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えだブログ

2010
Feb
21

赤羽ハーフマラソン

2010年02月21日

火曜:大阪発が10時半すぎだったので、朝ホテルから淀川まで走って出て、河川敷にあるひたすらまっすぐな1.5kmの舗装道路を3往復して、ホテルまで走って戻った。12km。音楽を持たずに走ったので、途中で飽きそうになったけど、この道路をひたすら後ろ向きに歩いているおじさんとか、何か面白い空間であった。

そのあと、岡山へ。そう、2月16日は京都議定書の発効記念日なのである。岡山では毎年この日に記念講演会をやっていて、3年前だったかな、に続いて、今回もお話しする機会をいただく。後半は、ツバルに行かれたことのある中平さんと、ツバルの話を中心に対談形式で、いろいろ考えていることをお話しできた。

帰りに中平さんが、ツバルで買ってこられたツバルっぽい綺麗な布をおみやげにくれた。スカートみたいに巻き付けて着たりするのね。考えてみたら、ツバルでおみやげは何も買ってこなかったので、ツバルから帰ってきたばかりでツバルみやげをもらうのもヘンだけど、うれしくいただいた。

水曜:午前中はJICAでシステム思考の研修。すぐにオフィスに戻って、打ち合わせ・取材が続けて5件。ツバルの本が出せそうで、とってもうれしい!

木曜:久しぶりに自宅でじっくりノートを読んだり、考えたりする時間がとれて、とても心安らかでハッピィだった。

金曜:朝からオフィスへ。取材や打ち合わせをして、午後、東大へ。エネルギー政策の第一人者の山地先生の最終講義を、最前列で聞かせていただく。とても面白かった。自分がやってきたこと、大事だと思っていることと、先生がなさってきたことがとても重なっていて。これまで委員会やパネルで同席することはあっても、そういう話をさせていただいたことはないのだけど、何か通じるものを感じて心に残った。

大学の先生は、こうやって退官前に最終講義があって、それまでの自分のやってきたことを振り返ってまとめる機会があるのね。私はフリーでやっているから、そのようなオフィシャルな「いったんここでオシマイ」というタイミングはないのだけど、「今退官するとしたら、どんな最終講義ができるのだろう?」「3年後に退官するとしたら、何をやっておきたいだろう?」と考えるのはよいことだよね。

最終講義後の懇親会は出られずに、渋谷に移動して、オーストラリアから来日中のチャールズとシェリルと打ち合わせ。会うのは5年ぶりかな? 相変わらず元気で精力的に活動している。日本での活動を広げていきたいということで、できる限りのアドバイスやヘルプを提供。翻訳の企画につながりそうな魅力的な展開もありそうで、楽しみ。

そして、昨日の土曜日は、赤羽ハーフマラソンだった。2ヵ月前に小川町でハーフマラソン・デビューをしたので、今回が2回目のハーフマラソンである。

前回の小川町のときは、とにかく完走だけが目標で、特に16キロを超えてから足がつらくなったのを何とかごまかしごまかし、「ゴールはまだ〜?」という感じで、何とか2時間半の制限時間ぎりぎりでゴールしたのであった。

それから2ヵ月。距離にすると230キロぐらい走っているし、走るたびに少しずついろいろなことがわかってきている。ちなみに、走ると、少しずつわかってきて、だから次はこうしよう、と思っても、なかなか思い通りにならない、けど、ときどき「やった!」と思えることもあって、だからマラソンってやめられなくなるんだなあ、と実感しているところ。(^^;

今回は、完走は問題ないと思っていたので、スタートしてからできるだけ長い距離を、自分の設定した無理のないペースを保って走ることを目標にした。小川町でも、その他でも10キロ以上の距離を走ると、途中からがくっとペースが落ちてしまうからだ。私のペースは遅いのだけど、遅いペースでもずっと一定のペースで走れればラクだし、楽しいし、ゴールにも着ける。(ペースを上げるための練習方法も少しずつわかってきたが、それはもう少し先にしようと思っている)

というわけで、5キロごとの目標タイムを持って、イーブンで走ることを意識して(前半元気でも飛ばさない)、走り出した。ちなみに1万人ぐらい参加していたようなので、最初はラッシュ時の新宿駅並みで、途中道が細くなるところでは歩かざるを得ないほどだった。私は前回の小川町が目標タイム順に並んでのスタートだったので、今回も後ろのほうでスタート。

しばらく走ったら、1キロごとに距離表示があることに気づいたので、1キロごとのタイムを確認しながら走れた。小川町の時は、抜かされても、抜かすことはあまりなかったのに、今回は自分のゆっくり目のペースをキープしているだけなのに、けっこう多くのランナーを抜かしていくことになったので、???と。

でも考えてみたら理由は明らかだった。小川町のレースは制限時間が2時間半だったのに対して、今回は2時間50分。つまり「2時間半は無理だけど、2時間50分あるならいけるかも」というランナーもたくさん参加していたのね。前回は私が要件ぎりぎりだったから、私が抜かされるほうだったのだ。

考えてみたら当たり前のことではあるけど。でも、システム思考でいう「構造を変えるための介入点=レバレッジ・ポイント」を見つけるための12のポイントの1つが、まさにこういう「パラメータを変える」なんだよね。同じハーフマラソン大会でも、パラメータを変えれば、集まるランナーが変わり、ランナーたちがつくり出す構造が変わる、ということね。というわけで、システムの要素の1つ(=いちランナー)である私は、小川町とは違う構造の中で走り続けた。

結果は、5キロごとのタイムが最後まで落ちることなく20キロまで走れ、最後の1キロはダッシュ!(本にはそのつもり。^^;)で、さらにペースを上げて走ることができた。

ゴールしても座り込むこともなく、足も前回ほど痛まず、息も上がらず平気だったので、かなり持久力がついてきたんだなあと実感できてうれしかった。カロリー補給もくふうしたことも効いたのだろう。

完走証と参加記念品のTシャツをもらって、河川敷から赤羽駅へ、多くの人たちがゾロゾロと動く列に連なったのだが、途中の信号で、先頭集団に入ってしまった。私は走るのは遅いけど、歩くのは速いので、信号が変わるとすぐに先頭に。そのうち、「来るとき、こんな道、通ったかなあ?」と不安に思って、後ろを見たら、だれもいなかった〜。(_ _;;;;

行きは北口だったのに、帰りはなぜか東口に到着。ま、いいっか、着いたのだから。駅前で遅いお昼ご飯を食べながら、ビールでカンパイしたのであった。走った後の1杯は特においしいねぇ!(^^;

 

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