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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年01月22日

進化とスローダウンとキャンドルナイト(2007.01.20)

新しいあり方へ
 
14日から今日(20日)まで、 「スローダウン・ウィーク」って、ご存知でしたか? このサイトは、カナダ発のカルチャークリエイティブ運動、アドバスターズのサイト。「グローバリゼーションを助長させるアド(広告)を退治(バスター)するムーブメントです。切り口が斬新で、ときには過激、ときにはチャーミング。そして情報がかっこよくデザインされている」--ナマケモノ倶楽部の紹介です。 スローダウン・ウィークのマンガ、見ているだけで伝わってきます。 クイズ1:ここに出てくる「仕事時間」は何時間でしょう?  こたえ:サイトのマンガをどうぞ。 クイズ2:日本人お平均的な「仕事時間」は何時間でしょう?  こたえ:連合総研の「暮らしと社会についてのアンケート」によると、平均的な勤務日の在社時間は、10時間42分。全体の20%以上が12時間以上だそうです。   ちょっと話がとびますが、私は温暖化の問題を考えるときに、「これは多分、人類を進化させるための課題なのだろう」と思うのです。人類を含む生物は、「これまでの生き方」では適応できなくなったときに、進化して形を変えたり、暮らし方を変えて、生き残ろうとします。温暖化は、人類がおこなったことの結果として人類が生きにくくなっている状況に、人類がどう対応・進化するか、という課題なのだろうと思うのです(数千〜万年という時間軸です)。 「地球にやさしく」というのはウソっぱちで、地球は別にやさしくされる必要はない、と私はよく言います。その地球にしがみついて生きている人類がこれからどうなるかという話だからです。その状況が明らかになってきたいま、人類の進化が起こっていくだろう、ただ、間に合うかという時間との競争だと思っています。 日本のあちこちを見ていても、世界の動きを見ていても、進化が起こり始めている予兆をあちこちで感じています。もっとあちこちで、もっとつなげて、もっとうねりにしていければ、と思っています。 では、どういう進化なのでしょうか? 私が感じているのは、自分を中心とした「半径50センチ」×「せいぜい24時間以内」ぐらいのことしか考えずに生活していた人類から、地球の裏側の人や未来世代、人間以外の生きとし生けるものなどに思いを馳せて、それも入れ込んだ形で今日を生きる人類へ。そんな進化なのではないか、と。 この進化を進めていくために、ゼッタイに必要なことがあります。 それは「立ち止まり、思いを馳せる時間」です。分刻みのスケジュールに追われているとき、または、スケジュールはどうであれ、「忙しい」とつい言ってしまうような追われるような焦りの中で、「思いを馳せる」ことはできないからです。 また、テレビをただ受け身で観ながら、頭の考えるスイッチをオフにしたまま、「思いを馳せる」こともできません。 だから私は、スローダウン・ウィークの取り組みや、キャンドルナイト、「テレビを観ない日」のキャンペーンなどは、とても大切だと思っています。 私も呼びかけ人代表となっている「100万人のキャンドルナイト」、今年もやります。ほんとうは、各地でどんどん自分たちのキャンドルナイトが広がり、継続するようになって、私たち呼びかけ人代表や小さな事務局が不要になるのが理想ですけど、もう少し私たちもやれることがありそうね、ともう少し続けることにしました。 少し前のニュースレターですが、海外の読者に送ったものの日本語版から、エッセイやレポートなどをいくつか抜粋してお届けします。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 エッセイ 夜咄 黛まどか(俳人)  日本人は〝うつろう〟ものが好きだ。障子に映る竹落葉の影、朝顔が抱く白露、風にふくらむ葛布、揺らぎ、うつろい、儚く消えゆくものに、心を捕われつづけてきた。  春は花明りに盃を重ね、夏は水明りに佇み、秋は紅葉明りに旅し、冬は雪明りに文を開く。  障子明りのたゆとう光の中で交わした約束や、月明りの下での逢瀬は、影絵のように記憶の中に甘く漂う。うつろう光に寄り添う影もまたうつろい、そこであったすべてのものがまたうつろってゆくのである。   夜咄へしぐるる砂利の音立てて  昨冬、夜咄の茶事に集う機会に恵まれた。  京都は大原の山里。和菓子の老舗の山荘。亭主は山荘のご主人である。夜 とは夕刻から催す茶会で、燭台に灯をともして行う。  冬紅葉が残る中、手燭の明りに導かれて、折からの時雨で隈なく濡れた砂利を踏み、飛石を踏んで待合へと向う。手燭の火が揺れるたびに、雨をふくんだ苔がきらめき、ふと水底にいるような気分になる。  待合に入ると、一輪の茶の花と亭主の一句が私たちを迎えてくれた。   茶の花やまつくろくろに白さかな  達  亭主の発句に正客が脇句を付けると、喚鐘を鳴らして知らせ、茶室に入る趣向である。   紅葉しぐれのべにの中にも まどか  後ろにつづく句仲間に、寒いから早く早く!と急き立てられて、付合に苦しむ。前句の茶の花の白と、大原の漆黒の闇に答えるように、紅葉しぐれのべにをあしらった。   苔めでる心を遊ぶ茶のしぐさ  一可   雁行清し寒月の庭  達   大空へ雲のたなびく三千院  一可   いずれ羅馬のあの空間へ  宏   音たてて塔を築きし夢を見む  とも子   いにしへよりの風をはこびて  安芸子   未来へといふ名の茶碗やはらかくりつこ   釜鳴り高く打つ音も清し  一可  茶事とともに、連句も続く。花の「白」、闇の「黒」、紅葉の「赤」、苔の「緑」、空の「青」としばらくは色を詠み継ぎながら、句は一気にローマへと空間を飛び、さらに古代へと時間を飛ぶ。そこに、ちょうど出された茶碗の銘が「未来」。前句の「いにしへ」を受けて、未来という名の茶碗を詠み込んだ亭主への挨拶句で、座は一気に高揚する。「巧いなぁ...」「やられたなぁ...」「もてなした甲斐があります」と亭主。すべてが和蝋燭の育む艶を帯びた明りと、揺らめく影の中に進む。湯の沸く音と茶を点てる音、その他は山荘の茶室をすっぽりと包む冬の雨の音だけである。  設いの小堀遠州と松花堂昭乗の掛け軸も、蓮月尼の茶碗もすべてが、蝋燭の炎が織りなす光と影の揺らぎの中にあり、時空を超えて、大いに語らい、うち溶けたひとときであった。  〝俳諧は、寄り合う連中のその時の偶意、連想による創作の座の雰囲気をこそ楽しむもので、巻き上げてしまえば面白い遊びもそれで完結。まるで映画を観終るようなはかない楽しさが、ぼくは好きだ〟  連句茶会の連中のお一人、麹谷宏氏の一文から引いた。  蝋燭の揺らぎの下に紡がれたひとときの記憶は、時が経つにつれて、むしろ色鮮やかに甦っていくのである。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 エッセイ  辻信一(文化人類学者、環境運動家。明治学院大学国際学部教。キャンドルナイト呼びかけ人代表) 一年で一番日の長い夏至の日。多くの伝統社会が、これを聖なる日として、祝い、祭り、祈った。太陽エネルギーのおかげで生きていることへの感謝と畏敬の念がそこにはあった。だがそのことに思いを馳せる現代人はもうほとんどいない。 電気を消す。すると暗闇が戻ってくる。日本人の8割が町に住むと言われる今、ぼくたちのまわりから闇が消え去って久しい。電気を消して、月や星を見よう、蛍を見よう、という人々がいる。ただ闇の中でじっとしている人、愛し合っている人たちもいるだろう。焚き火をしたり、ローソクを灯す人たちもいる。ローソクの火は闇を引き立たせ、闇は火を輝かせる。 テレビをつけっ放しにして食事する日本人が多い。それが日本の文化度の低さを物語っている。電気を消してローソクの火で食事をしてみよう。ただこれだけの行為の中に、輪になる、共に食う、火を囲む、という3つが同時に実現されている。思えば、それらは、人間が人間であることを示す文化の3大要素と言ってもいいくらいだ。そんな大事なことさえ、忙しさに追われるぼくたちはどこかに置き忘れてきてしまったわけだ。 学生たちを連れて北米や南米の太古の森を訪ねる。彼らが一番幸せそうに見えるのはたぶんみんなで焚き火を囲む夜だ。こぼれるような笑みを顔いっぱいに湛えながら、涙を流す子たちもいる。そんな時、ぼくは思うのだ。この瞬間のためにわざわざ地球の裏側までやってきたんだな、と。そして、ぼくたちの「豊かな」社会が、これだけの喜びさえ子どもたちに与えることができなくなっていることを思って愕然とする。 ぼくたちは蛍光灯の明るさの下に自由や幸せを求めてきたらしい。「向こう20年間、毎週ひとつかふたつの発電所建設」によってのみ、経済の成長と繁栄は保証されるとするブッシュ大統領ではないが、電気の消費量が多ければ多いほど、夜が明るければ明るいほど、その社会は豊かで進んでいる、という奇妙な思い込みに我々は囚われていたようなのだ。しかし、金儲けのためには、戦争をしたり、自分たちの命を支えている生態系を壊しても仕方がない、などという経済は果たして経済と呼びうるのだろうか。 確かに、暗闇には、そしてローソクの炎や焚き火の回りには遠い時代から連なるゆったりとした時間の流れがある。その流れに身を浸して、これまでの自分たちを支配してきたファストライフという狂気から目覚める。「そんなことしても省エネにはあんまり効果ないよ」、というシニカルな声が聴こえてきてもひるむ必要はない。キャンドルナイトが、ぼくを変える。すると、ぼくもその一部であるこの世界は、かすかにではあれ、確かに変わるのだ。  南米の先住民に伝わるこんなお話がある。  ・・・森が燃えていた。動物たちは逃げていく。が、一羽のハチドリだけが、行ったり来たり、くちばしで水のしずくを運んでは、火の上に落としてゆく。動物たちは、「そんなことをして一体何になるんだ?」とハチドリを笑った。ハチドリはこう答えたという。「私は私にできることをしているだけ」・・・ このぼくも、ハチドリのような小さな存在。でも、ぼくにできることをしていこうと思う。   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 レポート 大きな有機体〜札幌のキャンドルナイト
キャンドルナイト実行委員会
(スタッフライター 岸上祐子)  キャンドルナイトは、それぞれの人がキャンドルの灯りの下でそれぞれの時間を楽しむものです。イベント規模は大きくなっても、個々の時間がゆるやかにつながる......。  札幌では回を重ね、より豊かな時間へ成長を始めているようです。  2005年夏至のキャンドルナイトでは、会場の一つである大通公園6丁目広場の芝生に500人近くが集まりました。そこには、シートを敷き、その周りを持参のキャンドルで飾って、飲み物や軽食を片手に、「嵯峨治彦&ネルグイ ジョイントライブ」(生活クラブ生活協同組合が実施)ののど歌と馬頭琴のコンサートを楽しむ人たちの姿がありました。  さっぽろキャンドルナイト実行委員会委員長の岡崎朱実(おかざき・あけみ)さんは「イベントという与えられた機会を、自分流に楽しむ柔軟さのようなものに、『キャンドルナイト』の意義とこれからの可能性を感じました」と語ります。  札幌市がある北海道は、北緯41度以北にあり、冷涼低湿な気候です。広範な原生林や青い空と地平線まで続く畑の緑などの雄大な風景が広がり、国内で北海道にしか生息しない野生動物も多く、日本列島の中でもとりわけ圧倒的な自然に恵まれています。その中心都市である札幌は、北海道開拓の拠点であり、現在、わが国で5番目にあたる187万人の人口を擁する大都市です。実に北海道の人口の約3割が札幌に集中していることになります。  数年前から、いくつかの団体が個々に催していたキャンドルナイトは、2004年に「CO2削減事業の一つ」として札幌市の協力を得て、一段とはずみがつきました。  「この時は、札幌市がつけた予算で、広報について市から事業者に業務委託し、実行委員会の意見を聞きながらその事業者が広報物の作成をしていました。  それが2005年には、札幌市を含めた民間団体、企業で構成する実行委員会で、イベント全体の広報を担当する事業者の選定や協賛金の募集を行うなど、より積極的な活動になりました」  2005年夏至のキャンドルナイトは、イベント数が33。ろうそくの灯りで食事を楽しむキャンドルナイトレストラン49店舗、時計台、札幌資料館、JRタワーなど消灯を実施した札幌の名所は6ヵ所、配布ろうそく数 10,000本(他にも、各ベント会場でも別途に配布)という大規模なものとなりました。また参加した企業51社の多くでは、社員たちに家庭での消灯を促すなどの協力がありました。  2005年特に進化し、札幌のキャンドルナイトを彩ったアイテムとして、牛乳パックで作った灯ろうがあげられます。  「牛乳パックは良質の紙でできているので、外側のコーティングの部分をはがし、いろいろな模様を切り抜き、中にキャンドルを灯すと、大変美しい灯ろうになります。  札幌市内の円山界隈にある有機野菜の八百屋さんや飲食店など7つのお店が協力し、近くの4つのお店には場所を提供してもらい、牛乳パック灯ろうを作り、ステンドグラスのキャンドルホルダーも加えてキャンドルを入れ、通りを飾りました。今年は灯ろうに色を塗ったり、和紙を貼ったり、おはじきをつけたりと、バリエーション豊かでした。また、切り抜きの模様も、手の込んだもので、とても美しかったです。たくさんの方が、キャンドルの下、食事をしたり、音楽の演奏に耳を傾けたり、屋台でお祭りのような雰囲気を楽しんだりと、大人から子どもまで、スローな時間を共有することができたようです」  05年夏至のキャンドルナイトを終え、次へ進むために岡崎さんは、次のように考えています。 「今年行われた一つ一つのイベントでは、それぞれ素晴らしい出会いやつながり・気づきの機会を提供できたと思います。今年の夏至にイベントを行ったある教会が、この12月3日にキャンドルナイトコンサートを実施しました。各イベントの実施者にも、こういった波及効果が今後どんどん生まれることを期待しています。そのためにも、官・民・企業など多様な主体が協力し合える柔軟な仕組みを作っていかなくては、と思案中です。  2006年夏至の「さっぽろキャンドルナイト」実施に向けては、実行委員会に呼びかけ、進め方やアイデアを考え始めたところです」  緩やかに結びつくこの有機体は、さらにどう成長していくのでしょう。来年の会場では、どんな楽しみ方が生まれるでしょうか。今後、皆さんにどのような報告ができるか、私たちも楽しみです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、冬のキャンドルイベント情報  冬には0℃以下の日も多い北海道では、アイスキャンドルや雪明りを使ったイベントも盛んに行われています。  アイスキャンドル発祥の地下川町では、バケツに水を入れ一晩放置してできた氷のランプシェードにろうそくを入れ、幻想的な世界を作って楽しむイベントが毎年2月中旬に行われています。
http://www.shimokawa.ne.jp/icpark/  また、小樽市では、小樽の代表的な観光スポットの小樽運河に直径約20cmほどのガラス製の浮き球400個にキャンドルを入れて浮かべたり、たくさんのろうそくを灯すイベント「小樽雪あかりの路」があります 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 キャンドルナイトについては、呼びかけ人代表のひとりマエキタミヤコさんが書いた『でんきを消して、スローな夜を。 100万人のキャンドルナイト』をどうぞ。 『でんきを消して、スローな夜を。 100万人のキャンドルナイト』
マエキタ ミヤコ
マキノ出版 > 日本最大のロハス・ムーブメントを知っていますか?
> 「夏至と冬至の晩、夜の8時から10時までの2時間、
> でんきを消してロウソクをともそう」
> 2003年の夏に始まった
> 「100万人のキャンドルナイト」には、
> こんな決まりがあるだけです。
> しかし、2年後の夏には、664万人が参加する日本最大の
> ロハス・ムーブメントとなりました。
>
> 一人でもいいし、だれかといっしょでもいい。
> でんきを消して、スローな夜を味わってみてください。
> この本は、キャンドルナイトの味わいをさらに深める手助けを
> してくれます。
>
> 2時間の暗闇が、あなたに魔法をかけることでしょう。
>
>  人工の光で明るくなってしまった地球の夜に、
>  暗い帯が自転と共に移動していく。
>  これは地球大のアートだ。
>   坂本龍一(音楽家)
>
>  家族や好きな人とゆっくり語る素敵な時間にしましょう。
>   宮崎あおい(女優)
> (出版社の案内より) 私の「いま、ここをともす光」というメッセージも載せてもらっています。
「ときどき、前のめりになりがちな時間をぐっと引き戻す、そんな時間をぜひ持ちたいな、と思っています」 以下は余談です。スローダウンしてお時間のある方はどうぞ。(^^; 私自身、いろいろなことをやっているので、よく「忙しいでしょう」といわれます。私は自分では「忙しい」とあまり口にしない(そう思っていない)ので、そういうときには、「いろいろやっているという意味で、多用ではありますけど、多忙だとは思ってません」と答えます。 「忙しい」というのは、実際の仕事量や、やるべきことと手持ち時間との割合などのことではなくて、その人の心がどれだけせかされているか、ということなのだと思っています。私は自分なりの美意識(?)で、「忙しい」はかっこわるいと思っているので、「どうすれば多用でも多忙にならずにすむか」を試行錯誤してきたところがあります。 現在の自分なりのコツは、2つ(手帳やスケジュール帳のくふうなどではありません〜)。 ひとつは「自分のたづなは自分で握ること」。もうひとつは、「できるだけ"いま・ここ"に100%いること」です。 このあたりについては(そのためのくふうなども含め)、 『朝2時起きで、なんでもできる!』 『思えば、そうなる!』 『細切れビジョンで、なんでもできる』 などに書いています。 まえにも書いたことですが、人と会っていても、「心ここにあらず」の人もいます。話をしながらも、そわそわと次の仕事のことを考えていたり。 どうせ人の一生は短い。先へ先へと、「いま」の時間を先送りにしても、それはきっとあとで受け取れない。そわそわと先のことを考えている時間は、「いま」も十分に生きていないし、「先」になっても、その分の時間が返ってくるワケではないと思うのです。 そんなことをつらつらと考えたりできるのも、スローダウン・タイムの楽しいところです。もし「そういえば、その楽しさをしばらく感じていないなあ」と思ったなら、ぜひときどきでも、スローダウンしてみませんか?
 

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