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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2006年04月28日

エルネオス「枝廣淳子のプロジェクトe」よりセイコーエプソン〜ビジョンの力(2006.04.28)

 
ときどき紹介させていただいていますが、ビジネス雑誌「エルネオス」に連載している「枝廣淳子のプロジェクトe」から、「ビジョンの力」をぜひ感じていただきたく、セイコーエプソンの取り組みをご紹介します。 この連載では、毎号、本気で持続可能性に取り組んでいる企業や、環境や持続可能性をきっかけに大きく変化を遂げているビジネスや取り組みを紹介しています。雑誌の購読や問い合わせ先はこちらをどうぞ。http://www.elneos.co.jp 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 エルネオス「枝廣淳子のプロジェクトe」より セイコーエプソン 環境問題を「てこ」として、コスト削減や体質強化につなげている企業が増えています。今回は、環境問題への取り組みのビジョンを掲げることで技術革新を図り、その結果、技術力や総合力を強めている企業の一例としてセイコーエプソンを紹介しましょう。 1942年、長野県諏訪市に時計工場として創業した同社は、プリンター、プロジェクターなどの情報関連機器、電子デバイス、精密機器を扱うグローバル企業です。 事の始まりは1988年夏でした。モントリオール議定書で決まった、オゾン層破壊物質の段階的削減に対する国内での対応について本格化するころでした。 当時、年間約1400トンのフロンを使用していた同社は、同年8月にフロンレス推進委員会を発足させ、フロンの性質や人体や環境に対する影響を調べて、12月にはフロンレス推進センターを立ち上げました。 当初は、他社と同様にフロン使用量の「削減」を目標にしたのですが、当時の中村恒也社長は「削減ではなくゼロにせよ」と主張しました。「フロンは環境に悪いとわかっているのだから、規制や他社の目標が削減であっても、私たちは使い続けることはできない」と、明確にメッセージを発したのです。当時、フロン全廃の手段や技術がありませんでした。それでも「全社の総合力として挑戦せよ」というビジョンを掲げたのです。 フロン全廃という目標に対して、社内からは当然さまざまな声が上がりました。それでも、中村社長は「フロン廃止をできない事業は事業中止も考える」と、妥協しませんでした。トップを含め、毎週会議を開き、議論と技術開発・実行が進められました。 同社のフロン使用量の90%以上は洗浄と水切り乾燥用でした。そこで、洗浄工程そのものをなくすという画期的な「無洗浄」、無理なら「水による洗浄」、「ほかの溶剤による洗浄」という段階的な道標を作って、フロン全廃への活動を続けていきました。 フロン全廃活動は、あらゆる部門で進められました。調達部門は、フロンゼロ技術の開発状況を見ながら、代替物質を探しつつフロン購入量を管理するという"蛇口"の役割を果たし、生産管理部門はフロンが必要な量だけ必要な場所で必要なときに使われるように生産管理計画を強化しました。 製造現場では、フロンが揮発しないようフタ閉めを徹底し、フロンを使う装置にステッカーを張って区別するなど、取り扱い方法を徹底しました。品質部門では、洗浄方法の変更に伴う品質チェックを厳しく行うなど、各部門がフロン全廃に向けて取り組みました。販売部門も無関係ではありませんでした。米国がフロンを含む製品の輸入に課税をした際、同社はフロンレスのおかげでその対応がスムーズにできました。 中村社長は「環境への取り組みは競争よりも協調だ」と主張。「環境対策は一企業でできるものではない。外部から教えてもらい、自社での開発は外に出して使ってもらう」と、「競争より協調」という姿勢でした。通産省(現・経済産業省)や米国環境庁、国連環境計画などの協力や指導を得て、フロンを使わない洗浄機械の開発を機械メーカーと進めつつ、溶剤メーカーや部品加工会社など、社外の多くの関係者との協調を進めました。 同時に、フロン削減の成果が出始めたころから、国連環境計画とともに発展途上国へのフロン削減の支援にも踏み出しました。途上国で新しい洗浄技術のセミナーを行ったり、通常は出さない情報まで含めてフロンを使わない製造工程のテキストを作り、世界の同業他社に公開して、その取り組みを支援したのです。この「競争より協調」は、その後も同社の大きな思想的な柱となりました。 こうして、管理・改善から、抜本的対策の技術の開発、実用化の推進と三段階を経て、92年には計画より一年前倒しで、フロン全廃を達成したのです。 取り組みを始めた当初は、フロンの価格が安かったため、切り替えに伴ってコストは上昇しました。しかし、モントリオール議定書で国際的にフロン生産量が削減されると、フロンの価格が上昇し、最終的には機械への投資等を差し引いても、フロン全廃の方針を採らなかった場合に比べ、累積すると利益が生まれたのです。 同社は同様に、その後も塩素系溶剤の削減などを進め、98年には「フロンから10年後、第二の環境元年」との意気込みで、7領域で対策を強化する取り組みを始めました。 そのひとつが「2010年に地球温暖化物質を絶対量で97年度比60%削減(世界連結)」という目標です。生産量や売上高など、原単位当たりのCO2排出量の削減を目標に掲げる企業が多いなか、同社は「絶対量」で、しかも世界連結で、CO2を含む温暖化物質の総排出量を97年度の半分以下に削減するというのです。フロン全廃活動と同じく、達成できる技術の有無は省みずに、「正しいことだからこうするのだ」とのビジョンのもと高い目標をまず打ち立てたのです。 ひとつの物質がターゲットであり、洗浄装置など自社の技術者が改善できたフロンに比べ、地球温暖化物質はターゲットが多岐にわたります。電力をはじめ自社で制御できない部分も多く、より手ごわいチャレンジです。しかし、このビジョンに向けて、技術者をはじめ社内全体で取り組み、その過程で技術開発が進み、すべての部門で無駄が減り、企業としてもさらに体質を強化しています。 フロン全廃と同様に、「必要なものを必要な量だけ必要なときに使う」よう管理を強化して、生産に寄与していない二酸化炭素を削減するほか、製造装置や建物の省エネ化を図っています。そして、工程の改善にとどまらず、モノの作り方自体を考え直すという次のハードルに向かって努力を続けています。 「未来は現在できることの延長線上にあるのではない」――不可能を可能にするビジョンの持つ力を活かし、革新を進め続ける同社に今後も大いに期待しています。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 同社はその後、実質売上高原単位において、2010年に1990年比で温暖化ガス排出量を50%削減するという新たな目標を設定し、発表しています。 遠くで「こっちだよ」と手招きをする北極星のようなビジョンを作ることと、毎日の生活や業務の中での指針となるようなもう少し現実的な目標を設定することのバランスの大事さを、仕事でも自分の人生でもよく感じます。 現実の延長線上だけでは遠くへいけません。ましてやいまのように、異次元へのシフト(パラダイムシフト)が必要な時代は、現実に立脚したフォアキャスティングでは進んでいけません。一方、月や星を指さされても、「いったいどうやって」ととまどってしまったり、その遠さにかえってやる気を失ってしまうこともあります。 私が主催している「自分のビジョンをつくり、自分マネジメントシステムを身につけるワークショップ」は、まさにこのバランスを、それぞれが自分で取っていこう、少なくとも取ることを考えよう、という機会でもあります。 きっと企業でも同じなのだろうなあ、と思います。自分ひとりだって一筋縄ではいきませんが(^^;)、ましてや多くの社員や関係者をリードしつつ、本質的に正しい方向にできるだけ近道をして進んでいく、というのはアートだなあ、と。そして、セイコーエプソンの「アート」に、これからも注目していきたいと思っています。 余談ですが、数週間まえに、ン十年ぶりにボーリング場へ行きました。ほんとうに久しぶりだったので、すっかりやり方を忘れていて、いくら三角形にならんだピンの真ん中少し横をねらっても、なかなか思うようにいきません(昔もそれほどじょうずだったわけではありませんが......。^^;) おかしいなー、なんでねらっているところにいかないのかなー、フォームが悪いのかなー、ボールが悪いのかなー(^^;)と頭の中でぐるぐる考えていたら、いっしょにプレイしていた子が、こう教えてくれました。 「遠くばっかり見ていてもだめなんだよ。レーンの近いところに、△のマークがあるでしょう? あのマークをねらって転がせばいいんだよ」。......ふーむ。 言われたとおりに、レーンの自分の近いところについている△マークをしかとにらんで転がしたところ、なんと見事、ストライク!となったのでした。 なるほどー、北極星そのものを凝視して進もうとするより、その北極星につづくライン上に目印をつけて、そこを見ながら進めばよい場合もあるのねー、と感心する私。 かといってストライク連発!というわけでもなかったのですが(^^; ボーリングのスコアの上げ方と人生のコツの両方を教わってラッキー!という気分でした。
 

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