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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年11月28日

持続可能な社会を作っていくために〜GPI について(2005.07.03)

大切なこと
 
持続可能な社会を作っていくために、何が必要なのでしょうか。 まず様々な分野での新しい技術が必要です。例えば、エネルギーでも土地でも、それからもちろん食糧もそうでしょうし、汚染の除去など、いろいろな新しい技術が必要です。 ただし、新しい技術だけでは十分ではありません。技術というのは、あくまでもアプローチであり、ツールです。「言ってみればハンマーみたいなものだ」と昨年のバラトン合宿でもデニスが言っていました。ハンマーを大工さんに渡したら役に立つものをつくってくれるけれども、危ない人にハンマーを渡したら、凶器になるわけです。 ですから、技術そのものがいいとか悪いではなくて、それをどのような方向に向かってどう使うかによって、よかったり悪かったりするわけです。ですから新しい技術は必要だけれども、それだけでは十分ではない。やはり、どのような地球にしたいのか、どのような世界にしたいのか、そういったビジョンに基づく価値観があってはじめて、技術も賢明に使われるし、持続可能な道をたどることができます。 経済や市場も同じです。経済成長が必ず正しいとか、「経済成長市場主義」とわたしはよく言いますが、市場のシグナルが必ず正しいというわけではなくて、経済や市場を使って、わたしたちが人間として行きたい方向に、地球なり経済なりを向けていかなくてはいけないと思っています。 もう一つの考え方として、GDPの見直しをご紹介したいと思います。わたしたちはGDPを非常に重視していて、何%上がったとか下がったとか、このままでは困るとかそのような話をします。 しかしGDPというのは、お金が動くと上がるのです。さっき言ったハンマーの例と同じなのですが、いいことをやっても、物が動き、人が動けば、お金が動くので、GDPは上がります。悪いことや人を不幸にするようなことをやっても、お金や人や物が動きますから、GDPは上がります。 ですから、例えば家庭内暴力が増えるとか、自殺が増えるとか、環境破壊が増えると、GDPは上がるのです。お医者さんが忙しくなったり、例えば環境破壊が進んだら、それを除去するための技術や会社や資材が使われますから、それは経済活動になります。いいことにお金が使われても、本当はほしくないものに使われても、GDPは上がります。 では、実際に、GDPが上がることがわたしたちの幸せなのでしょうか?--このような問い直しが、今あちこちで始まっています。その一つの考え方が、GDPではなくて、本当にわたしたちの幸せが進んでいるのか進んでいないのか、それを測る指標を作りましょうという考え方です。そのひとつがGPI(Genuine Progress Indicator)と呼ばれる指標です。「本当の進捗を示す指標」という意味です。 家庭での活動やボランティア活動などは、今経済活動としてGDPにはカウントされていないですね、お金のやりとりがないですから。でもこれは人の幸せにつながっている活動であります。ですからGDPにこれを足すのです。 そして犯罪や公害、家庭の崩壊など、お金は動くからGDPは増えるけれど、でも人々の幸せにはつながっていないものを引くのです。GDPを基にしているけれど、本当は足すべきものを足して、本当はいらないものを引いて、本当のわたしたちの進捗がどうなのかを見ようとしているのがGPIです。 日本でも大橋照枝氏らによって、日本のGPIの結果も出されています。(以下は参考です) http://homepage1.nifty.com/o-terue/elneos/2004/elneos06.html http://www.cuc.ac.jp/~a240129/iso14001/2004-5-24.html 世界で10数か国のGPIが発表されていて、今お見せしているグラフはアメリカのものですが、どの国も同じような傾向を示しています。この上の線が、いわゆるGDPです。わたしたちがよく新聞で見るものがGDP。これは1950年から2000年にかけてずっと上がっています。もちろん時々不況がありますから下がったりはしていますけれども、基本的には上がっています。 しかし先ほど言った、いらないものを引いて、本当に必要なものを足した場合のGPIはこのように、1960年から70年にピークに達して、そのあとは下がっています。 GDPは上がっているけれども、わたしたちの本当の幸せは、実は下がってきていることが、GPIのグラフから分かります。そうしたときに、GDPが1%上がったとか下がったとか、これを上げるためにどうするかという議論が本当に正しいのだろうか?それよりも「経済が成長したことでわたしたちは本当に幸せになったのだろうか?」というようなことを議論しないといけないと思います。 特に世界のほかの国の人たちと話していてよく思うことがらいます。日本は外から見ると、もちろん経済大国ですし、いろいろな意味で優れた国です。技術もありますし、人々の価値観やライフスタイルもほかの国よりしっかりと考えている部分もあります。 でもわたしがいつも不思議に思うのは、どうして日本の社会には幸福感がないのだろう?ということです。人々があまり幸せそうではないのです。こんなに技術が発展して、こんなに経済が大きくなっているのに、「これでいい」とか「幸せだな」とか「じゃあ楽しもう」というようなようすがあまりないのです。 「日本は外から見ると確かに先進国だけれど、メンタリティとしてはまだ発展途上国のメンタリティではないか」という指摘をしている方がいました。こういった意味からも、実際に「GDPさえ伸ばせばいい!」ではなくて、GPIも考えていくことに日本は取り組まなくてはいけないし、おそらく中国もそうだと思います。 中国をはじめ、いま途上国はGDPを伸ばそうとしています。先進国に追いつこうと「GDPを伸ばそう!」としていますが、それよりは「GPIで追いつこう」とか「GPIでは途上国のほうが上」と考えたほうがいいのではないかと思うのです。
 

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