ホーム > 環境メールニュース > 幸せ経済社会研究所インタビューコーナー「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ...

エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2012年07月14日

幸せ経済社会研究所インタビューコーナー「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ社会へ」 (2012.07.14)

新しいあり方へ
 

「幸せ経済社会研究所」インタビューコーナーに新しいコンテンツがアップされています。3月に開催されたオープンセミナー「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ社会へ」の中から、特に「!」という内容をまとめました。

このオープンセミナーは、こちらの本の出版記念として開催されたものです。基本的な枠組みやGNHの丁寧な紹介のほか、内外の事例もありますので、ぜひどうぞ!

『GNH(国民総幸福): みんなでつくる幸せ社会へ』
枝廣 淳子、草郷 孝好、平山 修一 (著)  海象社

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

草郷孝好氏(関西大学社会学部教授)×平山修一氏(GNH研究所代表幹事)×枝廣淳子

幸せ経済社会研究所 第4回オープンセミナー
「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ社会へ」(2012年3月20日開催)より
http://ishes.org/interview/itv06_01.html

●GNHは単なる理想? GDPとの間にある大きな溝。
枝廣:最初に少し私の問題意識を共有させていただいて、ぜひお二人にいろいろお話をいただければと思います。

今、「GNH」とか「幸せ」は、「新しい指標」としてどう捉えられるかということから考えたいと思います。日本では特に、世の中が大きく変わってきています。昔だったら、特に男性が「幸せ」なんて口に出すのは恥ずかしいとか「女々しい」とか言われた時代もあったと思うんですが、そうではなくなってきている。それは多分もう、GNHとか幸せを考えざるを得ない理由が、誰の目にも明らかになっているからだということがあると思います。

それは、少なくとも2つの次元において明確です。1つは地球環境です。もう地球の限界を超えてしまっている。それなのに、GDPの成長による経済の発展をまだまだ増やそうとしている。それはもう、地球を見たって、温暖化にしろ、生物多様性にしろ、無理でしょうと。なので、地球の限界ということが明らかになってきた今、そうではない、経済の大きさではないものを模索するという動きが、社会的にも出てきている。

もう1つは、大げさな言い方をすると、社会の崩壊ですよね。二極文化、格差の問題、ワーキングプア、そして貧困の人たち。今日本では貧困層が非常に増えている、そういった大きな背景があると思います。

一方で、私が講演会などでこういう話をすると、「理想としては確かにいいんだけどね」という反応がほとんどです。「日本の経済はどうなるの?」「世界から置いていかれていいの?」「若い人たちの雇用がなくなるよ」「年金の元がなくなるよ」とよく言われます。

理想として、「GNH」や「幸せ中心」というのはいいけれど、現実的ではない、というのが多分、多くの方々の感じなのだろうなと思います。

つまり、GDPとGNHの間には非常に大きな溝があって、今、全然その架け橋が架けられていないことが問題なのじゃないか、という気がしています。私の一番の問題意識は今、そこです。GDPとGNHをどういうふうに橋渡ししていったらいいのか。

●経済発展はしたい、けれどもそのために大事なことを犠牲にはしない。

枝廣:そこで、1つ目にお二人に教えていただきたいことは、ブータン、もしくはこのGNHをやっているコミュニティで、経済成長やGDPがどういう位置づけになっているのか。GDPとGNH、もしくは経済と幸せを、国として、もしくはいろいろな思想として、どういうふうな位置づけにしているのかなということを、まずお聞きしたいと思います。

平山:では私から。やはり経済成長というのは切って切れないものでありますし、ある程度収入が担保されている状況というのは必要であると思います。

ただ、そのお金がお金を生むような経済成長ではなくて、ちゃんと持続可能な経済を支える再生産に必要な地力といった、土地に対する投資、環境に対する投資、将来の世代に対する投資なども、間違いなく考えましょうということだと思います。そのために経済発展が無理だったら、その辺はみんなでシェアして、負担を享受しましょうということです。滋賀県甲良町の事例のように、そういう考え方で動いているコミュニティもあります。

ですから、経済発展を非難し、排除しているわけではなく、経済発展も考えたい。でも、経済発展のために、ほかに守るべき大事なところ、自分たちで決めたモノサシに反することはしない、というふうにGNHは考えられています。

●人々の満たされた生活状況は、物質的な豊かさだけでは測れず、また一人の生活が満たされるために必要な富は、一律ではないということ。

草郷:ブータンについては、もしかしたら僕の理解が十分ではないかもしれませんけれど、GDPを否定はしていません。いわゆる政策決定者の立場にある人たちは、IT関係の雇用を増やしたいとか、自分たちの国にとっての雇用の必要性ということは唱えています。

ただし、それですべての人を賄おうとか、いわゆる都市型の産業で、すべての人が高い賃金で生活を立てるということだけを100%満たすことを目指しているわけではありません。そのあたりのバランス感みたいなところが、実は日本は弱いと僕は思っています。

アマルティア・センという経済学者がいますが、センがいいなと思うのは、「人々の満たされる生活状況というのは、物質的な豊かさだけでは測れない」ということを言い切り、さらに、平準化の問題にまで言及しているところです。

つまり「私たちが今生活している社会の最初の礎というのは、経済理論があって、その理論では、私たちが望ましき生活をするとしたら、これだけの量のものを持ち、それを見事に、みんなが配分できたら素晴らしい。」ということですね。

たとえば300万円の収入だったら、素晴らしい生活ができるとして、すべての人に300万円配分するとする。でも、300万と言ったときでも、一人ひとりの状況って一緒でしょうか? たとえば、ある人は透析を受けなければいけないというときに、その人にとっての300万円と、そうでない人の300万円が一緒なのかと言ったら、違いますよね。そういったことも配慮しないで計測している経済理論で、実は社会を設計されているんですね。

センはそれを批判しています。経済学のものの見方を、社会全体から平均的に見るのではなく、一人ひとりの立場というものをちゃんと尊重して、一人ひとりにとっての生活の質が高いような、一人ひとりが持っている力というものが発現しやすいような、そういう社会を実現したい、そのために経済学から何ができるのか?という問いかけをしています。それが彼の言う「潜在能力」(ケイパビリティ)の考え方ですよね。

なので、そういう見方で経済理論のあり方も変えていかないといけないということで、僕は「GNH型」ということを言っています。

現実にどうできるのという話では、社会をどういうふうにしたいのかと設計したら、「その設計図を持った上で、その設計図を満たすためにどれぐらいの収入が必要ですか?」という議論をすることだと思います。

僕は、ブータンの事例からそうしたヒントが学べると思うし、そこがGNHの面白いところだと思っています。

なので、僕は「GNHの思想、センの考え方を活用しながら、私たちがやることは簡単で、みんなが今大事だと思えることは何なのかという優先順位をちゃんと決めましょう。決めた上で、それに大事な限られたお金を振り分けるということが大事で、それがGNH型への一歩じゃないですか?」というような言い方をしています。

●「ゼロ成長」は「動的平衡」、とてもダイナミックな世界のはず。

枝廣:ありがとうございます。今お話を伺っていて、2つ、すごく大事だと、自分で思うポイントがありました。1つは経済。「企業が企業活動をし、私たちが消費をし、経済活動を続ける」ということと、「経済発展」と、それからGDPで測るような「経済成長」と、それぞれほんとは違うのに、みんなごっちゃにして使っているというふうに思います。

経済成長というのは、「労働者の数×労働生産性の伸び」ですが、労働生産性の伸びは、もう大体過去の経験からわかっている。そうすると、これからどんどん労働人口が減っていくとしたら、経済成長はこれから減っていく。ただ、人口が減っていくので、一人当たりのGDPはまだ増えると思いますが。

ということで、政府の基本問題委員会でも「ゼロ成長」ということを言ったんですね。でも、「ゼロ成長」と聞いた途端に、「自転車をこいでいないと進まないのに、こぐのをやめたらバッタリ倒れてしまいます」という反応が返ってくるんですね。

そうではなくて、経済は回り続ける。企業は競争を続けていくし、新製品もどんどん出ていく。それぞれの市場に新しいものが出てくる。非常にダイナミックな世界だと思います。だけど総量として増えていかない。つまり、「動的平衡」なんですね。

自転車はこぎ続けるんだけれど、「これまでのようにどんどん加速し続ける必要がありますか?」というのが、「GDPを上げ続ける必要があるのか?」ということなんですね。それが多分、すごくごっちゃになって、経済成長に疑問を言った途端に、「経済止めるのか」みたいな話になってしまう、というのを最近よく経験しています。それが1つ。

●「GDPが減ってGNHが増える社会」は可能だろうか?

枝廣:もう1つは、今、GDPとGNHという話をしているんですが、それはどっちかではないんですよね。GDPだったらGNHではないというわけではなくて。

たとえば、GDPという枠があって、GNHというのがあったときに、4つに区分けて考えることができる。GDPが増える。GDPが減っていく。GNHが増える、GNHが減る。

1つの社会の中で、GDPも増えながらGNHも増えるということもありますよね。多分、私たちが今、日本の問題として感じているのは、「GDPは増え続けようとしているかもしれない。だけど幸せというGNHって、どうなの? ボロボロになっているんじゃない?」ということです。最悪は「GDPも減るしGNHも減る」という社会ですよね。原資もなくなるし、幸せ自体もどんどん減っていく。

多分、私たちが考えなければいけないのは、どうやってこの黒い部分から赤い部分へ行くか。GDPは、さっき言ったように労働人口が減ると絶対に減ります。もし、労働人口の低下を補うくらい私たち一人ひとりの生産性を上げようと思うと、一人当たり年率3%で成長を続けないといけない。それは過去にないんですね。バブル期のごく一時期あったみたいですが、あり得ないと経済の専門家も言っています。

また労働人口が減ったときに、外国人労働者を増やしたり女性をもっと活用したりすればよいのでは、などといろいろ言う人がいますが、それは解決にならないというのが、「『人口減少経済』の新しい公式―「縮む世界」の発想とシステム」(松谷明彦著・日本経済新聞社)という本に書かれています。

なので、GDPはもう減っていく世界になる。だからやはり、日本の政府も遠からず、日本のいろいろなことを測るものをGDPから一人当たりGDPに変えるはずです。今、多分そのタイミングを計っているのではないかと、私は思います。一人当たりGDPはまだ増えますので。

だけど、どっちにしてもGDPが減っていくのはもう所与なので、その中でGNHも減っていくのではなくて、経済自体は、規模は縮小していったとしてもGNHが大きくなるような、そういう社会をどうやってつくるのか。これが多分、今私たちが一番考えないといけないことなのかなと。今までは、どちらかと言うと、GDPかGNHかという枠で考えていたのですが、こういうふうに考えてみました。どうでしょうか?

草郷:どうもありがとうございます。これはすごくわかりやすい図(http://ishes.org/interview/itv06_02.html)だし、おっしゃる通りで、GDPかGNHかではないですよね。どのような形でGDPが置かれるべきか、ということですね。

この部分の赤いところでのwell-beingといのは、「自分たちの生活の質を保証するためには何が大事なのか?」といった議論が要求される部分だと思います。もちろん経済も大事でしょう。だけどそれ以上に、たとえば地域に住んでいて、そこで非常にいい仲間がいて、そこで暮らせるということの充実感とか、いい仕事がある。こういうときのいい仕事の種類が、果たしていわゆる賃金で測れるものなのかどうなのかとか、そういったことの議論を要求される部分だと思います。

なので、恐らく一番大きいポイントは、「経済はやはりGDPのことなんだ」という考え方。この認識を何とかして切り替えられないと、「多面的なwell-beingが大事ですよ」といったことがなかなかストンと腑に落ちてこないと思います。

ただ、追い風なのは、日本もそうですけど、OECDやいくつかの国が、「やはりGDPだけでは駄目なんじゃないか、社会の進歩はそれで測れません」ということを言いだしているので、ここはチャンスだと思っています。それをうまく世の中でも広げていく必要がある。

それから、僕が尊敬している水俣の吉本哲郎さんの思想も参考になると思います。吉本さんは、3つの経済だと言い切っていて、1つが「お金の経済」、それから「協働する経済」、もう1つは「自給自足の経済」。その3つの経済がちゃんとバランスが取れればいいんだということを吉本さんは言っています。

「じゃあ、それって、私の地域でできるの?」と、特に東京にいると思うんですね。1つの地域では無理かもしれません。でも、たとえば農村と都市を連携させるとか、地域と地域をつなげていく。そういうようなことも含めて変えていかないとならない。

でも、行く可能性はゼロではないと、僕は思います。

平山:私も同感でして、やはりこういう図で描かれると非常にわかりやすいなと思いました。ほんとに枝廣さんがおっしゃる通り、じゃあGDPで測れないものでGNHを高める要素って、たとえばつながりであったり、信頼であったり、いろんな関係性の要素もありますよね。あとは、食べ物にしても、そういうものへの不安がないとか、そういったものもあるし。

また、社会全体で、たとえばフードバンクのように、余剰というか、賞味期限切れているというようなものでも、それを有効活用されて無駄にならない仕組み。ちょっとした考え方で誰かの安心を担保できる。それにお金が介在しないもの。でも、こういう形の方向性が見えるんじゃないかなと思います。

枝廣:ありがとうございます。たとえばGDPだけではなくて、OECDとか、日本も今、そういう指標を作る動きが出てきていますが、草郷さんがおっしゃったように、社会の進歩はGDPだけで測れない。だからほかのものが必要だと。そこがすごく、日本にとって新しさがあって。

つまり、これまで社会の進歩なんて考えてなかったんじゃないか、経済の進歩しか考えてなかったんじゃないかと思います。恐らく経済イコール社会か、経済の中に社会が包含されているか、多分そんなイメージで、経済が大きくなれば社会の良さはついてくるだろう的な感じでいたんじゃないかなと。だから、社会の進歩をほんとに考えるということ自体が、私は日本にとって新しいような気がしていて。OECDとか、ヨーロッパの国は、そうではない歴史をいろいろ歩んできていると思いますが。

●「幸福度」を考えるうえでのポイントは、「時間軸」、そして「社会のペース」

枝廣:あともう1つコメントして、最後の質問をお二人にしたいと思います。

経済の規模自体が大きくならない、だけど、その中で次々新しいものが生まれるという、そういう「定常型経済(Steady State Economy)」ということを、元世界銀行のシニアエコノミストのハーマン・デイリーという人が言っています。で、持続可能性を考えたら、定常型経済しかあり得ないと。その定常型経済をどうやって社会や、特に政策を作っている人たちに、分かって受け入れてもらうかというのが、次の私の課題です。

定常型と言った瞬間に、「成長がないのはいけないことだ」とか、「止まってはいけないんだ」とか、「変わらないことは人間にとっていけないことだ」というコメントがたくさん出てくるんですね。別に変わらないわけでも、成長しないわけでもなくて、その中ではほぼ成長し、変わっていく。ただ、総量としては変わらないということを、私は定常型ということで伝えたいんですが。そうした「人間は成長すべきだ」というような成長神話論に対してどう考えるかというのを、考え続ける必要があるというのが1つ。

それで、お2人への質問は、幸福度を測る時の時間軸についてです。つまり、幸福感という感情的な意味での幸福感と言うと、すごく刹那的ではありますね。たまたまおいしいものを食べたあとは、すごく幸福とか。何かすごくいいことがあったら幸福とか、その前に何か嫌なことがあったら、すごく幸福度は低いとか。こういう刹那的な、もちろん感情としてのものもあるけど、それを測っていても政策にはなりませんよね。

なので、政策として使うとしたら、やはりある時間軸での幸福度もしくは幸福感を測らないといけない。今、日本の指標づくりで恐れているのは、もしかしたらもうちょっと刹那的な、「こういうことをやったら国民が喜んで、幸福度が上がるんじゃじゃないか」みたいな、そういう操作できるものとして扱われるのではないかということです。そういう意味で言うと、その幸福度、幸福感と言ったときに、時間軸をどう考えるかというのが非常に大事だと思います。

そういった意味で、特に草郷さん、平山さんにお伺いしたいのは、ブータンのGNHではどういう時間軸で国民の幸福度を測ろうとしているのか。

もう1つは、時間軸とも関連するんですが社会のペースをどう考えるか。

たとえば、今みたいにどんどん加速するような社会の中で追われるような生き方をしていると、何か幸せを感じてもいいようなことがあったとしても、それどころじゃないという感じになると思います。なので、それは幸福の感受度にも、感受性にもつながってくると思うのです。

これは私の仮説ですが、もしかしたらブータンは、自分たちの社会のペースを自分たちで手綱を握って調整しようと、少なくとも過去はしてきているんじゃないかと思っています。割と途上国は、どんどん先進国に追いつこうということで、加速度的にたくさん援助を入れて、開発していることが多いけれど、私が聞いたところによると、ブータンは、いつテレビを入れるのか、いつインターネットにつなぐのか、それをちゃんと国として考えて調整して、国をどういうペースで開発して開いていくかということを考えている、自分たちで手綱を握っていると聞きました。

その時間軸と社会のペース、すごく大きなお題になりますが、そのあたりでお二人の考えとか、ご存じのこととかお聞きできればと思います。

●「自分で自分の手綱を握れば社会のペースはコントロールできる」「ブータンの時間軸は"循環のサイクル"」

草郷: どうもありがとうございます。時間軸については、ブータンの場合、GNH指標を2年ごとにチェックすると言っていて、それは自分たちの時系列で推移を追いたいというスタンスだと思います。彼らが、今の生活状況はどうなっているかということを、同じような、仮にGNH指標が完成したとして、それを元にして2年ごとにチェックしていこうとか、そういうことを決めているみたいです。なので、あくまで時間軸、今現状がどうなっているかということを引っ張っていって、それによって社会というものを見る1つのレンズのことだという形で使っているんじゃないかと思っています。

あとは、社会のペース。まったくその通りですね。私も「忙しいですね」とか、「なかなかつかまらないですよね」とよく言われますが、自分なりにコントロールしています。ですから、私はよく寝ています。絶対にこれだけは寝ようとか、この時間、このところは必ず家族と費やさなければいけないというのは、手帳の中に書いています。社会のペースを、自分のペースを守ろうとするためには、自分なりの意思と工夫が必要かもしれないけど、それをやると結構、豊かになりますよ。何か、変な話になっちゃいましたけど。

平山:そうですね。ブータンは社会のペース、開発のペースというのは、ある程度抑えていると思います。焦らし戦法じゃないですけど、ゆっくり時間をかけて開発計画を精査しているうちに、それが時代遅れになったという場合もありますし、同じような事例を採り入れた国がおかしなことになっていて、「ほーら見ろ。やっぱり駄目だ」と。そういうようなスタンスで考えている部分もあります。

あと、森林にしても、政府は何もわからず、「王様が木を切るなと言うから」と森林をそのままにしていたら、あとあとCO2の排出量取引とか、生態系保全といった分野で彼らが先進的な位置づけにいつの間にかなってしまったりとか。

彼らの時間感覚のベースには循環という考え方があると思います。ブータンの時間軸は循環だと思うんです。やはり農業社会ではありますので、四季で生産物が採れるサイクルなり、一般的な24時間の時間サイクルですね。あと、ブータンに1日いますと、朝、山から風が吹き下ろして、午後になるとだんだん南から風が上がってきて、1日終わるんです。こうした山岳特有の気候のサイクルもあります。

そういった、何かの継続を体感できる循環のサイクルがあると思います。人間自身も輪廻転生によって循環すると思っていますから、彼らは。この時間軸に付随する社会は、一定の方向性を持った循環の螺旋サイクルで動いているんじゃないかと考えています。

あと私見ですが、社会のペース。やはり、自分は何を重視して何に時間をかけるかという軸を決めておけば、ある程度は自分のペースってつくれるんじゃないかなと思います。

それを私たちの社会も、もしそういう人間や自然のペースを重視した一定の軸が決まれば、そういったものにペースを合わせた方がよいという雰囲気が生まれると思います。「もっともっと」「これを、これを」「流行遅れですよ」というような今の社会の風潮は、多くの人が、「いや、そうじゃないでしょ」と言い始めると、だんだん変わってくるのかなという気もしました。

枝廣:ありがとうございました。

今日はタイから平山さんが、それから関西から草郷さんが来てくださいましたので、お二人に拍手でおしまいにしようと思います。ありがとうございました。

<プロフィール>○草郷 孝好氏(くさごう たかよし)
関西大学社会学部教授行動する社会科学者。東京大学経済学部卒業後、民間会社勤務の後、スタンフォード大学でMA、ウィスコンシン大学マディソン校でPhD(開発学)取得。世界銀行、明治学院大学、北海道大学、国連開発計画(UNDP)、大阪大学を経て、現在、関西大学社会学部教授。「人間開発」(Human Development)の視点に立ち、人々が主体的により善い生き方を実現しうる社会のあり方を探求、研究成果を国際会議や論文に通じ、国内外に積極的に発信している。また、ブータン、ネパール、水俣、新潟、兵庫などの生活現場に足を運び、調査活動や実践支援を展開、統計データではつかむことができない人々の声に耳を傾け、生活者の視点を活かすことに奮闘中。

○平山 修一氏(ひらやま しゅういち)
GNH研究所代表幹事国際開発コンサルタント(ガバナンス分野)、一級建築士。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学専攻修士課程修了後、(株)シーエスジェイ調査企画部に主任研究員として勤務。ブータン、モンゴル、タイでのODA業務を通じて、途上国の経験や考え方を日本後活き作りに行かせないか、問題意識を持ちつづけ、その実践を目指している。著訳書に『現代ブータンを知るための60章』(明石書店)、『あたたかい地域社会を築くための指標 荒川区民総幸福度』(八千代出版)共著、『ダワの巡礼〜ブータンのある野良犬の物語〜』(段々社)など多数。GNH研究所代表幹事、日本GNH学会副会長などを務める。また、5代目ブータン国王が結婚式を挙げた、プナカ城のクンレイ(金堂)の設計・施工監督者としても知られる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

※本鼎談は、第4回オープンセミナー「GNH(国民総幸福) みんなでつくる幸せ社会へ」(2012年3月20日開催)にて行われました。
http://ishes.org/news/2012/inws_id000352.html

※当日ご参加いただけなかった方のために、セミナーの音声および資料を販売しております。ぜひご利用くださいませ。

※お申込みページ(販売期間:2013年2月末まで)
http://www.es-inc.jp/shop/32_224.html


この3人で作った本に、さらにいろいろな考え方や事例などがあります。よろしかったらぜひ〜。

『GNH(国民総幸福): みんなでつくる幸せ社会へ』
枝廣 淳子、草郷 孝好、平山 修一 (著)  海象社
http://www.amazon.co.jp/dp/4907717091/ref=as_li_tf_til?tag=junkoedahiro-22

 

このページの先頭へ

このページの先頭へ