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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年11月04日

システム思考(2005.01.22)

システム思考を学ぶ
 
幼稚園の頃、京都に住んでいました。4歳の頃だったと思いますが、雨の日に父と市バスに乗っていたときの記憶で、いまでもよく覚えている光景があります。 4歳の私は窓側の座席に座って、外を見ていました。父は隣に座っていました。私は、雨が窓ガラスをつたって、つーっと後ろへ流れるのが面白くて、じっと見ていました。 「パパ、見てみ。バス停まってたら、雨はまっすぐ下へいくのに、走っているときは、ぎざぎざって、後ろへ行くなあ。面白いなあ!」(京都弁で読んで下さい。^^;) 子どもの私は単純に「ほんまに、面白いなあ」と言ってもらえたら、というだけのつもりで、自分の発見したその現象を得意げに報告したのですが、その相手の父が、筋金いりの?理系かつ極めて論理性を重視する(要するに理屈っぽい)人だとは、4歳の子どもには知るよしもなかったのであります。(^^; 父は私の「発見」を誉めてくれたあと、厳粛な面持ちで「淳ちゃん、どうしてそうなっていると思う?」と聞いたのでした。 「えっ、どうしてって、言われてもー」と、ただ「面白いなあ」としか思っていなかった私は黙ってしまいました。そんなこと、考えたこともないもん。 しかし父は許してくれませんでした。どうしてバスが停まっていたらまっすぐ流れる雨が、バスが走っていたら横へ後ろへ流れるのか、その理由を考えよ、と迫るのです。(4歳の子に!^^;) しかたなく、私は考えはじめました。じーっとバスの窓の雨粒の動きを見ながら、4歳児なりに一生懸命考えました。適当なことを答えると、「もっと考えてごらん」と差し戻されます。 「言わなきゃよかった〜」と内心思いながら、半分泣きべそをかきながら、ようやく、「バスが走ると、バスは前へ行くけど、バスの窓の外にある空気は動かないので、風が起こる。その風の力で雨粒が後ろに押されるから、横に流れるのだ」(確かそう言ったと思う)という説明をすることができ、父はとてもうれしそうな顔をしました。 父は家へ帰ると、「今日バスの中で、淳子がバスの窓を雨が横に流れる理由を説明できた」とうれしそうに母に報告しました。だってそれは、お父さん、あなたが......ということは置いて、誉められて私もうれしくなったのでした。 もちろんそのときはそうと意識したわけではありませんでしたが、子ども心に「目に見える現象は、目に見えないしくみが起こしているのだ」という発見の不思議さがなんとなく残った、そんなある雨の日の出来事でした。 そして、いまにして思うと、「システム」「システム論的な考え方」との出会いだったのでした。 翻訳中の『成長の限界 30年後』(仮題)から、システムに関するところを一部紹介します。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 資源消費や汚染排出が持続可能な限界を超えてしまった、というシグナルに対して、人間社会がとりうる対応は、三つある。 一つは、そのシグナルを否定し、隠し、混乱させる方法だ。これにはさまざまなやり方がある。「限界なんて心配する必要はない。市場や技術が自動的にどんな問題でも解決してくれるのだから」と主張する人もいれば、「しっかりした研究結果が出るまでは、行き過ぎを減らす取り組みに着手すべきではない」と言う人もいる。また、自分たちの行き過ぎのツケを、遠くにいる人々や将来世代に移し替えようとする人もいる。 第二の対応方法は、技術的な解決策や経済措置によって、限界からの圧力を緩和しようとするものだ。たとえば、自動車の走行距離1キロ当たり、または発電1キロワット時当たりの汚染の排出量を減らしたり、資源の利用効率を上げ、資源をリサイクルし、再生不可能資源の代わりに再生可能な資源を使うようにする。 こうした方策はすぐにとるべきものである。このような取り組みの多くによって、環境効率が上がり、当面の圧力が和らぎ、貴重な時間を稼ぐことができる。 しかし、だからといって、圧力の原因を根絶することにはならない。たとえ、走行距離当たりの汚染が減ったとしても、走行距離自体が増えたとしたら、または、汚水処理能力を増強しても、汚水の量そのものが増えたら、問題を先送りすることはできても、解決にはならないのである。 第三の対応方法は、根本的な原因に取り組むことである。一歩下がって、「現在の構造では、人間の社会経済システムは、管理不能で、限界を超えており、崩壊に向かっている」ことを認め、システムの構造そのものを変えることを考えるのだ。 「構造を変える」という言い方は、不吉な響きを感じさせることが多い。革命家が、人々を権力の座から引きずりおろしたり、そのときに爆弾を投げ込んだりするときに、よくその使う言葉だからだ。 「構造を変える」と聞くと、古い建物を壊して新しい建物を建てるなど、「物理的」構造を変えることだと思う人もいるかもしれない。あるいは、権力構造や序列、指揮系統を変えることだという解釈する向きもあるかもしれない。このようなニュアンスがあるがゆえに、「構造を変える」ことは、難しく、危険で、経済力や政治力を有する人たちにとっては脅威に思われる。 しかし、システム論の用語で言うところの「構造を変える」は、人を追放したり、物を壊したり、官僚主義を解体することとは何ら関係ない。実際、このようなことを、構造を「本当に」変えることなしにおこなっても、結局は、新しい建物や新しい組織で、別の人たちが同じ目標を追求してお金や時間を使い、これまでと同じ結果を生み出すことになってしまうだろう。 システム論で「構造を変える」ということは、システムの中の「フィードバック構造」「情報のつながり」を変えることである。つまり、システムの中の当事者が、活動する際に用いるデータの内容とタイミング、行動を促進づけたり制約したりする目標やインセンティブ、代償、フィードバックなどを変えることだ。 人、組織、物理的構造はまったく同じでも、もしシステムの当事者がそうすべきだという理由を理解し、そして、変える自由やインセンティブまで持っているのなら、まったく異なる行動を取ることができる。 そうやって新しい情報構造を持ったシステムは、そのうち、その社会構造や物理的構造をも変えていくだろう。新しい法規制や新しい組織、新しい技術、新しい技術を持った人々、新しい種類の機械や建物を生み出していくかもしれない。そうした変革は、中央から指示する必要はなく、自発的に、自然に、漸進的に、わくわくする形で進み、楽しいものであろう。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 デニスたち『成長の限界』シリーズを書いている研究者は、「システム・ダイナミクス」の専門家です。バスの窓をつたう雨から、地球環境問題まで、世の中の事象を「複雑に絡み合ったシステム」のダイナミックな動きとしてとらえ、問題があるとしたら、システムの観点から考え、正していくべき、という考え方です。 漁船が増え、魚が減り、値段が上がるので、ますますみんなが懸命に獲ろうとして、漁場を崩壊させてしまった例をあげて、こう述べています。 >> 資源を壊滅させようと夢中になっている市場の当事者たちは、まったくもって合理的な行動をしている。システムのなかでのそれぞれの立場から見える報酬や制約を考えれば、まったく妥当なことをしているのだ。 問題は、人にあるのではなく、「システム」にある。再生速度の遅い共有資源を規制のない市場システムが管理しているとしたら、行き過ぎと共有資源の破壊を避けることはできない。 << そして、システムの立場で考えた場合、何が問題の根源的な原因なのか、何が欠けているのか、どうすればよいのか、そのときどういう抵抗や問題が予想されるか、どう乗り越えていけばよいのかを語っています。(この章もお奨めです!) 昨年9月に出した [No.1024] 「3度目のバラトン合宿報告記」でこのように書きました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここから引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 もうひとつ、これも初年度から思いつつ、きちんと実行できていないことですが、このバラトングループの出発点であり真髄でもある「システム思考」を、もっときちんと勉強したい、日本にも伝えていきたい、と思いつつ、帰ってきました。 現在翻訳を進めている『成長の限界 30年後』も、まさに「システムダイナミクス」を基盤としたものです。 (中略) 書籍や、関連ウェブサイト、デニスがくれた「System Thinkig Playbook」(システム思考を体験するためのゲームがいっぱい詰まっている)などをもとに、勉強しなくちゃ、と。 また、この分野に詳しく、かつトレーニングの専門家であるメンバーと話をして、来年日本で「システム思考のワークショップ」を開催できないか、という話をしてきました。実際に体験したい!とまず自分が思っているのですが、できれば、日本語でワークショップができるトレーナーを養成するところまでできないかな、と。 システム思考では、上記の本などを見れば載っていますが、何かの現象があったときに、その因果関係、影響を与え、受ける関係をダイアグラム(図)にします。フィードバックループといいますが、ぐるぐると環がつながったり、重なったりしている図になります。 バラトンのメンバーの多くはごくふつうに、日常用語のように、話しているとよく、このダイアグラムを書き出します。私もいつか......。(^^; そして、私がシステム思考に大いに関心を惹かれているのは、「環境問題へのアプローチにシステム思考が必要だ」という実感だけではなく、「自分マネジメントにも必ずや有効に違いない!」と感じているからです。 システム思考は、人を責めるのではなく、システムの欠落や欠陥を見出し、もっとも有効に介入が「効く」システムのツボを探して、そこに働きかける、という考え方で、私にはとてもしっくりくるのです。「自分を変えるため、なりたい自分になるためのシステム思考」--いつかこちらもカタチにしたいな、と。 「システム思考」を日本に紹介し、役立つアプローチとして使ってもらうことを目的に、いくつかプロジェクトを進めています。そのうちご紹介できれば、と思いますし、メールニュースでも少しずつ「システム」についての基本的なところから、紹介していきたいと思っています。 しかし、そのためのシステムをまず自分に作らなきゃ!(^^; 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用ここまで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 子ども時代に一瞬システムに目覚め(?)、でもずーっと無意識下で眠っていましたが、3年前にデニスたちに出会い、少しずつ影響を受け、学ぶなかで、ますます「システム思考」に惹かれる気持ちが強くなってきました。 自分で勉強し、日本でも多くの方々に役立ててもらえるように、「そのためのシステム」も少しずつ整えはじめています。これから力を入れていくつもりの活動です。今年、具体的にいくつかはじめていきます。メールニュースでもお伝えし、お誘いしていきますので、ぜひ、魅惑のシステムの世界へご一緒に!(^^;
 

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