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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2010年01月27日

「GDPに代わる幸福を測る経済指標とは?-前編」(2010.01.27)

新しいあり方へ
 

<内容>

■フィジーより

■日本電気労働組合広報紙「NWU-COM」2009年11月号より
 「GDPに代わる幸福を測る経済指標とは? 前編」


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■フィジーより

成田空港からソウル経由で、フィジーに到着しました。フィジーには日本からも直行便があったのですが、1年ぐらいまえになくなってしまったとのこと。翻って、ソウルはアジアの立派なハブ空港として活躍しているようで、こんなところにも、日本のプレゼンスやポジションの低下を感じてしまいました。。。

さて、フィジーでは1泊して、明朝48人乗りのプロペラ機でツバルに向かいますが、今日の午後には、南太平洋の海水面の変化などを調査・研究しているSOPACのウェブ博士にお時間をいただいて、お話をうかがいきました。

実際に、ツバルを含め、南太平洋で何が起きているのか、科学の視点からお話をうかがうことができて、いろいろと考えさせられました。うかがったお話の内容などは、また別途お伝えしたいと思います。(余談ですが、すごく久しぶりに通訳をして、あー、そうだった、通訳もなかなか楽しいねぇ、と昔取った杵柄?を思い出しました。^^;) 

今回ツバルツアーで聞いたり考えたりしたいことの1つに「幸せ」があります。もちろん、海面上昇がどうなっていて、どういう被害が出ているかも知りたいのですが、それと同時に、ツバルの人々が何を大事にして生きてきたのか--ブータンで学んだように、幸せと経済成長の関係について考えていきたい私にとっての、いろいろなヒントがあるのではないか?と期待しているのです。

というわけで、関連する文章を書いたものからご紹介します。


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■日本電気労働組合広報紙「NWU-COM」2009年11月号より
 「GDPに代わる幸福を測る経済指標とは? 前編」

特集
GDPに代わる幸福を測る経済指標とは? [前編]
〜持続可能な社会を実現するために〜


○「何を測るか」が行動に影響を与える

2001年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジョセフ・スティグリッツ氏は、「パフォーマンスがより重視される社会では、数字が重要です。私たちが測るものは、私たちの行動に影響を与えるのです。もし間違った指標を使っていれば、間違ったことのために努力をするようになるでしょう」と言っています。

「何を測るかが私たちの行動に影響を与える」 ――これは含蓄の深い言葉です。

さて、私たちは、幸せな暮らしを送りたいと思っています。そして、一人ひとりが幸せな暮らしを送れる社会であってほしい、と願っています。

そうならば、私たちの社会が進歩しているのかどうかを測るために、私たちはどのような物差し(指標)を使っているでしょうか?。

多くの場合、「国内総生産」(GDP)がその指標として使われています。世界各国は「GDPを大きくする競争」にしのぎをけずり、マスコミはしょっちゅう「GDPが上がった」「下がった」と報道し、政治家や経済界からの発言を聞いていても、GDPの成長率は彼らの唯一のといってよいほどの関心事であることがわかります。

そして、私たち市民も「GDPが上がった」と聞くとうれしく思い、「下がった」と聞くと、困ったなと思う。ほとんど反射的に、そんな反応をしているのではないでしょうか。「GDP成長率が十分ではない」となれば、政治家は何らかの手を打とうとしますし、経済界のみならず、一般の人々も(その多くは)「GDPは成長し続けるべきもの」と信じているので、GDPを何とか押し上げるような対策を打つことを政府に期待し、圧力をかけます。

では、たとえば、「子どもの成長」――子どもがちゃんと成長しているのかどうか――を知ろうとするとき、私たちは何を測るでしょう?。

子どもが赤ちゃんの頃はよく、体重で成長ぶりを測ります。赤ちゃんを体重計に座らせて、「先月より○グラム増えたわ。ちゃんと大きくなっているわね」と安心したり、よその人と「うちの子はもう○キロなんですよ」なんてほほえましい会話を交したりしていることでしょう。

ところで、赤ちゃんの体重は、増えなかったら心配になりますが、だからといって、どんな増え方でも増えればよい、というものでもありません。1日に1キロずつ増えていったら、大変なことになります。赤ちゃんも急激すぎる体重増加に体を壊すでしょうし、おっぱいが足りなくて、お母さんはがりがりにやせてしまい、倒れてしまうかもしれません。

赤ちゃんの体重については、「増えた方がよいけど、適正な増え方がある」ことをみなが当然だと思っています。その点でいえば、GDPについてはどうでしょう?。「今のGDPの成長率は大きすぎるのではないか?」「GDPにも適正な増え方がある」といった議論はあまり聞きません。

むしろ、GDPに関しては「とにかくGDPが増えればいいのだ」という、かなり乱暴で短絡的な考え(期待?)が蔓延しているように思えます。適正な成長でなければ、お母さんのおっぱい(GDPを生み出す原材料やエネルギーを提供しているさまざまな資源)が枯渇してしまうだけではなく、お母さん自身(地球)もがりがりにやせて倒れてしまうのは、人間の赤ちゃんの場合と同じなのですが。

そして、子どもの成長を測ろうとするとき、子どもが大きくなってからも、高校生や大学生になっても、体重でその成長ぶりを測るでしょうか?。当然、そのようなことはないはずです。子どもが大きくなるにつれて、体重に代表される「身体」の成長ではなく、知性や品性、徳性といった「知性や精神性」でその人の成長ぶりを判断するようになってきます。

つまり、子どもの成長段階に応じて、成長を測る適切な物差しが違うのです。子どもの成長だけではなく、私たちが社会の進歩を測るときにも、その社会の成長段階(発展段階)に応じて、それぞれふさわしい物差しを使う必要があります。「何を測るか」は、測りたいものや状況の変化とともに、見直していくべきなのです。

でも、今の私たちは「いつでも・どこでも・だれにでも(どの国にでも)」、画一的に(悪く言えば、バカのひとつ覚えみたいに)GDPを物差しにしています。相手の発展段階や状況などをまったく考慮に入れない、融通の利かない「単一物差し制」「GDP至上主義」のようです。

さて、冒頭登場したスティグリッツさんは、「私たちが測るものは私たちの行動に影響を与えるのです。もし間違った指標を使っていれば、間違ったことのために努力をするようになるでしょう」に続けて、このように述べています。「GDPを増やそうと懸命になることで、市民はより暮らし向きが悪くなる社会を作ってしまうかもしれないのです」。

GDPを社会の指標にすると、みんなGDPを増やそうと一生懸命になる(いまそのとおりの状況ですね!)。でもそのせいで一般の人々が幸せになれない社会を作ってしまうかもしれない。それは、目的(社会の幸せ)に対して、間違った指標(GDP)を使っているからだ、といっているのです。

私たちは、何となく「GDPが増えれば、経済が大きくなるってことだから、自分のお給料も増えるだろう。そうすれば、使えるお金が増えるから、自分はより幸せになるだろう」と思っているのですが、スティグリッツさんは、「GDPと幸せは別物だ。別物のGDPを追いかけても幸せになれないかもしれない」と言っているのです。さて、これはどういうことなのでしょうか?。そもそもGDPって何なのでしょうか?。GDPとは何を測っているものなのでしょうか?。

○GDPでは幸せを測れない

GDPとは、ある国で、1年間に新しく生みだされた生産物やサービスの金額の総和のことです。それが何であっても、モノやサービスが生み出されお金が動けば、GDPは増えます。そのモノやサービスが、私たちや社会の幸せにつながっていても、つながっていなくても、関係ありません。GDPは、人間の幸福に役立つ・役立たないに関わらず、生み出されたモノやサービスの合計を金額で表したものです。

ということは、環境汚染が進めば進むほど、交通事故が起これば起こるほど、暴力事件が起これば起こるほど、GDPは増えるということです。なぜなら、環境汚染によって病気になった人や交通事故にあった人の医療費はもちろん、暴力事件に投入される警官の超過手当なども、「国の経済成長」の一端として合計されるからです。ですから「GDPが増えた」といって喜んでいてはいけません。増えたのは喜ぶべきGDPなのか、そうではないのかを区別しなくてはならないのです。

もうひとつ、「GDPにカウントされていないけど、幸せをつくり出している」という活動もあります。たとえば、家事や育児です。お父さんやお母さんが子どもに絵本を読んであげる――これは素晴らしい幸せをつくり出しています。でも、お金は一銭も動きませんから、GDPは増えません。ボランティア活動も同じです。どんなに汗を流して山に木を植えたり、町の清掃をしたり、ほかのどんなボランティア活動をしても、お金が動かないかぎり、GDPには影響を与えないのです。

「GDPには、幸せを壊すものも入っている一方、幸せにつながるものが入っていない」としたら、本当の意味で、社会の進歩を測る指標とはなり得ません。GDPは、単に経済の中で動くお金の量を測っているにすぎないのです。

ところで、興味深いエピソードがあります。GNP(国民総生産)を開発したサイモン・クズネッツ自身が、1943年に米国議会で「GNP(GDP)という形で推定された所得からは、国の豊かさはほとんど推し測れない」と証言したことがあるそうです。開発者本人には、それが何を測り、何を測っていないかがわかっていたからです。しかし残念なことに、人々は、その警告に耳を傾けず、わかりやすい指標だと飛びついて、本来測れないものまで、測ろうとしてきた、ということなのです。

○社会の進歩や幸せを測ろうとする指標

では本当の進歩を測るには、どうしたらよいのでしょうか?。「進歩」や「幸せ」のような抽象的なものを数字としてとらえることができるのでしょうか?。

1960〜70年代に、それまでの経済最優先主義から深刻な公害や環境破壊が明らかになり、単なる経済だけではなく、社会や人々の暮らしにも目を向けた新しい指標の検討が始まりました。

世界的な経済学者であるハーマン・デイリーやジョン・コップらは1989年に、ISEW(Index of sustainable economic welfare:持続可能な経済福祉指標)という指標を提唱しました。自然環境の汚染が経済の持続可能性を行うコストであると認識した上で、GDPのように単純なお金の取引を積み上げた指標ではなく、大気汚染や水質汚濁、騒音公害、湿原や農地の喪失、オゾン層の減少などのコストを差し引くことで、環境汚染の経済的な損失を考慮に入れた指標です。
1995年には、このISEWの開発者の一人であるクリフ・コブの協力のもと、リディファイニング・プログレス(Redefining Progress:「進歩を再定義する」の意)という団体が、GPI(Genuine Progress Indicator:真の進歩指標)という指標を提案しました。

真の進歩とは「人の幸福を増やすこと」として、ISEWをさらに発展させて、「人の幸福に影響を与える項目」を加えました。日本や米国をはじめ、世界10数カ国でGPIが計算されています。

GPIはどのように計算するのでしょうか?。GDPの個人消費データをベースとしますが、「所得増加の効果は豊かな人より貧しい人のほうが大きい」という経済理論と常識に基づき、貧しい人への所得分配が増えればGPIも増えるといった調整をします。

そして、家庭やボランティア活動など、現在のGDPには入っていないけれど、幸せをつくり出している活動の経済的貢献について、だれかを雇ってその仕事をした場合のコスト計算をベースに計算し、足します。逆に、環境破壊や環境汚染、交通事故、犯罪、家庭崩壊など、幸せや進歩につながっていない活動に伴って動いたお金や、健康や環境への被害額を計算して、引きます。こうした調整を加えて計算します。

人口一人当たりのGPIと人口一人当たりのGDPを並べたグラフを見ると、日本でも米国でも、ある時期(1960〜70年代)までは、GDPもGPIも、並行して伸びています(グラフ参照)。ところが、そのあとは、GDPのほうは右肩上がりに増えていくのに、GPIのほうは増えなくなっています。増えないどころか、減っている場合もあります。

つまりGDPはどんどん増えているけど、私たちの幸せは増えていない、場合によっては減っているかもしれないのです(実感に合うと思う人も多いのではないでしょうか?)。そうだとしたら、いつまでもGDPを追い求めるような経済政策や国づくりをしていてよいのでしょうか?。

でもいまだに、マスコミでも、政治や経済界でも、「GDPの成長をめざす」「成長しないとだめだ」といっています。ちなみに、何であっても3%の成長が24年続くと、2倍の大きさになります。必要な人的資本、生産資本、金融資本、自然資本などを考えても、これから人口が減少していく状況を考えても、24年後に日本経済が現在の倍になるということは、おそらく考えられないのではないでしょうか? もしくはその必要があるとは思えないのではないでしょうか?

でも、日本だけではなく、世界のほぼすべての国が、目先のことしか見ておらず、いまだに「最低でも3%成長」とかけ声を掛け、景気浮揚策として短期的な投資をする、という社会経済になってしまっているのです。

実は、このようなGDP至上主義に対して、ユニークで本質的なアプローチをしている国もあります。次回の12月号ではその考え方や取り組みをご紹介しましょう。どうぞお楽しみに!

(出典:日本電気労働組合広報紙「NWU-COM」2009年11月号より)

 

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