一口で「環境教育」といっても、その幅は広く、奥は深い。たとえば、以下のすべてが、日本語では「環境教育」といわれることになる。
education IN environment (環境の中での教育) education ABOUT environment (環境についての教育) education FOR environment (環境のための教育) education THROUGH environment (環境を通しての教育)
かように、「環境」と「教育」の位置づけや関係はいろいろにあるのであって、同じ「環境教育」の話をしていても、どれを念頭に置いているかによっては、話がかみ合わないことすらある。
環境教育に取り組んでいる人や組織が、上記のどれを行っているかは、それぞれの「目的」や「切り口」や「場」の違いであると考えられよう。以下、いくつかの事例を挙げるが、上記のどれにあたるかを整理しながら読んでいただきたい。
「環境教育」の必要性が叫ばれ、取り組みが行われるようになったのは、それほど昔のことではない。地球環境の悪化があらゆる側面で顕著になり、「このままではまずい!」というところから始まったさまざまな活動の一つが、環境教育への取り組みであると考えられる。とすれば、環境教育とは、「環境教育のための環境教育」という座学ではなく、「このままではまずい状況を何とか変えよう」という目的を持ったものである。すなわち、「状況を変える」ための行動がなければ、その目的は達せられたとは言いがたい。
このように考えると、「環境教育」では、以下の3つが「三位一体」として必要ではないかと思う。
(1)心・・・ a:「やればできる、違いを生み出せる」という信念。 b:自然や人間以外の生物の命を感じられる心。
(2)体・・・ 行きたいところへ行ける、思ったように動ける体。 何かをやろうとしたときに「行動計画を立て、実施し、進捗を見直して、行動計画を練り直しながら、効果的・効率的な行動が取れる」能力。
(3)頭・・・ 現状はどうなっているのか、どこへ行くべきか、進む上で何が大切かを理解し、適切な判断が下せる知性。情報処理能力も含む。
たとえば、子どもが自転車に乗って隣町まで行こうとしたとする。その目的を達するには、「がんばって行ってみるぞ!」という思いと、隣町までの道順や危険箇所などの知識、そして、実際に自転車に乗るスキルが必要だろう。「心、頭、身体」という意味で、三位一体である。
これは個人的な印象だが、一般や企業での環境教育プログラムは(3)の環境情報に主眼が置かれているものが多く、子ども用の環境教育プログラムには(1)のbをめざして「自然とのふれあい」を重視する、または地球環境の現状について教える(3)のものが多いように思う。
昨年秋に、米国を代表する環境活動家・作家のポール・ホーケン氏と、環境教育の重要性について話していたとき、彼は「いまの環境教育は間違いだと思う。どんなに地球が悪くなっているか、その原因は何か、ということばかり教えようとしている。これで、子どもたちは将来に明るい希望がもてるだろうか? 状況は変えられる、自分たちには物事を変える力がある、ということこそ、伝えるべきことではないか」というようなことを言っていたが、そのとおりだと思う。そして、「現状がどうなっている」「どうしなくてはならない」という知識を詰め込むだけでは、実際の行動につながる保証はない。
このような認識が広がってきたためか、「自分の考えや行動が違いを生み出せる!」という思いと、「やりたいことを効果的に実行できる」スキルを育もうという新しい動きが、環境教育の分野にも見られるようになってきた。問題に対して有効な行動を取れるようにすることを環境教育の目的としているならば、これは必至の方向であろう。
(1)心・・・ a:「やればできる、違いを生み出せる」という信念。 b:自然や人間以外の生物の命を感じられる心。
心の(a)は、発達心理学でいう「基本的信頼感」にその礎が築かれるが、日常生活では、子どもが自分なりに一生懸命やったことに対して、周りの大人がほめて励ますことで、このような信念(自分への信頼感)が育まれる。これは環境教育に限ったことではなく、自分はこの世界で受け入れられているという世界(他者)への信頼感、自分はこの世界に働きかけることができるという自分への信頼感なしには、どのような行動や活動であっても自分から進んで行おうことはしないであろう。
(b)は、「何とかしなくては」という熱い思いの根源であり、「仏」の「魂」にあたる部分だ。「森は海の恋人」だと訴え、気仙沼で10年以上もまえに漁師による植林に着手、いまでは全国に広がる活動の原動力となっている「牡蠣の森を慕う会」の畠山重篤さんをはじめ、いま環境問題に熱心に取り組んでいる人々に聞いてみると、子ども時代に、「センス・オブ・ワンダー(わぁ!すごい!と驚く心)」と呼べるような何らかの経験や原体験を持っている人が多い。
このような子ども時代の経験や原体験があってこそ、「知りたい!」「動きたい!」という欲求が生まれる。そこで、このような「心を揺さぶる体験」を子どもたちにしてもらおう、という環境教育の取り組みがある。たとえば、「牡蠣の森を慕う会」では、森と海をつなぐ川の上流から子どもたちを呼んできて、「プランクトンを飲んでみる!」という経験をさせるという。畠山さんいわく、「人間の排出するものはすべて海に来て、植物プランクトンに集約される。そのプランクトンを、プランクトンネットで採取して飲むだけで、子どもたちは自分のこととして、環境を考えるようになる」。
(2)体・・・ 行きたいところへ行ける、思ったように動ける体。何かをやろうとしたときに「行動計画を立て、実施し、進捗を見直して、行動計画を練り直しながら、効果的・効率的な行動が取れる」能力。
ここ数年の注目すべき動きとして、この(2)体=マネジメントシステムに関する環境教育の取り組みがあちこちで展開していることがあげられる。そして、このような取り組みの多くを、行政やNGO(非政府組織)、民間企業など、いわゆる教育現場(学校など)とは違ったフィールドや背景で活動する組織や団体が進めていることも、特徴の一つである。
ひとつの例は、コカ・コーラ環境教育財団が進めている「スクールEMS(環境マネジメントシステム)」だ。環境マネジメントシステムの国際規格であるISO14001の手法を用いて、消費行動などライフスタイルを実際に変えるためのプログラムである。
具体的には、ワークシートに書き込む形式で生徒たちが自分の生活の現状を振り返る「ステップ1」から、「家族環境改善目標設定」「改善行動計画作成」など7段階で、生活のどの部分をどう変えて環境に配慮するか具体的な行動を促す内容となっている。また、環境問題に詳しくない教師でも授業ができるように、生徒用教材以外に、指導者向け解説書や実際の授業風景を録画したビデオなどをまとめたキットが用意されている。
特定非営利活動法人、国際芸術技術協力機構が中心となって進めているのが、「Kids ISO 14000s」というプログラムである。これもISO 14001をベースにした環境マネジメントシステムの教育支援プログラムだが、家族全員で環境問題に取り組む際に、子どもたちが計画を立て実行に移すときのリーダーとなるところがポイントである。
国内でも取り組む学校の数は増えているほか、タイ語版を作成しており、他の国での導入も検討中である。家庭の中から子どもたちの主導で進め、さらに国境を超えてのネットワークを築いて広げていこうという試みが始まっている。
参加した子どもたちの感想文には、「メーターを調べるようになってはじめて、たくさん使っていることがわかった」「小さな工夫でも大きな変化が出ることがわかった」など、「現状を知る驚き」「マネジメントシステムを回すことで現状を変えられる喜び」が見てとれる。そして、保護者の感想文からは「あまり関心を持たない省エネについて、親子共々考える良い機会となった」「家族でいろいろな話ができて良かった」など、子どもの取り組みをきっかけに、家族も気づき、いっしょに取り組むようになり、それを楽しんでいる様子がわかる。
自治体でもこのような環境マネジメントシステムの市民版を作成し、進めているところが増えている。その先陣を切ったのが水俣市だ。水俣市の「家庭版ISO」では、多くの家庭に共通しており、かつ家庭の努力で減らすことのできる環境への影響を、「使っていない部屋の電気を消す」などの35項目として、予め選んである。「家庭版ISO」の取得をめざす市民は、この項目から好きなだけ選択して実施を宣言し、役割の分担(だれが何をするのか)を話し合って、行動し、その記録をつける。そして、記録を見直して、さらに取り組みを進める。このように、3ヶ月実践したあと、「審査」を受けるしくみである。
平成12年に行われた1回目の審査で、73の家庭が認証を受け、いずれの家庭でも、省エネ・省資源による家計の節約ができているとのこと。ISO14001の手間のかかるプロセスは省いて、「実行」に焦点を絞った、市民向けのよい取り組みである。
水俣市では、「学校版ISO」も進めている。「教室の照明をこまめに消す」など76の項目の中から選んで、学校における「行動を宣言」し、「役割分担」をして、「行動を記録」し、「見直し」する、と同じPDCA(計画-行動-見直し-行動)のマネジメント・サイクルである。学校版ISOは、水俣市学校教育課、環境課が審査をして、審査に合格した学校を市長が認証するしくみで、すでに市内の小学校9校、中学校7校のすべてが認証されている。いずれの学校においても、「子供達の環境教育に大いに役立っている」とのこと。水俣市の事例は、自治体と学校、地元の団体がスクラムを組んで進めているよいモデルであると思われる。
(3)頭・・・ 現状はどうなっているのか、どこへ行くべきか、進む上で何が大切かを理解し、適切な判断が下せる知性。情報処理能力も含む。
このカテゴリーは、地球環境の現状や、問題の原因、解決策などのいわゆる「環境情報」を伝達するとともに、エコ・リテラシーを育てるための環境教育である。
このカテゴリーの環境教育は、さまざまな主体が、それぞれの分野について、行っている。企業の環境活動を説明するパンフレットや環境報告書、NGOによる講演会や体験会、政府や自治体によるセミナーや副読本など、媒体も多岐にわたり、テーマも温暖化から地球のしくみ、野生生物やゴミ問題など、多種多様である。
エコ・リテラシーには、そのような多様な環境情報を受け取るだけではなく、情報と行動に関する適切な判断を下すことも必要になる。そこでいちばんポイントになるのは、「トレードオフ」(あちら立てればこちらが立たない)を理解し、全体像をなるべく把握したうえで、最適解を求めることだ。
たとえば、学校でゴミ問題から取り組みをはじめ、給食の残飯を電気式コンポストで肥料にすることにしたとする。それでゴミは減るが、コンポストを使う分、電力使用量は増える。電力が増えれば、それだけ資源を使い、二酸化炭素を出すことになる。その両方をわかったうえで、「では、この状況では、どうするのがいちばんよいのか?」を考えることになる。
現在、このカテゴリーに入る多くの環境教育では、まだ細分化された情報を提供するにとどまっているように思う。現実の世界で必ず直面するトレードオフの理解まで含めたエコ・リテラシーを育てるためには、「幅広い分野やテーマの知識や理解」という基礎編のうえに、「いくつかの環境問題や、現実世界での限界を組み合わせて考える」応用編を展開することが必要になるだろう。
私は、分野横断的な知識や理解を培うために、「漢字検定」ならぬ「エコ検定」を提案したい。「英検」ならぬ「エコ検」である。初級から中級まで、年齢などにあわせて、「知っておくべき知識や理解」を身につけたあとは、合宿やスクリーニング、またはメールを使ったディスカションなどで、ファシリテーターのもと、上級コースの応用編に取り組む。
これまで寡聞にもこのような取り組みは聞いたことがないが、たとえば、現在は別々に教えられている「森林の荒廃」と「ゴミ処分場の逼迫」と「再生可能エネルギーへの転換の必要性」をそれぞれ理解した上で、それら全ての問題を解決する解を見つけ出す訓練が必要だと強く思っている。
以上、環境教育の「内容」についていくつか整理して提示した。今度は、環境教育の担い手のひとつとして、大きな期待を寄せられているNGOの取り組みについて考えてみたい。
NGOによる環境教育の取り組み
環境教育に取り組むNGOが増えている。しかし、その動機やスタンスは様々であることが多い。ここでは、大きく3つに分けて紹介してみたい。
一つは、活動の中に「場としての学校」を取り入れようというもの。たとえば、川口市の川口市民環境会議という団体は、1日版環境家計簿(何をしたら、どのくらい二酸化炭素が減らせるか書いてある)を作成して、2000年から「市民一斉エコライフデイ」という活動を行っている。
市内全世帯に配布する市広報紙で告知するほか、市内小中高の学校へ配布し、児童生徒及びその家族にも参加を呼び掛けている。2年目の2001年の取り組みでは、市内の小・中・高等学校に通う子どもたちの31%が参加した(参加率94%という小学校もある)。
学校というのは、その性格から、たくさんの児童・生徒に一斉に呼び掛けることができる。さらにその家族まで入れると、かなりの人々にアウトリーチできるチャンネルである。たとえば、市内の二酸化炭素を削減するという活動では、より多くの人々の参加が必須であるため、学校は有効な「場」となる。この活動は川口市の教育委員会やそれぞれの学校の支援・協力を得ていることが成功の秘訣であろう。
川口市民環境会議では、市内一斉エコライフデイの内容をもっと理解してもらうための出張授業もはじめるようになった。このように、「場」としての学校が、向き合い取り組む対象にもなることで、さらにしっかりと着実な取り組みとなることと思われる。
もうひとつのスタンスは、活動の広がりの中で、環境教育にも取り組むようになるケースである。これは、どのような分野での活動であっても、ほぼ必然的にたどりつく指向であろう。最初は大人を対象に活動を考えていても、「やっぱり子どもの時から学んでわかってもらわないといけない」と考えるようになることが多いからである。
ソーラーや風力による市民共同発電所の設置を進めている横浜の特定非営利法人(NPO法人)、ソフトエネルギープロジェクトでは、大人向けに自然エネルギーや市民共同発電所に関する情報提供や支援を提供しているほか、地球の学校として「ソーラーグッズ工作教室」を開催。子どもたちが、ソーラー充電器やソーラークッカーの工作を行ない、楽しみながら実際に役に立つものを作る中で、自然エネルギーを体感できる機会を設けている。
ソフトエネルギープロジェクトでは、「人が集まり、子どもたちにも触れてもらえる場」に市民共同発電所を設けたいと、これまで幼稚園、保育園、高校などに、ソーラーや風力の発電所を設置している。自然エネルギーの普及という「本業」を展開する「場」として、教育現場とのよい連携の上に活動を進めている。
3つ目のスタンスは、「環境教育の専門家」としてのNGOである。たとえば、NPO法人 環境学習研究会は、「より多くの人に伝えるために、楽しい環境学習・意識啓発のプログラムを」という活動をしている。行政、企業、市民の枠を越えたパートナーシップ作りから始まった活動は、学校への環境教育の「出前」のほか、総合的な学習の時間の導入で、今後さらに外部支援が必要となる学校と企業や行政、地域を結ぶための、環境ネットワークマガジン『ecok東京』の発行やコーディネイトにも広がっている。
特に、総合の時間の導入がきまって以来、このように、授業案の企画やアドバイス、あるいは授業そのものの実施まで、学校の中に入り込んで、教職員と協力しながら、「環境教育のプロ」として活躍するNGOが各地に増えている。
世界的規模で体験共有NET
最後に、ITを活用して、世界的な視野を共有しつつ、内外の学校や生徒たちの活動を促し、支援している活動を紹介したい。ワールド・スクール・ネットワークは、米国の探検家ウィル・スティーガーが提唱し、1992年から始まった活動で、日本では自然活動家の高野孝子氏が立ち上げた。「世界中の教室・地域・家庭を電子ネットワークで結んだ、未来型の学びの場」として、95年までは北極を舞台に、高野孝子を含む国際犬ぞり隊の体験を世界中の子どもたちが共有した。
冒険の現場と教室を衛星通信で結び、相互に交信する。冒険者は、自然の真っただ中に身を置き、その地域の異文化を受け入れながら、自然と共に生きる人々のメッセージを届け、子どもたちは、地球上の多様な生き方を知り、これからの社会のあり方を模索するという活動だ。96~98年は、ミクロネシアの島々を冒険の舞台とした。
北極犬ぞり隊の冒険では、日本だけでなく、世界中から、100万人を超える人たちが、インターネットで送られてくる冒険者たちのメールで北極の旅を追体験した。高野氏いわく「子どもたちの反応は私が予想する以上でした。中に入ってくれた先生や大人たちの力も大きいと思います。子どもたちは積極的に考えて調べて質問してくれたし、それに基づいて行動を起こしてくれました。地域のツバメを守ろうという運動につながったり、ゴミを減らすために地域の人たちにチラシを配った小学生達もいました。北極やミクロネシアの離島といった、絶対に聞かないような、知らないような場所の伝統文化や自然について知ったり、環境への見方が変わったりしたようです」。
ワールド・スクール・ネットワークに日本国内から参加している団体は40(2001年12月現在)で、海外のワールドスクール参加校は、米国、フランス、南アフリカ、ベトナムや香港など20団体。冒険の現場と教室をつないで、その刺激や情報をきっかけにそれぞれの活動を展開するほか、「ごみ」、「水と川」「食」、「生きもの」などのテーマ別会議室を設け、インターネットを活かして、地理的には離れている学校の生徒たちが活発なディスカションを続けている。
「場」と「きっかけ」を提供し、あとは子どもたちの主体性を見守る(待ってもらい、見守られる中で、主体性は育つ)活動である。
環境教育について、その内容や担い手について、考えるところを述べた。行政も企業も、これまでのやり方・考え方から一歩踏み出した取り組みを行うところが出てきている。また、NGOや市民団体の多彩な環境活動の取り組みが勢いよく広がっているのは、心強い。人間は人によって、得意な学習スタイルが異なるので(同じことを理解するにも、読む、聞く、身体を動かすなど、様々な学習スタイルがある)、内容も方法も、様々なオプションがあるほど、たくさんの人々に届くことができる。
最後に、最初に述べたことを繰り返しておしまいにしたい。環境教育は、「環境教育のための環境教育」であってはならない。同じく「教育」と呼ばれても、学問のための教育と、環境教育はその目的が異なる。学問のための教育は、○○学を構築し、発展させるためのものだ。一方、環境教育は、環境学のためのものではない。あくまでも、環境問題を解決するための手段の一つ(大切な手段であるが)であると思う。
とすれば、環境教育はつねに、環境問題の解決に向けてどれほど貢献できたか、役に立てたか、という評価を受けなくてはならない。どんなにすばらしい教材を製作しても、どんなに美しいプログラムを組んでも、地球環境が少しもよくならないのであれば、いったい何のための環境教育なのだろうか。 |