ホーム > 環境メールニュース > 被災地でのお手伝い・石巻報告その1 (2011.05.13)

エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2011年05月13日

被災地でのお手伝い・石巻報告その1 (2011.05.13)

 

3.11の大震災から2ヶ月が経ちました。被災した東北地方では、多くの方々が命を失い、いまだに1万人近い方々が行方不明になっています。東北4県の中でも、最も被害の大きかった宮城県の海辺に位置する石巻市にて、国際協力NGOジェン(JEN)の現地事務所にお世話になり、12日間ボランティア活動をしてきました。

1日目と6日目のようすをブログに書いていますので、ご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4月29日、仙台経由石巻入り。

仙台までの新幹線もいっぱいだったし、仙台から石巻への高速バスも長蛇の列。乗る予定だったバスは、なんと私の前の人でいっぱいになってしまって、が〜ん! まったくもって幸先よく?仙台到着から2時間も待ってからバスに乗り込めたのであった。長蛇の列のほとんどは、帰省の人たち。手にいっぱいおみやげを持っている。中に数人、私のような被災地支援のボランティアさんも。寝袋をかついでいるのですぐにわかる。

仙台はごくふつうの風景で、東京と何ら変わらない。高速バスは高速道路を降りると、イオン石巻という大きなショッピングモールの停留所へ。石巻市なのだけど、そこもまったく「日常」の風景だ。駐車場にたくさんの自動車が出入りし、店内はにぎやかに買い物客でいっぱい。

そこから海の方向にバスが進んでいくと、道路の路肩に家具やら本やらいろいろなものが粗大ごみのように積まれている。そのあたり、家は建っているけど、1階の家財道具が水をかぶってだめになってしまったみたい。

めざすJENの現地事務所は、ボランティア拠点の石巻専修大学のすぐそばにある。寄る予定だったバスは専修大学まで行くバスだったのだが、そのあとはすべて石巻駅止まり。ということで、石巻駅からタクシーに乗り込む。

私は何も聞かなかったのだけど、初老の運転手さんは、被災して小学校の避難所で暮らしている、まさか自分の家まで津波が来ると思わなかった、最初の10日間は避難所にすし詰め状態で、横になって寝ることもできなかった、家は住めなくなり、立て直すお金もなく、仮設住宅もすごい倍率だしずっといられるわけではないし、行くところがない、自分のまわりでも知っている人がずいぶん亡くなった、命が助かってよかったとみな言うが……死ぬときは一瞬苦しいと思うが、生き残ってしまった人間はあれもこれも悩まなくてはならない、どちらがよかったのかと思う……と、ぽつりぽつりと話をしてくれる。

JENの事務所に到着。プレハブの建物に、荷物がいっぱい積んであり、夕方になるとスタッフやボランティアさんたちでいっぱいである。このGW中は数千人のボランティアさんが石巻入りするとかで、JENのボランティアさんもいっぱい。

私は今回、ここの現地事務所で全体の指揮をとっていらっしゃる平野さんのお手伝い、ということで受け入れてもらっているので、さっそく平野さんについで、仮設住宅に供給品を届けにいったり、さまざまな現地との打ち合わせなどに同行させてもらう。

途中、わざわざ海の近くの被害のひどかった地域にも連れて行ってくださった。どこまで走っても、道の両側に、がれき(と呼ぶのはとても抵抗があるのだけど……少し前まで「どなたかのお家」を構成していた木材やボードや家具や、その他さまざまなもの)が山積みになっている。

自動車もあちこちで、骨組みだけになったり、ひっくり返ったりしたまま。「捜索済み」という紙が貼ってある。。。車椅子がひっくり返っている。。。ぬいぐるみが泥の中から顔を出している。。。

夜は事務所で、スタッフミーティング。そのまえにおこなわれている、石巻で活動しているNGOの代表が集まって毎晩活動報告をする「調整会議」に出ていたスタッフからの報告。それぞれのスタッフの1日の活動の報告。明日の活動や人員配置などの確認。

そのあと、テント持参以外のボランティアさんが宿泊している借り上げ民家に移動。夜になったらすごく寒い。女子部屋で他のボランティアさんたちと並んで寝袋にくるまって就寝。23:30。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「あちら側」と「こちら側」

石巻のJ被災地支援の現地事務所にお手伝いで入って、6日目。

震災直後、このあたりを飲み込んですべてを破壊しながら押し進む津波の中継映像に絶句したが、そのあとすぐに東京電力原発事故が起こり、「起こった」という過去形ではなく、「今なお起こりつつある」危険と、被災地に限らず日本中(世界中)の人々に被ばくリスクを降り注ぐ問題状況や停電というあらゆる人への影響、東電を巡る政治的な動きといった状況に、少なくとも私の感じていた限り、首都圏のその後の報道も関心も「福島原発」「東電」ほぼ一色だったように思う。

東京から東北を見たとき、福島あたりにそびえ立つ「大問題」の壁に、その向こう側は見えなくなっていたように思う。

今回、東京を出て、新幹線で福島を通り過ぎ、「こちら側」に来てみると、町は破壊されたまま、被災地の人々は最低限の暮らしを送るのにさえ不便をし、多くの事業者が事務所や自動車や機械を失って、大量の解雇が発生しつつあり、事業を再建するための資金がないという悲鳴が飛び交い、ボランティア団体によって毎日1万食近くの炊き出しがおこなわれている。こちらに来てから一度も「原発」という言葉を聞いていない。

石巻で被災した市街地や牡鹿半島の集落での泥出しや炊き出し、仮設住宅への生活必需品の配布、地域社会でみなが集まれる広場づくりなどの支援を展開するNGOのお手伝いをさせてもらいながら、メールボックスに入ってくるメールや情報は、これまでどおり、ほぼ原発事故・放射能汚染の関係。

「あちら側」と「こちら側」。私はたまたまいま「こちら側」にいるけど、あと1週間後には「あちら側」に戻り、そうしたら、あちら側が「こちら側」になって、こちら側の状況は「あちら側」になってしまう、、、という(考えてみれば当然の)現実が、間に「原発事故のあった福島」があるおかげで、妙に際立って、ヘンな気持ちになってくる。あちら側に戻ったらこちら側はあちら側になってしまうとこちら側で考えている私はどちら側にいるんだろう???

それにしても、私が今回ご一緒させていただいている国際協力NGO・JENのスタッフの働きぶりには本当に頭が下がる。朝早くから夜遅くまで、食べる間もないほど、働きづめだ。それでもみなさん、明るくて笑顔で優しくて、すてきだなあ!と。

現在、東京本部からのスタッフが5名、現地スタッフが9名。現地で被災した方々をスタッフとして雇用し、最初は本部スタッフとペアを組んで仕事をしながら、じょじょに現地だけで回せるようにする、というのがJEN式。

みなさん、とてもよい感じでチームを組んでいらして、毎日何か起こるばたばたの状況も自ら動くことでよい方向に切り抜けていく。どうみても、「○○がもうちょっとしっかりしてくれたら」「××はこうすべきなのに」と文句をいいたくなる状況であっても、批判をして突き放すのではなく、その状況の中でベストにするには自分はどうしたらよいか?を考えて、動く。すばらしいなあ、と思う。

いろいろな状況に同席?させてもらっているので、「自分だったらどうするか?」と考えるのだけど、そのあとのスタッフの動きを見ていると、そうでないようにと気をつけていたつもりでも私は批評家に近かったことも多かったかも、と反省。

この石巻事務所の責任者・平野さんの静かなるリーダーシップにも感銘を受けている。さまざまな問題状況への対応の仕方、(いわれのないものも含め)苦情や文句への対応の仕方、新しいスタッフを育てつつ、日常業務を進めていくやり方など、学ぶこと、いっぱい。同じく組織を率いる者として、自分はまだまだ未熟だなあ、、、と思う。

ほんとは平野さんのサポートに、ということでこちらにおじゃましているのだけど、サポートは全然いらない状態なので、食べる時間もないスタッフにせめて、カップ麺やレトルトばかりじゃない食べ物を食べてもらおうと、(といっても買い物にいけないので、食材は限られているのだけど)ちょっとしたおかずをつくったり、炊飯器はあるので、たくさん差し入れてもらったバナナを使って炊飯器でバナナケーキをつくったりしつつ(あ、あと、1回だけ、海外の方が訪問されたときに、通訳としてお手伝いをしたかな)、あとはいろいろ勉強させてもらっているところ。

あと数日の「こちら側」で、さらに何を感じ、何を考えることになるのだろうか。そして、そのあと「あちら側」に戻る日が来たら、本当に私は「戻れる」のだろうか……?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

スタッフのための炊き出し係?(^^;)をやりながら、海外からの助成金の申請のお手伝いや、プロジェクトやスタッフの相談に乗ったり、ちょっとした調べ物をお手伝いしたり、自分の知り合いで必要なサポートをしてくれる方々につないだり、といった内勤?ボランティアでした。

被災地支援プロジェクトを展開しているスタッフのみなさんについていって、あちこちの被災地で地元の方々のお話を聞いたり、避難所の小学校に連れて行ってもらったり、そこに連れていって下さった方の知り合いがいらしたので、避難所生活について教えてもらったり、支援物資を届けに行くトラックに乗せてもらって、気仙沼の避難所4ヶ所を回り、それぞれに違う避難所のようすを見せてもらったり、避難所で話し込んだおじさんにすごく大事なことを教えてもらったり。

石巻市ではまだ多数の方(人口の5%ぐらい)が避難所生活を送っています。仮設住宅は1万戸必要と言われていますが、私がいた時点ではめどがたっているのは1825戸だけ。避難所の方が「お盆の頃にはここを出て、仮設に入れることを期待してがんばっている」とおっしゃっていましたが、まだすべての土地が確保できていないなかで、あと8千戸を建てるのはもっと時間がかかるのではないかと心配されています。

漁業が主な産業だった石巻では、港も漁船も漁具も壊れ、海の中にはがれきが山になっており、養殖を再開するにも3〜5年かかるだろう、とため息の連続です。事業者の80%が被災しているとも聞きました。たとえば、ある運送会社は、40台あった車両のうち38台が流され、2台しか残っていない。がれきなど運ぶ仕事はいくらでもあるし、従業員もできるだけ解雇したくないが、でもクルマがなくては仕事ができない、と聞きました。

駅前の商店会にも連れて行ってもらいましたが、ここにも胸の高さまで津波が押し寄せたとのこと。多くのお店が破壊されたままになっていました。いくつかのお店では、泥出しをしたり(たくさんのボランティアさんもがんばっていました!)、修繕したり、厨房を入れ替えたり、少しずつお店の再開に向けて作業をされていました。

しかし、事業を再建するにも、そのための資金がなかなか融資してもらえない、という悲鳴のような言葉を何度も聞きました。事業者が事業を続けられないため、多くの方が職を失っており、小高い丘の上にあるハローワークには毎朝長蛇の列ができるとのこと。「企業活動→雇用→所得→購買力→企業活動」という循環が止まってしまっている現在、どこにどう介入して、ふたたびこの循環を回しはじめればよいのか……まだ答えは見つかっておらず、模索が続いている状況のようでした。

一方で、事業者の方からも避難所の方からも、1階は流されてしまったので2階に苦労して(台所用品から何から何まで流されてしまっている)住みつづけている方からも、異口同音に聞いたのは、「援助してもらうことに慣れてはいけない」いう言葉でした。

「これまではふつうに自分で買い物に行き、食事を作っていた。いま、それができない状況になって炊き出しに頼っている。とてもありがたいが、人間、どうしてもラクな方に流される。援助に依存したくなる。お金を出さなくても作らなくても、食べさせてもらえる。それでいい、そのほうがいい、と慣れてはだめだ、自分に言い聞かせているんです」と。

震災直後の「緊急支援」のフェーズでは、もちろん炊き出しが命を左右するほど大事ですし、今でも大事な方々はたくさんいます。でも一方で、台所の泥出しをして、台所用品があれば食事を作れる状況になってきたら、必要な台所用品を支援することが大事になってくるでしょう。地域の人たちが順番に使える台所を借りて、自分たちで炊き出しをすることができるなら、そこで必要な食材やプロパンガスなどを提供する支援が役に立つでしょう。

私は被災地に入るのは今回が初めてという初心者です。ベテランには当然でも、知らない人が(行く前の自分も含めて)多いと思ったのは、「被災地のニーズは週替わりで変わっていく」ということでした。そして、ニーズをキャッチして、支援物資を送るまでにどうしても時間的な遅れがあるので、ニーズと届くモノとの間にギャップが生まれることがよくある、という現状です。

最初はそのまま食べられる食料や、着替えが必要。ということで、パックのご飯や乾パン、レトルト食品、カップ麺、衣類などが役立ちます。そういうニーズが伝わるので、多くの食品や衣類が集まります。そのうち、台所用品や食材、泥出しのためのスコップやモップ、長靴などが必要になります。

でも、そういったニーズが届いて、品物が集まってくるまでに時間的な遅れが生じ、その間にも前にニーズを聞いて送りだしてくれた(そして新しいニーズが生まれていることを知らずに、最初のニーズに応え続けてくれる方々もいるので)衣類などの物品が集まりすぎて、置いておく場所がないからと、せっかく支援物資を届けても断られたりする状況も出てきます。

被災地により、またフェーズにより、また対象者により(たとえば、生活者なのか、事業再開をめざす事業者なのか、など)ニーズが違い、週替わりで変わっていくことを、わずか12日間でも目の当たりにしました。

変わっていくニーズやそのニーズの満たされ度合いについて、できるだけ時間的な遅れがないように、支援してくれる人たちに伝え、無駄や遅れのできるだけない形で、支援物資を届けるためのシステムがあったらどんなに役に立つことだろう!と思います。鍵は継続的な情報収集と伝達のしくみです。

JENの事務所は、石巻のボランティア拠点となっている石巻専修大学のすぐ近くにあります。大学のキャンパスはボランティアさんに開放されていて、ゴールデンウィーク中は全国からテントと寝袋と自分の食糧をかついでやってきたボランティアさんたちでいっぱいでした。

緑のグランドに色とりどりのテントが並んでいるようすは、圧巻であり心温まるものでした。そして、うれしいことに、ボランティアさんたちを元気づけるためのボランティアグループもありました。

一日泥だらけになってガレキ撤去や泥出しをして戻ってくるボランティアさんたちを、「ボランティア向けのラーメンの炊き出し」部隊や、「熱いシャワー浴びられます」というサービスを提供するグループが迎えます。どんなにほっとし、元気づけられたことだろうと思います。JENのボランティアさんたちも喜んでシャワーを浴びに行っていました。

私はテントでなく、JENの事務所・宿泊所に泊めてもらいましたが、寝袋を2枚重ねても寒くて寒くて風邪を引いたほどです。そのような気温の中、テントに寝泊まりしながらたくさんのボランティアさんたちががんばって石巻で活躍してくれたこと、今でもがんばってくれていること、本当にうれしくありがたいなあ!と思います。

           (次 号 に つ づ く)

※メールニュースの引用・転載は出所を添えて、ご自由にどうぞ(枝廣淳子の環境メールニュース 
http://www.es-inc.jp

 

このページの先頭へ

このページの先頭へ