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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2007年01月15日

doing wellとdoing good(2007.01.13)

大切なこと
 
特に年始だから、というわけではありませんが、年始というタイミングは、いつもよりちょっと長期的に、いつもよりちょっと深く、物事や自分について考えやすい時期なのかなあと思います。そんな気分の時に読んでいただけたら、と思い、昨秋出した本の「おわりに」から引用します。 『細切れ(こまぎれ)ビジョンで、なんでもできる! 〜夢を実現する自分マネジメントシステム』
定価:本体1400円+税 サンマーク出版 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 最後に――doing wellとdoing good ビジョンの描き方とその実現方法について書いてきました。自分でもワークショップでも試して効果の高かったさまざまなノウハウやコツをお伝えしてきました。少しでも、自分の思いをビジョンという形で描いたり、そのビジョンに向かって着実に確実に進んでいく上でのヒントになれば、と思います。 いってみれば、優れたナビゲーションシステムを備え、効率的・効果的に自分を進めてくれるクルマを作ることができ、その整備や改善方法も身につけた、というところでしょうか。これから、思う方向にどんどん進んでもらえることと思います。 自分マネジメント力をつけることは、「doing well」への道です。doingsomething well とは、何かをじょうずにできるようになることです。たとえば、本書を読む前に比べ、自分をある方向へじょうずに進められるようになっていてほしい!と願っていますが、これはそれぞれの方のdoing well のお手伝いだと思っています。 doing wellはとても大事なことです。いってみれば自転車の後輪のようなものです。後輪がしっかりまわると、自転車はぐんぐん進めます。 では、前輪は? 自転車の前輪は、動力源とはなりませんが、自転車の進んでいく方向を定める働きをしています。しっかりした自分マネジメント力という「doing well」を活かして、どんどん進む方向を決める、人生の「前輪」とは何でしょうか? 私は、doing good だと思っています。doing goodとは「善を為すこと」です。 自分マネジメント力とは、「あることがより効果的に、より効率的にできるようになること」です。その「あること」の善悪や良否は問いません。いってみれば、「しっかりした金槌ができました!」ということであって、その金槌で貧しい人たちのための家を建てるのか、それとも、強盗をするのかは問わないのです(名だたる悪党とは、実は非常に自分マネジメント力の優れた人なのだろうと思います)。 せっかく身につけたdoing wellの力を、doing good のために使って下さい。ビジョンを描くところで「大事なこと」を考えましたが、「狭く短期的な自分だけにとっての大事なこと」ではなく、少しでも「他の人や社会や地球や未来世代にとって本当に大事なこと」につながる要素を入れて下さい。 私たちは聖人ではありませんから、一〇〇%他人のために生きるなんてことはできません。でも、一〇〇%自分だけのために生きる必要もありません。「大事なこと」のなかに、一%でも二%でも、「自分」を超えた何かのための要素が入ってくるとき、たとえ短い一生であっても、その生は永遠の輝きに属すことができるのではないかと思うのです。Do good well! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 先週末に開催した「一年の計をつくるワークショップ」では、いつものように、各参加者が慌ただしい日常生活からちょっと「タイムアウト」をとって、いろいろなエクササイズをきっかけとして、「自分はいったい何をするために生まれてきたのだろう?」「ほんとうにやりたいことは何なのだろう?」「このままでいいのだろうか? いつも抑えているけど、このもやもやしている正体は何なのだろうか?」など、じっくり自分との対話を深めていくようすが印象的でした。 ときどきでいいので、「どうすればもっと力をつけられるか」だけではなく、「その力を何のために生かすのか」も、考えられたら、と思います。個人だけではなく、グループも、企業も、社会も、国も。 これもひとつの考えるきっかけとして(英語でfood for thought といいます)友人の高野孝子さんの書かれたものを紹介したいと思います。 高野さんは、「人と社会のあり方について、多角的な視野を提供することを目指しています。自然や文化、伝統と、近代的な快適さは、どう折り合っていくのでしょうか。飛びっきりの自然体験から身近なリサイクル活動や地域活動、そして深い学びをみなさんと共有したいと思っています」というエコプラスという団体を主宰されています。 その会報「PLUS」2004年夏号より、引用です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 私たちの根っこ                                 高野孝子 「あっつーい!もう耐えられない」 6月上旬、私は英国南部の友人を訪ねて山歩きをしていた。普段暮らす英国北部よりずっと気温が高く、連日太陽が突き刺すように照りつけ、長そで長ズボン、靴下にきっちりしたウオーキングシューズだった私はとうとう音を上げ た。 町の「チャリティショップ」に飛び込んだ。 これはある種の店の総称で、そこに人々が衣類や台所品、日用品などを寄付 し、それを店が安く売る。直接目的は「リサイクル」ではなく、売り上げを社 会福祉・慈善事業に寄付することだ。ガンの研究だったり、第三世界への教育 など開発関連、路上生活者のサポートなど、それぞれ目的を掲げて店を開いて いる。 品物の仕分けや値札貼り、レジなど、店で働く人たちは全員ボランティア。 多くは100-1500円の範囲で売られているが、悪いものは置いていない。新品 も結構あるし、同じものが二つとないので見ているだけで楽しい。 この時私は、コットンのしっかりしたショーツ(200円)、ノースリーブシ ャツ2枚(180円と700円)を購入、その場でさっそく着替えて息をついた。市民が互いに支えあうとてもいい仕組みだと思うし、日本でも似たような活 動はあるが、社会的にどれほど広がるだろう。 日本では中古品や衣類を買い取る大きな業者が登場している。社会奉仕の目 的を持つ店に無料で寄付するのと、少しでもお金をくれる業者と、私たちはど ちらに不要品を持ち込むだろうか。 英国の友人は「チャリティショップに持ち込む」と言う。「社会の役に立つから」 私が知っている限り、英国人たちは質素で倹約した暮らしをしている。給料 も高くない一方で、高率の税金のため物価は日本より全体的に高い。決して経 済的にゆとりがあるわけでないのに、助けあう精神の伝統は根づいている。道 に座っている物ごいにもお金を入れるし、ちっともうまくない路上音楽家にも お金を渡す。 キリスト教の「慈悲の心」「助け合いの精神」が背景にあるのだろうか。人々の教会離れが嘆かれて久しい。多様な文化・民族も存在している。でも英国社会の基盤は間違いなくキリスト教文化だ。 そしてまた日本を考える。日本社会の主要な、依って立つ精神文化は何だろう。地域によって違いはあっても、一般的には神道、仏教、儒教などが広い意味の規範を構成しているとされるのではないだろうか。 つい先日、ダライラマ14世がスコットランドを訪れ、私は彼の一般向けの講演と、3日間連続のチベット仏教講座を聞く機会に恵まれた。 専門的な仏教の知識を持たない私だが、彼の教えは私が、そしておそらく多くの日本人が育まれてきた当たり前の環境の中にもあるものだった。 「他人のことを考えなさい」「思いやりの心」「人は自然の一部」「心の平安が幸福につながる」「足るを知る」「無の悟りと心の解放」 聞きながら癒されていくのを感じつつ、昔よく聞いたこうしたことが自分の意識からすっかり離れていたことにも気づいた。異文化と仕事のプレッシャーの下で暮らし、不安をかき立てる国際社会の有り様の中で、知らず知らず自我の防御に必死だった。 これらの教えは今、私たちの精神文化の基盤の一部となっているだろうか。社会での多くの悲惨な事件や、自分たちの日常の行動が、こうした教えと無縁に思えるのは、たまたまだろうか。都市化やアメリカ化に伴う事象に、表面的に心を奪われているだけなのか。 チャリティショップがキリスト教の価値に基づいた、市民同士が社会を支えるやり方だとしたら、日本流はどんな形なのだろう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 目の前のことに追われれば追われるほど、ときどきはうーんと背伸びをして、遠くまで見晴らして、全体像のなかの自分の立ち位置とやっていることの過去・現在・未来を考えたいですね。 急がば回れ、といいますが、単なる精神衛生上、というのにとどまらず、やるべきことにとっても組織にとっても、そのほうがずっと効率的・効果的になると思っています。そんな一年になりますように(そんなメールニュースもときどき出していこうと思っています〜)。
 

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