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えだブログ

2007
May
03

サティシュさんとの出会い

2007年05月03日

昨日は、朝は企業での社内講演会、午後は取材×2つ、それから楽しみのサティシュ・クマールさんの講演会に向かう。

時間があったので、新宿から渋谷まで歩く。山手線ならすぐなのだけど、私はできるだけクルマのないところを歩こうとしたためか、住宅地であやうく遭難しそうになりながら(^^;)、55分ぐらいのウォーキング。

サティシュさんは、バラトンにもいらしたことがあって、共通の知り合いも多く(ゴアさんにも先週会ったよ、って)、そうでなくてもとても親しみやすい方なのだけど、なおさら親しみを感じる。スリランカでサルボダヤ運動を展開し、「スリランカのガンジー」と呼ばれるアリさんこと、アリヤラトネ博士と似たオーラというか雰囲気。

講演後、質問させてもらえたので、「限られた時間のなかで、望ましい変化を創り出し、加速していくためのレバレッジ・ポイントは何だとお考えですか?」と尋ねたのだけど、その答えも、「あ、私の思いややっていることと同じ考えでいらっしゃるんだなあ」と。

サティシュさんの会には、私がイーズを立ち上げるまえからサポートしてくれているハシモトサンや、JFSを立ち上げたときにひとりで事務局を回してくれ、そのあと自分のやりたいことを追究しつづけているイケダサンも来ていて、うれしく思った(心電図ツーの例によって、うれしい気持ちはあまり外には表出していなかったと思うけど。^^;)

そして、この会のボランティアスタッフとして活動し、当日は素敵な司会をつとめていたホシノサンが輝いていたなぁ。ホシノサンはJFSの初代インターン生。あまりいうといやがられそうだけど(^^;)、最初の面接でのようすと1年後の姿の変身ぶりは、目を見張るほどだったのだ。

彼女はJFSで海外に開眼し、サティシュさんが立ち上げ、世界中のこの分野の指導者・識者が一目置き、駆けつけて指導に当たっているシューマッハ・カレッジに1年留学したのであった。

といっても、「留学したい!」と言い出したときの彼女の英語力はかなり悲惨なものであった。「短期間に何とかなるかなあ?」と思いつつ、アドバイスしたり励ましたりしながら、その特訓を見守っていたので、合格と聞いて、ほんとうにほっとしたのであった。(思えばそうなる!の好例である)

そうして、1年間の留学後に帰国して、イーズ・チェンジエージェントの新入社員になってくれて、いまはいっしょに仕事をしている。

懇親会では、サティシュさんの横に立って、歓迎の挨拶をウィスパリング(同時通訳)までしている姿を見ながら、あんなに英語のできなかった子がこんなに立派になって(うるうる)……とまるで母親の心境であった。(^^;

さて、サティシュさんとの出会いは、実は、数年前からの「宿題」を思い出すきっかけになったのであった。懇親会で簡単にサティシュさんと構想の話をし、メールで打ち合わせを続けることになった。「なんとかいっしょにやって形にしよう」と言ってくれている。ホシノサンも「私が担当します!」と言ってくれている。昨日は、満月の八十八夜。新しいプロジェクトが降ってくるにはおあつらえ向きの夜だった。

そして、一夜明けて今朝。ホシノサンにとっては後輩にあたる元JFSインターン生から、「留学する大学院が決まりました。推薦状をありがとうございました!」と喜びのメールが届いた。

「コアとなるサイエンスとしてchemistryをばっちり身につけ,システム的思考も学びたいと思います.Ph. D取得後の進路はまだ明確になっておりませんが,持続可能なエネルギーで回る社会の実現・発展に貢献できるよう,精進します」

“お母さん”はまたうるうるしてしまったのであった。みんな、それぞれの場所でがんばろうね!!

 

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