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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年06月21日

稚内エコツアー (2002.04.02)

日本のありもの探し
 
「そろそろ起きたらどうですか? カニが焼けましたよ」という声が聞こえました。私は、朦朧とする頭で「ここはどこだろう?」と考え、やっとのことで思い出しました。そうだ、稚内のファーム・レラ(新田由憲さん・みゆきさんご夫妻の農場)のエコツアーに来ているのだった。 この11月23日は明け方3時まで、幻冬舎の一室に Sustainability for Peace のメンバー数人とこもり、緊急出版する『非戦』の最後のチェックや修正を行い、帰宅後、締め切りの迫っていた原稿を2、3本書いてメールで納品し、徹夜のまま、稚内行きの飛行機に乗りこんだのでした。 総勢9名(人数限定だったので)のエコツアーの参加者は、ファーム・レラに到着すると、子どもたちはパン種をこねたり、豆を選り分けたり、大人も夕飯の準備に加わったようですが、私はひたすら、眠りこけていたのでした。 「カニ」の声に起き上がって、ジャンバーを羽織って外に出ます。11月半ばをすぎたこの頃、例年なら雪が積もり、寒くて外にはいられないそうですが、珍しく暖かな日で、外で炭を炊いて、網の上にはカニの大きな足が豪快に並んでいます。「これ、食べごろですよ」と新田さんが差し出してくれます。大きな足だこと!そして、大きな身がほろりととれます。おいしい!「味はつけてないんです。天然の海の塩味ですよ」とのこと。 子どもたちは、カニに食べ飽きると、たきびがしたいという。農場の地面(回りに何も燃え移りそうなものがない)で、たきびの炎が上がります。子どもたちの歓声、犬がカニの殻をもらってバリバリ噛み砕く音、パチパチと火のはじける音、ジュージューとカニの焼ける音を耳に、豪快な野外でのカニ焼きをごちそうになったのでした。 「すごいですね〜」と感心する私に、新田さんや他のツアー参加者(いずれも北海道内の方々)は、「北海道がいつもそうだとは思わないで下さいよ〜」と笑います。 カニを見ながら、新田みゆきさんが3月に、問題提起しながらも対決・批判型ではなく、いっしょに考えてみようと、当事者の協力も得て開催された「カニを食べないカニ・ツアー」のことを思い出しました。私は案内メールの転送をもらったのですが、残念ながら参加できませんでした。でも、お知らせを見て、おもしろいなぁ、と印象に残っていたのです。 このとき、私は新田さんにお会いしたことはなかったのですが、6月に北海道主催の講演会に呼んでもらったときに、パネリストとして稚内から参加されていた新田みゆきさんにお会いして、それからメールやニュースのやりとりが始まったのでした。 新田さんの出していらっしゃる「最・北の国から」というニュースレターから、私のニュースに紹介させていただいたこともあります([No.495][No.515])。私の大好きなニュースレターです。配信希望の方は、新田さんまで。
rera@poplar.ocn.ne.jp いつか行ってみたいなぁ、と思っていたので、ご自分の農場を舞台にしたエコツアーをなさると聞いて、すぐに申し込んだのでした。 ファーム・レラについては、みゆきさんの出していらっしゃる「最・北の国から2001.7.25」を読んでいただけば、どんな温かな場所か、伝わるでしょうか。 >> ●カウントされないけど、大切な生産のお話 ある日、由憲氏がせっせと何かを作っているので「これ何?」と聞くと、なんと彼は、雑排水が川に流れる前に一時溜めておくための溜めますの型枠を作っていたのでした。その型枠が出来上がると、今度は砂と砂利とコンクリートを合わせて練り、型枠に流し込んだ後固めるために何日か放置し、固まったら型枠をはずすし、ようやく手作りのコンクリート製溜めますが姿を現しました。彼と10年一緒に住んでいる私も、彼がここまで自分で作ってしまうとは驚きでした。 我が家は離農跡の築15年の中古住宅を購入したので、家の中、水周りなど、手をかけなくてはならないことがたくさんありますが、そのほとんどを彼が手がけ片付けてくれます。まず自分がトライしそれから手におえないことは業者に頼みます。このように住関係は由憲氏が手がけ、私は味噌・梅干・ラッキョウ・ジャム・漬物・山菜の塩蔵などの自家製食づくりをなるべく手をかけるよう心がけ、暮らしています。 外へ仕事に行っている彼が、手をかけるための時間を作ることが無理な時もあります。その場合は買って済ませていますが、そういう時の彼は「買ってしまえば、あっというまに済んでしまうことなんやけど・・」と言いながら、残念そうにしています。 日常生活の中に市場を媒介しなくても成り立つ事を増やしてゆくことが、豊かな暮らし方ではないかと私たちは考えています。そしてそのために使う時間を、楽しみながら過ごすことができたらカッコ良いのですが、私たちはまだまだ毎日を慌しく過ごしています。でも、できることからひとつずつ、カウントされないけれど、暮らしに必要な大切な生産をしてゆきたいと思っています。 << 以前、富山のホタルイカ漁に連れていってもらった話を書いたときに、このように書きました。 >> 昔は、浜へバケツを持っていって、産卵を終えたホタルイカをすくって、おうちで食べていたそうです。「身投げと呼んでいましたが、浜に上がってしまうと、砂を噛んでしまうので、防波堤のあたりで、バケツにヒモを付けて、汲み上げてましたよ」とのこと。今はスーパーや魚屋さんで買うそうです。 山へ行って山菜をご馳走になっても思うのですが、昔は、このように「GDPに数えられない地元の営み」がたくさんあったのだろうな、と。 GDPに数えられないから、数字だけ比較すると「貧しかった」ということになるのかも知れませんが、浜にバケツでほたるいかを取りに行って、それを家族でいただく、という光景には、とても豊かな何かがあるように思えます。 << 『森の生活』の著者であるアメリカの思想家、ヘンリー・デイビッド・ソローの「なくても済ませられるモノが多いほど、その人は豊かである」という言葉にも通じるのではないかな。「GDPにはカウントされない(=市場や通貨を媒介しない)大切な営みを増やしていく」ことを、私もできることからやっていきたいな、と思います。 さて、大人もカニに満足すると、会場?を室内に移して、夕食です。みゆきさんの手作りのご馳走をいただきながら、新田さんの家族を入れて、総勢13人がにぎやかにお喋り。お酒のおつまみに最高においしかったのはスモークチキンでした。 「これは、うちで飼っていて、卵を産み終わった鶏を加工してもらったものです」と新田さん。「普通の養鶏では、産卵率が80%を切ると、産業廃棄物として処分されてしまいます。それはしのびなくて。最後までいのちを「いただきます」と大切にいただきたい、とスモークチキンにしてもらって、卵を買ってくれているお客さんなどに、買ってもらっています」。限定販売なのですが、供給量を超える注文があるというので、その姿勢に共感する人が多いのでしょう。 たまたま、この11月23日は私の誕生日だったので、みゆきさんがバースデーケーキを焼いてくれていました。4種類のメニューの中から、楽しみながら「フェアトレードチョコを使ったガトー・ショコラ」と「北海道産チーズたっぷりケーキ」を選ばせてもらっていたのでした。そして、子どもたちがファーム・レラに到着してから種をこねて焼いた、素朴なパン。 私は、羽田空港で大急ぎで買い求めた銘菓のおみやげを出しました。新田さんは素直に喜んで受け取ってくれましたが、私には、きれいなセロファンの包み紙が、とても薄っぺらでつまらなく見えて、ちょっと恥ずかしくなりました。 翌朝は、養鶏場のお手伝い組みと、家の中のお手伝い組みに分かれて、いろいろな体験をさせてもらいます。400羽飼っている鶏は、広い鶏舎の中を歩き回ったり飛びまわったり?して、エサを待っています。どんなエサでしょうか? ファーム・レラでは通常、鶏(成鶏)の飼料として、穀類(道産等外小麦)52%、米ぬか30%、タンパク類(魚粉+道産大豆オカラ)13%、無機質(ホタテ貝殻・カニ殻・骨粉・タンカルなど)5%を混ぜています。 この特製のエサを鶏舎のなかのエサ箱に注ぎます(気をつけないと、エサのバケツに鶏が突進してくるので、要注意! そして、規格外ではねられたカボチャをゴロンと転がして、斧で割ります(スイカ割りならぬ、カボチャ割りに、ハッスルしてしまったのでした。 カロチンもちゃんと食べて偉いね、というと、新田さんは、あるグループの鶏を指差して、「この鶏たちは、カボチャを食べられないんですよ」といいます。「どうしてですか?」と私。「鶏のくちばしはとがっているでしょう。だからカボチャも、皮を割ってやれば、中身をつついて食べられる。うちの鶏は、ヒヨコのうちに買ってきて、うちで育てるのですが、あちらの鶏は、数が足りなくなってしまったので、卵を生む鶏を別のところから買ってきたものです。 ふつうの養鶏場では、鶏は狭いところに閉じ込められているので、ストレスでしょうか、他の鶏をつついてケガをさせたりします。それを避けるために、くちばしを平らになるように、切ってしまうんです。エサも合成飼料ですから、くちばしでつつく必要もない。だからあの鶏たちは、カボチャをほじくり返して食べるってことができないんですよ」。 鶏のエサをやりながら、卵を集めます。「卵って、あったかいんだね!」と子どもたちが叫んでいます。あ、ほんとうだ。手の平の上に載せると、熱いいのちを感じます。それに、大きな卵もあれば、小さいのもある。細長いのもあれば、丸っこいのもある。 スーパーのパックに入っている卵はどれも同じような大きさ・形ですが、機械で作っている工業製品じゃない、生き物が生んでいるのだから、いろいろなのだ、というあたりまえのことがよくわかります。くびれている卵もあります。「生んでいる途中で、一休みしたんでしょう」。でもこういうのは、普通は「規格外」ではねられますから、私たち消費者の目にはふれません。 豚のエサもつくりました。バケツに、これも規格外のハネ芋やおからなどをいれて、先に十字の刃がついている棒で何度も突いて、芋をこまかくし、混ぜます。「この棒も、もう使っているところはないんですって」と新田さん。ふつうはこんな手間のかかることはせず、合成飼料を袋からエサ箱に移すだけなのでしょう。 バケツを下げて、豚のいるところへ行きました。農場の一角を20メートル四方ほどに区切った中に、豚が3頭います。どれもきれいで、全然臭くないのです。お日様の下で、自由に地面を掘り返せる、走りまわることができる空間のなかで、手作りのエサを食べられるここの豚は幸せだなぁ。猛然とエサ箱にダッシュする様子をみながらそう思いました。 豚が出て行かないように、この豚スペースを区切っているワイヤーには弱電流が流れていますが、この電気はソーラーパネルで発電しています。 「豚には名前があるんですか?」と私。「いいえ、つけないことにしています。名前をつけると、情が移ってしまって、お肉になってもらうために出荷するのが本当に辛くなっちゃうから」とみゆきさん。帰宅後に、豚肉の注文受付のお知らせをいただいたので、さっそくお願いしました。私も会ったあの豚さんのお肉だ・・・と思うと、「いただきます」にも思いがこもり、背筋がピンと伸びる思いです。これまで食べていた豚肉は何だったんだろう?と思う、味のあるおいしいお肉でした。 豚肉を食べる私は、この豚も、豚を育てている新田さんも、豚が食べている飼料も知っています。よく「顔の見える生産者-消費者の関係」といいますが、このような経験ははじめてでした。私が食べているのは単なる肉じゃなくて、信頼感なんだ、と思ったのです。 特に最近、食肉や食品をめぐるいろいろな問題が明らかになっています。対応として、ますます「管理」を厳しくして、マニュアルや監査が増えるのでしょうけど、それは本当に問題を解決するのだろうか?と思います。 たとえば、新田さんは、卵でも豚肉でもスモークチキンでも、自分のところの製品を「食べている人」を知っています。卵も鶏舎で集めたものを、宅配便でそれぞれの注文者に送っているのですから。そうしたときに、いい加減なヘンなことはできないし、しないでしょう。 食品に限りませんが、いまでは何でも「工業製品」化しています。効率よく、採算よく生産し、販売できるように。働いている人も、その「製造ライン」のごく一部に関わっているだけで、全体が見えなくなっていることも多いでしょう。 自分の目の前をベルトコンベヤーで流れていくものが、もともとは「いのち」であったことも、このコンベヤーの先に、それを食べる人がいるということも、あまりに細分化・分断されているために、見えないのではないかな、と思います。 この「経済効率のための分断や細分化」を、本当に大切なことのために、修復し、つないでいくことをしなければ、いかに管理基準を厳しくしても、新しい管理組織を作っても、根本的な問題解決にはならないのだと思っています。 話をファーム・レラに戻します。 ツアー2日目の午後には、稚内のまわりのエコツアーにでかけました。お願いしていた風力発電にも連れていってもらいました。遠くからは、たくさんの風車が回る(17基あります)のどかな風景です。でもその下に行ってみたら、産業廃棄物の処分場だというところもあります(あまりのどかではない。_ _;) 風車が回っているその真下に行きました。羽がビュン!ビュン!と音を立てて、下で見上げている自分を八つ裂きにしそうな勢いで回っています。コワイぐらいに、風の力を感じます。 稚内の漁港で越冬しているゴマフアザラシも見に行きました。「ここからアザラシがいちばんよく見えます!」という呼びこみ看板とか「アザラシ饅頭」の売店とかが、一切ないのがいいですね〜。ただの漁港で、観光客もほとんどいません。わすが数十メートル先のテトラポットの上から、たくさんのゴマフアザラシが私たちを見ていました。(どっちが見物されてるんだか。^^:) 途中で温泉にも入り、最後は、新田さんたちの心遣いで、数駅ですが、列車に乗って帰ってきました。始発駅から私たちが乗りこんだとき、座席はけっこう空いていて、地元の男子高校生が4人掛けの座席に1人ずつ座っていました。 出発時間が近づいて、乗りこむ人が少し増えてきたとき、その高校生たちが、だれからともなく「まだ乗ってくるぜ」と声を掛け合って、荷物を網棚にあげ、席を詰めて座りなおしました。ただそれだけのことなのですが、ほろりとしてしまったのでした。 3日目の午前中、スモークチキンや自分の拾った卵のおみやげをもらって、「またくるね〜」とファーム・レラを去って、空港に着いたときに、この3日間、お金の世界から遠ざかっていたことに気づきました。多くの方々と同じように、私も普段はいつも、何かを「する」ことに忙しいことが多い。でもこのファーム・レラでの3日間は、メールニュースも書かなかったし、仕事もしなかった。何もしなかった。ただ「いる」ことを楽しませてもらった3日間でした。
 

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