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2011年09月21日

第4回GNH国際会議 ブータン王国首相による基調講演より(2011.09.21)

新しいあり方へ
 

今夜開催予定の、幸せ経済社会研究所の<特別セッション>「ブータンのGNHの基本思想と指標の構成を学ぶ」の準備をしているところです。

GNHの設計者であり原動力でもあるブータン研究所のカルマ・ウラ氏は、私たち幸せ経済社会研究所のアドバイザーもお引き受け下さっています。氏と最初にお会いしたのは、3年前、ブータンの首都ティンプーで開催された「第4回GNH国際会議」に参加したときでした。

今回は、カルマ・ウラ氏が「GNH指標の基本哲学とその構成要素」を説明した文書を取り上げます。読めば読むほど、深いなあ、、、と感銘を受けます。同時に、「ブータンでいうところの幸せは、西欧世界がいうものよりもずっと広いのである。なぜならば……」など、西欧に引っぱられるのではなく、自分たちは自分たちの価値観や幸せを大事に考えていくんだ、という姿勢が潔く感じられます。

資料をいろいろ読み返していたところ、私も出席した第4回GNH国際会議の冒頭、首相が基調講演をされた内容を簡単に訳していたメモが出てきました。講演の一部ですが、一国の首相の言葉の重みを感じていただきたく、ご紹介します。

(ちなみに、会議の席で首相にご挨拶した際、お話しになった内容を日本語にして伝えることを許可下さい、とお願いしたところ、ニコニコとどうぞ!と言って下さったのでした)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第4回GNH国際会議 2008年11月24日〜26日ティンプー 

ジグミ・Y・ティンレイ ブータン王国首相による基調講演

今回の素晴らしい集まりで、「GNHの実践と測定」というテーマについて議論する中で、ぜひ私に付きまとって離れない多くの問いについて、皆さんにも考えていただきたいと思います。

どうすれば、市民が「一人ひとりの幸せはみんなの行動やみんなの幸せの結果であるということ」を知っている、意識の高い社会をつくり出すことができるでしょう? 

そして、「自分の幸せが続くかどうかは、まわりの人々が幸せかどうかにもよる。ほかの人の幸せのために努力をすることこそが、真の永続的な幸せをもたらす、生きがいのある経験につながる、最も確かな道である」ということを、人々が知っている社会をどのようにつくっていったらよいのでしょう?

どのように、消費主義と相容れない、新しい倫理的なパラダイムを受け入れるよう、人々を説得することができるのでしょう?

有限の世界で無限の生産性や成長を追求することは、持続不可能で、将来世代にとって不公正であるばかりか、私たち自身の社会的、文化的、精神的、美的探究をも損なってしまうことを、どのすれば人々にわかってもらえるのでしょうか?

「貧困軽減のための経済成長」という正当づけさえ、大きく再配分を変えない限り、とても頼りないものに思われます。恥ずかしいことに、グローバル経済の総体の中で生み出されるばく大な富の中から、貧困軽減に割り当てられるのはほとんどないのです。

同じことが、「環境問題を解決するお金を得るために、成長しなくてはならない」という議論にも当てはまります。これを信じることは、病気を治すために患者を殺すべきだと信じるようなものです。豊かな国の中で、「みんながより幸せになるためには経済的に成長しなくてはならない」という証拠が見られることはほとんどありません。

それでは、どうやって新しい概念や定義――生産性・富・繁栄そして生きがいなど--を提唱していくことができるのでしょう? 物質的な持ち物とはほとんど関係なく、弱い者を押しのけてしまわず、社会的、心理学的、情緒的な幸福により関係している新しい概念や定義を。

どのように幸せを測るかを知ること、そしてそれが政策の策定に影響を与えるであろうと望むことで十分なのでしょうか? GNHの政策やプログラムをつくることで十分なのでしょうか? 民主主義においては、人々の要求や望みを反映しているはずの政治的な意思や能力とは何でしょう? 

そして、もし人々がGNHをベースとした政策を理解せず、それを好まないとしたら、政治家たちは、それでもあえてそうすべきなのでしょうか? そして、もしそのようにした場合、政治家たちはうまくいくでしょうか? 

どのように私たちは始めていけばよいのでしょうか? どのように、机上の問答や声明文を超えて、その語る内容である価値観を内在化していくことができるのでしょう? 

私たちは、研究者、思索家、科学者、リーダー、意識のある市民として、自分自身の生き方や行動をどのように変えていけばよいのでしょうか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ブータン国では、「市民が、一人ひとりの幸せはみんなの行動やみんなの幸せの結果であるということを知っている、意識の高い社会」を“GNH社会”と呼び、国家・政府の統治の究極の目標はGNHの成就である、としています。(ブータンでは憲法にもGNHが明記されています)

ブータンだけが理想ではないでしょうし、実際には理想と現実との乖離もいろいろあるとは思います。それでも、国が「集合体としての国民の幸せ」を第一に考えようという姿勢と取り組みは、私たちにいろいろなことを教え、考えさせてくれます。

東洋的なものの大事さも改めて考えさせられています(特にバラトン合宿で、世界のさまざまな文化・考え方の仲間と率直なやりとりをしたあとなので)。

今回のバラトンでも、「幸せ」がテーマの1つで、幸福度を測定するなどの活動に携わっている実践家や研究者も来ていました。幸福度の測定には、客観的測定と主観的測定があるというのが定説(常識?)で、そういう観点からの議論もありました。

ところが、今回取り上げる「GNHの基本的な考え方」にはこう書いてあります。

「客観的/主観的の区別は、現実を抽象化したものである。仏教的に言えば、この区別は存在しないからだ。根源的な意味で存在するのは、あらゆるレベルにおける関係性である。それは、幅広い社会・経済・文化・環境の指標によってのみ測ることができる」。

関東には台風が近づきつつあり、空は荒れ模様ですが、今日の特別セッションも知的な荒れ模様になったら面白いなー、と楽しみにしています。(固まった思い込みをゆらし、外すには、時には“荒れ”も役に立つのですー。^^;)

※今日参加できない方は音声+配付資料での受講ができますので、事務局までお問い合わせ下さい。

 

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