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女性達からのメッセージ~東日本大震災の被災地宮城県石巻市から(その2)

2016年03月03日 |コラム
女性達からのメッセージ~東日本大震災の被災地宮城県石巻市から(その2)

Image by Monsterkoi

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東日本大震災の被災地宮城県石巻市からの「女性達からのメッセージ」その2として5人のメッセージをお届けします。

~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~

女性達からのメッセージ

東日本大震災の被災地宮城県石巻市から2015年10月

6)K.L(70代)
震災当日、近所の公園に避難してきた家族を自宅へ招き入れました。4日後に、自分の息子家族や親せきが避難して来たので、5家族、一緒に暮らす共同生活の開始。卓上コンロでおかゆ。小学校が燃える空。交代で水汲み。被災後、手紙が届く驚き。知りあうなど想像してもいなかった人達に出会いました。関わりっておもしろいですね。いろんな人達と深い話(生と死について、人生観など)。人間としての豊かさとは何でしょう。

自分は絵手紙の講師なので、全国の仲間から絵手紙が届くようになりました。届いたウチワ(絵手紙)を避難所に配りました。公民館にウチワを配ると、"絵手紙をおしえてください"と被災者から頼まれ、始めました。筆や絵の具、ハガキ、パレット等の支援をいただき、避難所や公民館で開始。子どもたちへも。物でなく、心の結びつきが長く続くのではないでしょうか。風化しないように、伝えたい。絵手紙教室では、描くより話したい人もいます。3年目で花を見て希望や明日について話す人達。

70歳の今、ますます夢のあふれる絵をあと10年は描きたい。生と死が身近に感じ、一日を大切に。自分の原点を考えたりします。自然の大きな力、神かも。すべてのことに意味があります。実は震災の3カ月前に家を購入したばかり。直感で夫が、即日購入を決断。以前の家にいたら、大被害を受けていました。現在の家があるから、たくさんの避難者を自宅で受け入れることができました。いろんな人々が訪問する家。高台にあるので、安心。

自分は、"すぐやってみる"という決断が速い人間です。48歳で婦人病を患った後、ぱっと明るくなり、別の自分に気がつきました。専業主婦でしたが、50歳で絵手紙を始めました。一本の電話から54歳で絵手紙の講師として教室を開きました。夢、希望、明日に向かって生きたい。元気になっていく。

2014年4月29日

7)M.N(60代)
3月11日当日、自分の宝石店を津波が襲い、ヘドロとガレキに埋まりました。"もう店はだめかなぁ"と思いました.しかし次の日、小高い丘を登り"自分はどうすべきなのか、どうしようか、どう生きたらいいか"と考え始めると、アイデアが次々と浮かびました。その小高い日和山へ毎日登りました。一週間後、店へ行き、"被災したのは自分だけじゃない"とわかりました。

泥水の中で、店の宝石を洗いました。そうしているうちに、"お客様の宝石も震災で汚れただろう。その宝石をクリーニングしてあげよう。きれいにしてあげたい"と思いつきました。300人のお得意様にハガキを出し、汚れた宝石を持ってきてもらい、業者に宅配で送りました。クリーニングしてきれいになった宝石を、きれいな袋やケースに入れて、お客様にお返ししました。生まれ変わった宝石。物を売るためじゃなく、ただクリーニングしてあげたかったのです。震災後から、新聞で死亡者リストを見て、お客様の名前がないか確認しました。

仮設商店街の店舗の抽選に応募し、当選。自分も何か役にたちたい、今しかできないことを精一杯やろうと思いました。自分がしてもらって嬉しいことを、他人にもすると、自分に巡ってくるのです。思ったらすぐ行動のタイプ。この店の、この町でのありかたを模索。銀行へ相談。意気込み、やる気が通じたのか銀行が、相談にのってくれる。その担当者いわく"オーラを感じる、側にいたい"・自分が商売できているのは、お客様、従業員、周囲の人達のおかげ。感謝。みんなに何かしたい。迷わない、直行。必ずできると信じます。自分でドアを開く、ちょっとした一歩。30代から40代は苦労の連続。若いころから経済的に自立をめざし、近所に義母を預かってもらいました。

人は人、比べない。比べてもどうしようもない。イメージが大切ですから、仮設店舗だからといって中途半端にせず、ちゃんとしたものを作りたい。結果は後からついてきます。ちょっとしたきっかけを太いパイプに。人を大切に、一人では生きられない。自分にはなぜか人が集まって来て、相談していきます。人はすばらしい、人間でよかった。震災後、パソコンを習い、アナウンス教室にも通いました。誰かのために役に立たなければと思います。みんなを助け、目の前のことを確実にすることが大切です。39歳で大病。60歳を過ぎたら、毎日全力。好奇心いっぱいの人生。万年少女みたい。

2014年5月17日

8)O.P(70代)
女性は強い、守るべき家族、地域がありますから。どう自分や周囲を守るか常に、考えています。今の自分は命、心と時間について考えています。まず自分を助け、そして他人を助けたい。お世話したいと強く思います。生き残った分を何かでお返ししたい。生き残った命、使命。亡くなった人の分も。3年間はあっという間、何かやっていないと気がすまない。何かかたむけるものがあるといいですね。心のよりどころが必要。日ごろのつきあいが大切。

知り合いの民宿が流失、しかしその女性は高齢者用弁当屋を起業し成功しています。その女'性は、悩んだ時に生け花があったことを思い出し、この自分の生け花教室に通い始めました。祖先の言葉"神社へ逃げろ"を実感。避難所では身じたく(髪、服)も気になりました。乾パンだけでも空腹にならず満足。食糧を分けて食べると心が満たされました。近所の顔見知りが一緒だったので、まとまりがありました。自分だけ食べようと思わない人々。

くよくよしてもしかたない。これまでの生き方が反映されると思います。危機感がなく何とかなると考えました。夫が"生け花をまだやるのか?"と聞いた時、"あきらめない"と即答。流されず残った泥だらけの花弁や道具があって壊れていないからできると感じました。2011年6月から再開。教室で生徒さんが顔を合わせると日常がもどってきました。それで、いろんなことを忘れることができます。物を失っても、身に付けた技術は失われません。

コミュニティの大切さに気がつく。生活の余裕も大事で、何が大切かわかってきます。自分と家族の健康が一番。仮設の孤独死が気になります。自分だけと思わず、近所を大切に。自宅を開放してサロンを開きたい。大きな公民館でなく近所を招いてのお茶""場所"でなく"人"・年代によってできることがあるのではないでしょうか。高齢者も若者もお互いに支えあい、両方いることが必要。突き破ろうと思わず、曲がればいい。不安がなく深刻に考えない。小学生の時に養女となり、山形から石巻へ。赤い着物を着せられて。一人っ子として育ったので、今は沢山の人に自宅に来てほしい。

2014年5月22日

9)Q.R(60代)
物は、あまり必要ありません。震災前は物があふれていました。自分は、他人から必要とされると生きていけると思います。喜ばれると嬉しいです。避難所で弁当配りをした時、そう感じました。まさか自分が仮設に住むとは信じられません。震災後、オカリナを習い始め、オカリナ教室で、ある女性に出会いました。娘さんとお孫さんが行方不明だそうです。この女性は誰かに話しをきいてほしく、だんだん心を開き始めるようになりました。

支援の人達とつながり仲間と集まっています。自分は、人のいうことをよく聞いて、信用するということを学びました。何があるかわかりません。3年経って今やっと涙が出ます。発想を転換し、工夫するようにしています。"これでいい"と気持ちを楽にして、これがなければいけないと思わないようになりました。くよくよしないことできないことは、できないと言い、無理しないようにしています。自分を大切にして代わりはいくらでもいると考えています。後悔しないように。カリカリしないこと。青空、田園、雑草もきれい。怒りも持ちこさない。弟と同居していますが、ないがしろにしていたことを反省し、ごめんと言うようにしています。弟の後ろ姿に笑いかける風呂上がり。

2013年冬からレース編みを始めました。お世話になった人にあげたいのです。20代にレース編みをやっていましたが、再開。小さなことが幸せです。30代は必至に働く事務職。40代は認知症の母の介護。自宅にいるのに、"家に帰りたい"という母、排掴する母を介護して眠れない毎日でした。頼れるのは自分だけで、神経が休まりませんでした。入退院の繰り返しで10年。そんな経験があるから、震災後、避難所に入って、あれこれボランティアさんがやってくれるので幸せでした。家を失ったのはしかなくて、あきらめます。くやしさがありません。家を失ったのは自分だけじやない、他の人も同じです。家族がいるってすばらしい。心を開いてくれると嬉しい時間が癒してくれます。

2014年6月2日

10)S.T(60代)
弟の奥さん、息子の奥さんが、三カ月間、私を快く受け入れてくれました。兄弟、親戚などとの日ごろの付き合いが大切だと実感しました。いざという時に助けてくれます。非常時に本当の姿が現れます。自分は恵まれて、ありがたく、幸せ。家族を大切にしてほしいです。落ち込まず、困難をすり抜けるのが上手な自分です。自分に甘く自分を許しています。自分が好きなのです。今までの人生を振り返り、これまでの人生は何だったのだろうと考えたり、考えなくてもいいことを考えるようになりました。友達って?何でも話せる人がいない自分。すべて、自分に起因していると思います。恥ずかしい事、辛い事、自分で選んだことかもしれません。何の役にも立たない自分。自分って何?

津波で沖へ流されて行く自宅を見て、家の制度や地域から解放されると思い、ほっとした面もあります。かつては何とも思わなかったことです。無くなったものは、しかたありません。皿や服、あの家はどこに行ったのでしょう?湾にはなく、でも海のどこかにあるかも。幸せだった、あの家も好きでした。祖先から受け継ぎ嬉しい。改築10年で流失。根こそぎもぎ取られた震災後の生活。前向きになったり下向きになったり。移転や造成のことを考えると、不安です。子どもたちにとっては、あの場所か実家であり、故郷。帰る土地なのです。心がおれたとき、あの場所を思い出します。

自分がどういうふうに暮らしたいのか考えます。夫との二人の生活、今の仮設の自宅を大切にしたい。家族が心地よければ怖いものはありません。人をうらやましいと思いません。自分を受け入れ、認めようと努めています。自分は幸せだったけど、夫や息子はどうだったのでしょう。震災後、本で救われました。現実から逃避でしょうか若いころ、図書館や書店で働いたことがあります。人は一人では生きていけず、いつかは人の世話になります。自分はどういう存在だったのか気になります。何か間違っていただろうかと。人を大事にすれば自分に返ってきます。物事をまつ正面から受けないようにしています。肉親を亡くした人の気持ちを想像できません。自分より大変な人がいることをたえず、考えながら発言するようにしています。

過去がぶつりと断ち切られる2011年。毎日が普通にくるかどうか。あたりまえはありません。"ふつう"を大切に。日常が幸せです。"続き"が帰ってくるといいとも思います。失くして初めてわかることがあるのですね。井戸水で助かったことも思い吐されます。あの日は、星がきれいで、自然ってすごいと思います。海がおだやか、きれい。

2014年6月15日

 

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