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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年05月30日

セカンドハンド新田恭子さんのお話:後編(2007.05.27)

食と生活
 

(前号からのつづきです)

無理のないことをできる範囲で、チャリティショップをオープン

このチャリティショップですが、まずは商店街を歩いて、貸してくれそうなところを探したのですが、まず家賃に驚きました。30万円とか、50万円と言われました。そのようなお金があれば、そのお金で本が買えると思いました。

しかし、何回も歩いていると、空き物件が何軒かありました。アーケードの中だけではなく、路地に入ったところにもたくさん空家があるので、合わせると100軒程度あるだろうから、それを全部あたれば1件くらいわかってもらえるのではないかと思い、ます自分が何をしたいのかまとめようと思い、企画書を書きました。それをコピーしてもって回って、いろいろな人に話をしました。

そうすると、まずどこに行っても言われることは、「お前は、アホじゃないか。そんな調子のいい話があるわけがない。ただで貸してくれって言って、誰が貸してくれるか」ということでした。私は「アホだけど、たぶん100件回れば、このアホに付き合ってくれる人もいるんじゃないか」と思い、いろいろな方々に声をかけました。

そうすると、いたのです。ビルの一角を3ヵ月間でよければ無料で貸してあげるということで、そこを借りることにしました。ビルの5階を借りて3ヵ月間活動を始めることにしたのですが、周りの友達に声をかけて「家に眠っているものを、何でもいいから持ってきて」と頼みました。

そうしたら集まるわ、集まるわ。「日本の家には、いらないものがどのくらいあるのか」というくらい、あっとういう間にお店の中がいっぱいになりました。3ヵ月間で74万円の収益が上がりました。

3ヵ月経った時に、74万円の収益が上がったのですが、何より商品が、お店を始めた時の5倍の量になっていました。捨てるわけにいかないし、これをどうしよう。どこかまた貸してくれるところがあればと思いながら、とりあえず活動を一端終結ということで、74万円のうちの40万円を学校を建設している団体に寄付というかたちで、34万円を本の購入費に当てて、3回に分けて自分でカンボジアまで持って行きました。

そして、どこか貸してくれるところがあればいいなと思っていると、またいたのです。不動産会社が持っている物件で、「ボロボロだけれどもよければ使って下さい」ということでした。6年間空家だったので、開けてビックリと言いますか、まずシャッターが錆びていて上がりません。無理やりこじ開けて入ってみるとクモの巣だらけ。そこを借りて活動を始めました。1ヵ月かけて自分たちで修復作業をしました。

ここでまずゴミが出てきます。畳の部屋は、天井が雨漏りで落ちているので、いたるところが腐っていました。畳もどけなければいけませんし、土壁がガラス障子と一体化してしまっている状態でしたので、それを取り外したり、ガラス障子も処分しなければいけない。

そのようなことで、ゴミを処分するところからスタートしたのですが、廃棄するにもお金がかかります。どうしようかと思っていましたら、ボランティアで来ている方が、「私の知り合いでゴミの収集業者の人がいるから聞いてみよう」と言ってくれたので、いくらで出来るのか、出来れば安くしてほしいと頼みましたら、活動の趣旨を理解してくれ、トラック2杯分無償で処分して下さいました。

今度は腐っているところを補強する板がいります。コンパネは結構高く、1枚2,000円程度でした。私は司会業ですので、夏祭りの司会もよくやります。イベントのステージは木で出来ているのですが、コンパネを使っています。

そのコンパネはどうしているのかイベント会社に聞いてみましたら、倉庫に置いてあるということでした。何枚かいただけないかと言ってみると、いただける上に運んでくれたのです。それを使って修復作業をしている姿を見て、「何だ、その手つきは」ということで大工作業も手伝ってくれることになりました。

今度はペンキが必要になりました。高校時代の同級生が塗装会社の社長をしているので、電話をして相談してみると、「白も少し黄色がかったら売れないので、それでよかったらあげるよ」と言って、刷毛もセットにしてプレゼントしてくれました。

そのようなことで、1ヵ月かけてそれなりのかたちに出来たのですが、振り返ってみると、100人を超える人がいろいろなかたちで関わってくれました。その時に、「そうだ、無理のないことをできる範囲で頼めばいいんだ」と気付きました。

手や足に障害を持つ人に運搬をしてくれとか、運送会社の人にケーキをつくってくれと言っても、それは無理な話です。しかし、出来ることを、出来る人が、出来る範囲でやれば、その力を少しずつ集めればかたちになるのではないか。その辺りが今のセカンドハンドの大きな原点でした。セカンドハンドの特徴は、そのようないろいろな企業などの出来る力を少しずつお借りしながらやっています。

運送会社から協力してもらったり、印刷会社には格安で印刷してもらったり、物件を持っている人からは倉庫を借りたり、パンをつくっているところは、賞味期限が切れてしまいそうで、翌日お店がお休みという時に持って来て下さる。ボランティアの人がそのパンを格安で買う。それが募金になる。それだけでも年間3万〜5万円になります。

そのようなことや、これから見ていただくビデオもビデオ会社が製作してくれたり、スーパーがポスターを貼ってくれたり、チャリティコンサートをする時にチケット販売の協力をしてくれたり、レストランや、居酒屋では募金箱をレジの横に置いてくれたり、フェアトレ-ド商品を飾って販売してくれたりというところがあります。

そのようなかたちで、協力をしてもらいながら活動を12年、これまでにカンボジアに多くに支援を届けることが出来ました。そのカンボジアへの支援の様子をビデオにまとめているのでご覧いただきたいと思います。ちなみに、これは10周年の時につくったもので、2年近く前のものですので、少し内容が古いのですがご覧いただきたいと思います。

小学校建設によって65%の出席率が90%に

【ビデオ】1994年5月27日、今からちょうど10年前、セカンドハンドは誕生しました。この10年間、活動の環は福岡から北海道まで広がり、多くの支援をカンボジアに届けることが出来ました。

セカンドハンドは、香川県高松市に本部を置き、チャリティショップを資金源として国際協力を行っています。活動の中心はボランティアスタッフ。小学生から80歳代の方まで、お店番や倉庫、運搬作業、チャリティ作業など、それぞれ可能な時間に出来る範囲で関わっています。この10年間の支援を最新の映像でご覧いただきましょう。

まず、学校建設。毎年1棟ずつ建設し、これまで10校舎が完成しています。カンボジアでは校舎があっても、倒壊の危険があったり、雨季は雨漏りで校舎が使えないところがたくさんあります。子供たちが安心して授業が受けられるよう、セカンドハンドは小学校建設を支援しています。

小学校が完成したことで、出席率が65%から90%に上がったという学校。壁が出来て、隣りの教室の声が聞こえなくなったので、集中して授業が受けられると、生徒などの喜びの声がたくさん届きました。生徒だけでなく、先生にとっても真新しい教室はうれしいようです。

月に10ドル程度と少ない月給ではありますが、誇りをもって仕事をしています。学校建設は周辺の村の人たちにとっても大きな喜びです。現在、11校舎目の小学校をシャンティ国際ボランティア会の協力を得て建設中です。今年6月中に完成する予定です。

地雷による障害者や、女性の自立を支援する団体にも協力しています。ラチャナ・ハンディクラフトは、内戦で夫を亡くした女性や、貧しい状況の中で一家を支えている女性、孤児などを対象に職業訓練を行っている団体です。セカンドハンドでは、香川県内で集めた足踏みミシンを送ったり、商品を定期的に購入することで活動を支えています。

2001年、カンボジアで最も貧しいと言われている南西部のスヴァリエン州にラチャナと協力して職業訓練プロジェクトをスタートさせました。産業がなく、土地もやせているため、多くの人が出稼ぎに出ている州です。ここで女性たちの自立を目指し、職業訓練プロジェクトを始めました。まず、指導者となる人材を1年かけて育成し、職業訓練センターを建設。そして、そこに香川県内で集めた足踏みミシンを送りました。現在、2期生の訓練が始まろうとしているところです。

セカンドハンドはバタンバン州にある孤児院「ホームランド」にも支援しています。昨年施設の事務所部分の建設を支援した他、2002年からフォスターペアレント制度を設けて継続的に支援しています。これはホームランドの子供を日本の里親が経済的に支援するというもので、現在21名の方が里親として支援しています。手紙や写真のやり取り、日本からのプレゼントを届けるなどの交流のお手伝いもしています。

2003年、セカンドハンドは新たな分野で支援を始めました。プノンペン市保健局が郊外の貧困地域で実施している、医療プロジェクトへの支援です。栄養を十分に取れない貧しい人たちは病気になりやすいため、仕事を休み、薬を買うために借金をするという悪循環を繰り返しています。

そんな貧困な悪循環を断ち切るため、プノンペン市保健局は現在四つのモデル地区で医療施設を建設し、保健医療を行っています。その内の2棟をセカンドハンドが建設しました。貧しい人は無料で診察を受け、薬がもらえるシステムになっています。このプロジェクトは、世界各地から寄せられた基金で運営されています。

今年、セカンドハンドはプノンペン市保健局の依頼により、新たに入院施設になる建物を1棟建設支援します。現在、入院できる部屋は1室だけです。完成すれば、貧しい女性たちも金銭的な心配をせずに出産し、入院出来る施設となります。

文字の読み書きが出来ない約1,500名を対象に、読み書きが出来るよう識字教育支援も行いました。また、識字教育を実施する団体が情報交換、資料を閲覧出来る場所として、識字リソースセンターも建設しました。このような支援活動に対し、カンボジア政府から勲一等にあたるメダルをいただきました。

支援はカンボジアに限ったわけではなく、地震や洪水など、被災国への募金活動を行っている他、日本国内では阪神淡路大震災発生時に、ポリタンクや緊急援助物資を届ける支援などを行いました。また、体験学習の受け入れや、講演も行っており、これまで2,000人以上の生徒がボランティア体験しています。

2003年には、中学、高校生が中心となって活動するセカンドハンド学生部「小指会」が誕生しました。今年、カンボジアに中学校を建設する予定で募金活動に取り組み、現地の中学生との交流を始めています。毎年実施しているツアーには、小学生から70代の方まで、延べ100名以上が参加しました。開校式に参列したり、運動会を開催しました。

支援先の様子は、セカンドハンド通信を通して3ヵ月に一度お知らせしています。発行部数は5,000部を超えました。ニュースレターの発送作業をはじめ、ホームページの作成や更新もボランティアが行っています。次期支援先や、運営方針もボランティアで組織する運営委員会で話し合い決定しています。毎月2回開催する運営委員会には、活動に賛同する人であれば誰でも参加出来ます。

お店番、倉庫作業、運搬、事務、全ての作業がボランティアで支えられているセカンドハンド。10年間の支援総額が1億円を超えるという結果も、すべて無償で活動を支えるボランティアスタッフ、場所や機材を提供してくださっている方や、企業など、あらゆるかたちでサポートしてくださっている皆さんの協力があったからこそ、なし得たことなのです。

世界のみんなが平和で幸せになるように。一つでも笑顔が増えるように。そんな願いを込めて、セカンドハンドは活動しています。「世界の平和なんて理想にしか過ぎない」という人もいるけれど、まず理想を持つことから始まるとセカンドハンドは信じています。

大きすぎる夢かもしれません。でも、1人ひとりが力を出し合えばその夢に近づくことは出来るはず。世界を変える力はなくても、私たちには世界を変える人を育てるチャンスがあります。1人から、やがて100人、1,000人と。【ビデオ終了】

日本から送った80台の足踏みミシンで職業訓練センターをスタート

新田 活動紹介ビデオをご覧いただきました。このビデオ製作は、ビデオ会社が協力してくれて、ナレーションを女優の大場久美子さんが協力してくれています。大場さんは個人的にボランティア活動をやってくれて、時々地元で、自分でチャリティバザーを開いてくれたりしています。

この中の情報は古く、今は学校が13校舎出来ていますし、医療施設が今度四つ目の着工になります。どんどん進んでいます。ビデオの中で職業訓練プロジェクトの話がありましたが、これが現地でつくったものです。手に取って見ていただけると一番良いので、よければ後ほど手に取ってご覧下さい。縫製がなかなかしっかりしているのですが、こういった商品をカンボジアでつくって、それを定期的に輸入して販売しています。

職業訓練プロジェクトは、私たちが建設した小学校の児童の家庭を訪問した時に聞いた母親の話がきっかけでスタートしました。その家庭は6人兄弟ですが、下の男の子3人を卒業まで学校に通わせるため、経済的な理由で上の3人の女の子を小学校3〜4年までしか行かせていない。働いて現金を稼いでほしいけれども、その地域では仕事が全くなく、都会に出稼ぎに行くしかありません。

カンボジアでも、最も貧しい州と言われているスヴァリエン州はカンボジアの南東部に位置し、ベトナムとの国境を有する州です。その地域は非常に土地もやせていて、洪水と干ばつの繰り返しで、稲作の収穫率の低いところです。産業がなく、本当に何もないところのため、出稼ぎに出る人は多く、プノンペンで働く、全出稼ぎ労働者のうちの40〜45%がこのスヴァリエン州出身と言われています。

その児童の家庭を訪問した時に、そのお母さんが「私はあなたを小学校の開校式の時に見たわ。建ててくれて有難う。今、下の息子が3人とも通っているの。でもね、上の3人の娘は仕事がなくてこうやって家にいるんですよ」と、泣きながら私に訴えてくるのです。

「このスヴァリエンには仕事がないのです。プノンペンに行けばあるのだけれども、プノンペンに行けば、多くの女の子は人身売買の被害に遭うと聞いている。だから娘を出したくない。だけど、明日食べるお米がもうないんです。だから何とかしたい。でも、娘を出したくないんです。でも、ここには仕事がないんです」ということをずっと訴えながら泣くのです。私は非常に胸が詰まりました。何が出来るだろう。

今ここで100ドルをあげれば、その家族はお米を買うことが出来るかもしれない。しかし、この問題はこの家族だけの問題ではありませんし、100ドルを渡して今お米が手に入っても、来月、再来月、来年はどうなるのか。飢えた者に魚を与えるよりも、その釣り方を教えるほうがいいと言います。

この商品をつくっている団体が、カンボジアの北西部のバタンバン州というところで活動をしており、10年前のこの団体の活動当初からミシンを贈るなど、支援を続けています。今では縫製の技術もずいぶん上がってきました。

最初はミシンの線が斜めにジグザグに縫われていて、真っ直ぐ縫わなければいけないというと、「何で?とまっているから、いいじゃない」と言いますし、ファスナーのところに隙間が開いていたりするのですが、「いいじゃない、漏れないから」と言います。「日本人はこれが少しでもずれるとだめなのよ」と言っても、それがわからないのです。

このようなバッグも、今は中も同系色になっていますが、昔は赤いバッグの中が黄色とか、グリーンのバッグの中がピンクというように、ビックリするような色合わせで、日本人には合いませんでした。そんな状態に6〜7年付き合って、ようやく2?3年前頃から日本人の好みに合う仕上げが出来るようになりました。

その団体は内戦で夫を亡くした女性たちであるとか、ご主人が障害を持つ女性たちを支援していて、代表者にスヴァリエンの状況を話しました。その女性も、「スヴァリエンが貧しいのは知っている。でも、遠いから私には何も出来ない」と言うのです。とにかく一緒に見に行こうと、車で十何時間かかるのですが、その女性を連れて現地まで行きました。

村を回って女性たちの現状の聞き取り調査をするうちに、その代表者は非常に心の優しい人で、ビデオにも出ていたのですが、彼女は涙もろいのでボロボロ泣いて、「私こういうのを見せられると放っておけない。わかった、やるわ」と言ってくれました。「では、資金はセカンドハンドが出しましょう。技術指導はあなた方がやって下さい」ということになりました。

そこの団体の隣りの家を寮として借り上げて、スヴァイリエン州で指導者となる人材を面接して選んで、1年間バタンバン州という北西部に連れて行って指導者となるための訓練を受けてもらいました。そして、職業訓練センターを建設し、そこに置くための足踏みミシンを送りました。

このミシンは、香川県内で集めた足踏みミシンで、ある方はお嫁入り道具として持ってきたという足踏みミシンを提供していただき、80台送りました。そのミシンを使って職業訓練を行うというかたちで進めています。これはそこでつくったバッグです。この小さいゾウのマスコットは、スヴァリエン州というところでつくったものです。

運営支援は3年間の約束で、まず、初年度は運営費の100%、2年目は80%、3年目は50%を支援することになりました。つまり、4年目はゼロです。そして、今年5月から4年目になるので、支援費がゼロになります。そこで彼女たちは、自分たちでプロジェクトを立ち上げようと考えました。

今、自分たちは安定した給料をもらえるようになって、生活が変わりました。以前は非常に貧しい状況で、薬も買えない。自分の洋服もアクセサリーも買えないという状況だったのですが、今は家族のために栄養のあるお肉や、魚も買えるようになりましたし、野菜も買えるようになりました。ちょっとした洋服やアクセサリーも買えるようになりました。

現金収入が得られる技術を地元の女性たちに教えているのですが、ここに通って来られない人もいます。農村部の貧しい人は交通手段を持っていません。そのような方々が多い地域に、自分たちが出向いて行って指導することが出来ないかということを提案してきました。

昨年提案してきた地域を回ってきました。確かにその地域は非常に貧しく、ニーズもたくさんある。村長も協力してくれるということなので、そこに出張指導サービスをすることになり、その資金を支援するための調査、調整のために私は来週カンボジアに行きます。彼女たちがそうやって動いていることは、非常にうれしいことです。

そもそも、貧しくて支援を必要としていた人たちが、今、指導者になって自分たちが安定して、今度はその地域の人たちを助けるための活動をしようとしている。非常にうれしいことだと思っています。

セカンドハンドの学生部「小指会」、スラムの家庭にホームスティ

このように人を育てていくということは、大切なことだと思っています。これはカンボジアに限らず、日本国内でも人を育てることが非常に大切なことだと考え、ビデオの中でも「小指会」の話が出ましたが、私どもは学生部を立ち上げて、現在、日本国内での人材育成にも力を入れています。

2003年に「小指会」を立ち上げたのですが、2004年、中学校の建設ということを目標に「小指会」のメンバーで頑張りました。まず、人材育成、学生部と言っても何をするのか。子供たちも何をしていいのかわからない。

とりあえず募金活動をしました。しかし、それだけではなかなか成果を感じられません。何か目標があればいいと思っていたところ、たまたまカンボジアのほうから200万円の建設資金があるのだけれども、中学校を建設するためにはあと100万円余り足らない。何とかセカンドハンドで支援してくれないかという話があったので、それを「小指会」の学生部の皆さんに話をしました。

そうすると、自分たちでやってみたいということでした。街頭募金をしたり、バザーをしたりして、2004年の1年間でその100万円を集めました。そして、その中学校が2004年完成しました。2005年3月その学校を見せるために、中学、高校、大学生たち、活動に参加した人たちの中の有志8名をカンボジアに連れて行きました。

昨年は、私どもは国際交流基金の地域交流賞をいただき、賞金を200万円いただきました。その200万円のうちの一部を使って、5万円程度の自己負担はありましたが、その子供たちを連れて行きました。

現地では、自分たちで建設した中学校に通う子供たちの家にホームスティしてもらいました。スラム街です。カンボジアでも非常に貧しいと言われている、1日1ドル以下の生活をしている、電気も水道も当然ない。雨が降ると洪水になって、家の中まで水浸しというようなところですが、私どもが行った時は乾季だったので、それほど衛生状態は悪くはありませんでした。家にトイレがないという家庭もあります。

どうするかというと、「その辺りでトイレをして下さい。大の場合はビニール袋に入れて出来るだけ遠くに投げて下さい」というような状態のところですが、そこに1泊のホームスティをしました。中学、高校生たちに耐えられるのか心配だったのですが、耐えました。

「結構楽しかったです。月明かりの中での水浴びも、なかなか気持ちよかったです」と、意外に逞しいのです。そして、自分たちがいかに恵まれていたのかを知らされましたと言っていました。「水も大切に使わなければいけないと思ったし、今まで勉強が出来るのが当たり前だと思っていたけれども、そうじゃないんだ。家族がいるのがとても幸せなことなんだ。家族と一緒にいられることが幸せなんだということを感じた」ということも話していました。

彼女たちは自分たちが建てた学校を見ました。そこでプノンペン市長も列席する中、開校式典に出席しました。彼女たちは、「自分たちにも世界は変えられるんだ」と感じたと報告書の中で書いています。「平和というのは祈ることしかできないと思っていた。でも、その祈る手を少し差し伸べたら自分にも何か出来る。世界を変えることが出来るんだ」ということを、彼女たちは今言っています。成し遂げた成果を見、自信を持ったのだと思います。

お金があったら孤児院をつくりたい、人が働ける工場をつくりたいと語るカンボジアの学生

先日、カンボジアのスラム街に住む高校生たちを、今度は招聘しました。4名の高校生と、カンボジアから付き添いということで2名。そのうち1名は職業訓練センターで働く指導者の女性を付き添いとしてメンバーに入れて招聘しました。これは香川県との協働、委託事業で、希望する県内6校の高校で交流授業を行いました。

まず、事前学習として、私が各高校で2回に渡ってお話をしました。実際にカンボジアの学生さんを迎えて、楽しく交流授業をしたり、彼らのバックグラウンドを聞く時間を設けました。スラム街での生活、親を亡くしたり、生まれる前のポル・ポト時代に兄弟を亡くしたという話が出てきました。

目の前の同じ年の人からそのような話を聞くということは、日本の高校生たちにとって非常に大きな衝撃でしたし、自分たちの生活を見直す機会になったようです。

カンボジアの生徒たちにとっても大きな自信となりました。彼らが帰る時に、私にカードを渡してくれました。「自分たちは何もない人間だと思ったけれど、この滞在した2週間で自分たちがスペシャルであるという気持ちにさせてくれたし、自分たちにも世界を少しずつでも変えていく力があるのではないかと信じさせてもらえた。何かやっていきたいと思っている。これから、まず勉強を頑張ります」ということが書いてありました。

しかし、その彼らの中には帰ると住む家がないという生徒もいます。スラム街の中でも土地の権利があり、生きていくために親がその権利を売り、セカンドハンド学生部「小指会」の奨学金を受けている生徒のうち2人が住む場所を失っています。奨学金で何とか学校に行っているけれども、1日1食食べるのがようやくという生活をしています。

その彼らと日本の学生とディスカッションをしたのですが、「今お金があったら何がしたい?」という質問で、日本の学生は「自分の視野を広げるために世界旅行がしたい」「DVDがほしい」という人や「バレーボールのチームをつくりたい」という人もいました。

カンボジアの学生はというと、「お金があったら孤児院をつくりたい。自分がそうだったように、親がいない子供たちを受け入れて、学校に通わせてあげたい」「弟の支援をしたい」という人もいました。「弟が成功するように、まずは学校を出してやって、大学まで行かせてあげて、そして事業をやるのであれば、そのための軍資金を出してあげたい」というのです。

また、「工場をつくりたい」という人もいました。儲けるのかなと思いきや、カンボジアには、働きたくても働く場所がないという人が多くいますから、そのような人のためにお給料が渡せるような大きい工場をつくって、出来るだけ多くの人を雇いたいと言っていました。

そのような一つのテーマをいろいろと追っていくうちに、日本の学生も、カンボジアの学生もお互いの違いを知って、いろいろと衝撃を受けたようです。非常に良い交流事業だったと思います。これからもこのような事業は続けてやっていきたいと思いますし、もし皆さんの中で、本気でカンボジアに行ってみたいという方がいらっしゃったら言ってきて下さい。

昨年秋から12月まで山口大学の医学部の学生さんを3ヵ月に渡って現地で受け入れました。カンボジアに行ってみたい。ただし、生半可な気持ちではなく、本気でやりますという人がいれば来て下さい。

そして、カンボジアに行ってみたいので情報を下さいという人には、情報を提供します。私どものプロジェクト・サイトなどもご案内しますので、よかったらカンボジアにも出かけてみて、自分の目で見てくるのもいいのではないかと思います。是非出掛けてみていただければと思います。

自分が変わらなければ世界は変わらない

セカンドハンドには、いろいろなかたちでボランティア参加をしている人がいます。ここからでもボランティアは出来ます。例えば、切手を集める、書き損じハガキを集める、家の前でチャリティバザーを開いてみる、周りの人に声を掛けて提供品を集めるということも出来ます。

ただし、よくこのようなところで話をすると、「じゃあ、ものをあげればいいんですね」となるのですが、それは違います。まず、いらないものは買わないで下さい。リユ-スの前にリデュースです。いらないものは買わない。いただいたけれども使わないというものを私どもにいただいたらありがたいと思います。

最近は100円ショップで買ったものや、大型安売りチェーン店の洋服が私どものところに非常に多く送られています。安いのでポンポン買って、飽きるとあげればいいと思われるのですが、そのような安物は返って迷惑です。ゴミをくれても迷惑なので、売れるものを下さい。

しかし、ものをくれてもゴミになると困るので、出来ましたら現金が有り難いです。ですから、消費をする前によく考えて、100円で安いから買おうではなく、他のものでも代用出来ると思ったら我慢して、その100円のうちの1%でもいいので募金箱に入れておいて下さい。そのほうがずっと有り難いです。

また、その他にもボランティアでは、翻訳家の方、デザイナー、データ入力をする方もいれば、ホームページをつくってくれる人もいますし、ポップを描いてくれる人、これも遠隔地でも出来ます。そのようなことが何か出来るという人がいれば、是非手を挙げて下さい。

ここでも、もしかすると香川県出身の人がいるかもしれません。今度のお休みの時には是非いらして下さい。車の運転、運搬、倉庫で整理をする、お店番をする、ニュースレターの発送作業をするなど、ありとあらゆる仕事がありますので、よければ来て下さい。

大阪にも支部があるのですが、拠点があるだけで特に活動はしていません。もし、この京都近辺でという方がいらっしゃったら、京都でも何人か協力してくださっている方がいらして、年に1度募金をして下さっています。そのようにチャリティバザーを主催するなど協力してくださる方がいらっしゃればうれしいです。これを期にセカンドハンドとも何らかのかたちでお付き合いをしていただければと思います。

開発途上国が抱える問題は、非常にさまざまに絡み合っていて、問題をより複雑、かつ深刻にしているのが現状だと思います。これらの問題の根底には、やはり貧困ということがあると思います。

こうした貧困や、経済的な格差の拡大は不安定な社会を生みますし、やがては紛争、テロにつながりかねない、その原因となるものだと思っています。貧困撲滅こそが、本当は世界のみんなが、地球のみんなが幸せで平和に生きられることにつながるものだと思います。それだけではありませんが、これは大きな要因だと思います。

地球規模の平和と安全。これは人類全ての課題として取り組む必要があると思います。私たちは小さな活動しか出来ていませんが、目標は世界平和です。小さな一歩でも、前に進まなければ世の中は変わりません。まず、自分が変わらなければ、世界は変わりません。あなたが動かなければ、世界は変わらないのです。

これは皆さんお1人おひとりに言えることです。1人から始まっていくのです。是非、その1人に一緒になっていただければと思います。今日はどうも有り難うございました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

高松の事務所で迎えて下さった新田さんに、いろいろなお話をうかがったり、ビデオを見せてもらったりしました。私たちに何ができるでしょうか?と尋ねました。

高松や近くの人なら、ボランティアとして自分の時間を使って参加をしたり、一緒に進めていくことができます。そうでなく、遠隔の人は、たとえば店舗で売るための商品を送ることができます。石けんやタオル、食器のセットものなど、使用していないものが、やはり店舗ではよく売れるそうです。

また、オリジナルのすてきなCDやポストカードもありますから、そのようなものを購入することで、活動を支援することができます。私も、店頭で見つけた素敵なジャケット(何と1000円!)と、CDとポストカードを買って帰りましたが、CDの歌声の優しいこと。気持ちを伝える曲を買うということが、こちらの気持ちを伝えることにもなるって、素敵なことだなあ、と思います。

また、SOS会員といって、セカンドハンド・オフィシャル・サポーターとして、個人なら年1万円(一口)、団体・企業なら年2万円(一口)の会費で、この活動を支えることもできます。

「1人から始まっていく」--新田さんのこの言葉を"生きて"いきましょう!

 

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