしていけば、持続可能にずっと暮らしていけますが、今の私たちは、元本にどんどん手をつけ、私たち人間の生存基盤そのものを切り崩しているのです。つまり持続可能ではないのです。

なぜ私たち人間は、1.5個もの地球を必要とするような活動を展開しているのでしょうか? 人口が増え続けていること、そして私たち一人ひとりの、もっと欲しい、もっと使いたいという欲望のせいでもあります。しかし、それだけではありません。今の経済・社会には、拡大へ向かう構造が埋め込まれているのです。

たとえばお金を考えてみましょう。お金があれば、食べ物でも木材でも金属でも、地球から採り出すものと交換できると考えられています。一方、お金は信用がある範囲で銀行が刷って増やすことができます。信用を膨らませて、お金の量を膨らませることもできます。さらに投機でお金をあちこちに動かすので取引量は実体経済の30倍以上と言われています。

そして、実体とは無関係なバーチャルな世界で膨れ上がったお金と、地球がつくり出してくれているものとを交換しようとしたとき、地球は誕生して以来ひとつも大きくなっていませんから、とうてい地球には耐えられません。地球には支えることができない仕組みになってしまっているのです。

世界銀行のシニア・エコノミストを務めた経済学者のハーマン・デイリーは、「経済学者が地球自体も同じ速度で成長できることを示してくれたら、経済が無限に成長する可能性があることを受け入れよう」と言っています。

地球温暖化、生物多様性の危機など地球環境問題が明らかになるにつれ、「このままではいけない」と、現在の経済・社会の構造を変えようという動きも見られます。投機目的の短期的な取引を抑制するため、国際通貨取引に低率の課税をするという「トービン税」や、国境を越えて展開される経済活動に対して課税し、その税収を途上国向けの開発支援などに活用する「国際連帯税」などの提案がその例です。

しかし、なかなか現状の構造を変えることは難しい。少なくとも、すぐに変えることは難しいでしょう。でもだからといって、問題の悪化が待ってくれるわけではありません。

そこで、現在の構造が変わらなくても、構造の思うツボに陥らない――つまり、お金を中心に拡大が組み込まれた構造に乗せられて、どんどんと地球の資源を消費し、生存基盤を切り崩してしまうことをしない知恵や価値観が世界のあちこちで生まれ、実践され始めています。地域通貨、コミュニティ支援型農業(CSA)、トランジション・タウンなどが、その例です。

2005年年にイギリスのトットネスという小さな町で始まったトランジション・タウンの取り組みは、今や世界で数百ヶ所に広がり、日本でも20ヶ所以上で取り組みが始まっています。その1つ、神奈川県相模原市旧藤野町(※)では、「藤野電力」という電力会社をつくり、将来的には自分たちの電力を自給できるようになりたいと、太陽光パネルを制作するワークショップなどを行っています。

日本では、私が「3脱」と呼ぶ動きが広がっています。1つは「暮らしの脱所有化」です。自動車をはじめとして、「所有」するより「共有」(シェア)して暮らす人が増えています。もう1つは「幸せの脱物質化」。これまではモノを買うこと、持つことが幸せだと考えられていました。しかし、自分の幸せを人とのつながりや自然との触れあいなどで定義する人が増えています。

そして最後が「人生の脱貨幣化」です。これまでは会社に時間を捧げて代わりにお金をもらい、それをもとに人生を設計するのが普通でした。でもいま「半農半X」などの新しい生き方を選ぶ人が増えています。自分と家族が食べる分は農業でまかない、残りの時間は自分のやりたいこと(ミッション)に費やすことで、収入は減っても幸せは増えるという生き方です。私の友人にも「半農半作家」「半農半NGO」がいます。そういう生き方が日本で広がりつつあります。

直面している問題はとてつもなく大きいですが、地域や人々の心強い動きをあちこちで展開されている時代に、私はワクワクしています。日本のワクワクを世界の人たちにも伝えたいと、10年前に立ち上げたNGO・JFSから世界へ向けて、日本発の持続可能性への取り組みを発信しています。

日本だからこそ描ける、世界に伝えるべき持続可能性のビジョンとはどのようなものでしょうか? 今日は2つの観点からお話ししたいと思います。

●「東日本大震災を経験した日本」だからこその持続可能性のビジョン1つは、「東日本大震災を経験した日本」という視点です。2011年3月11日、東日本を襲ったマグニチュード9の大地震と、最大38メートルに達したとも言われる津波、そして東京電力福島第一原子力発電所事故は、私たちに多くの教訓を残しました。その1つは、目先の利益を求めるがゆえに、何かあってもしなやかに立ち直る力(レジリアンス)を私たちの社会は失っていたということです。

大震災後、物流も生産も広範囲にストップしてしまいました。ジャスト・イン・タイムという、どこにも在庫を持たない、極めて効率の良い仕組みにしていたため、また、コスト削減のために部品の仕入れ先を1社に絞っていたため、今回のように何かあったときに、まったく動きが取れなくなってしまう構造になっていたのです。

また、そのほうが安い深夜電力が使えるから、便利だからと、オール電化の家にした人たちも、震災後は停電で何も動かなくなり、大変な思いをしました。自宅には電気もあり、ガスも薪ストーブもあり、太陽光パネルも載っていて、必要があれば近所からも電力の融通が利くということなら良かったのですが、こういった多様な支えを「何かあったとき」のために備えておくことは、短期的にはお金がかかり、経済効率が悪いものとなってしまいます。

3.11は、私たちの暮らしも経済も社会も、目先の経済効率や便利さを求めるがゆえに、中長期的なレジリアンスを失っていたことを教えてくれたのでした。

3.11の教訓は、「目に見えなくても、お金では測れなくても、短期的には無用に思えても、大事にすべきものは大事にしないといけない」ということです。これまでの私たちの尺度は、短期的で一元的な経済的な効率でした。しかし、ハーマン・デイリーのピラミッドが示しているように、その効率とは、極めて狭い「原材料から製品をつくり出す」範囲しかみていないものですし、四半期や一年といった短期的に測られるものです。

しかし、その原材料を生み出すのは地球の自然資本です。そして、その製品がつくり出す究極の目的は、人々の幸せでしょう。としたら、「原材料から製品まで」ではなく、「地球の自然資本から人々の幸せまで」を一気通貫で考えた効率こそが大事なのではないでしょうか。そして、四半期といった「短期的な効率」ではなく、「長期的な効率」を最大化するという視点を私たちは持たなくてはなりません。

「長期的な効率」という点では、自然との共生を考え直す機会にもなりました。自然との共生とは、自然の美しい・優しいところを手もとに置いて愛でることではなく、荒ぶる自然も含めて、どのように折り合いをつけて共に生きていくかということです。そのとき、高い防波堤をたてて、その際まで住宅や工場を造るといったように、地上の空間をすべて人間のために使うのではなく、自然の揺らぎのスペースを残しておくことが、長期的なレジリアンスにつながります。

このことを私たちは、被災した岩手県宮古市姉吉地区の集落から学びました。岩手県宮古市の重茂半島にある姉吉地区では、以前の大震災の経験から石碑を建て、ふだん仕事で通う浜から500メートルも高台にある石碑よりも上にしか家を建ててはいけないと言い伝え、村の人たちはそれを守ってきたのです。今回の地震で、岩手県宮古市姉吉地区からは被害者が出ませんでした。

3.11後、企業は物流や生産の分散化を進めています。都会でも、以前は「時間のむだ」「わずらわしい」と敬遠されていた町内会の活動が活発化しています。短期的な経済効率だけではなく、中長期的なレジリアンスを求める動きなのだろうと思います。

そして、「本当の幸せは何だろうか」と問い直す人が、日本ではますます増えました。私の主宰する幸せ経済社会研究所は、3.11の起こる2ヶ月前に設立していましたし、かなり前から、日本では「これからはモノの豊かさよりも心の豊かさが大事だ」と考える人が増えていました。しかし、3.11は、家族や地域、友人とのつながりや自然との本当の共生の大事さなどを、改めて私たちに感じさせたのです。このように、3.11を経験した日本が描くサステナビリティのビジョンの1つは、レジリアンスを重視するということです。

●「人口減少時代に突入した日本」だからこその持続可能性のビジョンもう1つの視点は、人口減少社会としての日本の描く持続可能性のビジョンです。日本は、2004年に人口がピークに達してから、人口減少時代に突入しまし今後100年間で100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく可能性があります。この変化は千年単位でみても海外をみても類を見ない、極めて急激な減少です。

また、1990年代初めにバブルが崩壊してから、日本経済は20年ほど停滞しており、「失われた20年」とも呼ばれています。

これは、経済成長至上主義から見れば問題かもしれませんが、来るべき定常経済の姿を先取りしているのではないかと、私は考えています。定常経済とは、活発な経済活動は繰り広げられるが、その規模は拡大していかない経済です。日本は世界に先駆けて、「人口が増えつづけ、経済規模もどんどん大きくなるという右肩上がり時代」から決別し、都市づくり・まちづくりも、経済や社会の在り方も、人口減少をベースに考えるという大きな課題に直面しています。

これまで政治は「経済が大きくなれば、みんなの取り分前は増えるから、問題は解決する」として、再分配の問題を避け、パイの拡大に力を注いできましたが、経済が拡大を続けなくなるとしたら、「いかに分配するか」という政治の本来の役割に戻ることになるでしょう。

世界の中では、「縮小都市」「smart decline」など、いかに賢く幸せに小さくなっていくかを研究・実践し始めているところもあります。考えてみれば、日本の得意な技術も、「縮小のための技術」です。

あんなに大きかったコンピュータが、手のひらに載るほど小さなものになり、フィルムも現像液も不要で好きなだけ写真が撮れるデジカメが使われるようになりました。企業がしのぎを削って開発競争を進めている省エネ技術にしても、「減らす」ための技術です。

もっとも今のところは、省エネ/省資源を、エネルギーや資源の消費量そのものの縮小につなげていくところはまだできていませんが、定常経済を考えたとき、日本にはもう1つ強みがあります。それは、江戸時代という歴史を持っていることです。

江戸時代とは、1603年から1867年までの265年間です。この間、日本は外国から侵攻されることもなく、海外とのやりとりを絶って鎖国をしていました。また、国内でもほとんど戦争のなかった平和な時代で、日本の経済や文化が独自の発展を遂げました。当時の日本の総人口はほぼ3,000万人で、ほとんど変動がなく、2世紀半ものあいだ人口が安定していました。

鎖国をしていましたから、海外からは何も輸入せず、すべてを国内のエネルギーや資源でまかなっていました。江戸時代の研究家・石川英輔氏の計算によると、江戸時代の経済成長率は年率0.4%程度、当時の寿命を考えれば、一人の人生の間に「経済が大きくなった」とは実感できない、いわば定常経済でした。

その江戸時代の日本は、「足るを知る」という価値観を大事にし、拡大を続けない経済・社会の中で、素晴らしい文化を花開かせました。江戸時代の末に日本を訪れた欧米人がこぞって「礼儀正しく、朗らかで、なんと幸せそうな人々だろう」と称賛した記録が多数残っています。もちろん、江戸時代にもたくさんの問題があり、決してユートピアではありませんが、265年間にわたって、自国にある資源の持続可能な活用だけで社会を成り立たせていた、「持続可能な社会」の1つのお手本があるのです。

いかに、短期的な経済効率だけではなく、中長期的なレジリアンスも重視する社会や経済、暮らしにシフトしていくのか? いかに、「経済は成長し続けなくてはならない」という幻想のメンタルモデルから解き放たれ、「本当に大事なのは、経済が成長しつづけることではなく、経済が持続的に営まれる中で人々の幸せを創り出していくことだ」という価値観を共有して、経済や社会の仕組みをそれにあうように変革していけるのか? これが今の、そしてこれからの日本にとっての課題であり、その課題解決を通して、日本は世界に貢献できるのだと信じています。

日本だからこその持続可能性のビジョンとして、「レジリアンス」と「定常経済」の2つを挙げました。そして、この2つは関連しています。自転車を考えてみて下さい。安全な速度を保って、同じスピードで走っている自転車と、どんどんとスピードを上げ続けながら走っている自転車と、突風が吹いたり、急に対向車線に車がやってきたときに、どちらのほうが崩しかけたバランスを取り戻しやすいでしょうか?

持続可能性とは、私たちの文明や地球、人々の暮らしや幸せが続いていくということです。そのためには、その持続を損なう何かをできるだけ起こさないことが条件の1つです。ですから、温暖化を止めなくてはなりません。生物多様性の危機を止めなくてはなりません。拡大を続け、地球の資源を限界以上に剥奪している現在のお金の構造を変えて行かなくてはなりません。

同時に、自然は変動するものですし、すべてに対する万全の手を打つことはどのような状況でも不可能です。そうだとしたら、何か起こってもしなやかに立ち直る力、つまりレジリアンスを備えることが持続可能性の条件の2つめになってくるでしょう。

3.11を経験し、人口減少時代に入りつつある日本が、レジリアンスを重視した定常経済へのシフトを試行錯誤し、その学びや教訓、筋道を伝えていくことが世界のためにも役に立つと信じています。

(※)2010年4月、相模原市の政令指定都市移行により藤野町は緑区となり、現在「藤野」という表記はなくなっています。
~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

30分の英語スピーチでした。そのあと、スピーカーを囲んでの意見交換の時間が30~40分設けられ、いろいろな質問や意見、フィードバックをいただき、とても勉強になりました。

そのうちのひとりが「これまで自国にいて、日本経済がいかに停滞して大変か、というニュースばかり聞いていたので、日本は困窮してとても大変な状況で、人々は不幸せなのだろうと思って来たのだが......」とおっしゃっていたのが印象的でした。

「日本経済の失われた20年」--この間に、何が悪化し、何は好転し、実際は何がどうだったのか、しっかり検証しなくては、と思っています。

そういう情報や参考書など、もしご存じでしたら、ぜひ教えて下さいな。よろしくお願いいたします。

今成田空港です。ではブータンに向かいます~。

 

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