エダヒロ・ライブラリーレスター・R・ブラウン

情報更新日:2009年06月27日

戦時下並みの動員を

 

                        レスター・R・ブラウン

未来に関しては分からないことは山ほどある。しかし、一つ確実に分かっているのは今まで通りのやり方はあまり長くは続かないということだ。大きな変化は間違いなく起きる。それは、私たちが経済の再構築にすばやく取り組むからだろうか? それとも私たちが行動を怠り、そのせいで文明の崩壊が始まるからだろうか?

文明を救済するには大掛かりな動員が必要である。しかもそれには戦時下並みのスピードが求められる。最近の例に、第二次世界大戦の最中、参戦に遅れた米国がとった動員体制がある。しかし、当時国の経済を全面的に構築し直したのは米国一国だけだったという歴史の一幕とは異なり、プランBが提案する「動員体制」では、世界中が一丸となった断固とした行動が求められている。

地球の気候変動問題をめぐっては、今や政府関係者の関心は、炭素の排出量を削減するポスト京都議定書の交渉に移っている。しかし、結論を得るには何年もかかるだろう。今は行動こそが必要な時だ。何年も話し合いを続けた上に、さらに新たな国際協定を批准するために時間をかけているような場合では全くない。

さあ、一つ一つの国が自主的に、率先して行動を起こそう。今、その先頭に立っているのがニュージーランドだ。この国は2007年、当時全電力の70%を占めていた水力と地熱主体の再生可能エネルギーを、2025年までに90%に引き上げると発表した。輸送分野における一人当たりの炭素排出量を2040年までに半減させるという計画も立てている。ほかにも、同国は2020年までに森林地帯を最大約25万ヘクタールまで拡張するとしており、それによって最終的には年間ほぼ100万トンの炭素の吸収を見込んでいる。

私たちは地球温暖化の分析を通じ、また経済を支える環境の急速な悪化や、今後中国で見込まれる資源消費の増加などから、化石燃料に依存し、車社会を育て、使い捨て経済を招いた西洋の経済モデルが、今後あまり長続きしないことを知っている。必要なのは新しい経済モデルを築くことである。電力源に再生可能エネルギーを使い、交通システムを多様化させ、すべてのものをリユース・リサイクルする経済社会を作るのである。

私たちは、この新しい経済社会をある程度詳細に描くことはできる。問題は、手遅れとならないうちに現状を新しい経済へどう移行させるかということである。ヒマラヤ山系の氷河が溶け、その回復がもはや不可能となるような環境上の転換点を迎える前に、私たちは炭素の排出削減を可能とする政治的な転換点にたどりつけるだろうか? またアマゾンの森林が乾燥して火災を招きやすくなり、その地が荒野と化す前に、森林破壊は食い止められるだろうか?

今から3年後に、「炭素の排出を減らすのはもう手遅れだ。グリーンランドの氷床はもはや取り返しがつかないほど融解が進んでしまった」と科学者が声明を出したら、どういうことになるだろう? 海面が約7メートル上昇し、それによって数億の人々が難民となったとき、それが自分たちのせいであったと分かれば、私たちはどのような思いをするだろう? 自分自身に対する意識、自分を見る目にどんな変化が現れるのだろう? 

社会には民族や宗教、人種間に溝があることはよく知られている。それと同じような亀裂が、世代間でも起きるかもしれない。子どもたちから「大人は何でこんなことをしたの? どうして僕たちがこんな混乱した状態に立ち向かうような目に遭うの?」と問われたら、一体私たちはどう答えればよいだろう?

私たちが目の当たりにしてきたように、米国の大手企業であったエンロンは、コストを帳簿に計上しない会計処理を行っていたために破産に追い込まれた。残念なことに、世界経済の会計制度も損失を帳簿に計上しておらず、はるかに深刻な結果を招く可能性がある。

今後も発展していく世界経済を構築する鍵は、公正な市場、つまり生態学的真実を伝える市場を作ることにある。公正な市場を作るには、税制を再構築しなければならない。所得税を下げ、間接コストを市場価格に反映させるために、さまざまな環境破壊活動に対しては税金を上げるのである。市場が真実の姿を反映するようになれば、破産につながる誤った会計制度に不意打ちを食らうことは避けられる。

エクソン社の元副社長でノルウェー・北海担当だったオイスタン・ダーレ氏はこう述べている。「社会主義が崩壊したのは、市場が経済的真実を反映していなかったからだ。市場が生態学的真実を反映していないという理由で、資本主義が崩壊する可能性はある」

文明救済のための動員を考えると、第二次世界大戦下の軍事動員との類似点と相違点が見えてくる。軍事動員時の経済の再構築は、一時的なものであった。一方、文明救済のための動員では持続的な経済の再構築が必要になる。

それでも、米国の第二次世界大戦への参戦は緊急動員の事例として示唆に富んでいる。当初参戦に否定的だった米国は、1941年12月7日に真珠湾を直接攻撃されたことでやっと腰を上げたのだが、その対応は徹底していた。米国の全面的な参戦によって戦況は一変し、連合軍は3年半を待たずに勝利を収めた。

真珠湾攻撃の1カ月後にあたる、1942年1月6日の一般教書演説で、ルーズベルト大統領は米国の兵器製造目標を公表した。その計画は、戦車4万5,000台、軍用機6万機、高射砲2万門、商船600万トンを製造するというものだった。「できないとは誰にも言わせない」彼はこう付け加えたという。

それほど大きな兵器製造量数は誰も見たことがなかった。しかしルーズベルト大統領とその側近は、当時、世界最大の工業力が集中しているのは、米国の自動車産業だと認識していた。世界大恐慌の中にあっても、米国は年間300万台以上の自動車を生産していた。一般教書演説後、ルーズベルト大統領は自動車業界の首脳と面談し、「米国がこの兵器製造量の目標を達成できるかは、ひとえにあなた方にかかっている」と伝えた。

自動車業界側は当初、自動車の生産を続け、単に兵器製造を追加したいと考えていた。新車販売がすぐに禁止されるとは、まだ知らなかったのである。1942年初頭から1944年末までの約3年間、米国では実質的に一台の車も生産されなかった。

自家用車の製造販売禁止に加えて、住宅と幹線道路の建設が中止になり、娯楽目的での車の運転が禁止された。タイヤやガソリン、燃料油、砂糖などの戦略物資は1942年から配給制になった。こうした戦略物資の個人消費を切り詰めることにより、戦争に不可欠な資源が調達された。

1942年には、米国の工業生産高はかつてない拡大を見せた。これはすべて軍需によるものである。1942年初頭から1944年にかけて、米国の軍用機製造数は当初目標とした6万機を大幅に上回り、全体では22万9,600機という、今でも想像しがたいほど膨大な数に上った。これと同様に驚異的なのは、1939年には1,000隻ほどだった米国商船隊に、5,000隻以上の船が終戦までに加わったことである。

ドリス・カーンズ・グッドウィン氏は、著書『仮邦題:戦時体制』(No Ordinary Time)でさまざまな企業が生産をどう転換していったかを描いている。まず、点火プラグ工場が機関銃の製造に切り替えた。やがて、ストーブのメーカーは救命艇を、回転木馬の工場は砲架を作るようになった。そして玩具メーカーは方位磁石を、コルセットのメーカーは手榴弾ベルトを、ピンボールマシンの工場は徹甲弾を製造した。

今考えると、平時から戦時経済へのこのような転換スピードは見事である。米国の工業力を利用することで戦況が一転し、連合国軍側の優位が決定的になった。当時、英国のウィンストン・チャーチル首相は、外務大臣のエドワード・グレイ卿の言葉をたびたび引用した。「米国はまるで巨大なボイラーだ。いったん火をつければ、生み出す力は無限にある」

このように、たった数カ月以内で資源を動員できるのなら、必要であると確信すれば、一国どころか世界全体が経済構造をすぐに変えることも可能である。まだ大多数とは言えないが、たくさんの人々が、経済を大規模に再構築する必要性をすでに確信している。『プランB3.0』の目的は、その必要性をもっと多くの人々が確信し、変化と希望へと向かうよう、流れを変えることである。

 

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