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エダヒロ・ライブラリー環境メールニュース

2005年05月17日

地球環境問題−その根本的原因と解決策(3)(2000.01.03)

大切なこと
 
人口増加(X富裕層の増大) X 世界経済の拡大 → 地球が「つぶれちゃう」 を解決するために、 (1)人口増加をできるだけ減速させ、一刻も早く人口安定に近づける。 (2)すでに豊かな先進国はもちろん途上国や中進国も「できるだけ小さい環境負荷で豊かになる/豊かでいる」道を探る。 (3)現在の経済のあり方を変える。 という3点挙げましたが、ここでは最後の点について書きます。 従来、「経済の環境負荷を低減する」というテーマに対して、「生産過程で発生する二酸化炭素などの排出物をどのように抑えるか」「廃棄物をどのように処理したら処分場の問題を後送りできるか」に焦点が当てられていたように思います。 それに対し、ここ数年「モトを絶たなきゃダメよ」というとても大切な根本的な考え方が出てきました。つまり経済サイクルに入った資源をどう加工・消費・廃棄するかも大切だけど、そのまえに「そもそも経済に投入する資源をどうやって減らすか」を考えよう、という動きです。(そして「取る量」を減らせば「出る量」もだいたいの場合は減ります) 「ファクター4」「ファクター10」「資源生産性」などがキーワードです。同じ効用(そのモノのもたらすサービス)を、これまでの4分の1の資源で実現しようというのが「ファクター4」、いや10分の1でやろうというのが「ファクター10」、それぞれ「資源生産性」を4倍、10倍に上げる、ということです。 産業革命以来、社会は「労働生産性」をいかに上げるか、に注力してきました。資源が無限にあり、労働力が足りなかった時代には当然の要請であり、この150年間に労働生産性は20倍にもなりました。 しかし現在は、資源に限りがあり、労働力は逆に余っている状況です。時代の要請が変わってきたのです。どの国の経済も社会も、今なお「労働生産性」上昇を目指していますが、現在は「資本生産性」をいかに引き上げるか、を考えるべき時代です。限られた資源からどれだけ多くを引き出せるか(「エコ効率」)が競争力の源泉となるような仕組みに変えなくてはなりません。 また「地上資源」というコンセプトも役に立ちます。日本のような成熟経済では、すでに経済の中に存在している資源(紙や鉄、アルミ、プラスチックなど)を循環させるだけで、新しい地下資源を掘り出して投入しなくても経済が成り立つ、という考え方です。 この考え方の「理想イメージ」が「ゼロエミッション」であり「循環型社会」だと思います。 「ゼロエミッション」とは、ある系(サイクル)から何も排出物がない、という究極の状態です。日本でよくいう「ゼロエミッション工場」というのは、有害廃棄物をすべて回収・循環しています、という状態を指していることもあるようですが、これは「スタンド・アローン型」のゼロエミッションといえるでしょう。 ただ「ゼロエミッション」の真髄は、複数の産業や企業が「ある産業の廃棄物を、別の産業が原材料として利用し」環が閉じた状態で活発に経済活動を起こっている状況だと思います。日本ではセメント業界を核に、ゼロエミッションに近い「産業クラスター」が形成されています。 または、富士フイルム工場では、市場から回収された「使い切りカメラ」を自動分解プロセスに流し、出てくる部品を検査の上、自動製造プロセスに投入して次の製品にすることが実現されていますが、この方向が発展して、市場に出されたすべての製品を回収しこのプロセスに乗せることができれば、工場や企業と市場を「ゼロエミッション」の環で閉じることができるでしょう。 「ゼロエミッション」を実現、あるいは志向する社会が「循環型社会」だと私は理解しています。具体的には、社会のあらゆる分野で廃棄物を再利用・リサイクルを進める、ということになります。ドイツでは「循環経済法」によって廃棄物の発生抑制と再利用が進められ、実効を上げています。日本でも同様の法律が検討されているところです。 他にもいろいろな考え方や概念があります。また数多くの取り組みや活動が行われています。どのような活動や取り組みを見る場合にも「実際に環境負荷低減につながっているか」を見極める必要があります。 ある自動車部品のエンジニアが、ライフサイクルアセスメントの会議で「分析の結果、走行距離を長くすれば、この製品の環境負荷を低減できることがわかりました」と発表していました(これじゃ本末転倒じゃない!と憤りながら通訳していました)。 「全体としてどうなのか、全体として本当に環境負荷が減るのか」を見ることです。「リサイクルが本当に地球のためになるかわからない」場合があるのも、このためです。リサイクルに必要なエネルギーや資源を含めて計算しないとわからないのです。 先日、ある私鉄の駅に「この私鉄ではリサイクルに取り組んでいます」という大きなポスターが貼ってありました。「昨年は45トンの切符をすべて回収してリサイクルし、72000ロールのトイレットペーパーを作りました」と。 磁気が含まれているような切符をリサイクルしてトイレットペーパーにするには、かなりのエネルギーと新たな資源や化学薬品が必要なのではないかな、と思ってみていました。リサイクルは「万能薬」ではないのです。 いっそ「この私鉄では、紙の切符を使わないことにしました」なんてポスターだったら「モトから絶たなきゃ」精神に合っていて嬉しいのだけど。定期のような繰り返し使えるカード式にするとか、指紋や声紋照合システムにするとか。 (改札を通るとき、ひとりずつマイクに「あー」と声を聴かせるんですね。それで降りる駅でも同じことをして、声紋が照合できたら、その区間の料金を声紋登録してある口座から引き落とす仕組みです 枝廣新案 ^^;) もうひとつ、「全体」を見なくちゃ、という例を挙げます。環境ホルモンの問題がホットだった頃(もう過去形でしょうか?)、カップ麺業界は新聞に「カップ麺の容器から環境ホルモンは溶出しません。安全です」という大広告を出しました。 余談ですが、あの広告を詳しく調べた人によると、「96℃の熱湯では溶け出さない」という実験結果に基づいた広告だったらしく、業界団体に「普通沸騰した湯である100℃ではどうか?」と聞いたところ、「溶け出さないとは言えない」という返事だったそうです。 ともかく、消費者の反発が思ったより強かったため、カップ麺会社の中には、「カップを使いません。ご自分のマグカップに入れて食べてください」という「カップなしカップ麺」を出したところがあります。これは正しい方向です。 でもその麺をビニールセロファンで包装して販売しているんですね。どうして「製品」に気を遣うなら、包装まで含めて全体の環境負荷を考え、紙の包装にしないのだろう、と。 様々な活動や取り組みを評価する指針として、いくつか挙げてみたいと思います。 ●全体を見て総合的に評価/判断すること。 −製造から廃棄までのライフサイクルを通して。 −包装などの全体を含めて。 −代替プロセスの及ぼす環境負荷もきちんと評価する。 ●個々の取り組みや努力では「改善度合い」(%)で評価するとしても、経済全 体ではやはり総量が問われることを忘れないこと。 たとえば、「大量生産、大量消費、大量リサイクル」は問題の解決にはなりません。そしてプリウスがどんなによい車でも、地球上を走っている車の台数そのものを減らす方向で考えないと解決にはならないのです。 途上国が豊かになると必ず車を持つ人が増えます。そして「途上国で1台車が増えるたびに、先進国で1台車を減らす」ルールでも作らない限り、燃費2倍という優れたプリウスを導入したとしても、状況は大して好転しないのです。 先ほどの「切符全廃」の例のように、自動車会社も「機動性を提供する企業である」と企業使命を定義し直して、まったく新しい考えでサービスを提供するようにならないと、個々の車をどんなに改善しても(時間稼ぎにはなるでしょうが)根本的な解決には資しないと思います。 ●「イメージ」や「情報」に惑わされずに、問題の根幹である「物理的な資源消費」「廃棄物排出」が本当に減る活動や取り組みなのかを見ること。 地球環境を破壊しているのは、「イメージ」や「情報」「お金の流れ」ではなくて、物理的に「何かを取り出す」「何かを排出する」ことです。 先日ソニーの環境部の方とお話ししていたときに、担当常務が「ソニーの環境報告書は2年続けて大賞をいただいていますが、僕は『環境報告書は環境負荷を低減しない。あくまで周辺的なものだ』と担当者とも話しています」とおっしゃっていました。 「本当に環境負荷を減らしているか、どうなのか?」という切り口で、あらゆる活動や取り組みを評価し、その有効性を判断することができるのだと思います。 ある企業が「環境負荷の大きな製造プロセス」をこっそり別会社にして切り離し、自社の「環境報告書」の見映えを大きく改善した、という話を聞いたことがあります。 環境報告書やエコファンドは、環境負荷を減らしません(それ自体ではかえって増やしているかもしれません)。ですから、「環境報告書や環境会計、エコファンドなどがあるだけ」では地球のためになっていません。 エコファンドの盛り上がりで、企業がポートフォリオに組み込まれようと、自社の経済活動の環境負荷を本当に減らすようになってはじめて、エコファンドも地球のために役立つのだと思います。 長くなりましたが、何人の方がゴールまでたどり着いてくださったでしょうか(^^;)。
 

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