エダヒロ・ライブラリー執筆・連載

2009年11月16日

自然や人の幸せを守る社会に

 

○いま「本当に大事なこと」

9月にハンガリーとスイスへ出張した。ハンガリーは、30年近く前に『成長の限界』を研究・執筆したデニス・メドウズ氏らが立ち上げた「バラトン・グループ」(持続可能性やシステム思考に取り組む研究者や実践家のネットワーク)の合宿に参加するためだ。

私にとって8回目となった今年の合宿で特に面白かったのは、英国の「持続可能な開発委員会」が今年3月に出した「Prosperity without Growth(成長なき繁栄)」というリポートについて、その著者が報告した内容だった。英国の政府機関が、経済成長に頼らない持続可能な繁栄のモデルを作ろうとしている!

続いて参加したスイス・ダボスでの第1回世界資源フォーラムでは、さまざまな資源専門家の技術的な議論が多い中、注目を集めたセッションの一つが「Toward a New Economic Framework(新しい経済の枠組みへ向けて)」だった。私も発表者の1人として、次のような話をさせてもらった。(以下発表内容)

○満足度ない成長神話

漢字の「経済」とは元来、「経国済民=国を治め、人々を救う」を意味する。しかし日本も世界も、貨幣経済への移行とともに、「経済=物質的なモノの生産・消費・取引」となり、「経済が成長すれば収入が増え、幸せになれる」というメンタルモデル(思い込み)が社会に蔓延し、現在では国内総生産(GDP)が国や社会の進歩を図るほぼ唯一の指標になっている。

しかし、飽くなき経済成長の追求に伴って、地球から取り出す資源も、地球に排出する廃棄物(二酸化炭素も含む)も、地球が支えられる限度を超えてしまった。その表出の一つが温暖化問題だ。

一方で、経済は成長しても約束された幸せは実現されず、日本も他の先進国も1人当たりGDPは増えても幸福感や生活への満足度は減っている。何かがおかしい。

○「脱貨幣化」の兆しも

これまでは、産業活動へのインプットからのアウトプットを最大化することに集中し、「効率」向上に注力してきた。しかし、ハーマン・デイリーのピラミッドのように、産業活動へのインプット・アウトプットの前後にある自然資本(生態系)や人の幸せまでを含めたホリスティックな枠組みが必要であり、そのためには「足るを知る」を考えることも必要なのだ。

アジアには、ブータンのGNH(Gross National Happiness、国民総幸福度)や、タイの「足るを知る経済」など、経済や社会を全体的にとらえるための考え方や実践がすでにある。日本にも、GNHに刺激を受けて、企業の本質をGCH(社員総幸福度)に置いた結果、身の丈より大きすぎる売り上げや目標は社員の幸せを損なうと、売り上げの「マイナス成長」目標を設定・実践して、社員にも地域にも愛されている素敵な企業の事例がある。

また日本では、車や衣類、本などが「所有するモノ」から「共有するモノ」へと価値転換が進むなど、「脱所有化」への動きが顕著となるとともに、「半農半X」のように、人生や暮らしの「脱貨幣化」の進行も見ることができる。

このような動きは、近年主流となっている経済の枠組みでは理解しにくいが、産業活動の原材料を提供している自然資本や、製品・サービスの究極の目的である幸せまで含めた全体的な枠組みから見れば、今後の大きな動向の先導役として力強く心強く位置づけることができよう。(以上発表内容)

○危機が変化の契機に
 
この発表は、驚くほどの関心と共感を持って迎えられ、うれしく思った。活発な質疑応答ののち、多くの握手が差し伸べられ、これまで日本国内で語ってきた「本当に大切なことは何か」という問題提起が、欧米にも十分受け入れられる時代となってきたことを痛感したのだった。たまたま発表の翌朝、サルコジ仏大統領の「GDP至上主義はやめよう!GNHのように幸せを測る指標も国の運営に使っていこう」という演説が欧米メディアに大きく取り上げられた。
 
さあ、始まった! 今回の金融・経済危機を契機に、「本当に大事なこと」を大事にする社会への動きが大きくなっていくだろう。楽しみである。私もできる限り、この動きを加速していきたい。

出所:日刊工業新聞 10月5日付

 

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