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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年01月17日

「パワー・オブ・ワン:ひとりの力」より(2007.01.16)

大切なこと
 
アメリカの世界最大の商用カーペット会社インターフェイスのレイ・アンダーソン会長がお書きになり、海象社から出版された『パワー・オブ・ワン』という翻訳書から、少し長くなりますが、ぜひ読んでいただきたいところを引用します。 会社を興されて、仕方なく読んだ本から環境に目覚め、インターフェイスを「環境に取り組む世界のモデル企業」に作りあげ、成功を収めたものの、株価の急落から苦境に突き落とされ、業績の低迷からふたたび立ち上がり、まえよりも確かな成長を刻み始めた現在までの波瀾万丈ともいえる胸打つ物語です。 数年前に翻訳した本なのですが、「どう伝えるか」「どう動かすのか」というIMS的な目で(持続可能性のためのマーケティングの研究として)読み直したときに、ああ、みなさんにも伝えたいなあ、と思いました。 『パワー・オブ・ワン[ひとりの力] 次なる産業革命への7つの挑戦』。
レイ・アンダーソン著、枝廣淳子/河田裕子・翻訳、海象社、1500円(税別) 第7章からです。同社が24周年のお祝いに、全社から1100人でハワイ・マウイのホテルを借り切ってのミーティングで、ポール・ホーケンが指揮して、全員がある体験をする場面です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 そして、ポールがエクササイズを進めた。西暦紀元の初め(AD一)からの現在まで、そして、二〇二〇年までの予測として、人口爆発をグラフィックに示したフィルムを映し出した。これには全員が「なんてことだろう!」と喘ぎ声をもらした。地球の地図に、一〇〇万人を示す光がついていくのだが、文字どおり、地球は光だらけになってしまったからだ。 このエクササイズの指揮をするために、さまざまなコメンテーターが選ばれていた。最初のコメンテーターからの指示だ。「お手持ちの紙に数字の『1』が書いてある人は、立って下さい」。 部屋中の人が立ち上がった。「みなさんは地球の人だということです。どうぞ、お座りください」。 ポールが、「今から、地球の人口をシミュレーションします」と説明した。一人が五〇〇万人を表しているのだ。 次のコメンテーターが、「2番の番号を持っている人、立って下さい」といった。 2番は、ラテン・アメリカに住む四億八六〇〇万人を表している。九三人が立ち上がり、立ったままでいるように指示された。それから、アメリカとカナダだ。五六人が立ち上がり、二億九五〇〇万人を示し、立ったままで次を待った。 このように、ロシアと東欧(五九人、三億九〇〇万人)、アフリカ(一四〇人、七億三二〇〇万人)、中東(三四人、一億七六〇〇万人)、ヨーロッパ(八〇人、四億一九〇〇万人)、インドネシア(三八人、二億一〇〇万人)と進んでいった。 それから、アジアの番だ。会場の雰囲気が、息をのむように盛り上がっていく。日本(二四人、一億二六〇〇万人)。インドネシア、日本、中国、インドを除くアジア(一五八人、八億三〇〇〇万人)。そしてインド。一八一人が立ち上がり、九億五〇〇〇万人だ! 最後に中国だ(だれもが、これが来るのがわかっていた)。二三二人が立ち上がり、一二億一八〇〇万人である。 何ということだ! 部屋中で息をのむ音が聞こえた。がやがや言う中に神経質な笑い声が混じった。部屋の半分以上がアジアなのである! 参加者が各自の椅子に座ると、コメンテーターが次の番号を読み上げた.二六人が立ち上がった。今年、地球人口に加わる一億三五〇〇万人の赤ん坊だ。そして、もう一つの数字が呼ばれて、一〇人が座った。約五〇〇〇万人。今年中に亡くなっていく人たちだ。この残りの一六人は立ったままで、八五〇〇万人という実質的な人口増加を示していた。 ポールがふたたびコメンテーターの役に戻り、次のびっくりするようなこと、将来の予見に進んだ。先ほど見せた人口のフィルムに触れながら、彼はもう一度舞台を整えた。 「人類が一〇億人に達するまでには、一八〇〇年という歴史が必要でした。その一〇〇年後に、人類は二〇億人になりました。その五〇年後に三〇億になり、その二五年後、つまり一九七五年に四〇億になったのです。一九八五年に五〇億になり、今日、一九九七年の時点で、五七億七一〇〇万人です。人口増加率はこの二〜三年、鈍化してはいます。しかし、現在のペースでは、五〇年間であとどのくらいの人口が増えるのでしょう? 一七番の番号を持った人、立って下さい」。 一一〇〇人全員が立ち上がった。たった五〇年間で、今の二倍の一二〇億になるというのだ! さらに将来に目を向ける。一八番が呼ばれて、三五〇人が立った。今日私たちとともにこの地上に生きている子どもたち全員を示している。「彼らこそが将来なのだ」ということに、私たちは気づかされた。次に、七〇人が立ち上がった。六五歳以上の老人だ。もうじきこの世を去っていく人たちだ。 次に今日の人口の内訳を見てみた。生計を立てるために何をしているか?である。五人が立った。軍隊勤務者である。七人が立った。教師である。一人が立った。村の医者である。八人が立ち、四〇〇〇万人の難民を表した。農家の人が次に立った。一四三人という力強い数だ。人口の一三%だが、一九五〇年の四〇%から減っている。四七七人が立って、すべての労働者、つまり、二五億人の仕事を持っている人たちを表した。 しかし、さらに驚くべきは、次の数字が呼ばれたときである。「失業者」、つまり、求職中だが仕事が見つけられないでいる人たちが呼ばれたのだ。一九〇人が立ち上がった。一〇億人近い人数である。人口増加、不均等な経済発展、省力化を進める技術の犠牲者たちだ。 一六人が示した八五〇〇万人が毎年人口に加わってくるということ、そして、その人たちのほとんどが、すでに一〇億人の失業者がいる国々に生まれてくるということを考えざるを得なかった。 資源と産業の産出高の分配について見始めたとき、緊張感がさらに高まっていった。アルミ、鉄、鉄鋼、化学物質、紙、材木――人口の分布に対して、あまりにも偏っていた。所得の分布もショッキングなものだった。 一年に三七〇ドルも稼げない人たちを表すべく、二四八人が立ち上がったのだ!二八番が呼ばれて、裕福な五分の一と貧しい五分の一の両方が立ちあがった。合わせて四四〇人だ。もっとも裕福な五分の一を示す二二〇人の平均所得は、もっとも貧しい五分の一を示す二二〇人の平均所得の六一倍もあることがわかった。 億万長者の番号が呼ばれたとき、立つ人はだれもいなかった。ポールは壇上に立ち、手に持った二オンスぐらいの小さな像を見せた。「割合から計算すると、これが、地球上で三〇億人の平均収入を受け取っている三〇〇人の億万長者を示しています」とポールはいった。 三〇番という数字で、エネルギー使用量に関する分布を見た。そして汚染や食糧の分配についても見た。三三番で、毎晩おなかをすかせたまま床につく人が呼ばれ、一八七人が立ち上がった。九億八一〇〇万人だ! そして、一一九人が立ち上がった。栄養不良で体重が足りていない五億九五〇〇万人の子どもたちである。三人に一人! エクササイズは、このように進んでいき、冷酷な事実が次々と明らかになっていった。どこを見ても、地球の窮状、大きな不平等、人間の種としての脆弱さが、赤裸々に示された。 私自身は、産児制限にアクセスできない世界の女性五〇〇万人を示すひとりとして立った。私といっしょに立ったのは、一八三人(九億一五〇〇万人)だ。八人が立ち上がって、毎年飢餓もしくは飢餓に関連した疾病から死亡する四〇〇〇万人を表したとき、ポールは「この人数は、毎日三〇〇機のジャンボジェット機が墜落するのと同じです」といった。 しかし、希望のメッセージもあった。いまでは世界の子どもの半分は、はしかやポリオの予防接種を受けており、寿命も一九六〇年から三〇%伸びている。また、安全な飲み水が手に入る人の数も倍近くに増えており、初等教育を受ける子どもの数も、一九六〇年以来三分の二近く増えている。 食糧生産はこの一〇年間増えているし、女子の教育もこの二〇年間に二倍になっている。乳幼児死亡率は、一九六〇年以来、半分に減っているし、地球の人口の四分の三は、民主主義国に住んでおり、ミクロ融資機関が間もなく、もっとも貧しい一億人にサービスを行うようになり、GDP単位当たりのエネルギー使用量も急速に減ってきている。 ポールは最後に、個人の責任と私たち一人一人がどのように世の中を変革する力を持っているという、ネルソン・マンデラ氏の考えを紹介した。「マンデラ版」のパワー・オブ・ワンである。 グローバル・ビレッジの体験は、人々の目を開かせるものであったが、同時に、気持ちを落ち着かなくさせるものでもあった。私たちは、人々を失望感や落ち込んだ気持ちのままにしておきたくはなかった。 ジンク博士が、圧力を下げてたまった思いを吐き出す時間を提案した。そこで私たちは、最後に小さなグループに分かれた。参加者はしばらくの間、お互いに自分がどんなことを感じたかを話し合った。ジンク博士とペコス・ラーニング・センターのラリー・ウイルソン、ワン・ワールド・ラーニングのアーチー・テューが小グループに参加して、コメントを引き出す手伝いをした。思慮に富んだ、明晰なコメントが次々と出てきて、グループの様々な見方を表してくれた。 ジョージア州から来たアフリカ系アメリカ人の男性社員は、この日のいちばん大きな印象をこのようにまとめた。「これまで自分は、自分のライフスタイルがどのように、自分の知らない世界の遠くの地域に生きている女性や子どもたちに影響を与えているか、知りませんでした。でも今では、わかりました」。 だれもが心から取り組み、最後には、だれもがチャレンジを受け入れる心の準備ができた。私は、プラシッド湖での経験と、ホーケンの「来るな」というコメントについて、話をした。そして、私たちは、マウイの先住民の人たちに、喜んでふたたび迎えてもらえるような、これまでの訪問者とは異なるグループでありたいと願っている、と述べた。 課題が出された。「すべての子どもたちを愛する何かを行うこと」。その場で、二五人程度のチームが四〇チーム作られた。前もって先住民のハワイ人に頼んでおき、各チームに一人ずつ参加してもらった。 それぞれのチームに与えられた課題は、マウイの子どもたちが永遠に受け継いでいけるものとして、私たちが残していける贈り物は何かを考え出すことだ。私たちが島を去った後に残るだけではなく、私たちが自分の人生を終える瞬間にもなお、子どもたちの役に立ちつづける贈り物のアイディアである。チームが考え出すアイディアが的外れにならないよう、先住民の人々に参加してもらった。 それから私は、「インターフェイス社は、もっとも素晴らしいアイディア三つを実施するために、五万ドルを提供することを約束します」と発表した。各チームは、三日間で自分たちのアイディアを報告すること、という指示が出された。 各チームで集まって、作業に取りかかった。ただその前に、ホテルに到着した日に、ポラロイドで写真を撮った理由が説明された。ホテルのひとつの壁一面が、「個人の贈り物」を表す壁になっていた。その時の写真が壁に飾られており、その一週間のあいだ、「自分は行動をどのように変えるか」など、それぞれ自分の個人的なコミットメントを自分の写真のそばに貼るようにといわれた。 その週の終わりには、壁面はまったく見えなくなっていた! 「何千もの小さなこと」をするというコミットメントが七〇〇以上も貼りつけられていた。この一週間を通じて、何度も出てくるテーマである「パワー・オブ・ワン」が、だれの目にも明らかだった。 のちに、このミーティングの報告として、店に残っていた社員に様子を伝えるとともに、参加者の思い出となるようにニュースレターを出したが、この七〇〇以上のコミットメントはひとつ残らず、そのニュースレターに掲載された。 翌朝、参加サプライヤーの一社であるデュポンの代表者が、話をさせてほしいと自分から申し出た。そして、デュポン・グループが、インターフェイスが出すといった五万ドルと同額を提供する、と発表したのである!  チームが集まりだすと、あちこちで、自分もいくらかのお金を出したいという人が出てきた。二〇ドル、五〇ドル、一〇〇ドル出すという人もいた。そこで、ポールが全体セッションで、皆に聞いてみた。「二〇ドル出します、という人はどのくらいいるでしょうか?」と尋ねると、二、三の手がおずおずと挙がったが、さっと引っ込んだ。「では五〇ドルはどうでしょう?」 手は一つも挙がらなかった。「では、一〇〇ドルは?」部屋中がどよめいた。すべての手が挙がったのだ!  各自が一〇〇ドルを出すと約束したこの瞬間に、資金の額は二万ドルに跳ね上がった。次の日、一つのチームがこの資金を競うコンペから手を引きたいと発表した。自分たちのプロジェクトのスポンサーだけをしたい、と。自分たちのプロジェクトは自分たちの資金で別個にやるというので、その分、全体の資金が増えたことになる。このミーティング用の記念シャツのサプライヤーであるパタゴニアは、このシャツの利益を提供すると約束した。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 このわくわくする物語のつづきは、ぜひ本をどうぞ。
(数年前の本ですが、大事なメッセージはまったく色あせていませんので!)
 

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