私は、残念ながら、まだ北欧を訪れたことはない。もっとも、会議通訳という仕事をしているので、国際会議や国際セミナーの場で、北欧の政府関係者や研究者、企業の人々の話を聞く機会はたびたびある。
スウェーデンの環境団体「ナチュラル・ステップ」が日本で最初に紹介されたころ、幸運なことにセミナーの通訳をする機会があった。柔道の有段者だという大きなカール・ロベール博士が、専門領域は細胞だとおっしゃるので、あの大きな身体を窮屈そうに縮めて顕微鏡をのぞく様子を想像して可笑しくなったことを覚えている。
しかし! その講義は、とても新鮮で明確で重要なものであった。そのときに知った「バックキャスティング」という考え方は、その後やはり通訳の場で知った「マネジメントシステム」と相まって、私の人生を変えてしまったほどだ(個人の人生での「バックキャスティング」と「マネジメントシステム」を伝えたくて、『朝2時起きで、なんでもできる!』という本を書いてしまったのだから)。
環境ジャーナリストとしての仕事を始めてからも、北欧はずっと、私にとって「不思議な、注目すべき」地域である。不思議なのである。たとえば、どうして日本のように「総論は賛成、でも自分に関わる各論は反対」とならずに、「総論賛成だから、やりましょう!」と動けるのか?
「脱・化石燃料」は、日本でだって多くの人が賛成するけれども、代替燃料車の購入を推進する協会が率先して自治体や企業や個人に呼びかけて3000台の注文を集め、「それなら、ほい」とフォード社がエタノール車の生産を引き受けちゃうというスウェーデンは、まるでお伽話か夢の国のように見えることすらある。
私たちが北欧から学べること-スウェーデンやデンマークが、環境派にはうらやましくてよだれの出そうな政策と実績を重ねられる鍵-は、3つあると思う。「予防の考え」「ビジョン」、そして「合意形成」である。
<予防の考え>
「予防原則」という言葉は、日本ではまだ耳慣れないが、北欧を中心にヨーロッパでは、単に「予防策を講じましょう」という一般的な意味ではなく、特に化学物質や環境問題に関わる政策を決定するためのアプローチのひとつと用いられている。
たとえば、経済活動に役に立つから、とある化学物質が作り出されたとする。実際に工業プロセスで用いるまえに、この化学物質の安全性を調べると、人体や環境に害を与えるおそれがあることがわかった。しかし、必ずしも科学的にはその有害性の因果関係は証明しきれない、という状況だとしよう。
これまでは、そして今でも多くの国では、「科学的に有害性が証明できないのだから、使ってもよい」と考え、話が進んでいく。しかし「科学的には因果関係が証明できないが、有害性に関してまだ不確実な部分が多いため、この化学物質を予防的に規制したほうがよい」と考えるアプローチもある。これが「予防原則」(precautionary principle)という、リスクマネジメントの考え方だ。
福祉の分野でも、北欧は「対処療法よりも予防」を重視することで知られている。高齢者用の病院や施設を作るのではなく、高齢者が病気にならないように、施設に入らずに生活を続けられるように、先手を打つ施策を進めている。
この「予防」重視は、総コストを計算すれば安上がりであることが多い(しかし奇妙なことに、お金のかかる対策――病院や施設を作る、生じてしまった汚染や公害を処理するなど――の方が、GDPを押し上げる結果になる。GDPそのものも問い直す必要がある)。そして、人間としての生活の質(QoL)の点でも優れている。
後手に回って処理や手当をするより、最初から問題を起こさないようにする方が、社会にとってプラスである(経済的にも、人々の幸福のためにも――社会や経済は人々が幸福に暮らすためにあるのだから)、という「予防重視」の考え方は、日本でも反対する人はいないだろう。でもそれが「社会の仕組み」になっている国となっていない国の違いはどこにあるのだろうか?
<ビジョン>
北欧は、ビジョンの描き方と示し方がじょうずである。スウェーデンの町ベクショーでは「化石燃料ゼロ」というビジョンを掲げ、デンマークのサムソ島では、「自然エネルギー100%」をめざしている。スウェーデンの南東部の港町カルマルでは、ローカルアジェンダ21として「効率の10倍向上」をめざすプログラムを策定している。
ソンガ・セービーホテルは「化石燃料ゼロ」を実現しているし、SJ鉄道は、グリーン電力(水力と風力)だけで列車を走らせており、マクドナルドにも風力発電しか使っていない店舗がある。
日本にだって、脱化石燃料をめざす活動や、屋久島のように自然エネルギーと水素の島をめざす動きがあるし、多くの自治体がローカルアジェンダ21に取り組んでいる。そのときに、多くの人を動かす原動力のひとつとして、北欧のビジョンの作り方、示し方は参考になるのではないか。
ビジョンとは北極星のようなものだ。道が暗くても、足元がぬかるんでいても、路上に障害物があっても、仰ぎ見ることができ、どんなときにも進むべき方向を示してくれる星だ。この北極星がどのくらい人々を惹きつけるものなのか。つまり人々が大変でも進んでいこうと思うものであるか。これが「ビジョンの力」だ。
ビジョンとは、「さあ、みんなでがんばりましょう!」「やればできる!」という、到着点もわからなければどのくらい進んだのかもわからないような、精神論や「ゲキ」ではない。
また、ビジョンとは「現在の延長線上」に作るものでもない。日本で、自然エネルギーの話をすると、特にエネルギー業界からは、「現状はほとんどゼロに等しいのだから主流になるのは無理」という反応が返ってくる。これでは「フォーキャスティング」である。スウェーデンだってデンマークだって、最初はゼロだったのだ。
現状や現在の問題点は脇において、「すべて思う通りいくとしたら、どういう社会にしたいのか?」というビジョンを描き、バックキャスティングができるかどうか?
スウェーデンは1980年に国民投票で脱原発を決めた。当時、エネルギーの半分近くを担っていた原発をやめるという決断は、現状の延長線上には出てこなかったはずだ。スウェーデンは原発依存を減らしつつ、特にバイオマスなどの自然エネルギーに力を入れていった。そして、雇用を生み出し、山村に誇りと自信を取り戻し、関連する技術革新を進め、経済効果も上げている。
もうひとつ、北欧に学べることはビジョンの「質」「方向性」だ。最近までほとんどの国の「ビジョン」は「もっと多く」だった。「経済が発達しないと、福祉や環境に回すお金がない」等々理由付けはさまざまだが、「拡大する」ことが向かうべき方向だとされていた。
ところが、北欧などでは、その方向性を変えつつある。たとえば、エネルギー消費量を削減しながら、暮らしと社会が豊かになる道筋を描き、進もうとしている。量的拡大としての成長ではなく、質的成熟へ向かうお手本となろうとしているのだ。
ストックホルム市では、2050年までに化石燃料による温暖化ガス排出を6~8割減らすという目標を掲げ、さまざまな環境プロジェクトを推進しているという。「6%だってキツイのに、6~8割なんて、とても……」と日本人ならいうだろうか? 現状からの積み上げ式ではない“本物の”ビジョンを描き、進んでいく力が私たちにも必要だ。
残念ながら、日本政府からは「50年後の日本をこういう国にしたい」というビジョンは出てこない。でも日本でも各地で、さまざまなセクターの人々が持続可能な社会に向けて努力をしている。そのときに「この努力は、結集してここへいくための道筋なのだ」とビジョンがあるのとないのとでは、進む勢いも広がりも異なるに違いない。
昨年8月にJapan for Sustainability という日本の環境情報を英語で世界に発信するNGOを立ち上げた。日本の進んだ環境への取り組みを伝えることで世界を動かそう、という目的のほかに、「持続可能な日本のビジョンをつくる場を提供する」こともめざしている。「持続可能な日本になったら、エネルギーはどうなっているのか? 食糧は? モノの循環は?」――北欧の様々な取り組みや考え方に学びつつ、多くの人々といっしょにビジョンを描き、自分たちの進捗を測れる指標を作りたいと思っている。
<合意形成>
「パブリック・インボルブメント」ともいわれるが、ビジョンを示し、やりとりの中で共有できるビジョンに練り上げ、人々をその方向へ動かしていくプロセスである。
日本では、このあたりの役割分担が細分化・断絶していることが多い。「私、ビジョンを作る人。アナタ、伝える人」「私、こういう動きをしろと言われる人」という感じである。そして、「計画策定時から実行者も関与させれば、速やかに実行されるでしょう」という、当然のことがプロセスをつなぐコツとして教えられたりしているのだ。
北欧の国、市町村、NGOや企業は、この進め方がじょうずだと思う。いかに素晴らしいビジョンを描いても、実際に物事が変わらなければ意味がないという当たり前のことをよくわかっているからだろう。「ビジョンのためのビジョン」や「計画のための計画」(作っただけ……)の多い私たちには、基本的な姿勢も合意形成のアプローチもビジョンを形にするための工夫やツールなども、学ぶべきところが多い。
私は、『ナチュラル・ステップ』(新評論)で、カール・ロベール氏が最初にナチュラル・ステップの根幹を科学者や研究者たちと作りはじめ、輪を広げていった頃の話が好きだ。
「予防の考え」に基づいて「ビジョン」を描く。「合意形成」がこの大切な考え方を広め、特に鍵を握る人たちに理解・実行してもらうプロセスになっていることがよくわかる。
この3つの大切なポイントが、街の中で、人々の生活で、企業や自治体の意思決定プロセスで、どのように実際に展開されているのか―いつか自分の目で確かめられる日を楽しみにしている。 |