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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年06月21日

時間的遅れと世代間倫理

システム思考を学ぶ
 
二酸化炭素の排出を今日やめたとしても、大気中の濃度上昇はすぐには止まりません。今日1000トン排出したとすると、そのうちの400トンは100年後もまだ大気中にとどまっています。そして150トンは、今から1000年後も大気中に残っているのです。 フィードバック・ループには、「時間的な遅れ」が必ずあります。うえの二酸化炭素の例を考えるとよくわかるでしょう。もし今日から、二酸化炭素の排出をゼロにしたとしても、その効果が出るまでには、何十年、何百年とかかります。同じような「時間的な遅れ」が、いろいろな面であります。汚染物質が食物連鎖に入り込んで、人間が病気になるまでの時間もそうです。 人口問題でいえば、赤ちゃんが生まれてから、始めて子どもを生むことができるようになるまでの約15年の遅れなど。「人間が成熟することに固有の時間の遅れのために、変化する状況に対応して出生率を変化させても、それによって人口が変化するまでには、避けることのできない遅れが存在する」ということです。 『成長の限界』では、「このような自然の遅れは、技術的手段によっては制御できないと述べています。 >> ダイナミックなシステムにおける時間遅れが重大な影響を与えるのは、そのシステム自体が急激な変化をとげている場合だけである。簡単な例をあげよう。 車を運転している際には、眼前の道路上のものを見ることと、それに対する反応との間には、非常に短いけれども避けることの出来ない時間遅れが存在する。アクセルやブレーキを踏む動作と、それに対する自動車の反応との間には、もっと長い時間遅れが存在する。 運転者はこれらの遅れに対する対処の仕方を学び知っている。この遅れがあるために、あまり速く運転することが危険だと知っている。さもないと、遅かれ早かれ、行き過ぎとその後の破局をきっと経験するだろう。 もし目隠しをして、助手席にいる乗客の指示に従って運転しなければいけない場合には、知覚と反応との間の時間遅れがはるかに長くなるだろう。 このように長い時間遅れを扱う唯一の安全な方法は、スピードをゆるめることである。そのような場合でも、通常のスピードで運転しようとしたり、加速し続けたり(幾何級数的成長のように)しようとすれば、その結果は破局的である。 << この「時間的な遅れ」があるからこそ、「現在」被害を受けることのない私たちが「本当はいけないこと」をやったり、打つべき手をぐずぐずと打たないでいるのですが、「将来世代にツケを回す」とか「世代を越えた暴虐行為」といわれるように、将来世代には、「身に覚えのない」被害をあちらからもこちらかも受ける・・・という状況を作りだしています。 せめて、スピードをゆるめなくては。フロンや二酸化炭素が十年、百年というスパンで影響を与えてくるなら、新しい物質を作ったり使ったりするスピードも、十年、百年というゆっくりしたスピードで進まないと、「目隠しをして、猛スピードで、さらにアクセルを踏み込んでいる」状態になってしまいます。 ところが、実際には、9秒に1つずつというスピードで新しい化学物質が作り出されているそうです。 アクセルを踏んでいる私たちは、衝突するまえにきっと車から降りてしまいますから、自分たちは怖くないのかもしれないですけど・・・。 加藤尚武先生などが提唱されている「世代間倫理」は、まだ生まれていない被害予定者?の声を、今の意思決定に取り入れるための考え方の一つです。現在の民主主義のしくみでは、将来世代の声が現在の意思決定に反映されないのです。
 

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