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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2008年02月29日

熊崎実氏「スギ人工林を厄介視するのではなく温暖化防止に役立てよう」前編(2008.02.29)

森林のこと
 

前号でお知らせした「私の森.jp」オープン記念フォーラムのお申し込みメールアドレス、申し訳ありませんが、訂正させて下さい。(すでにお申し込みいただいている方は、返信メールが届いていればそのままでだいじょうぶです)

mori0319@es-inc.jp までお送り下さい〜。

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「私の森.jp」オープン記念フォーラム(2008年3月19日)

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さて、岐阜に県立の森林文化アカデミーがあります。「森林・林業の問題を地域の人たちと一緒になって解決していくことを主眼に、研究と教育を行う学校」です。
http://www.forest.ac.jp/
少人数制で、3部門あります。

> 「専修教育・学習部門」:21世紀の森林及び森林文化を担う人材を育成します
> (森と木のクリエーター科・森と木のエンジニア科)。
>
> 「短期技術研修部門」: 森林・林業に関係する人たちを対象に、伐出、造林、
> きのこ栽培などの個別的な技術の研修を行います。技術項目毎に県の専門技術者
> や経験豊かな実務家による短期間の研修を年間を通して提供します。
>
> 「生涯学習部門」: 一般の方々を対象に、自然、環境、木工、木造建築など、
> 森林と森林文化にかかわる多様な講義を開催します。アカデミーの教員を始め、
> ユニークな講師による講座を年間を通して提供します。
>

山の中にあるとても素敵な学校です。

このアカデミーの熊崎実学長が『都市問題』という雑誌にお書きになった論文をいただきました。とても大事な問題をわかりやすくお書きになっているので、お願いしたところ、ご紹介させていただくご快諾をいただきました。

2回にわけてお届けします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

スギ人工林を厄介視するのではなく温暖化防止に役立てよう
     あまりにも近視眼的なスギ退治作戦
                                  熊崎 実

●はじめに

東京のスギは、花粉症の元凶として、都民から徹底的に嫌われている。都市周辺のスギ林を伐採して広葉樹林に切り替えようというプロジェクトも始まった。しかしこれは見当はずれの愚かな政策である。東京都とその周辺にあるスギ林を根絶しても花粉症は決してなくならない。おそらく減らすことさえ難しいだろう。公的資金のまったくの無駄使いだ。

近年、スギが厄介視されるようになった、もう一つの理由は、日本人の生活と文化の両面で、スギという樹木が果たしてきた役割が十分に理解されていないことによる。したがって将来果たすことになるであろう重要な役割も分かっていない。外国産の木材を使い続けた30年か40年のあいだに、スギという樹種の優れた特性がすっかり忘れられてしまった。

小論の前半では、スギ撲滅作戦の非を指摘したうえで、スギという樹種が日本の木の文化を支えるに至った経緯を概説する。そして後半では戦後に造成されたスギ林が今後の木材の安定供給と地球温暖化防止において重要な役割を果たし得るという筆者の見解を述べることにしたい。

●スギを退治しても花粉症はなくならない

森林生態学者の只木良也氏は、花粉症の元凶はスギだという通念に対して次のような疑問を投げかけている1)。

スギ花粉症というが、花粉症を発症させるのはスギだけではない。木本ではヒノキやブナ、ナラ類があるし、キク、ブタクサのような草本類も要注意だ。もともと花粉症が問題になったのは今から40年前のことで、その場所はスギのまったくないイギリスにおいてであった。

次に、近年花粉症患者が急増しているのは、モータリゼーションなどの都市化現象と大いに関係がある。事実、花粉症にかかる人の割合は近くにあまりスギのない都市部で高く、スギ林のいっぱいある農村部で低い。農村部に住んでいた人が都市に移住して3、4年すると花粉症にやられるという。さまざまな汚染物質がただよう都市的な環境のなかで、花粉に対する人間の抵抗力が弱まってしまうのだ。

この只木氏の見解から次の結論が導かれるのは自明であろう。原因となるらしい植物をやっつけて花粉症を防ごうとすれば、大変な数の植物を絶滅させならず、およそ不可能なことだ。このような発想自体、思い上がりもはなはだしい。また環境が汚染物質によごされて、花粉に対する人間の抵抗力が弱まっているとしたら、その原因をつくったのは人間自身だ。それをすべてスギのせいにするのは、いかがなものか。スギの撲滅よりも汚染のない自然の環境を取り戻すことこそ急務であろう。

●日本の木の文化を支えてきたスギ

わが国の大型の歴史建造物をみると、スギやヒノキなどの大径針葉樹材を使ったものが多い。かつてはわが国の森林にも針葉樹の高齢の巨木がかなり立っていたということであろう。日本の木の文化は大径のスギとヒノキに支えられてきた。

四手井綱英氏によれば2)、日本では針葉樹が亜寒帯のみならず、温帯、亜熱帯にも分布し、スギ、ヒノキ、モミ、ツガ、カヤ、コウヤマキ、イヌマキ、トガサワラなどの多様な針葉樹が温帯・亜熱帯の広葉樹の林冠層を突き抜けて、点状・群状に分散生育していたという。いわゆるエマージェント・ツリー、超優勢木だ。林冠から突出した孤立木は、枝葉を自由に広げることができ、長寿になる可能性が高い。大型の木造建造物がつくられるたびに、そうしたエマージェント・ツリーが伐り出され、資源の枯渇が進んだ。すでに江戸時代の初期には大径の針葉樹材を求めて九州の南端から本州の北端までくまなく斧が入っていたと言われる。

そのためスギ、ヒノキの苗木を植えて人工的に育てる育成林業の技術がわが国では早くから発達した。各地に散在していた伝統技術を書物として最初にまとめたのが宮崎安貞の『農業全書』(とくに巻9)である。この本が出たのは元禄10年(1697年)のことだ。ヨーロッパ最初の林業(造林)専門書は、ドイツのハンス・カール・フォン・カルロヴィツが1713年に出した『シルビクルチュラ・エコノミカ』とされているが、安貞の著書はそれよりも16年早い。コンラッド・タットマンが指摘したように3)、日本はドイツとともに世界に先駆けて、天然木を伐り出すだけの略奪林業から植えて育てる育成林業への転換を果たしたのである。

『農業全書』巻9のヒノキ(桧)の項をみると、次のような興味深い記述がある。「桧、是杉におとらぬ良木なり。其性つよくして、他木の及ぶ所にあらず。・・・・深山幽谷の、人遠く尋常の木材など運び出してハ、運送の労費多くして、益なき所にても、杉桧ハ、其値三倍も五倍も高直にて、造作まけ(経費倒れ)せざるゆへ、人馬の通い成がたき奥山にも、力の及ぶ程植置くべし。是廻り遠き事に非ずと、古人も記し置けり。」

元禄時代といえば江戸を中心に消費文化が花開いた時代である。木材の需要も増えていたに違いない。すでにそのころ、搬出の便の良くない奥山に植林しても引きあうほどに、スギ・ヒノキの価格は高くなっていた。「古人も記し置けり」とあるから、もっと早くからこのような状況が生まれていたのであろう。スギ、ヒノキに対する日本人の強い好みが高い価格に反映し、それが造林を盛んにしたのである。とくにスギは環境への適応力が強い。その天然分布は北の青森県から南の屋久島におよぶ。全国いたるところに見事なスギの造林地がつくられていった。

幕末から第2次大戦に至る約1世紀のあいだ、わが国の建築材の需要は増え続けるのであるが、早くから造林が行なわれていたために、国内の森林だけで対応することができた。建築材が海外から輸入されるのは関東大震災後の一時期だけである。

●森林構成を性急に変えるべきではない

第2次大戦の始まる少し前から樺太や満州、台湾などから木材が入ってくるようになった。ところが敗戦によって旧植民地からの輸入が途絶する。7,300万人の国民が必要とする木材を国内の森林でどうやってまかなうか。その結論として出てきたのが全森林の半分を成長の速いスギやヒノキの人工林に転換しようという政策である。公的な補助金に加えて木材価格が高い水準で推移していたため、里山の薪炭林や奥地の天然林が急速な勢いで人工林に変えられていった。

ところが、1960年代になると熱帯林や北方林の原生林の開発が急ピッチで進んだ。70年代にはその木材が日本にも大量に流れ込み、国産材の価格は低落する。それ以来、農村部でもスギのような人工林が疎まれる存在になってきた。木を伐採して市場に出しても材価が安くて赤字になってしまう。そのために人工林の間伐が進まず、モヤシのような木が林立する過密林が増えていった。森林所有者にとっても人工林は手間ばかりがかかって収入にならない厄介もののように見られ始めた。東京都のスギ林撲滅政策に対しても強く反対する動きが出てこないのは、そうした背景があるからではないか。

しかし「山づくり」は文字通り百年の計である。ミュンヘン大学のプロッホマン教授がご存命のころ日本で講演されたことがある4)。そのときの話だと、ドイツでもこの1、2世紀のあいだに針葉樹林が全体の1/3から2/3に増加した。生態的な健全さを確保するにはこれを以前の状態に戻さなければならない。これから百年かけてこの切り替えをやっていく、とのことであった。日本で必要なのは息の長いこの戦略だ。森林構成の性急な変換はあまりにも無駄が大きく、環境へのインパクトも無視できない。

戦後に植えられた針葉樹類は現在のところせいぜい40年生くらいのものだろう。とくにスギというのは「ピン」、「キリ」の木と言われる。高齢になると最高級の銘木にもなるが、若いうちは強度がなくて狂いやすく価値の低い木とされている。莫大なお金と労力を費やして造林した40年生以下のスギ林を、莫大な公費を投じていま伐採し広葉樹に変えるのは、まったく無駄なことである。とても正気の沙汰とは思えない。一口に広葉樹造林というけれど、これはスギの造林にくらべて技術的にずっと難しい。安定した森林ができるという保証がなく、たとえできるとしても相当な時間と経費がかかるだろう。そのうえ花粉症も減らないということになったら・・・。

スギの一斉林を広葉樹林に切り替えいく最も自然な方策は、スギ林の間伐を繰返しながら広葉樹の自然の発生を促すか、それで不十分なら植え込んでいくことだ。大きくなったスギは順次伐採され、針広混交林から広葉樹の純林に代わっていく。プロッホマン教授が百年かけて転換するといわれたのは、このような意味においてである。

●日本のスギ、ヒノキ材は世界に残された最良の針葉樹材だ

私の友人のピーター・ブランドン氏はロンドン・ギルドホール大学に勤める経済学者だが、筑波大学などで何年か教鞭をとったこともあり、わが国の林業・林産業にも詳しい。『日本と世界の木材市場』(CAB International,1999年刊)という立派な英文の著書もある。彼が日本にいたころ、よくこんなことを言っていた。「高品質の天然林材は世界的に枯渇している。これから入手できる最高級の針葉樹材といえば、きちんと育てられた日本のヒノキやスギだろう。イギリスのどこに行ってもこれほどの材は手に入らない。海外に輸出しても十分にいける」5)。

実のところ、世界で生産される木材は年々低質化している。つまり無垢のまま建築に使える材が少なくなった。低質の丸太を板にしたり、あるいは小片や繊維にほぐして接着剤で固める集成材やボード類が増えているのはそのためだ。長い目で見れば、現在の人工林にきちんと手を入れて無垢で使えるヒノキ材やスギ材を生産することが、最も賢い戦略と言えるかもしれない。

熱帯林や北方林からの原生林材はすでに入らなくなっている。近年増えてきたのはヨーロッパからのトウヒやマツ材だが、これは安価ではあるが品質が悪く、集成材のような形でしか使えない。その欧州材も木材需要の世界的増加やユーロ高の影響を受けて、だんだん入りにくくなった。国内の集成材工場や合板工場は、その原料を輸入材から国内の人工林材に転換し始めた。造林木の高齢化と相まって、国産材の時代がやっと見えてきたのである。

●温暖化防止に果たす人工林の三つの役割

まず良質の人工林材を生産するには過密林分の間伐が欠かせない。これによって大量の低質材が出てくるが、この一部が製材品やボード類の生産に使われるにしても、燃料にしかならない木質マテリアルが圧倒的に多いだろう。これで熱や電気を生産すれば、化石燃料の消費を減らすことができ、二酸化炭素の削減に役立つはずだ。

過密林が間伐されると林木の肥大成長が始まる。スギやヒノキは一般に広葉樹よりも成長が持続し、間伐してやればかなり高齢になっても成長が衰えない。水を除く木の成分の約半分は炭素だから、木が太るということはそれだけ大気中の二酸化炭素を効率よく吸収・固定しているということだ。この炭素固定が温暖化防止に対する森林の二番目の寄与である。繰り返しになるが、これも間伐によって促進される。

森林がさらに成熟すれば大径の建築用材が収穫できるであろう。強度のある木材を用いて耐用年数の長い住宅などを建設すれば、森林で貯留されていた炭素がさらに長期間建物のなかに閉じ込められることになる。これが森林の三つ目の寄与である。

スギやヒノキは建築材として優れているだけでなく、成長が早い。真っ直ぐに伸びるから、一定の面積でたくさんの建築用材がとれる。戦後広葉樹を伐って大面積に植えられたのもそのためだが、成長が早いだけに、温暖化防止に対する上記の三つの寄与にも顕著なものがある。折角苦労して植えたものを育成途上で放擲するのは愚の骨頂というべきだ。

当面の最大の問題は何と言っても過密化した森林の間伐である。現在のところ、公的な補助金を支えにして間伐が実施されているが、伐られた木のほとんどは、利用されないまま山に捨てられている。幼齢時の間伐ならともかく、30年生、40年生の太い材まで伐り捨てにするのは、もったいないし、山のためにもよくない。大量に発生する木質バイオマスをエネルギーとして利用できれば、間伐もやりやすくなる。


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