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えだブログ

2020
Mar
04

珈琲豆を挽きながら

2020年03月04日

毎朝、豆を挽いて珈琲を淹れて楽しんでいる(お店では飲めない超ストロング。笑) 唯一の悩みは、ミルに細かいコーヒーの粉がくっついてしまうこと。刷毛でペーパーフィルタに落とそうとしても、静電気のせいで、散りゆくものあり、しがみつくものあり......。
「この悩みは私だけじゃないよねー」と思って検索してみたら、いろいろな"解決策"が見つかった。「静電気除去テープを買って貼るとよい」「違う素材のミルを買えばよい」という消費文化型のものから、「ノズルを手作りする」という工作型(私は工作苦手......)、「微細粉はたいした量じゃないのだからチマチマするな」という気合い型まで(もったいないからというより、残った粉が酸化するのを避けたいのだけど)。うーむ、と見ていたら、素晴らしい解決策が!そして私の悩みは一挙に解決したのだった。しかもタダで。
それは、ペーパーフィルターをミルの胴体と頭部の間に挟み込んで、そのままガリガリと豆を挽く、というものだ。挽いた豆はそのままフィルターに入るし、フィルターは静電気を寄せ付けないらしく、散ることもくっつくこともなく、しかも、ミルからフィルターに挽いた豆を移すという手間も不要になる。あまりに素晴らしい解決策に感動したのであった。
システム思考チックにいえば、これまで「コーヒー豆を挽くということ」「コーヒーミルとフィルターに使い方」についてのメンタルモデルに縛られていた、というわけだ。その延長線上に解決策を探そうとしても、そんなにいい手は出てこない。数万円もする最高級の刷毛を使ったとしても(そんな刷毛があるのか知らないけど)、結果は知れている。けど、メンタルモデルを緩めることで、「あ、そうか!」という、言われたらだれもが賛成するけど、ふつうは思いつかない解決策が出てくるのだ。
そんなことを、粉に悩むことなく淹れた珈琲を飲みながら考えている。そして、このコロナウィルスという「平時の延長線上から私たちを剥がしにかかっている事態」の結果、私たちの「働くということ」「働く場所と時間」「学校というもの」「地域の力」などについてのこれまでのメンタルモデルがじわじわと緩み、「なぜこれまでだれも気づかなかったのだろう?」という新しいあり方が当然になっていく気がするのだ。

 

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