エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2013年01月25日

レジリアンスの時代へ (2013年1月1日掲載)

 
 2013年は「葵巳」(みずのとみ)。「葵」は「はかる」という意味。「はかる」ためには規範やものさし、基準が必要ですよね。そこから、「原則」「筋道を立てる」「筋道を立てて処理する」などの意味があるそうです。また「葵」は十干の最後でもあり、これまでの総決算をする時期でもあります。「巳」は冬眠から目覚めた蛇が這い出してくる形を示しており、新しい時代の前触れを表わしているとのこと。  つまり「葵巳」である今年は、「新しい時代に向けて、これまでの総決算をおこないつつ、きちんと基準を定め、筋道を立てて考えて物事を進めていく年」なのです。  今年の位置づけを中国古典の先生に教えていただき、「本当にそうだなあ!」と思います。  今年を経て向かっていく「新しい時代」とはどのような時代なのか? その基準や尺度となるものは何なのか? みなさんはどのようにお考えになりますか?  私は「レジリアンス」が重視される時代へ、個人の暮らしも企業などの組織も、地域も社会も、急速に動いていくと考えています。  「レジリアンス」(resilience)とは「復元力」「弾力性」などと訳される言葉ですが、私は「しなやかな強さ」と呼んでいます。風にそよぐ竹のように、「何かあってもまた立ち直れる力」のことです。    3.11の大きな教訓のひとつは、私たちの社会や暮らしがレジリアンスを失っていた、ということです。震災後、物流や生産が完全に麻痺し、復旧にかなりの時間がかかりました。その原因の一つは、どこにも在庫を持たない「ジャスト・イン・タイム」の普及でしょう。あちこちに在庫を持つかつてのシステムに比べて、平時だけ見ると効率がよくコストも安いのですが、震災のように「何か」が起きるともろいことがわかりました。部品の調達先の絞り込みも同様です。平時にはコスト削減になりますが、「何か」が起こるとすべてがストップしてしまう構造なのです。  また、暮らしにも大きな影響を与えるエネルギーを政府やエネルギー事業者にただ頼っていてはいけないのだ、という気づきが市民の間に広がりましたが、この思いも暮らしのレジリアンスを求める動きの原動力となりつつあります。  自分たちの社会や暮らしを考え営むうえで、短期的な経済効率やコストだけを重視したり、自分たちで考えるのは面倒だからとだれかに全面依存していてはいけない。平時にはその重要性が見えにくいが中長期的に何かあっても立ち直れるしなやかな強さ(レジリアンス)も重視し、採り入れていかなくては、という思いがさまざまな形で実現していく年になることでしょう。    個人の暮らしでは、多くの方々に求められて本を書いたように、『わが家のエネルギー自給作戦』(エネルギーフォーラム刊)を進める家庭が増えるでしょう。省エネ+再エネ+蓄電によって、オフグリッドを達成し、停電の心配も罪悪感もなく、"エネルギー悠々自適"の暮らしを送る人が増え、あこがれの的となるでしょう。  今後も(残念ながら)中央政府には頼れないことが繰り返し証明される展開となるでしょうから、地域の力がクローズアップされてきます。政権や政局がどうあれ、海外情勢がどうあれ、それでも住民が幸せに暮らしていけるしなやかに強い地域をどう創っていくのか。そしてそのとき、それぞれの地域に根づいて事業を展開してきたエネルギー事業者の役割とは?  新しい時代の要請に応え、社会に必要とされ続ける企業としてサバイバルし、発展していく大きなチャンスが見えてきますね!
 

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