ホーム > 環境メールニュース > 「環境まちづくりシンポジウム 〜風・水・緑で都市を冷まそう!〜」での発言録より(...

エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2008年09月23日

「環境まちづくりシンポジウム 〜風・水・緑で都市を冷まそう!〜」での発言録より(2008.09.22)

温暖化
 

前号でヒートランド現象についてお伝えするきっかけとなった大阪での「環境まちづくりシンポジウム 〜風・水・緑で都市を冷まそう!〜」での自分の発言録をお伝えしたいと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

先週までスウェーデンに出張に行って、いくつかの町、自治体を見せてもらっていたのですが、やっぱり住んでいる人たちが、「こういう町にしたい」とか「こういう市にしたい」という思いを持って、意思を持って、まちづくりしているなというのを、あちこちで感じました。

何となく、「いつの間にか、駐車場ばかりになっちゃった」とか、「いつの間にか、こんな暑くなっちゃった」という受け身でいるのではなくて、私たち一人ひとりが、本当にどういう所に住みたいのか、何が本当に大切なことなのか、を考えていくこと。

これは「バックキャスティング」というのですが、「いまがどう」ということではなくて、「ありたい姿って、どういう姿なの?」ということを、一人ひとりが描いていく力、もしくは地域で描いていく力があるんだなあ、と思いました。日本も、これからそれをもっと身につけていければいいなと思います。

たとえば、ヒートアイランド対策として、「しなければならないもの」だけではなくて、ちょっと想像してみてください。あちこちに緑の木陰が揺れていて、風がそよそよ渡っていて、水面がきらきらしていて、子どもたちが足を水につけて遊んで歓声を上げていて。そんな姿をちょっと想像すると、「そんな町に住みたいな」「大阪をそんな町にしたいな」と思うんじゃないかなと思います。

いつの間にかビルばかり建って、いつの間にかアスファルトばかりになって、というのではなくて、私たち自身がどういう町にしたいのか--それを考えて、それを形にしていく。そんなまちづくりになっていくと、日本も変わっていくんじゃないかなと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日ここにいらしている皆さんは、こういう先生方のお話を聞かれたり、いろいろな写真やデータをご覧になることで、「実はそんな状況になっていたのか」「これはやはり変えたいな」と思われたと思います。

でも、ここにいらしていない方は多分、そういうことは全然わからない。「これが普通だ」と無意識のうちに思っていて、文句を言いつつも受け入れている方がたくさんいらっしゃると思います。それをどういうふうにやったら変えていけるだろうか?とよく思います。

たとえば、チョンゲチョンの川を再生させたソウルのように、市長さんが強いリーダーシップでひっぱっていくというのもひとつですが、いま世界のいろんな動きを見ていると、上からの強いリーダーシップでというよりも、そこに住んでいる人たちの思いを積み重ねることで地域を変えている例がたくさんあります。

そのとき、何があれば変わっていけるのだろうか?と考えると、ひとつは、わかりやすい指標ですね。たとえば、私がずっと一緒に活動しているレスター・ブラウン氏は、「PP指標」というのをつくったらどうかと話していたことがありま
す。最初のPはPark、公園、緑地面積ですね。もうひとつのPはParking lot、駐車場の面積です。つまり、駐車場と緑地の面積の割合を計算して、各地の指標にしたらどうか、と。

そうすることで、駐車場や道路とか、車のための町の部分がきっと増えてきている現状を見せることができます。そこから「町はだれのものなのか?」と考える人も増えていくでしょう。

それからもうひとつ、変えたいという住民の意思をどうやって呼び起こしていくのか、ということも重要です。

そのとき、誰か偉い人や上の人が「こうあるべきだ」と言ってみんながついていくというよりも、それぞれの地域で住民が話し合いを重ねて、「ほんとはどういう町にしたいんだろう」「ほんとはこういう地域にしたいんだ」といった話し合いを重ねること。それによって、変えたいという思いを引き出されていくのだと思います。

ヨーロッパに行ってもアメリカに行っても、実際に町が変わっているところでは、住民の間の話し合いがたくさんおこなわれています。そのための手法もあります。ワールド・カフェ方式など)

日本はどうも、みんな忙しくて、なかなかお互いに話をする時間もなかったりするのですが、現状と望ましい姿をわかりやすく表すものや、みんなで思いを引き出し合えるような場をつくっていくことが大事ではないかと思うのです。

とても遠回りに思えるかもしれませんが、そういうことをやっていくことが、ヒートアイランドだけではなくて、日本の国をもっともっと、ほんとに私たちが住みたいと思う国にしていくんじゃないかなと思っています。

私たちはどうも、短期的な対症療法に走りがちになってしまいます。温暖化でもヒートアイランドでも、状況が厳しくなればなるほどそうだと思います。刹那的な救いが欲しくなりますから。「ほんとは、温暖化防止のためにクーラーをつけないほうがいいんだけど」と思っても、暑さに耐えられなくなったらつけますよ
ね。

たとえば、先ほどの話に出ていた取り組みのひとつに、ドライ型ミストというのがありましたね。水をミスト(霧)にしてまいて涼しくするというものです。「これは根本的な解決策なのかなあ?」と思って見ていました。

確かに、あそこを通る人は、一瞬涼しく感じると思います。たとえば野外コンサートとか、人がたくさん集まって全然動けなくて、風も動かなくて、そのままだと熱中症が続々出てしまうようなところで、ミストを出すのは、対症療法として必要だと思いますが……。

でも、ミストを出すために何を使っているのでしょう? あの水はきっと上水を使っていますよね? それから、あの機械をつくり、あのミストを作って噴出するためには電力も使っているでしょう。としたら、短期的に、通ったときにすっと涼しくても、温暖化やヒートアイランドへの根本的な解決策にはなっていないのではないか、場合によっては悪化させる要因になっているのではないか?

打ち水大作戦がすごくいいなと思うのは、水道水は使わないということです。たとえば、大阪市でミストをやるんだったら大阪湾の水を使うとか。そしたら「大阪湾をきれいにしよう」という気持ちも、きっと一緒に高まると思うし。何かそういうふうに、刹那的な助けを求めるのではなくて、長期的に本当に何が必要かを考え、伝えていくこと。

おそらく、これこそが政治やリーダーシップのやるべきことです。みんなが短期的な対症療法に走りがちなところを、実はどういう構造になっているのか、実は何を本当にやらなきゃいけないのか。それをちゃんと説明して、みんなを説得していくこと。それが大事ではないかなと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

道路の話だけではないですが、私たちがいまやっていかないといけないのは、これまで「これが普通だ」「これが常識だ」と思い込んできたもの、英語ではメンタルモデルといいますが、心の中にあるあるモデルを変えていくことだと思います。

「道路は車が通るものだ」とか、「道路は舗装されているものだ」と、何となくみんなそれがごく普通のように思っているわけです。でも、別にそうである必要はありません。

日本が貧しかったときに、道路は舗装されていなかった。ですから、貧しさから豊かさへ向かうひとつの指標として、道路の舗装率というのが使われました。それが増えること、つまり、道路が舗装されていくことが、豊かさのひとつの進歩なんだと。

でも、そうでなくてもいい。たとえば、そのせいでヒートアイランドが悪化したりしている。そのせいで、道路が、人が集まったり人が通ったりというよりも、自動車のものになってしまっている。としたら、その思い込みを変えればいい。

さっき、スウェーデンに出張に行っていた話をしましたが、スウェーデンのあちこちの都市で、特に町なかは舗装していません。石畳の道です。車も通りにくいし、私たち、スーツケースを引いて歩いていたので、すごくガタガタで歩きにくかったです。

でも、「歩きにくい」とか「○○しにくい」よりも、「しやすい」「効率がいい」「早く動ける」ほうがいいと思っていたけど、それ自体を考え直してもいいんじゃないか。時間がかかってもいい。車が通りにくくてもいい。歩きにくくてもいい。

8月に行ったのですが、石畳がひいてある所は、アスファルトの所より涼しいんですね。これまで「こういうものだ」「これがいいものだ」「これが進歩だ」と思っていたことを変えていくこと。

もし、町の舗装率を計算したときに、「舗装率が高いということは、逆に貧しい、とても恥ずかしい」--そんなふうになっていくと、みんなが舗装を外していくでしょう。道そのものが悪いわけではなくて、舗装で固めてしまって車だけのための道になってしまっている、そこを変えていけばいい。川を取り戻そうという
のと同じように、道路を、道を、人間の道として、私たちの道として取り戻していくことができるでしょう。

そんなことを、私たちの考え方の中から変えていける。今日、お帰りになるときに舗装道路を通られると思いますが、「これって、もしかしたら舗装でなくてもいいかも?」なんて思いながら帰ってもらえたら、と思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後に3つ、最後のメッセージということでお話ししようと思います。

1つは、さっきもお話したことですが、私たちが「こうだよね」「これはこういうものだよね」と思い込んでいることを、いろんな意味で「ほんとにそうかな」と、もう一回考え直す時期に来ているなと思います。

スウェーデンに出張に行ったときに、20カ国ぐらいからいろんな人が参加をして、環境の合宿をしていたんですが、そのとき思いついて、それぞれ来る人に、「自分の国で売っている世界地図を1つずつ持って来てください」とお願いしました。

私たちにとっての世界地図というと、真ん中に日本がありますよね。小さいときからそれしか見ていないので、そういうものだと思っていると思います。でも、世界各地から持ってきてもらった世界地図を見ると、当然ながら、その国が真ん中にあるわけです。スイスの人が持ってきてくれた世界地図は、スイスが真ん中にあります。

だから世界は、もしくは世界地図はこういうものだと、ずっと無意識のうちに、これまでの教育や経験から思っていたものを、そうじゃないんだ、そうじゃなくてもいいんだと思うことができる。そういう機会がいっぱいあれば、そしてそういう気づきがいっぱいあれば、と思うのです。

たとえば、「GDPが伸びれば幸せになるんだ」というのも、もしかしたら思い込みだったかもしれない。「コンクリートやアスファルトや自動車が増えることが進歩だ」と思い込んでいたのも、もしかしたら問い直してもいいかもしれない。そういう、立ち止まって問い直すことの大切さです。

2番目は、いま、森山先生が緑地30%というのを見せてくださいましたが、こうありたい姿、こうしたい姿、ビジョンを描くということだと思います。夢かもしれない。でも、「こうあったらいいな」という、そういうものがあると、力が出てくると思います。

それから最後に大事なことは、それを単に呼びかけだけではなくて、本当に変えていくための仕組みにしていくということです。

たとえば、「緑化、進めたらいいね」と言って、市民に緑化を呼びかけるだけではなくて、ひとつの、たとえば条例などという形で緑化を進めるやり方もあります。

いま、名古屋市がそれを進めつつあります。ある一定面積以上の敷地面積がある新しい建物は、10%もしくは20%の緑化を義務づける。もしそうしなければ建築の許可を出さない、という条例です。ですから、そのようにある強制力を持って、進めるべきことは進めるというのもひとつだと思います。

スペインで、太陽熱を利用するための太陽熱給湯器を、新築の建設物に義務づけるという全国的な法律ができました。これももともとはバルセロナが数年前に始めて、それはいいことだと、70のスペインの都市がまねをして、とうとう国の法律になったんですね。

国の法律が変わるのは、国が動くのは、おそらくいちばん最後になります。ですから地域から変えていくこと。

そういった意味で、今日をひとつの機会に、大阪に風の道をつくる。それがごく普通の動きとして、あちこちの自治体に広がっていって、そして日本政府も、その大事さを国として認めて進めていく……。今日が、そのための1日目になったらいいなと思います。ありがとうございました。

 

このページの先頭へ

このページの先頭へ