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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2008年04月01日

月刊省エネルギーへの寄稿「Sufficiencyとしての省エネ」(2008.04.01)

エネルギー危機
 

インドネシアから戻ってきました。

機内で新聞を読んでいたら、とうとう国連が、「全世界の人口で、地球が1年間に吸収できる二酸化炭素量を割って、一人当たり(先進国も途上国も等しく)の排出量のキャップ(上限)を設定し、先進国の私たちのように、上限以上に出す人は、途上国やエコ生活を送って出さない人たちから、足りない分を買う、という個人レベルの排出量取引に乗り出す」という記事があり、思わず、拍手喝采してしまいました! 

これが実現すれば、世界全体で、温暖化を起こさないレベルまで排出量を減らすことができ、その過程で、先進国から途上国への資金が移動して、貧富の差などの問題解決にも役立てることができます。

(ってことを、4月1日じゃない日に書ける日が早く来ますように! ^^;)


さて、飛行機は朝7時前に着いて、成田空港からオフィスへの道、あちこちで美しい桜を楽しみました。散らずにいてくれてよかった!(^^;

キャンドルナイトの呼びかけ人代表の仲間である竹村真一さんが、素敵な文章の掲載を許可してくださいました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

サクラ、サオリ、サオトメ、サツキ・・。五月が"サ"の月と呼ばれるわけをご存知ですか?

いにしえより日本人は、春になると「山の神」が里に降りてきて「田の神」に転じ、イネの魂となって私たち人間にみのりをもたらすと信じていました。

"サ"とはその山の神のことで、その眼に見えない霊力がひたひたと降りてくる様子を"サオリ"、降りてくる月を"サツキ"、そしてそれが宿ったイネの苗を"サナエ"と呼んだわけです。

ちなみに"サクラ"とは、サが山と里のあいだで小休止する座(クラ)のこと。山あいにうっすらと色づく山桜は、眼に見えないスピリットがほんのひと時トランジットした現われなのです。私たちの祖先は、小さな花のなかに宇宙的な生命力の循環を見ていたわけですね。

こうした生命力が凝縮されて、"イノチのネ"としてのイネがみのる。水田という合理的なシステムを日本人が二千年にわたってバージョンアップしてきた結果、いまでは一粒のコメから何と1500粒が取れるといいます。

バーチャルなマネーゲームでも、毎年自分の財産が1500倍になり続けるようなおいしい話はどこ探してもないはずです。一見何でもない田んぼでそんな信じがたい"魔法"が日々行われていると思うと、見慣れた風景もちがって見えてきますね。

さて、そろそろ田植えの季節。田んぼはコメを作るだけではない。地球の表面を水で覆うことで気候をマイルドに調律するとともに、草木虫魚の多様な生態系を育みます。都市にもたとえば屋上緑化、屋上棚田という形で、こうした水田という21世紀型の地球環境OSを活用することもできるのではないでしょうか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もうひとつの引用は、「月刊省エネルギー」に寄稿した「Sufficiencyとしての省エネ」です。
http://www.eccj.or.jp/book/magazine.html

「Sufficiency」を辞書で引くと、「たっぷりあること、十分にあること」と出てきます。私はエネルギー問題でも仕事でも、幸せについても、efficiency(効率性)だけでなく、このsufficientyも考えることがとても重要だと思っています。

どれだけ効率よく、つまり、同じ単位(時間やエネルギーなど)のインプット(投入)に対してより多くを得るか、これがefficiency=効率性です。これはとても大事なのですが、これだけでは、物事の半分にすぎません。

もう半分の大事なことは、「どれだけあればよいの?」ということです。これを私はsufficiency と呼んでいます。日本語にするときには、「足るを知る」ということばがぴったりかな、と思います。効率性が技術的な側面だとすると、こちらは、心や価値観に関わる側面です。

いまの経済も社会も環境への取り組みも、ほぼすべてがefficiencyに焦点を当てています。いかに効率を上げるか、エコ効率を高めるにはどうしたらよいか。しかし究極的には、効率向上の取り組みは、大事な時間稼ぎにはなっても、問題の「モト」(=sufficiency)に向き合わない限り、本質的な問題解決にはならないのではないか、と思うのです。そんな思いで書いた原稿です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「Sufficiencyとしての省エネ」
                                枝廣淳子

9月末にスイス・チューリッヒでの国際会議「サステナビリティのためのイノベーション」に参加しました。メインテーマは「エネルギー」で、特に「エネルギー効率」を軸に議論が展開しているのを聞きながら、「そういえば、欧米の会議ではいつもそうだなあ」と思った私(アジアから唯一の参加者でした)は、このように発言しました。

「この議論では、『エネルギー効率』という言葉を使っていますが、日本では『省エネ』という言葉をよく使います。重要なのはエネルギー効率そのものではなく、どれぐらいのエネルギーを使わずにすむかではないでしょうか? 

そして、エネルギー消費量を減らすには、「エネルギー効率の改善」以外にも大事な方法があります。「使用そのものを減らすこと」です。いくらエネルギー効率を高めても、実際に使う量や数が増えている限り、総量としてのエネルギー消費量は減りません。いかに燃費のよい自動車でも、走行距離が伸び、世帯当たりの台数が増える限り、エネルギー消費量は増えてしまうのです。

効率(efficiency)だけではなく、どれぐらいあれば十分なのか、本当に必要なのはどれぐらいなのか、という「足るを知る」(sufficiency)面も重要ではないでしょうか」。

efficiency への取り組みは、「使用量は不問」を暗黙の前提としています。「これまでと同じように使うとしたら」省エネ型電球はエネルギー消費量が少ないです、という具合に。つまり、ある需要の「満たし方」の効率を向上するアプローチです。

それに対して、sufficiencyへの取り組みは、「この照明はここまで明るい必要があるのかな? そもそもこの部屋に照明は必要なのかな?」と、「満たされるべきもの自体」を見直すものです。

efficiency への取り組みは主に、技術革新で進んでいきます。一方、sufficiencyへの取り組みは、私たち一人一人、また集団や社会としてのメンタルモデル(意識・無意識の前提)や価値観への働きかけとなります。そして、技術による効率改善とともに、「本当に必要なのはどのくらいなの?」という問い直しは、これからますます重要になるでしょう。

日本人だったら、「エネルギー効率が改善すればいくらでも使ってよい」という考え方には違和感を抱く人が多いのではないでしょうか? 「足るを知る」という、まさに持続可能な社会の生き方の根本的な価値観を、私たちは歴史的・文化的に継承しているからです。

お金がある限り、技術が進歩する限り、どこまでも消費を最大化しようとするのではなく、「たとえ手の届くところにあっても必要以上は使わない」という自然の知恵(ライオンだって、必要以上には獲物を獲りません!)を体現する「sufficiencyとしての省エネ」――今後はこちらの省エネにも力を注ぎ、世界の人々にも伝えていきたいと思うのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ところで、第1回の首相直轄の温暖化懇談会の議事要旨がアップされました。こちらからお読みいただけます。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tikyuu/kaisai/index.html

私のしゃべった内容は、メールニュースでもお伝えしていますが

産業界の方や、大学の先生、末吉さんなど、ほかのメンバーが「最初の3分間」に何を語ったのか、ご興味がある方はぜひご覧ください。

第2回の懇談会は、4月5日に、サミット開催地となる洞爺湖でおこなわれる予定です。今度もやはり限られた時間しかしゃべれないので、何をどのように話そうか、思案中です。またお伝えしますね!

 

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