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えだブログ

2007
Jul
06

よう? やあ?

2007年07月06日

先月のボストン出張で、すきま時間を見つけて大学生協の本屋さんに寄ったのだけど、そのときに買って帰った本を読んでいる。

私が邦題をつけるとしたら、『ノーと言えないアナタへ』って副題をつけちゃうかな。相手との関係を損なったら困ると思ってしまって、断れない、ノーと言えない人に、どうやったら人間関係を壊さずに、しかも自分の望んでいる「ノー」を効果的に伝えるか、という本。

9つのステップでひとつずつ進めていくというプログラムになっていて、わかりやすく、「なるほどー!」の連続。こういう本は読んでいてほんとうに楽しい。自分マネのプログラムにも採り入れてみよう。

「こんな本がありましたよー。いかがですか?」と知り合いの編集者に知らせる。もっとも有名な著者の本なので、版権はすでに売れている可能性が高いけど。

ところで、英語の本を読んでいても、職業病なのか(?)、「ここ、私だったらどう訳すだろ?」と考えているときがある。英語を読みつつ、日本語も考えているので、同時通訳的読書?(^^;

昨日、都内に向かう電車で読んでいたところに、こんなシーンがあった。電車のなかで酔っぱらいが暴れようとしたその瞬間に、小柄な年配の男性が「Hey、どうしたんだい?」と声を掛け、最終的には酔っぱらいの話を聞いてあげることで、酔っぱらいはすっかりおとなしくなった。。。

うーん、この Hey をどう訳すかなー、ああかなー、こうかなー、としばらく楽しんでいた。でもどうもぴったり来ないのね。

午後、シンポジウムが終わり、打ち合わせが終わり、電車に揺られて帰宅途中、「よう!」がいいかも、と思いついた。そうだ、きっと、「よう!」がいい!

でも、うーん、やっぱり「やあ」のほうがいいのかなー。いや、「キミ」っていうのもありだな。うーん、うーん。。。

この最初のひと言で、この年配の男性の人格が決まってしまうので、翻訳者としては真剣なのである(まあ、私が翻訳するわけではないけど。^^;)

電車の中で、「よう」、「やあ」、「よう」……とぶつぶつつぶやいているヘンな乗客をやりながら、「推敲」という言葉の歴史的な経緯を思い出した。これって、現代版「推敲」ね。(^^;

そうそう、先月翻訳セミナーを開催したのだけど、「エダヒロさんが訳した『大金持ちをランチに誘え!』を読んで、こんな翻訳をする人はどういう人なのだろうと思って参加しました」という方がいらした。「セミナーで、最初の訳をつくる時間の5〜6倍かけて、練り直していると聞いて、なるほどそうだったのか、と思いました」と。

練り直しはどこまでいってもカンペキのない世界なのである。どれだけ練り上げたものであっても、自分の訳文を読み返していると、「とてもしっくりこない〜かなりしっくりこない〜まあまあ許せる」感覚がグラデーションのように移り変わっていく。

少なくとも「とてもしっくりこない」ところはなくなるまでできるだけがんばって提出するけど、「うーん、、、ほんとうはもうひとがんばりしたい」ところはいつも残っている。あとは納期との相談で、自分では75点か80点ぐらいで出すことになる。

だから、翻訳した本が出版されても、自分では読まない。「大金持ち」も、ゴアさんの本も、これまでの翻訳書もほとんどすべて、印刷物になってからは読んでいないのだ。だって、読んだらきっとあっちもこっちも直したくなっちゃうもの。それより、電車の中で「よう」かな、「やあ」かな、ってやっているほうが楽しいー。(^^;

 

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