エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2012年03月06日

エネルギーの選び方 (2012年1月1日掲載)

 

 来夏までにエネルギー基本計画を作るための総合資源エネルギー調査会の基本問題委員会は、各委員のプレゼンテーションが一巡して、論点整理の段階です。
 私も発表で「これまでのエネルギー基本計画は、“エネルギー供給計画”だった」と述べ、他の委員からも同様の意見があり、今回のエネルギー基本計画は需要側も重視するものになりそうです。

 言うまでもなく、「需要側」には、企業や産業だけではなく、一般の家庭も含まれます。
 ところがこれまでのエネルギー政策では「需要家=企業・産業」という色合いが強かったと思います。おそらく、家庭や市民の思いや声を聴いて作っていくプロセスがなかったからでしょう。

  需要側がどのような基準でエネルギーを選ぶのか、つまり、“エネルギーに求めるもの”は、企業や産業と、家庭や市民とは違うところがあると考えたことがありますか?(もしまだなかったら、おうちで家族の皆さんや職場で周りの社員の方に「どういうエネルギーを使いたいと思う?」と聞いてみて下さい! 一般の人は「エネルギー」と言われてもピンとこないことが多いので、その場合は「たとえば、電気のことだけど」と言い換えてみて下さいね)

 企業がエネルギーに求めるものは、「大量」の「高品質」なエネルギーを「低コスト」で「安定供給」してほしい、でしょう。
 でも家庭や市民に聞いてみたら、企業や産業にとっては「当然」の要件が出てこなかったり、違う基準が大事だったりすることもあります。
 また、「人によってエネルギーに求めるもの・選択の基準がかなり違う」こともわかると思います。

 まず家庭のエネルギー消費は「小規模」ですし、たとえば私なら冷蔵庫など「モノによっては低品質でもOK」「モノによっては不安定供給でもOK」です。知人は「ウチの子はテレビばかり見ているから時々停電するぐらいの電気がイイ」と。

 そして、もちろん家庭だって「安い」ほうがいいけれど、値段だけが選ぶ基準ではありません(「安物買いの銭失い」は庶民の経験からの知恵の一つです)。
 「値段が安ければ安いほどよい」ではなく、安全性や環境への影響その他、「何と値段を天秤にかけるのか?」を考えます。

 今回もまだ企業や産業の重視する「経済性」がエネルギー政策の議論の中核(それがすべてだという方もいらっしゃるかも)です。家庭や市民の「より長い時間軸」「いのちや倫理、未来世代への責任などの観点」などをどうやって基本問題委員会での議論に入れ込めるか、試行錯誤中です。

 ひとつの試みとして、「エネ女(エネルギーを考える女性たち)の集い」を計画中です。また、「若者が考えるエネルギー」のセッションも行う予定です。また報告します!

 

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