| 「LCAについての私感」 −「LCA日本フォーラムニュース」第20号(平成13年1月1日発行) |
私はLCAの専門家ではないが、特に企業や一般市民向けの講演や執筆活動を通して、LCAはEMS(環境マネジメントシステム)と並ぶ“21世紀の社会インフラ”であると感じている(期待している)。 LCAは、地球の限界を考慮に入れていない現在の社会を、持続可能な社会に変えていくためのツールである。社会を変えるということは、人々の行動を変えるということだ。したがって、究極的には、LCAの評価は、その精度やカテゴリー数によってではなく、どれだけ望ましい方向への行動変容を促し、持続可能な社会へ近づくために役立ったか、で行われるべきだと考えている。 社会に対するLCAの意義は、大きく分けて、「行動決定の判断材料としてのLCA」と「LCA的物の見方の普及」の二つではないかと思う。それぞれについて、感じていることを書かせていただきたい。 まず「判断材料としてのLCA」であるが、これは、LCAの目的であると多くの人々が認めるところである。すなわち、エネルギーや資源の使用量にせよ、汚染物質や処分の環境負荷にせよ、より環境負荷の低い製品やサービスを供給し、選択するための手段である。 この場合、「だれの判断材料か」は二つあるだろう。生産者と消費者である。現在、「生産者の判断材料としてのLCA」がLCA研究・実践の中心であるように見受けられる。企業が自社の製品や製品開発にLCAを用いることで、取り組みや投資の優先順位づけを行ったり、原材料や工程の選定を通じて新製品の環境負荷を下げたりしている。 これはこれで大変重要なことであるけれども、そのような生産者の努力が正当に認められるためにも、そして「何をどのように作っても、結局買って消費するのはお客様」ということに鑑みても、「消費者の判断材料としてのLCA」がもっと進まないかな、と思う。 ちなみに、市民対象の講演で聞いてみても、LCAについて知っている人、聞いたことのある人はほとんどいないのが実状である。まして、LCAがグリーンコンシューマーにとっての強力な助っ人になる、という可能性もあまり認識されていない。 一般の人々には、LCAなんて難しそうな響きのことばではなく、「ラクな(L)チョイス(C)のアシスタント(A)」ぐらいのノリで、そのツールとしての魅力を売り込んだらよいのに、と思う。 環境意識に目覚めた消費者は、毎日買い物という“投票権”をきちんと行使しようと思うとき、途方に暮れることが多い。たとえば、アメリカのスーパーではレジで「Plastic? Or paper?」と聞かれる。 ビニール袋に入れるか、紙袋にするか?ということだが、ここで「う〜ん、どちらが環境に優しいのだろうか? ビニール袋は化石燃料からできているし、燃やすと有害物が出る可能性もある。しかし一方、紙袋は森林破壊につながらないだろうか? この茶色い紙袋は再生紙かもしれないな。紙のリサイクルにも実は多くのエネルギーが必要という話も聞いている。さてどうしよう・・・?」などと迷っていると、後ろに並んでいる人からブーイングが飛んでくること、間違いナシである。このときに、LCAが役に立つ(と思う)。 たとえば、×年後。デパートの食堂へ行くと、店のまえにロウで作ったサンプルが並んでいる。各サンプルの横には、小さな札が立っていて、「値段」と「カロリー」、そして「LCA値(CO2など)」が書いてある。お客さんはそれを参考に、お財布と昨日の体重計の目盛りと地球への負荷を考え合わせて、メニューを選ぶ……。どうだろうか? もっと進んで、××年後。各国に割り当てられた二酸化炭素排出量を国民数で頭割りし、各国民が「自分の排出枠」を持っている。その枠を超えたら、余っている人から買い入れるしかない。通帳の残高を見ながら買い物をするように、「排出枠の残高」を見ながら、昼食メニューを選んだり移動手段を選んだりする(すべての商品やサービスにはLCAによるCO2ポイントが表示してあり、消費すればそのポイントが“排出枠口座”から引き落とされる仕組みである)。 SFっぽいが、生活水準が高い人は当然多くのポイントを使うので、そうではない人から排出枠を買うことになり、富の再分配につながるし、発展途上国の人口増加問題もいっしょに解決できる(人口が増えればそれだけ一人当たりの排出枠は小さくなるので、人口抑制への力がかかる)のではないか、と秘かに思っているのだが……。このストーリーにもLCAは必須である。 国の政策の優先順位を定める、そして効果を測定する、という場合には、リスクの重み付けによって統合された単一(または少数)指標が重要だと思うが、一般消費者の“情報に基づいた”買い物をサポートするためなら、シンプルなLCAで十分だし、その方が好ましい。リスクの重み付けは個々人の価値観によって異なるため、ある重み付けに賛成できない人はその統合LCAの結果を信じない、または使わなくなるからである。 LCAの結果をある基準に照らし合わせて付けるエコラベルも大切だと思うが、同じ理由で、グリーンコンシューマーのレベルや数が増してくれば、やはり数値で比べたい、という要望が出てくるだろう。「一般の人にもわかりやすい、判断基準になれる」LCAが求められている。 特に、一般消費者の判断は通常、同じカテゴリーの商品を比較して行われることが多い(どのトイレットペーパーを買うか、など)。その場合、それほど、リスク領域やその重みは変わらないのではないか、従ってシンプルなLCAでよいのではないか、と思うのだが、あまりに素人考えだろうか? 「判断基準としてのLCA」で最後に述べたいのは、LCAの結果を税や価格にどのように反映するか、どのように反映できる仕組みを作るか、ということである。メニューに値段と並んでカロリーが書いてあっても、ごく少数の人以外は値段が判断基準として最優先されるのと同じように、そこにLCA値が書いてあっても、ごく少数のグリーンコンシューマーをのぞけば、その情報が行動変容にはなかなかつながらないのも事実であろう。 現在の経済の中では、LCAのような重要な情報は価格に反映されなくてはならない。多くの人にとっては、そうなって初めてLCAが単なるデータではなく、自分の行動判断の基準となる情報になるのである。 次に、「LCA的な物の見方の普及」について書いてみたい。私はいつも講演では、「地球環境の現状」「問題の根っこ」(地球からの取りすぎ・地球への出しすぎ)を説明した後、「根本的な解決の方向」として5つの側面を説明している。 「エネルギー転換:化石エネルギー→再生可能エネルギー」「交通輸送の転換:自動車中心→鉄道・公共交通・自転車」の2つのほか、経済再構築のため「資源生産性の向上」と「資源循環型社会の構築」(リユース、リサイクルによる地上資源の活用)を説明する。 そして、「ではこれで解決になるでしょうか?」と問いかける。携帯電話を例に、資源生産性は格段に向上(以前のケータイはずっと大きい上、こんなに多機能ではなかった)しても、頻繁なモデルチェンジやタダで配るような販売戦略などで、携帯電話の生産台数も廃棄台数も激増し、結局環境負荷は減っていないことを指摘する。ペットボトルを例に、循環(リサイクル)は格段に向上(1993〜99年の6年間でリサイクル率は45倍にも増えている)しても、それ以上にペットボトルの生産・消費量が増えているので、未回収ボトルは約12万トンから約27万トンに増大していることを指摘する。 そのうえで私は、「足るを知る」ことが解決の柱として不可欠だとお話しするのである。「足るを知る」とは、「幸せ=物質的な所有」ではないと気づくこと、幸せや満足に結びつかない快適さや便利さを削ってゆくことだと説明している。 ここで様々な考え方や気づくきっかけを提示するが、その中でも多くの市民の共感を呼ぶのは、「エコリュックサック」と「来し方行く末に思いを馳せること」である。エコリュックサックは、LCAを“市民向けに”説明するものだと思っている。 また、トイレで紙を使うときには、「この紙はどこから来たのかな〜? このあとどこへいくのかな〜?」とちょっと想像力を働かせることができれば、そうそう無駄遣いもできなくなるのではないか、と述べると、「これまで、そのように考えたことがなかった。商品とは刹那的なつきあいしかしていなかった」という感想が返ってくる。刹那的ではなく来し方行く末まで思いを馳せるという物の見方は、LCAそのものだ、と思う。 したがって、行動変容への気づきである「足るを知る」につながる人々の意識啓発のために、LCAは有力なツールではないかと思っている。そのための「一般向けLCAシート」などを開発できないか、とも考えている。 スウェーデンの約80%の小学校で使われている『自然と環境のファイル』という環境教育の教科書がある(最近日本語版も完成した)。この中には、 LCAということばはないが、「オレンジジュースの一生」という項で、LCA的物の見方を育む活動が用意されている。さらに「調査のポイント」として、「材料を作る」「製品の生産」「包装と輸送」「使用中の環境負荷」「廃棄後」に目を向けるよう、わかりやすく説明してある。日本でも総合の時間導入を睨んで、小中学校で環境教育への注目が高まっている現在は、LCA的物の見方を子どもたちに、そして家庭へと広げていく大きなチャンスだと思っている。 最後に教えていただきたいことが一つと、述べておきたいことを一つ。LCAは現在のシステムやインフラ・技術を前提にするしかない、という批判がある。たとえば、飲料容器のLCAでリターナブルビンのスコアが悪くなるのは、現在の化石燃料による輸送システムで計算することも理由の一つで、燃料電池自動車などで計算すれば違うのではないか、など。LCAは、「持続可能な社会に必要な新しい技術やこれまでにない社会インフラ」を促進することができるのか、そのためには、やはり別の枠組みが必要なのか、教えていただければ幸いである。 私はよく「LCAも大切ですが、BWAも大切です」という。BWAとは、私の造語で、Business Wide Assessmentの略である。たとえば、LCAを活用してプリウスの燃費を向上し二酸化炭素を削減した、というのは結構だが、ではプリウスはトヨタの販売台数や売上の何%を占めているのだろうか?(ちなみに年間160万台のうち1万台)ということである。LCAで新製品の環境負荷を下げられるだろうが、「その新製品を作る必要があるの?」という一歩引いた見方も必要だと思っている。 EMSの世界では、一般の人には難しい(と信じられている)がために、ISO14001が“水戸黄門の印籠”化してしまい、「とにかく取ればいいんでしょう」「取ればエライ」的な害悪を引き起こしている側面がある。 LCAも同じように、一般の人から見ると“何だかよくわからないモノ”“専門家がやるコト”なので、同じような危険をはらんでいる可能性があるが(「LCAでこうだったから、こうなんです!」という押し切りに使われるなど)、今のところは(認知度が低いためかもしれないが)大丈夫そうに思える。 持続可能な社会へ向けて人々の行動を変えていくためのツールとして、ツールのユーザー(消費者)の理解と意識を高めつつ、使いやすいツールとして発展させていただきたいと、心から願っている。 |
参考資料 『自然と環境のファイル』(日本語版:かながわ環境教育研究会)http://homepage2.nifty.com/KERE/katudo/kyozaihanbai.html |
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