Library:レスター・ブラウン|ニュースレター|e's Inc. http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/ ja 2010-08-31T10:32:33+09:00 石炭火力発電は消滅寸前? http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100831_103233.html                       レスター・R・ブラウン

この2年間、米国では石炭火力発電所の新規建設に対して強力な反対運動が起きている。当初は全米および地元の環境団体が主導していたが、後に著名な全国的政治指導者たちと、多くの州知事がその動きに加わっている。

石炭火力発電所に反対する一番の理由は、それが地球の気候を変化させているからだ。ほかには、水銀排出が健康に及ぼす影響と、発電所からの大気汚染により全米で毎年23,600人が死亡していることが挙げられる。

ここ数年にわたって、石炭業界は次から次へと痛手を負っている。2000年から石炭火力発電所の建設計画とその行方を集計しているシエラクラブの報告によると、123カ所の発電所が計画中止となり、さらに、反対に遭っている51カ所は係争中である。

追跡調査中の231カ所の発電所のうち、建設を開始して運転にこぎ着けるのに必要な許可が得られそうなのは、今のところわずか25カ所にすぎない。石炭火力発電所の建設は、じきに不可能になるかもしれない。

石炭火力発電所への反対運動は、最初は地域レベルでの小さなさざ波程度にしかすぎなかったが、あっという間に環境・健康・農業・地域団体による草の根レベルの反対が全国的な大津波を生み出すまでに発展した。

莫大な資金を使った広告キャンペーンによって、いわゆる「クリーンな石炭」(タバコ業界が以前、タバコは健康に悪くない、と懸命に人々を納得させようとしていたことを思い出させる)を売り込んでいるにもかかわらず、米国民は石炭に背を向けつつある。

石炭業界の最初の大打撃の一つは、2007年初頭にやって来た。エンバイロンメンタル・ディフェンス・ファンド(EDF)率いる連合体が、テキサス州に本社を置く電力会社TXU(テキサス・ユーティリティー)の新石炭火力発電所11カ所の計画に反対したのだ。

メディアの相次ぐ報道を受け、TXUの株価は急落し、非公開投資会社2社が450億ドル(約4兆1,850億円)の買収を提案するに至った。しかし、両社がようやく買収を進めたのは、EDFおよび天然資源保護評議会(NRDC)と和解交渉をし、計画されていた発電所の数を11から3へ減らすことで会社の評価額を維持してからだった。

このことは、この環境団体にとって大きな勝利であった。彼らは世間の支持を集めることで8カ所の発電所の計画を完全に中止させ、残りの3カ所にはこれまでよりも厳しい規制を課すことができた。そうしている間に、テキサス州は莫大な風力資源にエネルギーの焦点を移しており、風力による発電量でカリフォルニア州を追い越した。

2007年5月にはフロリダ州の公益事業委員会が、建設費57億ドル(約5,301億円)、出力1,960メガワットの巨大な石炭火力発電所の認可を却下した。なぜなら、発電所の建設が、省エネ、効率化、再生可能エネルギー源への投資よりも低コストであるということを、電力会社が立証できなかったからだ。

非営利の環境法律事務所アースジャスティスが指摘したこの事実と、さらなる発電所建設に対するフロリダ州民の強い反対が相まって、同州ではほかの4カ所の石炭火力発電所の計画がひっそりと撤回される結果となった。

石炭業界の先行きもまた厳しくなっている。というのも、金融業界が石炭業界に背を向けているからだ。2007年7月には、シティグループが石炭会社株を一律に格下げして、顧客に他のエネルギー株に切り替えるように助言した。メリルリンチも2008年1月に石炭会社株を格下げした。

同年2月初旬には、投資銀行のモルガン・スタンレー、シティ、JPモルガン・チェイスが、「今後の石炭火力発電所への融資はすべて、連邦政府による炭素排出量規制に伴ってコストが上昇した場合にも採算が取れることを電力会社が示すことを条件とする」と発表した。同月後半に、バンク・オブ・アメリカは同様の措置をとると発表した。

2007年8月、石炭業界は強烈な政治的打撃を受けた。ハリー・リード米国上院院内総務(ネバダ州選出)は、それまで地元の州の3カ所の石炭火力発電所に反対してきたが、今度は世界中のどこであっても石炭火力発電所の建設には反対だと宣言したのだ。アル・ゴア元副大統領もまた、いかなる石炭火力発電所の建設にも強く反対すると表明している。また、カリフォルニア、フロリダ、ミシガン、ワシントン、ウィスコンシンなど多くの州の知事も反対の立場を明らかにしている。

ミシガン州のジェニファー・グランホルム知事は、2009年の施政方針演説で次のように主張した。「ミシガン州は、モンタナ州とワイオミング州から石炭を持ち込むべきではない。そうではなく技術に投資してエネルギー効率を向上させ、風や太陽のエネルギーを含めて、ミシガン州内にある再生可能な資源を利用すべきである。そうすれば、州内に何千もの雇用が生まれ、自動車産業で失われた分の埋め合わせに役立つだろう」。

二酸化炭素の排出に加えて、石炭業界にとって未だに解決できていない悩みの種の一つに、石炭灰をどう処理するかという問題がある。石炭灰とは、石炭の燃えかすであり、47州で194カ所の埋立て地や161カ所の貯留池でたまり続けている。この灰は簡単に処理できる物質ではない。というのもヒ素、鉛、水銀、その他多くの有毒物質を含んでいるからだ。

石炭業界の恥ずべき秘密が白日のもとにさらされたのは、2008年のクリスマスの直前のことだった。テネシー州東部にある石炭灰貯留池の擁壁が崩壊し、約380万キロリットルの毒物混合液が流出したのだ。

残念ながら、石炭業界には毎年出る1億3,000万トンの灰(鉄道車両100万台分)を安全に処理するための計画がない。あまりに危険が大きいので、米国国土安全保障省は、テロリストの手に渡らないようにするために、最も脆弱な貯留施設のうち44カ所を機密リストに載せようとした。テネシー州での有毒石炭灰の流出事故は、石炭業界にとって致命的な打撃となった。

2009年4月、影響力のある米国連邦エネルギー規制委員会のジョン・ウェリンホフ委員長は、米国はもはやこれ以上の石炭火力発電所や原子力発電所を必要としないかもしれないと語った。

監督機関、投資銀行、政治指導者たちは、米国航空宇宙局(NASA)のジェームス・ハンセンのような気候科学者たちにはしばらく前から明白だったことを、今になって理解し始めている。ハンセンに言わせれば、「数年後に取り壊さなければならないのに石炭火力発電所を建設するのは、まったく意味がない」のである。

2007年4月、米国連邦最高裁判所は、「米国環境保護庁(EPA)は大気浄化法により、二酸化炭素排出量を規制する権限と義務の両方がある」という裁決を下した。この画期的な裁決を受けて、EPAの環境上訴委員会は2008年11月、EPAの地方支局は新設石炭火力発電所の排出許可証を発行する前に、二酸化炭素排出対策を取らなければならないと決定した。この決定によって、問題となっている発電所の計画が止められただけでなく、それが先例となって、ほかの計画中の発電所の許可がすべておりなくなった。

EPAは連邦最高裁判所の同じ裁決に基づき、2009年12月には健康被害に関する最終的な調査結果を発表した。それにより、二酸化炭素排出は人間の健康と福祉を脅かしているので規制が必要であるということが裏付けられた。この調査結果により、各地で石炭火力発電所の新設が難しくなっている。

要するに、現在米国は石炭火力発電所の新規建設を事実上凍結しているのだ。このことを受け、この問題に関して全米でのリーダー格であるシエラクラブは、炭素排出量削減運動を拡大し、既存の発電所の閉鎖も運動の中に含めるようになった。

例えばより効率の良い照明器具や電気製品に切り替えるといった方法で、米国の電力消費量を大幅に削減できることを考えると、既存の発電所の閉鎖は思いのほか簡単かもしれない。

最もエネルギー効率の高いニューヨーク州並みに、他の49州のエネルギー効率が引き上げられれば、節約できたエネルギーで米国の石炭火力発電所の80%が十分閉鎖できるだろう。残る石炭火力発電所は、再生可能エネルギー、例えばウインドファーム(風力発電基地)、太陽熱発電所、屋根に並べた太陽電池、地熱発電、地熱の直接利用に頼れば閉鎖できるかもしれない。

その兆しは現われつつある。おそらくは、米国では石炭火力発電所の新設は、仮にあったとしてもわずかしか認可されないので、この事実上の凍結は世界にメッセージを送ることになるだろう。デンマークとニュージーランドはすでに石炭火力発電所の新設を禁止している。

ほかの国々もこの炭素排出量削減の取り組みに加わりそうである。週に1カ所石炭火力発電所を新設していた中国でさえ、再生可能エネルギー開発の活用でめきめきと頭角を現しており、間もなく風力発電で米国を追い越すだろう。

このような進展から分かるのは、「2020年までに純炭素排出量を80%削減」という『プランB』の目標は、大方の予想よりもはるかに実現が容易かもしれないということだ。

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seki 2010-08-31T10:32:33+09:00
高まる緊張――破綻国家がもたらすもの http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100817_100142.html                        レスター・R・ブラウン

半世紀にわたり植民地の独立やソ連の崩壊によって新しい国家が形成されてきたが、国際社会では現在、国家の崩壊に注目が集まっている。「破綻国家」という言葉がよく使われるようになったのはわずか10年ほどのことだが、こうした国家は今や国際政治の舞台から切り離せない存在になっている。

各国政府は今まで、ナチス・ドイツや大日本帝国、ソ連のように、一国に大きな権力が集中しすぎることを懸念し続けてきた。しかし、今、世界の秩序と安定に何よりも大きな脅威を与えているのはこの破綻国家なのである。

国家が破綻するのは、中央政府が国の一部もしくは国内全域を統制できなくなり、国民一人ひとりの身の安全を守れなくなったときである。政府が権力を独占できなくなった時点で、法の支配の崩壊が始まる。また、国民に教育や医療、食糧安全保障などの基本的なサービスを提供できなくなると、政府は正当性を失う。

こうした状況になると、政府はもはや、効果的な統治をしようにも、それを支える歳入を十分に確保できなくなるかもしれない。社会が極端にばらばらになれば、相互の結び付きが失われ、全体としての決断を下せなくなるだろう。

破綻国家では、敵対勢力間の権力争いは内戦状態に発展する場合が多い。紛争は、ルワンダの大虐殺がコンゴ民主共和国に広まったときのように、隣接する国々へたちまち飛び火する可能性がある。そのコンゴでは、現在も内戦が継続し、1998年以降500万人を超える人々が命を落とした。

犠牲者の大半は、暴力とは関係ない理由で亡くなっている。何百万人もの国民が故郷を追われたため、死因の多くは、飢え、呼吸器疾患、下痢、その他の疾病が占めたのだ。また、スーダンでは、ダルフールでの殺戮があっという間にチャドに広まった。

破綻国家は、アフガニスタンやイラク、パキスタン、イエメンのように国際テロ組織の軍事訓練の候補地にもなれば、ソマリアのように海賊の基地にもなり得る。また、ミャンマー(旧ビルマ)やアフガニスタンのように麻薬の供給源になるかもしれない。アフガニスタンでは2008年、世界のアヘン供給量の92%が生産され、そのほとんどはヘロインに精製されている。

疲弊した国家は医療サービスがうまく機能しないため、国自体が伝染病の発生源になる可能性もある。例えば、ナイジェリアやパキスタンではポリオが発生し、この恐ろしい病気を根絶するための取り組みが頓挫している。

国家が破綻していることを特にはっきりと示しているのは、法と秩序の崩壊と、それに伴った、国民に対する安全保障の欠如である。ハイチでは、身代金目的の誘拐が横行している。誘拐のターゲットになるのは、労働人口の30%にあたる、幸運にも職に就くことができた一般市民なのだ。

アフガニスタンでは、首都カブール以外の地域を掌握しているのは、中央政府ではなく各地の首長である。現在、地図上でしか存在しないソマリアでは、各部族の指導者が、かつては国家だった地域の一部を自分の領地として主張し、統治している。また、メキシコでは、麻薬カルテルが横行し、米国との国境で破綻国家の兆しを見せている。

既に破綻した国家と破綻しつつある国家を分析したものの中でも、特に体系的かつ継続して行われたレポートが、毎年、米国の外交専門誌『フォーリン・ポリシー』の7/8月号に発表されている。この分析では、「国内の武力紛争と社会の疲弊に対する脆弱性」によって国家がランク付けされている。

社会、経済、政治、軍事に関する12の指数に基づき、2008年にはソマリアが破綻国家のトップになった。ジンバブエ、スーダン、チャド、コンゴ民主共和国がそのあとに続く。破綻国家上位20位までに、石油輸出国であるスーダン、イラク、ナイジェリアの3カ国が含まれている。10位のパキスタンは核兵器を有する唯一の破綻国家であり、17位の北朝鮮は現在も核開発を継続している。

【図あり】2008年破綻国家上位20位
順位
国名
得点

【表[国名]列】
1 ソマリア         114.7
2 ジンバブエ       114.0
3 スーダン         112.4
4 チャド          112.2
5 コンゴ民主共和国   108.7
6 イラク          108.6
7 アフガニスタン     108.2
8 中央アフリカ共和国  105.4
9 ギニア           104.6
10 パキスタン       104.1
11 コートジボアール   102.5
12 ハイチ          101.8
13 ミャンマー        101.5
14 ケニア          101.4
15 ナイジェリア       99.8
16 エチオピア        98.9
17 北朝鮮          98.3
18 イエメン          98.1
19 バングラデシュ      98.1
20 東ティモール       97.2

出典:民間団体ファンド・フォー・ピースおよび『フォーリン・ポリシー』誌による、「破綻国家指数」(『フォーリン・ポリシー』2009年7/8月号)

12の各指数は1から10までの得点によって評価され、その合計が国の一つの指数つまり、破綻国家指数となる。得点が最大値の120とは、どの基準からみても社会が完全に破綻状態にあることを示している。2004年のデータを基に最初に『フォーリン・ポリシー』がこの問題を取り上げたとき、得点が100以上の国は7カ国しかなかった。それが2008年には14となり、4年間で倍増した。

この短期間の数値だけで結論がでたと思ってはならないが、破綻国家指数が上位の国ではその得点がさらに増え、100以上の得点の国も倍増しているということは、国家の破綻が方々に広まり、同時に深刻化していることを示している。

破綻国家指数によるランク付けは主要な人口統計学や環境の指数とも密接につながっている。上位20の破綻国家のうち、17の国で人口増加が急速に進み、その中には1年間に3%近く人口が増えた国や、100年間で人口が20倍になった国がいくつかある。17カ国のうち5カ国では女性は平均6人以上の子どもを出産している。

また上位20カ国中6カ国を除くと、それらのすべての国では人口の少なくとも40%を15歳未満の子どもが占めているが、この人口統計からは将来政治不安に繋がることが多い。仕事を見つけることのできない若者たちは現状に不満を抱き易く、暴動を起こす即戦力となるからである。

ここ数十年間急速に人口を増やした国の多くでは、政府が人口疲労に苦しんでいる。一人当たりの耕作地や淡水の供給量がじわじわと減少する状況に政府は対応できず、また学校を建設しても、膨らむ児童の数に間に合わせることができないでいるのだ。

スーダンはこの人口の罠にはまった典型的な国家の一つである。この国はこれまで、経済的、社会的に充分過ぎるほどの発展を遂げ、死亡率を減少させてきた。しかし早急に出生率を下げるほど、発展したわけではなかった。その結果、女性が出産する子どもの数は平均4人となり、4,100万人の人口は一日に2,000人を超えるペースで増え続けている。このような問題を抱え、スーダンはほかの多くの国と同じように、国が崩壊し始めている。

上位20カ国の破綻国家のうち、3カ国を除くすべての国がスーダンと同じ人口の罠にはまっている。現実的に見て、おそらくこれらの国が自力でその状況から脱するのは不可能だろう。こうした国には外部からの援助が必要になる。それも単なる散発的な援助プログラムではなく、国を立て直す体系的な援助が必要である。そうでなければ、国の政治状況は今後も悪くなるばかりだろう。

この破綻国家リストに上がっている上位20カ国のうち、2、3カ国を除くほとんどで食糧生産が人口の増加に追いついていない。これらの国は、半数近くが国連世界食糧計画からの食糧支援に頼っている。

食糧不足は政府にとっては重圧になる。2007年には食糧価格の高騰や飢えの拡大に直面して、多くの国で社会秩序に緊張が見られるようになった。2008年には、メキシコでのトルティーヤ暴動からエジプトでのパンの配給を巡る争いまで、多くの国で食糧暴動と社会不安が続いた。ハイチでは食糧価格の高騰が政府の瓦解に繋がっている。

破綻国家の特徴はほかにもある。道路、電力、水道、下水処理といった社会基盤の疲弊だ。人々は生きることで精一杯であり、自然環境に配慮する余裕もない。森林、牧草地、耕作地は荒廃し、負の経済スパイラルが起きている。外国からの投資が底をつき、その結果失業者が増えたことも、この経済の悪循環症状の一つの現れである。

ハイチやアフガニスタンのような国々はまだ国として存続している。それは命をつなぎとめる国際的なシステムの恩恵を受けているからである。食糧支援を含む経済援助がそれらの国を支える働きをしている。しかし、そうした援助も、国が陥っている破綻の深刻化を打開し、その流れを、経済の進歩を維持するために必要な人口や政治の安定をもたらす流れに代えるほど充分なものではない。

グローバル化が進む時代にあって、グローバルなシステムが機能するかどうかは健全な国家間の協力体制のありようにかかっている。政府が国を統治できなくなれば、税を徴収することはもはや不可能となり、ましてや対外負債の返済などできる話ではなくなってしまう。

破綻国家が増えるということは焦げついた負債が増えることである。国際テロを抑える努力も健全な国家間の協力があればこそ実る話であり、破綻国家が増加すればそのような努力が効果の弱いものになる。

破綻国家の数が増すと、国際社会の危機への対応がますます難しくなる。世界秩序が健全で、例えば金融が安定しているとか、伝染病の急激な発生が抑制されているというような状態であれば比較的容易に起こせる行動が、多くの破綻国家を抱える世界では困難か不可能になるだろう。国際間の原材料の流れを維持することでさえ、難しくなるだろう。

いずれ、政治の不安定な状態が広まれば、世界の経済進歩に支障が出る恐れもある。このことは国家破綻を招く原因に対し、私たちが強い切迫感を持って臨む必要のあることを示唆している。

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seki 2010-08-17T10:01:42+09:00
米、2009年に自動車台数400万台減少 成長の世紀を経て、米国の自動車は減少の時代へ http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100731_193444.html                       レスター・R・ブラウン

米国と自動車との「百年の恋」も破局に向かいつつあるのかもしれない。米国で自動車台数はピークを迎え、減少に転じたようだ。2009年、米国では1,400万台が廃車となり、新車販売台数の1,000万台を超えた。この年、自動車台数は400万台、あるいは2%近く減少している。このような状況は、景気後退と関係しているとの見方が多いが、実際には幾つかの要因が集中的に作用した結果起こったのである。

米国における今後の自動車台数は、新車販売台数と廃車台数という二つの動向の相関関係で決まる。米国では、2009年に、第二次世界大戦以降初めて廃車台数が新車販売台数を上回り、自動車台数は過去最高記録の2億5,000万台から2億4,600万台へと減少した(www.earthpolicy.org/index.php?/plan_b_updates/2010/update87のデータを参照のこと)。今のところ、廃車台数が新車販売台数を上回るという新たな傾向は、少なくとも2020年まで続きそうである。

1994年から2007年までは、年間の自動車販売台数は1,500万から1,700万台あたりが一般的だった。今、これをはるかに下回る数字しか出ていないのは、市場の飽和、都市化の進行、経済の不透明感、石油不安、ガソリン価格の上昇、交通渋滞への不満、気候変動への懸念の高まり、若者の車への関心の低下などが原因である。

米国の自動車台数が頭打ちになった最大の原因は、市場の飽和かもしれない。現在、米国で登録されている車は2億4,600万台。免許保有者は2億900万人。つまり、運転者4人に対してほぼ5台の車がある。いつになったら、「もうこれで十分だ」と思うのだろうか。

【図あり】【グラフタイトル】Number of Drivers and Motor Vehicles in the United States, 1960-2009:米国での運転者数と自動車台数(1960年~2009年)【グラフ実線】Motor Vehicles:自動車台数【グラフ点線】Drivers:運転者数【グラフ縦軸のタイトル】Millions:百万【グラフの横軸下の記載】Source: EPI;FHWA:出典:EPI(アースポリシー研究所)、FHWA(米国連邦道路管理局)

米国の未来については、日本がいくらか手がかりを示してくれるかもしれない。人口密度、都市化、どちらの点でも米国を上回る日本では、自動車台数は1990年に飽和状態に達したらしく、それ以降、年間の販売台数は21%減った。米国も同じ道をたどろうとしているようだ。

自動車は「移動のしやすさ」を保証するものだったし、大半が田舎だった米国では事実そのとおりだった。けれども、米国人の5人に4人が都会で暮らす今、都市部での車の増加はいつか「移動できない」という正反対の状況をもたらす。テキサス交通研究所は、燃料や時間の浪費など渋滞にかかるコストは、米国では1982年には170億ドル(約1兆5,351億円)だったのが、2007年には870億ドル(約7兆8,561億円)に上昇したと報告している。

全米の市長が、交通渋滞や大気汚染の緩和に努め、自動車から自分たちの市を守ろうと大奮闘している。市長の多くは、コストのかかる渋滞を減らそうと「アメとムチ」の手法を用いている。車の利用を規制しつつ、公共交通機関の整備を行っているのである。

米国ではほとんどすべての都市で、車への依存を減らそうと、ライトレール(路面電車)や地下鉄の新たな路線、あるいは急行バスの路線を開始しているし、そうでない場合は、既存の公共輸送システムの拡大と改善を行っている。このような道を歩んでいる都市としては、フェニックス、シアトル、ヒューストン、ナッシュビル、そしてワシントンD.C.などが挙げられる。

都市の交通網が拡大し、整備が進むとともに、車を運転するコストの上昇に伴い、通勤に公共交通機関を利用する人が増えている。米国では、2005年から2008年にかけて、公共交通機関の利用率が9%上昇した。また、多くの都市では、徒歩や自転車で通勤しやすいように、歩行者や自転車が通りやすい道を積極的に整備している。

また、先進的な都市は、新築の建物に関する駐車場の必要条件を見直している。例えば、ワシントンD.C.は、50年前にできた条例を改め、商業用と住宅用の建物どちらについても建設の際に必要とされる駐車スペースの数を減らした。以前の条例では、小売店舗の場合、93平方メートルにつき駐車スペースを4台分設けなくてはならなかったが、今では必要なのはわずか1台分だ。

駐車場代が値上がりするにつれ、多くの都市は、コイン投入型の駐車メーターよりさらに先へと歩を進め、クレジットカード利用型の駐車メーターに切り替えている。首都ワシントンD.C.では、2010年初めに路上駐車場料金を1時間75セント(約68円)から2ドル(約181円)へと値上げするのに合わせ、メーターの切り替えも進めていく予定だ。

景気の先行きが不透明だと、新車を購入するための長期ローンに二の足を踏む消費者が出てくる。不況下の家庭は、3台あった車を2台で、2台あった車を1台で済ましたり、完全に車を手放したりしている。交通機関がよく発達したワシントンD.C.では、自家用車を持つ世帯は63%に過ぎない。

もっと具体的に先行きが見えないのは、今後のガソリン価格である。ガソリン価格が1ガロン(約3.8リットル)当たり4ドル(約361円)まで高騰し得ると分かっている今、ドライバーたちは、将来的にこの価格がさらに上がるかもしれないと危惧している。世界の石油の多くが、政情不安な中東から輸入されていることをよく分かっているのだ。

恐らく、自動車の未来に最も根本的なところで影響を及ぼす社会的風潮は、若者の間で車への関心が薄れてきていることだ。50年前、かなりの地域がまだまだ田舎だった国で育った者にとっては、運転免許を取り、乗用車やピックアップトラックを手に入れることが一つの通過儀礼だった。同じ10代の若者たちを乗せ、車を乗り回すことが、人気の娯楽だったのである。

対照的に、もっと都会の社会で暮らしている今の若者の多くは、車を持たずに生活するすべを身につけている。彼らの交流の場はインターネットやスマートフォンで、車の中ではない。運転免許さえ取らない者も多い。現在、米国の10代人口が過去最多であるにもかかわらず、1978年に最高1,200万人に達していた10代の免許保有者が1,000万人に満たないことも、これで説明がつく。もしこの風潮が続けば、自動車の買い手となる可能性がある若者の数は減り続けるだろう。

車への関心が薄れてきていることに加え、若者たちは経済的な困難にも直面している。実収入が増えている社会階層はもうほとんどない。すでに学費の借金を抱え込んでいる大卒者にとっては、車を買うためにローンを組むことは難しいだろう。就職したての若者は車を買うことよりも健康保険を手に入れることに関心がある場合が多い。

今後どの程度車が売れるのかは誰にも分からない。だが、現在作用している多くの要因を考慮すると、米国の車両販売台数が、1999年から2007年にかけての販売実績である年間1,700万台に達することは二度とないだろうと思われる。むしろ、年間1,000万台から1,400万台の間で推移することになる可能性の方が高そうだ。

廃車率はもっと予測しやすい。自動車の平均耐用年数を15年と考えると、廃車率は15年前の新車販売台数で分かる。これは、1994年から2007年にかけて、年間1,500万台から1,700万台と販売が好調だった頃の初期に売れた車が、ちょうど今廃車になる時期を迎えているということである。

新型車の方が、旧型車よりも耐久性があり、従って平均して若干走行年数は長いかもしれないが、廃車率は少なくとも2020年までは新車販売を上回ることになりそうだ。自動車保有台数が2009年から2020年にかけて年間1~2%ずつ低下していくと考えると、米国の保有台数は難なく10%(2,500万台)減少し、ピークに達した2008年の2億5,000万台から、2020年までに2億2,500万台まで落ち込むことになるだろう。

全米レベルでは、保有台数の減少は燃費の向上と相まって、2007年以降進んできた石油消費の減少傾向にますます拍車をかけることだろう。これは、石油輸入のための支出が減り、それに伴って米国内の雇用創出への投資にもっと資本が確保されるということだ。徒歩や自転車利用が増えるにつれ、大気汚染や呼吸器系疾患は少なくなり、運動量が増え、肥満が減るだろう。結果、医療費削減にもつながるのである。

今後米国の自動車保有台数が減少すれば、道路や高速道路を新設する必要性もほとんどなくなる。走行台数が減れば、高速道路や街路の維持費も下がり、屋内外の駐車場の需要も少なくなる。公共輸送や都市間高速鉄道への投資をもっと増やすきっかけにもなる。

米国は新しい時代を迎えており、車中心の交通システムからはるかに多様化したシステムへと進化しつつある。先に述べたように、この移行は市場の飽和状態、景気動向、環境への懸念、そして若者の間で最も顕著な、自動車離れという文化面での変化によるものである。この進化が進むにつれ、生活のほぼあらゆる局面に影響が及ぶだろう。

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seki 2010-07-31T19:34:44+09:00
電力網も、家電も、消費者もよりスマートに http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100707_132640.html                       レスター・R・ブラウン

日々のピーク時やある季節に集中する電力需要に対応するためだけに大型の発電所を建設するのは、電力システムの管理方法として非常にコスト高である。そう気づき始めた電力会社がますます増えている。

既存の電力網は一般的に「非効率」「無駄が多い」「機能性に欠ける」という三拍子揃った地方の電力網をつなぎ合せている。そうした電力網では、例えば、余剰電力を不足している地域に回すことができないことも多々ある。今日の米国の電力網は、州間幹線道路建設以前の20世紀半ばの道路網に似ている。今必要なのは、州間幹線道路に相当する電力網だ。

送電線が混雑しているために安価な電力を消費者に送れないのは、交通渋滞と同様の損失を生じる。送電能力不足による消費者の損失は、米国東部だけで年間160億ドル(約1兆4,880億円)に及ぶと推定される。

米国に強力な全国電力網があれば、電力を余剰地域から不足地域へ絶えず動かせるようになり、必要となる総発電容量も減らせるだろう。最も重要なのは、その新しい電力網があれば、風力、太陽エネルギー、地熱エネルギーの豊富な地域と消費の集中する地域とをつなぐことができるということだ。あらゆる再生可能エネルギー源を利用する全国電力網は、それ自体が電力の安定供給の要因になるだろう。

しかし、必要に応じて電力を移動させることができ、新しいエネルギー源と消費者とをつなぐ強力な全国電力網を設置することは、まだ取り組みの半ばでしかない。電力網と電気製品の双方が同じようによりスマートに(賢く)なる必要がある。

一番わかりやすく言えば、スマートグリッド(賢い電力網)とは、進歩した情報技術を活用して、この技術を発電、電力供給、利用者システムに取り入れ、電力会社が直接消費者とやり取りできるようにするものである。そして、もし消費者の承諾があれば、消費者の家電製品とも通信可能にするものである。

米国の電力研究所によると、スマートグリッドの技術があれば、年間で米国経済に1,000億ドル(約9兆3,000億円)近い損失をもたらしている停電や電力の変動を減らすことができる。センター・フォー・アメリカン・プログレスが2009年に発表した優れた研究、『進歩に向かって2.0:全米クリーンエネルギー・スマートグリッドの構築』において、ブラッケン・ヘンドリックスは、幾つかの情報技術があれば、電力網の効率を上げる可能性が大いにあると指摘している。

「適例として、電力網で電圧と電流をリアルタイムにモニターするための同期フェーザをもっと広範囲に使用するよう促進することが挙げられる。電力網全体でこの種のリアルタイム情報をさらに有効利用できれば、全米で少なくとも20%の省エネができると推定される」。このほかにも数多くの事例があり、電力網の効率アップの可能性がうかがえる。

『進歩に向かって2.0:全米クリーンエネルギー・スマートグリッドの構築』(仮邦題)
Wired for Progress 2.0: Building a National Clean- Energy Smart Grid
(http://www.americanprogress.org/issues/2009/04/wired_for_progress2.0.html)

スマートグリッドは地理的に電力をより効率よく移動させるだけではない。時間的な電力使用の移動、例えば、電力需要がピークの時間帯からそうでない時間帯への移動も可能になる。これを実現するには、ある時間帯にどれだけ電力が使われているかを正確に調べる「スマートメーター」を持つ消費者との協力が必要になる。

これにより、電力会社と消費者との双方向の通信が可能になり、お互いに利益となる方法でピーク時の電力需要を減らすよう協力できるようになる。さらに、双方向での電力計測も可能になり、屋根に太陽光発電パネルを取り付けたり、自宅用の風力発電機を設置している顧客は、余った電力を電力会社に売り戻すことができるようになる。

電力網からの信号を受信できるスマート家電とスマートメーターとを組み合わせれば、需要のピーク時を避けて電力を使用できるようになる。需要が多い時間に電気代を高くすれば、消費者は行動パターンを変えるよう促され、市場の効率化も進む。例えば、皿洗い機を午後8時でなく、電力需要がずっと低い午前3時に動くよう設定することも可能である。また、需要集中時の負荷を軽減するために、エアコンを短時間切ることも可能である。

欧州でも、技術は異なるが同じ目標を実現する先駆的な取り組みが行われている。どの電力網においても送電中の電力には多少の変動がある。イタリアのある研究チームが、電力網の送電状況をモニターする機能をもつ冷蔵庫の試験を実施中だ。

この冷蔵庫は、電力の需要増加あるいは供給低下があると、影響を及ぼさない範囲内ですぐに自動的にスイッチが切れる。『ニュー・サイエンティスト』誌は、この技術が英国の3,000万台の冷蔵庫に取り入れられると、英国の最大電力需要が発電容量にして2,000メガワット分減少し、石炭火力発電所4基の閉鎖が可能になるとしている。

同様の取り組みは、住宅や商業用ビルに設置された空調システムでも実施できるだろう。スマートグリッドの設計を行う米国の会社、グリッドポイントのCOO(最高執行責任者)であるカール・ルイスは「われわれは、どこかの家のエアコンのコンプレッサーを、室温はまったく変えないまま、15分間止めておくことができる」と語る。スマートグリッドの最も重要な点は、情報技術にある程度投資すれば、最大電力使用量が削減でき、電力の省エネとそれに伴う炭素排出量削減の両方が図れるということだ。

時間帯によって電力料金を変える試みを他に先駆けて始めた電力会社も幾つかある。オフピーク時の電気料金をピーク時よりもかなり低く設定するというものだ。同様に、夏が非常に暑い地方では、季節的な需要のピーク時にはコスト高になることが多い。

一例であるが、ボルティモア・ガス&エレクトリック(BGE)は2008年に試験的なプログラムを実施した。このプログラムで、同社は、参加した顧客の承諾をもとに、最も暑い何日かについて、予め顧客が選択した一定の時間間隔で顧客のエアコンを止め、それによって節約された電気量に応じて顧客に大幅な払い戻しを行った。

この地域の現行電力料金はキロワット時あたり約14セント(約13円)であるが、一番需要が集中する時期のさらに需要がピークになる時間帯に電力の使用を控えると、顧客にはキロワット時あたり最大でその12倍以上にもなる1.75ドル(約163円)が払い戻された。したがって、顧客がある午後4キロワット時の電力を節約すると、顧客に請求される電力料金は7ドル(約651円)の減額となった。

このプログラムによって、ピーク時の顧客の電力消費量は1/3も削減され、同社はそれに力を得て、2009年の夏季に向けてさらに進んだ「スマート」技術を使った同様のプログラムを計画することになった。

米国内ではスマートメーターへの移行が急速に進んでおり、ここ数年の内にスマートメーターを設置しようと計画している電力会社は28ほどにのぼる。主導的に取り組む会社の中には、カリフォルニアの二大電力会社、パシフィック・ガス&エレクトリックとサザンカリフォルニア・エディソンも含まれており、2012年までに、それぞれの510万および530万の顧客すべてにスマートメーターを設置する計画である。いずれも、ピーク時の電力消費量を削減するための変動料金制度を導入する予定だ。

ほかにも、中西部のアメリカン・エレクトリックパワー(顧客数500万)やフロリダ・パワー&ライト(顧客数440万)など、全顧客へのスマートメーター接続を目指している会社はたくさんある。

欧州でも、フィンランドを筆頭にスマートメーターの設置が進んでいる。スウェーデンの調査会社、バーグ・インサイトは、2013年までにヨーロッパで8,000万のスマートメーターが設置されるだろうと予測している。

やっかいなことに、スマートメーターという用語は幅広い種類のメーターに使われており、スマートメーターといっても、消費者にその時その時の電力使用データを知らせるだけのものから、顧客と電力会社間が双方向で情報をやり取りできるようになっているもの、さらには、電力会社と個々の家電製品との間での情報伝達が可能なものまで含まれる。肝心なことは、メーターがスマートになればなるほど省エネが進むということである。

電力網、送電システム、電力使用のすべての効率を一挙に向上させる情報技術の利点を活かすことは、まさにスマートなやり方だ。簡単に言えば、スマートグリッドにスマートメーターを組み合わせることで、電力会社と消費者の双方が今よりもずっと効率的になるのである。

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seki 2010-07-07T13:26:40+09:00
「世界中の屋根で、太陽熱温水革命」 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100624_211055.html                        レスター・R・ブラウン

太陽エネルギーの利用が、あらゆる面で拡がっている。その背景には気候変動とエネルギー安全保障に関する懸念の高まり、太陽エネルギーの利用に向けた政府奨励策の拡充、その利用コストが下がる一方で化石燃料費が上昇するといった状況がある。本格的に広まり出している太陽エネルギー技術、それは、太陽光を給湯と暖房の両方に使える熱に変換する太陽熱集熱器の利用である。

例えば中国では現在、2,700万台の太陽熱温水器が屋上に設置されている。4,000社近い中国企業がこの装置を製造しており、比較的シンプルで低コストのこの技術は、電気のない村々で「リープフロッグ(かえる跳び)型発展」(訳注:電気のない生活から化石燃料に依存する段階を通らず、一気に再生可能エネルギーにジャンプする発展のしかた)を見せている。

わずか200ドル(約1万8,800円)で、村の住民は屋上設置型の太陽熱集熱器を取り付けて、生まれて初めて熱いシャワーを浴びることができるのだ。この技術は中国全土で野火のような勢いで広まりつつあり、既に市場が飽和状態に近づいている地域もある。中国政府は2020年までに、給湯を目的とした屋上太陽熱集熱器の集熱面積を現在の1億1,400万平方メートルから3億平方メートルに増大させる計画だ。

中国では、この装置によって生み出されるエネルギーは、石炭火力発電所49基の発電量に匹敵する。インドやブラジルなどほかの発展途上国でも、近い将来何百万もの世帯がこの手頃な価格の温水技術に頼るようになるかもしれない。電力網がない農村地域へのリープフロッグ型発展は、携帯電話が従来の固定電話網の導入段階を飛び越え、何百万もの人々にサービスを提供するようになった経緯と似ている。従来の固定電話網を当てにしていたら、彼らはいまだに設置工事の順番が回って来るのを待っていなくてはならなかったであろう。屋上太陽熱温水器の初期設置費用を一旦支払えば、基本的にお湯は無料で手に入る。

エネルギーのコストが比較的高い欧州でも、屋上太陽熱温水器は急速に普及しつつある。オーストリアでは、今や全世帯の15%が給湯をこの装置に頼っており、中国のようにほぼ全世帯が太陽熱集熱器を屋根の上に載せている村もある。ドイツでも普及が進んでいる。現在約200万人のドイツ人が屋上太陽熱システムで給湯と暖房の両方が賄える家に住んでいるとワールドウォッチ研究所のジャネット・サウィン氏は指摘する。

近年、欧州で屋上給湯暖房装置が急速に導入されていることに後押しされ、欧州太陽熱産業連盟(ESTIF)は、2020年までに屋上集熱器の集熱面積を5億平方メートルに、つまり全てのヨーロッパ人一人当たり1平方メートルという野心的な目標――世界のトップであるキプロスの現在一人当たり0.93平方メートルを少し上回る――を掲げた。ほとんどの装置は温水と暖房の両方に対応できるように設計された太陽熱コンビシステムになる見通しだ。

欧州では太陽熱集熱器はドイツ、オーストリア、ギリシャに集中しており、フランスとスペインでも本格的に動き出している。スペインでは2006年3月、新築または改築の際に集熱器を取り付けることが義務化され、設置への取り組みに弾みがついた。それを受け、ポルトガルもすぐに独自の義務付けを行った。

ESTIFの推定によると、欧州連合には1,200ギガワット熱量相当の太陽熱給湯暖房を長期的に開発する潜在能力が備わっている。つまり、太陽が欧州の低温暖房(床暖房などのように低温で時間を掛けて空間全体を温めていく暖房システム)の需要の大半を満たせるということだ。

米国の屋上太陽熱温水器業界は、長らく隙間市場を中心に展開してきた――1995年から2005年の間、スイミングプール向けに1,000万平方メートル分の太陽熱温水器の販売とマーケティングが行われている。しかしこうした実績を元に、2006年連邦税額控除が導入される際には、業界は住宅用太陽熱給湯暖房装置を大量に販売する体勢を整えていた。ハワイ、カルフォルニア、フロリダを中心に、2006年には装置の導入が3倍に増え、以降も設置は急ピッチで進んでいる。

今あるデータを基に世界的な予測をしてみたい。2020年までに中国は太陽熱温水器の集熱面積を3億平方メートルに、ESTIFは欧州において5億平方メートルにする目標を定めている。同年までに米国が3億平方メートルにすることは、近年導入された税制上の優遇措置を考慮すれば、確実に実現可能な範囲と言える。日本には現在700万平方メートル分の給湯用太陽熱集熱器が屋上に設置されているが、同国は化石燃料をほぼすべて輸入していることから、2020年までに8,000万平方メートルに到達することは容易であろう。

中国と欧州連合が目標を達成し、日本と米国での導入が予測通りに進めば、2020年までに合算して11億8,000万平方メートル相当の温水暖房容量が確保される。中国を除く発展途上国についての妥当な推測を加えると、同年に世界の合計は15億平方メートルを超える可能性もある。この面積があれば、2020年までに世界全体で1,100ギガワットの熱量相当の太陽熱が利用できるようになるだろう。石炭火力発電所690基に匹敵する量だ。

アースポリシー研究所は、今後10年以内に世界の実質炭素排出量を80%削減することで急変する気候を安定させるべく大規模な計画を打ち出し、その一環として再生可能エネルギー源による熱生産について2020年の目標値を設定している。この目標値の半分以上を太陽熱で賄えることになるのだ。(詳しい情報は、『プランB4.0:人類文明を救うために』の4章と5章を参照のこと。
www.earthpolicy.org/index.php?/books/ pb4にて無料ダウンロード可。)

このように工業国では太陽熱を利用した給湯暖房が大きく広がることが予想されており、太陽熱温水器が電気やガスによる温水器に取って替わると、現在稼動中の石炭火力発電所のいくつかを閉鎖し、天然ガスの利用を減らすことが可能になる。また一方で、中国やインドのような国では、太陽熱温水器は石炭火力発電所を新設する必要性をもっぱら減らすことになるだろう。

欧州と中国では、太陽熱温水暖房装置は経済的に大きな魅力がある。先進国では節電により平均10年も経たないうちに採算が取れるからだ。また、エネルギー安全保障と気候変動に対する懸念にも応じている。

中国を中心に屋上太陽熱設備の価格が下がるなか、イスラエル、スペイン、ポルトガルのように、新築の建物すべてに屋上太陽熱温水器の設置を義務付ける国が多くなるだろう。こうした屋上の装置は、もはや一時的な流行ではなく、急速に主流となって来ているのである。

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seki 2010-06-24T21:10:55+09:00
大豆の需要拡大、アマゾンの熱帯雨林を脅かす http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100604_205715.html                       レスター・R・ブラウン

今からおよそ3,000年前、中国東部で農民たちが大豆の栽培を始めた。1765年、北米に初めて大豆が植えられた。そして現在、米国の大豆耕作面積は小麦よりも広い。さらにブラジルでは、米国をはるかに凌ぐスピードで大豆栽培が拡大し、アマゾンの熱帯雨林をじわじわと侵食している。

米国に伝わってから2世紀近く、大豆はもの珍しい作物として細々と栽培されているにすぎなかった。その後、1950年代に欧州と日本が戦争から復興し、米国で経済成長の勢いが増すにしたがって、肉や牛乳、卵の需要が高まっていく。しかし、増える肉牛と乳牛を養えるような新たな牧草地はもうほとんどなかった。

そこで、牛肉や牛乳だけでなく、豚肉や家禽肉、卵の生産も拡大させようと、農家は穀物に頼るようになった。1950年時点で4,400万トンだった世界の食肉消費量はこのとき既に増加を始めており、2009年には6倍の2億8,000万トンに達することになる。

ここまで増えたのは、動物栄養学者によるある発見のおかげでもある。穀物4に対して大豆ミール1を配合すると、家畜や家禽が穀物を動物性タンパク質に変える効率が劇的に高まるというものだ。この発見により、20世紀半ば以降、大豆市場は急成長した。それは大豆が農業の表舞台に上るための言わば「切符」となり、大豆は世界の主要作物の一つとして、小麦や米、トウモロコシの仲間入りを果たすこととなった。

米国の大豆生産量は第二次世界大戦後に激増し、1960年までには、中国の生産量の3倍近くに達していた。1970年まで、米国は世界の大豆の3/4を生産し、事実上輸出量のすべてを占めていたことになる。急拡大した米国の大豆作付面積は、1995年までに小麦の作付面積を超えていた。
www.earthpolicy.org/index.php?/plan_b_updates/2009/update86のデータ参照)

【グラフ】米国の小麦と大豆の収穫面積(1950~2009)

1970年代半ばに世界の穀物価格と大豆価格は上昇し、米国は国内食料価格のインフレを抑えようと大豆の輸出を禁止した。当時世界でも主要な大豆輸入国だった日本は、すぐにほかの供給国を探し始めた。そして、このときブラジルは新たな輸出作物を探していた。この後のことは誰もが知る通り。2009年、ブラジルの大豆作付面積は全穀物の作付面積の合計を超えた。

ほぼ同じ時期に、大豆はアルゼンチンで足場を固め、どこよりも鮮やかに首位奪取をやってのけていた。現在、同国では穀物の2倍を超える土地で大豆が生産されている。アルゼンチンの大豆ほど、一つの作物が一国の農業を支配することは稀なことだ。米国とブラジル、アルゼンチンを合わせると世界の大豆生産量の優に4/5を生産しており、輸出量の90%を占める。

【グラフ】米国・ブラジル・アルゼンチンの大豆生産量(1985~2009)

20世紀最後の数十年間、日本は主要な大豆輸入国であり、年間500万トン近くを輸入していた。つい1995年まで中国は実質的に大豆の自給自足国で、年間の大豆生産量と消費量はともにざっと1,300万トンだった。

その後、この国では所得が増加して、13億の人口の多くが食物連鎖の階段を上り、より多くの肉や牛乳、卵、養殖魚を食べることができるようになった。このため、ついに需給バランスのダムは決壊した。2009年までに中国は5,500万トンの大豆を消費するようになっているが、そのうち4,100万トンを輸入して、急増する消費の75%をまかなっている。

【グラフ】中国の大豆輸入量と消費量(1964~2009)

現在、大豆の総輸出量の半分が、そもそも世界に大豆を広めた国、中国へと向かっている。中国の食肉消費量が米国の2倍にまで増えることを可能にしたのは、大豆ミールと穀物を混ぜた動物飼料だったのだ。

1950年以降、世界の大豆生産量は1,700万トンから2億5,000万トンにまで14倍以上増えた。それは世界の穀物生産量が4倍以下しか伸びなかったことと対照的である。米国では大豆はトウモロコシに次ぐ収穫量第二位の農作物であり、ブラジル、アルゼンチンではいずれも、大豆が専ら農業を支配している。

それでは、世界中のこの2億5,000万トンの大豆はどこに行くのだろう? その1割程度は豆腐、肉の代用品、醤油等の形で食料として直接消費される。圧搾されて主要な食用油となるものがほぼ2割、残りの、つまり収穫した約7割は最後は大豆ミールとなり、家畜や家禽の餌に供される。

つまり、大豆はどこにでもあるのにその多くは家畜や家禽から作られる製品の中に隠れていて、その原形が実際見えないのだ。世界中で収穫された大豆の大部分は、牛乳、卵、チーズ、鶏肉、ハム、牛肉、アイスクリームのような製品に姿を変え、最終的に冷蔵庫の中に納まっている。

世界で毎年ほぼ600万トンずつ需要を増やしている大豆であるが、その需要を満たすには難題が待ち受けている。大豆はマメ科の植物で、大気中の窒素を地中に固定する。したがって、施肥反応は窒素を大量に取り込む、例えばトウモロコシほど良くはない。しかも、大豆は窒素固定のために代謝エネルギーのかなりの部分を使ってしまうので、その分、種子形成に充てられる代謝エネルギーは減少している。こうしたことが大豆の収穫を増やすことを難しくしている。

実際、穀物の収穫量は大いに上がっているのに、大豆については科学者たちがこれまでその収穫量を上げることに成功した例はほとんどなかった。1950年以降、米国ではトウモロコシの収穫は4倍に増えているが、大豆は2倍がせいぜいであった。

米国のトウモロコシ作付面積は1950年から基本的には変っていない。一方大豆は5倍にまで面積を拡大している。農家は主に大豆の作付けを増やすことで収穫を増やしてきた。しかし、そこにはジレンマがある。増え続ける大豆需要を満たすのに、森が乾燥しきって火災が発生しやすくなるまで多くのアマゾンの熱帯雨林を伐採する以外に、どんな方法があるというのだろう?

今アマゾンは、ブラジルの食肉牛を増やそうとしている大豆生産者と牧畜業者双方によって熱帯雨林の伐採が進んでいる。牧畜業者が開墾し、数年間放牧に使っていた土地を大豆生産者が買い取ることも多い。土地を手放した牧畜業者はアマゾンの熱帯雨林をさらに奥深くへと分け入って行く。

アマゾンの熱帯雨林は、動植物の生物学的多様性が世界で最も豊かに凝縮されている地域のひとつを支えている。そこはまた、沿岸部から内陸部にまで降水を再循環させ、ブラジル内陸部の農業に必要な水を十分に確保している。さらにそこは炭素の巨大な倉庫でもある。この三つの役割がいずれもきわめて重要なことは明白である。

しかし、森林伐採が進むにつれて、地球全体に最も直接的な影響を及ぼすのが炭素の放出である。ブラジルの森林破壊が続くと、大量の炭素が大気中に放出され、気候変動に拍車がかかることになるだろう。

ブラジルは地球の炭素排出量を減らすことへの貢献策の一つとして、これまで森林伐採を2020年までに80%減らすことを論議してきた。しかし、残念なことに、もし大豆の消費量が増え続けるなら、より多くの土地を開墾したいという経済的な圧力によって、この目標達成は難しくなるだろう。

森林破壊はブラジルで起きているのだが、それに拍車をかけているのが、世界中で増えている食肉、牛乳、卵に対する需要である。端的に言うと、アマゾンの熱帯雨林を救えるかどうかは、今、世界の人口を早急に安定させ、大豆需要の伸びを抑制できるかどうかにかかっている。

それは、世界の豊かな人々にとっては、食物連鎖の階段を下り、牛肉の摂取を減らすことで、大豆需要の伸びを抑えることを意味している。エネルギーがそうであるように、食料について受け入れ可能な需給バランスを達成するということは、単に供給を増やすことよりも、むしろ需要の増大を抑制することなのである。

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seki 2010-06-04T20:57:15+09:00
農業の地元密着化 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100530_114650.html                         レスター・R・ブラウン

最近米国では、地元でとれる新鮮な食材を食べることへの関心が急速に高まっている。遠くの産地から運ばれてきた食材の消費が気候に及ぼす影響や、ジャンクフード中心の食生活に起因する、肥満などの健康問題への懸念が増しているためだ。このことは、都会や学校での菜園作りや農産物直売市場の数が増えていることからもうかがえる。

急速に進む「食の地元密着化」傾向に伴い、食生活も、地元の食材や旬を以前よりも取り入れたものになってきている。今日、先進国の普通のスーパーマーケットでは、今がどの季節なのかが分からないことが多い。あらゆるものを一年中取りそろえようとしているからだ。

しかし、石油価格が上昇すればそれも一般的ではなくなるだろう。基本的に、食品の長距離輸送に使われる石油の量が減ることもまた――それが飛行機であろうと、トラックであろうと、船であろうと――地元中心に回る食糧経済へとつながるのである。

地元密着化へと向かうこのような流れは、近年米国で農場の数が増加していることにも反映されているが、これは、同国でここ百年来続いてきた農地集団化の流れに逆行するものかもしれない。2002年と2007年の農業センサスを比較すると、米国の農場数は4%増加し約220万となっている。

この間に新規参入した農場のほとんどは規模が小さく、その多くが女性によって運営されている。農業に従事する女性の数は、2002年には23万8,000人だったが、2007年には約30%増の30万6,000人へと急増した。

新規参入農場の多くは地元市場に出荷している。農場で生産される新鮮な野菜や果物の販売を、農産物直売市場や道路沿いに設置した自前の直売所に限定する農家もあれば、ヤギを飼育してミルク、チーズ、食肉を生産したり、花や、暖炉に使う薪材にする木を栽培する農場など、特定の農産物に特化しているところもある。また、有機食材を専門としている農場もある。2002年時点で米国には1万2,000の有機農場があったが、2007年にはその数は1万8,200となり、5年間で5割増という急成長を遂げている。

2009年春、ミシェル・オバマ米国大統領夫人が地元の児童たちとホワイトハウスそばの芝生の一画を掘り起こして家庭菜園を始めたことが、菜園作りの普及を大きく後押しするものとなった。

これには前例がある。第二次世界大戦中、当時の大統領夫人エレノア・ルーズベルトがホワイトハウスにビクトリーガーデン(訳注:戦時中の食糧不足を補うための家庭菜園)を作った。彼女が率先したことが刺激となり、やがて同国の生鮮農産物の4割を生産するまでになるビクトリーガーデンが何百万も作られたのである。

米国の大部分が農村社会だった第二次世界大戦中の方が、家庭菜園は今よりはるかに普及しやすい状況だった。しかし、現在、国内の住宅を囲む芝生の合計面積がおよそ7万3,000平方キロメートルにも上ることを考えると、家庭菜園が増加する余地はまだ非常に大きい。この中のほんのわずかでも新鮮な野菜や果樹の栽培に使えば、栄養摂取面の改善にも大いに役立てることができるだろう。

米国や英国の多くの都市や小さな町は、地域共同菜園を造成し、自分では菜園用地を確保できない人々が使えるようにしている。自治体の多くは、地域共同菜園用の土地を提供することは、子供のための遊び場や、テニスコートなどのスポーツ施設を提供するのと同じように必要不可欠なサービスだと考えている。

地元で作られた農産物には、多くの販路が開かれつつある。中でもおそらく最も知られているのは、地元の農家が自分たちの農産物を持ち込む農産物直売市場だろう。

米国では、このような市場の数が1994年の1,755から2009年半ばには4,700以上に増え、15年間でおよそ3倍となっている。農産物直売市場で生産者と消費者は、スーパーマーケットという人間味のない領域では存在しない人間的なつながりを取り戻している。

今では、多くの農産物直売市場がフードスタンプ(訳注:生活扶助のために政府が発行する食料割引券)も受け入れており、所得の低い消費者は、フードスタンプなしでは買えないような生鮮食品を買えるようになっている。現在、非常に多くの動きによって農産物直売市場への関心が高まっているため、将来その数はさらに急速に増えるかもしれない。

学校菜園では、子供たちが「どのようにして食べ物が作られるか」という都会の環境では欠如しがちな知識を身に付けている。そして恐らく、摘みたてのマメ、あるいは完熟したトマトを初めて味わうだろう。学校菜園はまた、給食用の新鮮な農作物の供給元でもある。この分野で先駆者であるカリフォルニア州には、6,000の学校菜園が存在する。

地元産の食品の方が新鮮で味もよく、栄養的にも優れており、学校の新たな環境意識啓発活動にぴったりだということで、今ではわざわざ地元産の食品を買っている学校や大学が多い。中には、厨房や食堂の生ゴミをたい肥化し、できた肥料を新鮮な農産物を提供する農家が利用できるようにしている大学もある。

スーパーマーケットは、地元で育てられた農産物が入手可能な季節に地元農家と契約するところが次第に増えている。高級レストランは、地元産の食材が料理に使われていることを強調している。食料品店の中には、果物や野菜だけでなく、肉や牛乳、チーズ、卵などの農産物を含め、地元産の食品だけを通年販売する店へと進化しているケースもある。

より遠くから輸送された食品は、風味や栄養分が失われる上、炭素排出量も押し上げる。アイオワ州で消費された食品の調査では、従来の農産物の輸送距離が平均約2,400キロメートルだったことが示された。これには、他国からの輸入品は含まれてない。

対照的に、地元農産物の輸送平均距離は約90キロメートルで、燃料の投入量にすると非常に大きな差がある。また、カナダのオンタリオ州で行われた研究では、輸入食品58品目の平均輸送距離が約4,500キロメートルだったことが明らかになった。

つまるところ、消費者は、長距離輸送型の食糧経済における食糧安全保障を懸念しているのだ。この傾向を受け、「ロカボア(地元産の食材だけを食べる人)」という新たな言葉が誕生した。これは、草食、肉食、雑食といったよく知られている言葉にもぴったり合うのである。

ほかにも、長距離輸送された食品の消費が気候に及ぼす影響を懸念する声に動かされ、英国の大手スーパーマーケットチェーン、テスコが、食料品が農場からスーパーの棚に届くまでに排出された温室効果ガスの量を示すカーボンフットプリントを商品に表示するようになった。最近ではスウェーデンが、栄養成分とともにカーボンフットプリントを食品に表示することでパイオニア的存在となっている。

農業が地元密着型になるにつれ、畜産物の生産も超巨大な牧場、養豚場、養鶏場から離れていく可能性が高くなるだろう。穀物・家畜混合方式に立ち返り、牛乳、食肉、卵の生産が工場式畜産から離れれば、地元の農家は家畜の糞を土に戻すため、栄養分の再循環が進む。

栄養分の再循環は、窒素系肥料を生産するのに使われる天然ガスの高値に、原料埋蔵量が枯渇状態のリン酸塩の高値が重なったことで、将来その重要性が一層高まることが示唆されている。この点では、地元市場向けに生産している小規模農家の方が大規模飼養業に比べ明らかに優位なのである。

畜産物を食べる量を減らすために食物連鎖を下へと進みながら、自分たちの食生活で生産地から消費地までの距離を短くしていけば、食糧経済におけるエネルギー使用量を激減させることも可能だ。そして、世界的な食糧不安が高まる中、自宅の裏庭や前庭、屋上、地域共同菜園などで自分が食べるものの一部を作ってみようと考える人たちもますます増え、農業の地元密着化をさらに進めることになるだろう。

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seki 2010-05-30T11:46:50+09:00
3つの社会変革モデル http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100509_184729.html                        レスター・R・ブラウン

私たちは十分なスピードで変わることができるのだろうか? 世界経済を持続可能な軌道に乗せようとする際、社会変革の必要性が非常に高まることを思うと、さまざまな社会変革モデルを考察するのが有益だと分かる。

ここで浮かび上がるモデルは三つ。一つ目は大惨事発生のモデルだ。私が「真珠湾モデル」と呼ぶこのモデルでは、劇的な出来事が私たちの考え方や行動を根本的に変えてしまう。

二つ目は、社会がある特定の問題において転換点に達するモデルである。長期にわたって考えや行動が徐々に変化した後、転換点を迎えることが多い。このモデルを「ベルリンの壁モデル」と呼ぼう。

三つ目は、社会変革の「サンドイッチモデル」である。このモデルでは、社会上層部の強力な政治的指導力で全面的に支持されている特定の問題に対し、強い草の根運動が変化を推し進めている。

1941年12月7日の日本による突然の真珠湾攻撃は、劇的な警鐘だった。その攻撃で、米国人の戦争に対する考えが一変したのだ。もし12月6日に、「国は第二次世界大戦に参戦すべきかどうか」と米国人に尋ねていたら、おそらく国民の95%が「ノー」と答えただろうが、12月8日月曜日の朝には、それが「イエス」に変わったかもしれない。

真珠湾モデルの弱点は、私たちが自らの行動を変える大惨事を待たなければならない場合、それでは遅すぎる可能性があるということだ。そうなれば、社会が崩壊するほどの緊張をもたらしかねない。

「気候変動の最前線には、どのような『真珠湾』シナリオがあり得るか」と問われた科学者がよく指摘するのは、西南極氷床崩壊の可能性だ。氷床から比較的小さな塊が崩れ落ちるようになって、もう10年以上にもなるが、その氷床の大部分が崩壊して海に滑り落ちる可能性があるのだ。

この崩壊により、数年以内に約60~90センチメートルという、恐ろしいほどの海面上昇が起こることが考えられる。残念だが、そうなってからでは遅すぎる可能性がある。残りの西南極氷床やグリーンランドの氷床――グリーンランドでも融解が加速している――を救える速さで、炭素排出量を削減することは、もうできないかもしれないのだ。こうした真珠湾モデルは、気候変動についての社会変革を起こすために、私たちが目指したいものではない。

ベルリンの壁モデルは興味深い。なぜなら、今から20年前の1989年11月、壁の崩壊は、真珠湾攻撃よりもずっと根本的な社会変革が目に見える形で表れたものだったからだ。モスクワでの変化に勇気付けられた東欧の人々は、ある時期から、一党独裁制で国家の中枢が計画経済を行うという壮大な社会主義を試みることを拒否していた。そんな東欧が、予測されないまま、政治革命を経験したのだった。

それは、本質的に血を流すことなく、東欧各国の政治形態を変えた革命だった。転換点には達していた。しかし、革命は予期されなかった。1980年代に発行された政治学の雑誌の中に、「東欧に政治革命が迫っている」と警告している記事を探しても見つからない。米国政府においても、中央情報局(CIA)は「1989年1月の時点で、歴史の大きな波が私たちに押し寄せようとしているとは考えていなかった」と、元CIA長官で現国防長官のロバート・ゲーツ氏は、1996年のインタビューで振り返っている。

社会が変化するのは多くの場合、社会が転換点に達したときか、重要な閾値を越えたときである。一度このどちらかが起これば、たちまち変化が到来する。そして多くの場合、それは予測できない。最もよく知られている米国の転換点の一つは、20世紀後半に起こった喫煙反対の高まりだ。

この反喫煙運動が熱を帯びたのは、喫煙による健康への悪影響についての情報が絶えず流されたからだ。1964年、米国公衆衛生局総監は初めて喫煙と健康に関する報告書を発行した。それをきっかけに出回った一連の情報量が、あるとき、たばこ業界が巨額の資金を投じて流した偽の情報量をついに上回った。それが転換点だったのである。

ほぼ毎年刊行されている米国公衆衛生総監報告書は、喫煙が健康に及ぼす影響に関して分かりつつあることに世間の注目を集めると同時に、喫煙と健康の関係性について、数え切れないほど多くの新しい研究プロジェクトを生み出した。1980年代から90年代にかけて、喫煙に関連した健康への影響が次々と分析・実証され、新たな研究が数週間ごとに発表されているかに思える時期があった。やがて喫煙は、15種以上のがん、心臓疾患、脳梗塞と関係があると考えられるようになった。

喫煙が健康に悪影響を及ぼすという社会認識が高まるにつれ、飛行機、オフィス、レストラン、その他の公共の場で喫煙を禁じる、さまざまな対策が講じられるようになった。こうした社会全体の変化の結果、一人当たりの喫煙量は1970年ごろにピークを迎えた後、今日にいたるまで長期にわたって減り続けている。

この社会変化における決定的な出来事の一つは、州政府がこれまでに負担してきた、喫煙の犠牲者へのメディケア(高齢者向け医療保険制度)医療費の補償に、たばこ業界が同意したことだ。さらに最近では、2009年6月、広告を含め、たばこ製品を規制する権限を米国食料医薬品局に与える法案が、圧倒的多数で議会を通り、オバマ大統領が署名したことだ。これは、喫煙による健康被害を減らす取り組みの、新たな時代の幕開けとなった。

多くの点で最も魅力的なのは、サンドイッチモデルの社会変革だ。一つには、急激な変化をもたらす可能性があるからである。2009年後半の現時点で、炭素排出量の抑制や、再生可能なエネルギー源の拡大に対する市民の強い関心が、オバマ政権の利害と重なりつつある。その結果の一つとして、新たな石炭火力発電所の建設が、ほぼ事実上凍結された。

1960年代の公民権運動のときもそうだったように、米国が気候問題の転換点に向かって進んでいる可能性を示す兆候がいくつもある。その中には、不況の反映でもある指標もいくつかあるが、米国の炭素排出量は今や、2007年のピークを境にして、長期にわたる減少に向かい始めたようだ。炭素排出の主な原因である、石炭や石油の燃焼が減少している可能性がある。また、2009年に廃棄される自動車の数は販売数を上回る見込みで、米国全体の保有台数はすでにピークを過ぎ、減少に向かっているかもしれない。

ガソリン価格の高騰にも後押しされ、ここ2年間で低燃費車への転換が進んできたが、自動車の新しい燃料効率基準や、自動車メーカーに燃費向上を求める救済策によって、その傾向がいっそう強化された。自動車の効率基準をさらに厳しくし、その上で公共輸送への資金拠出を飛躍的に回復させ、より低燃費のガソリン電気ハイブリッド車だけでなく、プラグインハイブリッド車と電気自動車の両方への転換を奨励すれば、ガソリンの売り上げを大幅に減らせるだろう。過去に米国エネルギー省は、石油消費の実質的な成長を予測していたが、近ごろそれを下方修正した。今問題なのは、「石油の消費を減らすのか」ではなく、「いかに速く減らすのか」である。

風力エネルギーや太陽エネルギーが急成長し、石炭や石油が減少しているというエネルギー分野での転換は、根本的な価値観が変わる兆しでもある。やがて、すべての経済分野に変化を起こすような価値観の転換である。もしそうなれば、新たに生まれつつあるこうした価値を共有する国の指導者と力を合わせることで、今はまだ想像し難いような規模やスピードで、この転換が社会や経済の変化を引き起こす可能性がある。

三つの社会変革の中で、圧倒的にリスクが高いのは真珠湾モデルに依存することだ。社会変化を招くような大惨事が起こるころには、手遅れかもしれないからである。

ベルリンの壁モデルは、政府の支援がなくても機能するが、時間がかかることも確かだ。共産主義者が東欧各国の政府を支配するようになった後、抑圧的な政権を打破するほどの強力な反体制派が広がり、民主的に選ばれた政府に移行するまでには、およそ40年かかっている。

迅速かつ歴史的な進歩に向けた理想的な状況が生まれるのは、変化を起こそうという草の根運動の高まりに呼応して、国の指導者もまさにその変化に向けて全力で取り組もうとするときなのだ。米国の新しい指導者に世界中から大きな期待が寄せられているのは、こういうわけだとも言えるかもしれない。

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seki 2010-05-09T18:47:29+09:00
世界に広がるネズミ講経済 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100410_071507.html                        レスター・R・ブラウン

今日の欠陥だらけの世界経済には、ネズミ講と同じ特徴がたくさんある。ネズミ講とは、幅広い投資家から集めた出資金をベースに、それを配当の支払いに充当することである。ネズミ講は、投資家が抜け目のない投資上の決定を行った結果、投資に見合う極めて魅力的な利回りが提供されるという幻想を作り上げる。ところが実際は、たまらないほど魅力的な高収益の一部は、集めた運用資金を食いつぶすことによって得られたものなのである。

ネズミ講投資信託が持ちこたえられるのは、新たな投資が十分に流れ込み、直近の投資家たちに高リターンの配当を支払い続けることができる間だけである。それがもはや可能ではなくなったとき、その仕組みは破綻する。ちょうど、2008年12月にバーナード・マードフの650億ドル(約5兆8500億円)の投資信託が破綻したように。

世界経済の仕組みとネズミ講投資がまったく瓜二つというわけではないが、両者の間には気がかりな類似点がいくつかある。つい1950年頃の世界経済は、多かれ少なかれ身の丈に合う範囲内で営まれ、持続可能な利益率、つまり経済を支える自然システムが生み出す利子だけで暮らしを立てていた。しかし経済の規模が倍増し、さらに倍増し、またさらに倍増して、果ては8倍にまで膨れ上がると、経済は持続可能な利益率を超え、運用資産ベースそのものを消費し始めた。

米国科学アカデミーが2002年に公表した研究結果がある。その中で、ある科学調査チームは、総体としての人類全体の需要が地球の再生能力を超えたのは、1980年頃であったと結論付けている。2009年の時点で、自然システムに対する地球全体の需要は、持続可能な利益率を30%近くも超過している。このことは、人類が地球の自然資産の一部を消費する形で現在の需要を満たしており、やがてこれらの自然資産が枯渇したときに起きるネズミ講型破綻へ向けて、そのお膳立てをしていることを意味している。

2009年が半分ほど経過した時点で、世界の主要な帯水層のほぼすべてにおいて過剰な揚水が行われている。過剰な揚水が始まる前と比べ、灌漑用水の水量は増加している。と言っても、まさに正真正銘のネズミ講的なやり方で。私たちは今農業はうまくやっていると感じているが、実情は、今日推定4億人が過剰な揚水に頼って命を繋いでいる。当然のことながら、元々この「過剰な揚水」というプロセスが長く続くはずもない。帯水層が枯渇しつつある今、この水資源利用に発する食糧バブルははじける寸前のところにきているのだ。

似たような状況が山岳地帯の氷河の融解についても見られる。最初に氷河が融解し始めると、河川の水量と河川から供給される灌漑用水路の水量は、氷河の融解が起きる前よりも増加する。だがある点を過ぎると、小規模の氷河が姿を消し、より規模の大きな氷河の縮小につれて、氷河から溶け出す水の量は減り、河川の水量も減少する。このように、農業に関しては、水資源の利用に端を発する二つのネズミ講が同時に進行している。

このような仕組みは他にもある。人と家畜の数が程度の差こそあれ急速に増加するにつれて、飼料の需要が高まり、やがて牧草地の持続可能な利益率を超えてしまう。その結果草は劣化し、土地はむき出しの状態にさらされて、砂漠化への道をたどることになる。このネズミ講では、放牧にたずさわる者は食糧援助に頼るか、都市部へと移り住むか、いずれかの選択を迫られることになる。

海洋漁場の3/4は許容される漁獲量の限界に達しているか、それを超過している。中には、乱獲からの回復過程にある漁場もある。もしわれわれがこれまで通りのやり方を続けるならば、これらの漁場の多くは崩壊してしまうことだろう。 乱獲を単純に定義すれば、魚の繁殖力を超えて、海から魚を捕獲することである。

乱獲をそのまま放置した場合、どういう事態になりうるのか。その一つの典型例が、カナダのニューファンドランド沿岸沖のタラの漁場である。そこは長い間世界で最も豊かな漁場の一つだったが、1990年代初めに漁場は崩壊した。原状の回復は決して望めないだろう。

『祝福を受けた不安 - サステナビリティ革命の可能性』の著者であるポール・ホーケンは次のようにうまく表現している。「現在、未来から盗んだものを今売却して、それをGDPと呼んでいる。未来から盗むのではなく、未来を癒すことに基づく経済にすることも同じくらい簡単だ。われわれは未来の資産を作ることも、取り崩すこともできるのだ。前者は修復、後者は搾取と呼ばれる」。

より大きな問題は、われわれがこのまま同じように、過剰な揚水や、過放牧、過耕作、魚の乱獲、大気中への二酸化炭素の度を過ぎた排出を続ければ、ネズミ講経済が破綻して崩壊するまでに、どれほどの時間が残されているかだ。それは誰にもわからない。われわれの産業文明がこれまで経験したことがないことだからだ。

いつかは破綻すると知りながら始めたバーナード・マードフのネズミ講とは異なり、世界規模のネズミ講経済は崩壊を意図したものではない。市場の力や道義に反したインセンティブ、および進歩の評価基準の誤った選択によって、衝突が避けられない道をたどっているのだ。

資産ベースを取り崩しているばかりでなく、われわれは、コストを帳簿から除外する巧妙なテクニックを発明した。不祥事で破産した、テキサスに本拠を置くエネルギー会社のエンロンが数年前にやったように。たとえば、石炭火力発電所からの電力を使う時には、地元の電力会社から毎月請求書を受け取る。請求書には、石炭の採掘と発電所への輸送、燃焼、発電、および家庭への送電に関わるコストが含まれている。

しかし、石炭燃焼による気候変動のコストは全く含まれていない。その請求書は後で、おそらくわれわれの子供たちに届けられるのだ。気の毒なことに、彼らが受け取ることになる、われわれが使用した分の石炭の請求書は、われわれの請求書よりも多額になるだろう。

世界銀行の元チーフ・エコノミストであるニコラス・スターン卿が、2006年に気候変動の将来の費用に関する画期的なレポートを発表した際、彼は市場の重大な失敗について語った。市場が化石燃料の価格に気候変動の費用を組み込まなかった誤りを指摘したのだ。スターンによれば、その費用は数兆ドルに上る。化石燃料の市場価格と、社会的な環境コストを組み込んだ正当な価格の間には、非常に大きな差がある。

経済的な意思決定者としてのわれわれは皆、指針となる情報を市場に頼っているが、市場の提供する情報が不完全なため、結果としてわれわれは間違った決定をしている。典型的な例の一つは、2009年半ばに1ガロンあたり3ドル前後(1リットルあたり約72円)だった米国のガソリン店頭価格だ。

この価格には、石油の発見、地表への汲み上げ、ガソリンへの精製、ガソリンスタンドへの輸送の費用しか反映されていない。気候変動のコストや、石油業界への税優遇措置、政治的に不安定な中東で石油へのアクセスを確保するための、急増する軍事費、汚染された空気を吸うことによる呼吸器疾患の治療のための医療費などを見落としている。このような間接費用は今では全部で1ガロンあたり12ドル(1リットルあたり約290円)程度になっている。ガソリンを燃やすのは、実際にはとても高い費用がかかるのだが、市場は安いと言っているのだ。

市場は生態系の環境容量も考慮していない。たとえば、漁場での乱獲が続けば漁獲量はそのうち減りはじめ、価格が上昇し、トロール漁業への投資がさらに促されることになる。当然の結果として、漁獲量は急減し、漁場は崩壊する。

私たちが今必要とするのは、経済と環境の関係に関する現実的な見通しだ。また、これまでになく、大局的な視点で考えられる政治的指導者も必要としている。政府の主な顧問は経済学者なので、生態学者のように考えられる経済学者か生態学の知識のある顧問が必要だ。さもないと財やサービスの間接費の除外、自然が行ってくれるサービスの軽視、さらに持続可能な生産量の閾値の無視といった市場行動によって、経済をサポートする自然のシステムが破壊され、グローバルなネズミ講は破綻するだろう。

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seki 2010-04-10T07:15:07+09:00
エネルギー問題にやっと動き始めた米国 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100324_041207.html                         レスター・R・ブラウン

米国は二酸化炭素(CO2)排出量が増え続けた1世紀にピリオドを打ち、エネルギーの新時代に突入した。米国代表は12月のコペンハーゲン国際気候変動会議の準備をする中で、驚くべき強い姿勢でその交渉に臨む決意だ。それは過去2年間で米国が炭素排出量を劇的に9%削減させた実績と、今後もさらに大幅な削減をするという約束に基づいている。

これらCO2削減の取り組みで目に付くのが自動車の燃費基準や家電の省エネ基準の強化と、CO2を排出しない電力で建物の冷暖房と照明をしようという動きである。供給面では、米国の風力、太陽熱、地熱エネルギー源の開発を援助する取り組みが目だっている。

CO2排出量が減ったのは不況やガソリン値上げが一因であるが、省エネ効果やCO2排出ゼロのエネルギー源への転換によるところもある。風力発電所の新規建設数が記録的に増えていることも一因だ。このCO2排出量の大幅削減によって、米国がコペンハーゲンでさらなる大規模な削減を強く訴えるのは当然だろう。

石油と石炭の使用を一世紀以上にわたって増やし続けてきた国にすれば、2007年以降の減少はまさに驚きである。昨年、石油使用は5%、石炭は1%、CO2排出量は全体で3%削減された。エネルギー省の1月から8月までのデータによると、今年の石油使用量はさらに5%下がると見込まれている。石炭は10%削減の見込みだ。全体では、天然ガスを含む化石燃料によるCO2排出量は過去2年間で9%下がった。

今まで私は仕事がら悲観主義者と思われてきた。ますます進む人口増加と迫り来る食糧危機に取り組むことを仕事にしてきたからだ。依然、これらの問題に懸念を抱いているのは事実だが、今日、二酸化炭素の排出量を示す数値は間違いなく良い方向に向かっている。

米国議会は2020年までに15~20%の削減案しか考えていないが、ほんの少しの努力で、米国は確実にこれ以上の削減が可能だろう。気候変動が壊滅的被害をもたらす可能性は高い。そんな事態に世界が直面していることを考えると、米国はコペンハーゲンの会議では、2020年までに80%削減することを強く訴えるべきだろう。

化石燃料使用を減らしてCO2を削減しようという取り組みは、国、州、都市など政治のあらゆるレベルで進行中であり、企業、電気ガスなどの公益事業、大学などでも進んでいる。これだけにとどまらず、気候変動への関心が高く、節約志向である何百万人ものアメリカ人が自らのライフスタイルを変えて省エネとCO2削減を目指そうとしている。

石油業界は「クリーンな石炭」の推進という理念を掲げ、年間4,500万ドル(約41億3,200万円)の予算を組んだものの、今やそのまぼろしを追い求めることをあきらめようとしている。7月9日、新規の石炭火力発電所建設に反対するシエラクラブの全国的草の根計画の責任者、ブルース・ニルスは建設中止に追い込んだ発電所の数が2001年以降で100基目に達したことを発表した。

テネシー川流域開発公社は11の老朽化した火力発電所(平均47年)を持ち、裁判所からも10億ドル(約918億円)を超す公害防止設備の設置命令を受けている。ここでは現在、アラバマ州のスティーブンソン近くのウィドウズクリーク石炭火力発電所にある8基のプラントの中で一番古い6基と、テネシー州のロジャーズビル近辺にあるジョンセビア石炭火力発電所の閉鎖を検討中である。全部で、12州の約22の石炭火力発電所が木材燃料の火力発電、風力発電、天然ガス発電に変わりつつある。

公益事業の需要が下がっているのは、経済不況だけが原因ではなく、省エネが進んだためでもある。州によって省エネの進み具合には大きな開きがあり、省エネ技術開発を推進している州もあれば、古い技術が足かせとなっている州もある。

ロッキーマウンテン研究所の試算によると、省エネ対策が遅れている下位の40州が電力の省エネが進んでいる上位10州と同じレベルになれば、全米の電力消費の1/3は減らせるという。これは米国の617の石炭火力発電所の62%を閉鎖できる数である。

米国の石炭火力発電所が閉鎖されてゆく中で、風力発電は飛躍的に数を増やしている。昨年、102基の風力発電所が稼動を始め、840万キロワットの発電が可能になった。この数字は8つの石炭火力発電所に相当する。今年は、前半で49基の風力発電所が完成し、更に57基が建設中である。さらに重要なのは、建設を開始できるように、3億キロワットの風力発電計画が(300の石炭火力発電に相当)実現化を待っているということだ。

米国の太陽電池設備台数は年間40%の勢いで伸びている。政府の新しいインセンティブもあり、家屋、ショッピングモール、工場の屋根への設置も急速に増加し続けるはずだ。

このほか、鏡を使って太陽光を集めて発電を行う太陽光発電プラントもカリフォルニア、アリゾナ、ネバダ州で急増している。溶融塩による蓄熱技術によって、日没後6時間もプラントの運転が可能になったことがますます幅広い投資家の関心を集めている。約600万キロワットの太陽熱発電所が建設中か、開発段階にある。

石油の使用も減っている。経済不況のせいもあるが、石油の供給がますます不安定になりつつあることや、将来のガソリン価格に対する消費者の不安が高まっていることなどが激減の理由である。ガソリンの需要はさらに減るだろう。というのは、5月に発表された燃費基準で、2016年までに新車の燃費を42%、軽トラックでは25%引き上げることが決まったからだ。

その傾向は今年始めから8月までの新車の売上高に顕著に現れている。そこから分かるのは昨年同時期に販売された車と比べ、今年売れた新車は、1ガロン当たりの平均走行距離が非常に伸びているということである。

こうした改善もインパクトはあるが、実際、燃費を向上させる上で大きい効果がもたらされるのは、プラグインハイブリッド車や電気自動車への移行によってだろう。電気モーターは燃費がガソリンエンジンより3倍も良いというだけでなく、車の運転にも国内の風力発電による電力が使えるという良さがある。コストもガソリン価格に換算して、1ガロン当たり75セント(約69円)と安い。燃料費の安さがより明確になれば、プラグインハイブリッド車や電気自動車への移行は大方の政策担当者の思惑よりもはるかに早く進むだろう。

CO2の排出削減は、もう政治的に可能かどうかの話をしているときではない。科学の立場からその必要性を話し始める時期に来ている。科学的には恐ろしい事態になっているのだ。氷の融解だけを見ても文明が脅かされていることが分かる。グリーンランドでは氷床の融解が進んでいる。

もし全ての氷床が融けてしまうと、それには数世紀を要することは明らかだが、海面は23フィート(約7メートル)上昇するだろう。最近の報告書は、今世紀中に海面は最大6フィート(約2メートル)上がるのではないかと予想している。そういうことになれば、ロンドン、マイアミ、ニューオーリーンズ、アレクサンドリア、上海のように低地の沿海部にある多くの都市の一部あるいは全部が水没し、何百万人もの難民が生まれるだろう。同時にアジアの穀倉デルタ地帯でも川が氾濫し、バングラデシュやベトナムでの穀物の収穫に大打撃が及ぶだろう。

ヒマラヤ山脈やチベット高原での氷河が融けてしまうと、インダス川やガンジス川、長江、黄河から氷が融けた水が失われてゆくだろう。この氷河融水こそ乾季にも川の流れを絶やさず、これらの川の上に成り立つ灌漑システムを支えていたものである。中国が世界の小麦とコメの第一の生産国であることを忘れてはならない。インドにしても、いずれの穀物も生産高では世界で二番目である。したがって、もし両国で穀物の収穫が減るような事態になれば、世界中で食物価格が高騰するだろう。

このような巨大な氷塊の融解を防ぐためには、2020年までにCO2の排出を80%削減するというかなり思い切った手を打たなければならない。それが達成できれば、現在387ppmある大気中のCO2濃度は、2020年には400ppmで頭打ちになるだろう。そのとき初めて、CO2濃度を、米国の中心的な気候科学者ジェームス・ハンセンが、地球温暖化による最悪の事態を食い止めるために削減する必要があると主張する350ppmにまで落とすことが可能になるだろう。

もし米国が80%の削減を推し進めるなら、他国も米国にならって削減するだろうか?特に、世界最大のCO2排出国である中国はどうだろう?それにインドは?

過去には、もし国際社会の取り決めに反対する国があると、国際社会は貿易取引の中止や輸出禁止をしたり、当該国からの輸出品に関税を課す等の措置をとることができた。今は二国間制裁という選択枝もある。なんといっても米国は中国にとっての最大の輸出市場なのである。

しかし、今回はそのようなことをしている状況ではない。なぜなら、気候変動による影響をどこよりもまともに受けている国があるし、またCO2削減に熱心に取り組むことで、新エネルギー産業の分野に投資が生まれているからである。世界で一番多く石炭火力発電所を建設している中国とインドも、食糧の安全保障では地球温暖化による影響が最も直接的に現れる国の一つである。エジプトや韓国、日本のような小さい国なら穀物の半分以上を輸入することもできるだろう。しかし、多くの国民を抱える両国ではそうした輸入ができない。世界には輸出にまわせるそれだけの穀物がないからである。

嬉しいニュースがある。中国が方針転換を速め、風力、太陽、地熱エネルギーに移行し始めているのだ。中国では毎週新しい石炭火力発電所が建ち、そのことに世界は当然懸念を抱いているのだが、しかし建設速度はにぶっているように見える。そして米国と同じように、中国も老朽化し、錆付いた多くの石炭プラントを閉鎖し始めている。

再生可能なエネルギーに関しては、中国には現在の電力需要の7倍分の風力発電能力がある。出足は遅かったが、中国は今、世界でこれまで見たこともないような大規模な風力発電プラントを建設している。風力電力では最近まで米国が世界をリードしていた。しかし、中国の追い上げスピードは目にもとまらないと思えるほどで、来年には米国を追い越すだろう。

太陽光利用の面では、世界中にある屋根に取り付ける温水器のうち2/3が中国にあり、太陽電池の生産量も中国が最も多い。今月の初めには、中国政府は米国のどの設備より4倍も大きい200万キロワット規模の太陽電池設備を建設する計画があると発表している。

インドにおけるCO2削減問題と将来のエネルギー需要問題を解決する鍵は、風力エネルギーだけではない。ほかにも大インド砂漠(タール砂漠とも言う)の豊な太陽光がある。そこで得られる太陽エネルギーはインド全経済の電力を賄えるほどだ。また日没後も数時間電力を発電できるこの新しい太陽光発電プラントはインドが石炭一辺倒の状態から抜け出すことを可能にするだろう。

CO2の削減にも問題点はある。新エネルギー産業の立地場所は国内のどこに置くのか?誰が風力タービン、太陽電池パネル、高効率の発光ダイオードを作るのか?いずれにしろ、CO2の削減をいち早く成し遂げた国が、競争市場での優位を保つのは確かである。

地球の気候を安定させる仕事は複雑である。そしてそれにはリスクが伴う。もし米国がこの問題の先頭にたち、しかも大胆に取り組むなら、世界は米国に付いてくる、そう私は信じている。

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seki 2010-03-24T04:12:07+09:00
使い捨て経済はもういらない http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100306_203344.html                         レスター・R・ブラウン

21世紀の現代文明のストレスはさまざまな形になって現われる。すなわち、社会的、経済的、環境的、そして政治的なストレスだ。この4種類すべての中で際立って不健康で、目に映るのが、使い捨て経済による、増え続けるごみの流れだ。使い捨て用品はもともと、第二次世界大戦後に便利なものとして、また雇用創出と経済成長維持の手段として考え出された。モノが生産され廃棄されればされるほど、より多くの雇用が生まれるだろう、という理屈からだった。

使い捨て用品が売れたのは、その便利さゆえだった。例えば、消費者は、布のタオルやナプキンを洗うことよりも、使い捨てできる紙製品を喜んで受け入れたのだった。こうして、私たちはハンカチの代わりにティッシュを、ハンドタオルの代わりに使い捨てのペーパータオルを、布のテーブルナプキンの代わりに使い捨てのものを、そして飲料容器も詰め替え可能なものではなく使い捨てのものを使うようになったのだった。使い捨て用品を家に持ち帰る買い物袋でさえ、ごみの流れの一部になっているのだ。

このまま行けば使い捨て経済が地球の地質学的な限界に突き当たることは必至だ。世界では、都市近郊の埋立地が不足しつつあるだけでなく、使い捨て用品の製造や輸送に使われる安い石油も急速に枯渇しつつある。

おそらく、より根本的なことは、容易に入手できる鉛、スズ、銅、鉄鉱、またはボーキサイトが、使い捨て経済をこの先1、2世代後までも持続させるだけ十分な量がないということだ。米国地質調査所がまとめたデータによると、採掘が年間2%増加すると仮定した場合、世界の経済的に採掘可能な埋蔵量は、鉛に関しては17年分、スズは19年分、銅は25年分、鉄鉱は54年分、ボーキサイトは68年分だという。

都市からごみを運搬するコストは、近隣の埋立地がいっぱいになり石油の価格が上昇するにつれて、値上がりし続けている。地元で利用可能な埋立地を使い果たした最初の大都市の一つが、ニューヨークだ。ニューヨークのごみが運ばれていた市内のフレッシュキルズ埋立地は2001年3月に永久に閉鎖され、市はニュージャージー州やペンシルバニア州、そしてバージニア州の埋立地にまでも、ごみを輸送しなければならなくなったのだった。そのうちのいくつかの埋立地は、ニューヨーク市から300マイル(約483キロメートル)離れたところにあるのだ。

ニューヨークで1日に出されるごみの量を1万2,000トンとし、長距離トレーラー1台につき20トンのごみを積んでいると仮定すると、ニューヨーク市からごみを運搬するのに1日につき約600台のトレーラーが必要になる。このトレーラーの列は9マイル(約14キロメートル)近い長さとなり、交通を妨げ、大気を汚染し、炭素排出量を増やしている。

財政的に苦しい他州の地方自治体は、もし十分な額が支払われるのであれば、ニューヨークのごみを受け入れることに前向きだ。このことを経済的に思いがけない大もうけのチャンスだととらえる者もいる。しかしそれを引き受けた州政府は、道路の維持管理費の増加や交通渋滞、大気汚染の悪化、埋立地からの漏出による水質汚染の可能性、近隣地域からの苦情などを抱え込むことになるのだ。

2001年、バージニア州知事のジム・ギルモアはニューヨーク市のルディ・ジュリアーニ市長に対して、同市がごみ問題でバージニア州を利用していると苦言を呈する書簡を送った。「ニューヨークが直面する問題について理解はしています。しかし、ワシントン、ジェファーソン、マディソンという3人の大統領の故郷であるわが州は、ニューヨークの廃棄物処分場になるつもりは全くありません」と彼は記している。

ごみをめぐる悩みはニューヨーク市に限ったことではない。カナダ最大の都市トロントでは、2002年12月31日に、最後まで残っていた埋立地を閉鎖し、現在は年間75万トンのごみすべてをミシガン州ウェイン郡に運んでいる。

古代ギリシャ、そして現代のギリシャの首都でもあるアテネでは、利用可能な唯一の埋立地が2006年末に飽和状態に達した。ギリシャの地方政府はアテネのごみの受け入れを渋ったため、アテネで1日に出される6,000トンのごみは街中に溢れはじめ、市はごみの危機に陥った。

そこにきて国はやっと、欧州連合の環境担当委員であるスタブロス・ディマス(彼自身もギリシャ人だ)が呼ぶ「廃棄物のヒエラルキー」に注目し始めた。まず第一にごみを出さないようにし、次にリユース(再使用し)・リサイクル(再資源化し)・回収を行うという優先順位に注意を向け始めている。

さらに近年のごみ危機の例には、中国で現在進行中のものがある。中国では、他のすべての物とも同じように、ごみの排出量も急速に増えつつある。中国の通信社である新華社は、航空・衛星リモートセンサーを使用した調査によって、それぞれ面積が50平方メートル以上のごみ処分場が北京、天津、上海、重慶の郊外に7,000あることを探知したと報じた。中国のごみの多くはリサイクルされるか、焼却、または堆肥にされる。しかし、それよりも多い量が埋立地に捨てられるか(それが利用可能な場合にだが)、単に空地に山積みにされているのだ。

こうした中国のごみ問題に関する事例は、それ自体由々しきことである。しかし、近い将来に中国で生じ得る消費パターンを幅広く分析すると、なぜ現在の欧米型の経済モデルが総じて将来破たんするのかが見えてくる。

私が記憶する限りでは、私たちは「世界の人口の5%を有する米国が地球の資源の1/3以上を消費している」と言い続けてきた。これは、かつては正しかったが、今となってはもはや事実ではない。今日では、中国は米国以上に主要な資源を消費しているのだ。

穀物、肉、石油、石炭、鉄鋼といった主要物資のなかで、石油を除く各物資について、中国の消費は米国よりも多い。石油については米国がまだ大幅にリードしているが、その差は縮まりつつある。穀物消費は、中国は米国より約30%以上多く、肉は米国のほぼ2倍、鉄鋼については3倍も多く消費されている。

こうした数字は国全体の消費を反映しているが、もし中国人一人当たりの消費が米国並みになれば、一体どうなるだろうか。中国の経済成長率が近年のような年間10%から8%にペースを落とすとしても、2030年までに中国人一人当たりの所得は現在の米国人のレベルに達するだろう。

中国人が、自分の所得を現在の米国人と同じように使うようになるとすれば、彼らの所得額をそのまま消費額だとみなすことができる。もし、例えば中国人一人ひとりが現在の米国人と同じペースで紙を消費するならば、2030年には、14億6,000万人の中国人が現在の世界の生産量よりも多くの紙を消費することになるだろう。こうして世界の森林が消えてゆく。

2030年に中国人が現在の米国人と同様4人に3台ずつ車を所有するとすれば、中国の自動車保有台数は11億台になる。現在の世界の自動車台数は8億6,000万台だ。必要な道路や高速道路、駐車場のために、中国は現在のコメの作付面積と同じ広さの土地を舗装しなければならなくなるだろう。

2030年までに、中国では1日あたり9,800万バレルの石油が必要になるだろう。現在、世界の1日あたりの産油量は8,500万バレルだが、それ以上の産油は不可能だろう。そうやって、世界に埋蔵されている石油が消えていく。

中国が私たちに教えてくれていることは、西洋型の経済モデル、つまり化石燃料をベースとした自動車中心の使い捨て経済は、中国ではうまくいかないということだ。もし中国でうまくいかないのであれば、2030年までに中国よりも多くの人口を抱えているかもしれないインドでも同様だろう。また、同じく「アメリカン・ドリーム」を夢見ている他の途上国の30億人にとってもうまくいかないだろう。

そして、世界経済はますます一体化し、私たちは同じ穀物、石油、鉄鋼に依存している。そのような中では、西洋型の経済モデルは先進国にとってももはや通用しないものになろうとしている。

私たちの世代にとっての最大の課題は、新しい経済、つまり電力のほとんどは再生可能なエネルギー源によって発電され、より多様な交通システムを有しており、すべてをリユースそしてリサイクルするような経済を構築することだ。

この新しい経済、言い換えれば経済発展を持続させることが可能な経済を構築するための技術を、私たちは持っている。社会システムの崩壊する前に、私たちはこの新しい経済を早く構築することができるだろうか?

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seki 2010-03-06T20:33:44+09:00
文明の転換点 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100222_140258.html                         レスター・R・ブラウン

近年、自然界の限界点、あるいは転換点について、懸念が広がっている。例えば科学者は、減少傾向にある絶滅危惧種の個体数がどの程度まで少なくなると回復できなくなってしまうのかを心配し、海洋生物学者は、どの程度乱獲が続くと漁場が崩壊してしまうのだろうかと懸念を抱いている。

過去の文明にも社会的転換点があったことは分かっている。その転換点とは、文明が脅威の力に太刀打ちできなくなった時点である。例えばシュメール文明では、灌漑に伴う土壌の塩害が、ある時点を境に、自分たちの手には負えないほどになってしまった。マヤ文明の場合、森林を伐採し過ぎ、それに伴って発生した表土喪失の事態が、どうにも手の打ちようがなくなってしまったのである。

社会的転換点とは、社会が単一の脅威、あるいは同時に発生した複数の脅威に打ちのめされ、衰退や崩壊に至ってしまう転換点のことだが、これは必ずしも簡単に予知できるものではない。

一般的には、途上国に比べて経済先進国の方が、効果的に新たな脅威に対応できる。成人のヒト免疫不全ウィルス(HIV)感染率を例にとると、先進国では政府が1%未満での抑制に成功している一方、途上国政府の多くはそれができず、現在、先進国よりも非常に高い感染率に苦しんでいる状態だ。これが最も明らかなのはアフリカ南部にある一部の国で、多いところでは成人の20%、あるいはそれ以上がHIVに感染している。

同じような状況は、人口増加の問題でも起こっている。米国を除くほぼすべての先進国において、人口が頭打ちになっているのに対し、アフリカ、中東、インド亜大陸にあるほぼすべての国においては人口が急増している。

世界人口は、毎年8,000万人のペースで増えているが、そのほとんどが、過剰な人口に圧迫され、地球を支える自然のシステムがすでに悪化している国々、地球を支える自然のシステムを維持する能力が世界の中で最も低い国々で生まれているのだ。このような国々では、国全体が破綻する危険性も大きくなっている。

とは言え、発展が進んでいる国々の管理能力をもってしても手に負えない問題もあるようだ。地下水位が下がっているのが初めてわかった時点で、その影響を受ける国の政府は、帯水層を安定させるために、迅速に水利用の効率化や人口安定化といった措置をとる、と考えるのが普通だろう。

残念ながら、先進国、途上国を問わず、そのような措置をとった国はない。パキスタンとイエメン──この2つの国は、地下水の過剰な汲み上げと安全保障上の脅威になるほどの水不足が大きな問題として頭をもたげ、破綻しつつある状態だ。

炭素排出量を削減する必要性が明らかになって久しいが、カーボンニュートラル(炭素中立)を達成した国は一つもない。今のところ、この課題は、最も技術的に発展した社会にとっても政治的に難しすぎる、ということが明らかになってきている。

紀元前4,000年のシュメール文明において土壌内で上昇した塩分濃度の問題と同じように、大気圏で上昇している二酸化炭素濃度は、21世紀初頭の私たちの文明では手に負えない問題になってしまうのだろうか?

ほかにも、各国政府にとって重い負担になりそうな課題がある。必ず訪れる世界の石油生産量の減少である。世界全体の石油生産量が、新規の石油発見量を大幅に上回るようになってから20年以上になるが、「石油供給量の減少に効果的に対応する計画」とかろうじて言えるようなものを実際に持っているのは、スウェーデンとアイスランドしかない。

解決されていない問題はまだほかにもあるが、これだけ見れば、感覚的に「未解決問題の数がいかに増加の一途をたどっているか」がわかる。というのも、既存の問題も解決できていないのに、一連の未解決問題に新たな問題が加わっているからだ。

分析的に考えると、課題として取り組むべきは、増大しつつある負担が地球のシステムにどのような影響をもたらすかを評価することだ。このような負担が最も顕著に現れるのは、おそらく食料安全保障に対する影響においてであろう。そして食料安全保障こそが、崩壊してしまった過去の多くの文明で弱点とされていたものなのだ。

いくつかの傾向が重なり、世界中の農家が食料需要の伸びになかなか追いつけない状態になっている。その傾向の中でも顕著なのは、地下水位の低下、農地の農業以外への転用の拡大、作物を枯らせてしまう熱波や干ばつ、洪水といった異常気象の増加だ。このような未解決問題の負担が蓄積するにつれ、弱い政府は破綻し始めてしまうのである。

このような問題に輪をかけるように、世界の主要穀物生産国である米国では、穀物収穫量におけるエタノール燃料用の割合が、2005年の15%から2008年には25%以上へと劇的に増加した。石油不安を解消するために米国が編み出した、この見当違いの取り組みによって、世界の穀物価格は2008年半ばに史上最高値にまでつり上がり、空前の世界食料不安を生み出した。

危険なのは、これらの蓄積した問題やその結果生じる事態に、太刀打ちできなくなる政府が増え、国家の破綻が広がり、ついには文明が崩壊してしまうことだ。破綻しつつある国家のリストの上位には「ここが?」と思うような国はない。例えば、イラク、スーダン、ソマリア、チャド、アフガニスタン、コンゴ民主共和国、ハイチなどだ。

そして破綻しつつある国家のリストは年々長くなっている。そうなると「何カ国破綻すれば、文明自体が崩壊するのだろうか?」という不穏な疑問が沸いてくる。その答えは誰にも分からない。しかしこれは、問わねばならない疑問なのだ。

私たちは今、「自然の転換点と政治システムの転換点、どちらが早く訪れるか」という状況にある。グリーンランドの氷床の融解が取り返しのつかないレベルに達してしまう前に、石炭火力発電所を段階的に廃止できるだろうか? アマゾンは火事に対してますます弱くなっているが、それが手遅れになってしまう前に、森林破壊を止める政治的意志を結集させられるだろうか? 破綻国家になる前に人口を安定させられるよう、その国を支援できるだろうか?

私たちには、地球を支える自然のシステムの回復、貧困の撲滅、人口の安定、世界のエネルギー経済の再構築、そして気候の安定を実現するための技術はある。今取り組むべきことは、これらを実現しようという政治的意志の構築だ。文明の救済は、スポーツ観戦ではない。私たち一人ひとりが主役として行動すべきなのである。

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seki 2010-02-22T14:02:58+09:00
過去の文明から学ぶこと http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100213_184205.html                        レスター・R・ブラウン

現在の環境問題を理解するには、かつて同じ問題を経験した古代文明に目を向けることが役に立つ。環境問題が引き金となり経済の衰退が懸念される事態に直面したのは、なにも21世紀初頭の現代文明社会が初めてではないからだ。問題は、われわれがどのようにそれに対応していくのかということである。

ジャレド・ダイアモンドが『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』の中で指摘したように、かつて環境問題に直面しながらも自分たちのやり方を変えることによって、文明の衰退・崩壊を免れた社会があった。

例えば、今から600年前、アイスランドの人々は、過剰な放牧によって、高原のもともと薄い牧草地の土壌が広範囲に失われることを知っていた。「牧草地を失い、経済が衰退する目には遭いたくない」、そうした思いから農民たちは団結し、高原で放牧できる羊の数を決め、各自が飼う頭数を制限することで牧草地の保全を図ったのである。今でもこの国の羊毛生産と毛織物産業は繁栄を続けている。

しかし、全ての社会がアイスランドのようにうまくいったわけではない。紀元前4000年頃の古代シュメール文明はそれまでに例がないほど高度な文明を誇っていた。入念に設計された灌漑設備は、食糧の余剰生産ができるほど生産性の高い農業を可能とし、歴史上初めて都市や書き言葉(楔形文字)が発達する基盤となっていた。

どの点をとっても、シュメール文明は卓越していた。しかし、灌漑システムには設計面で環境上の問題があり、そのことがやがて食糧の供給量を低下させていった。ユーフラテス河全域に設けられたダムの水は、高低差を利用し、方々に張り巡らされた水路を通って農地へと送られていた。

しかし、多くの灌漑システムと同じように、水は地下にも浸み込んでいく。また排水がよくないこの地域では、地下水位が徐々に上昇し、地表近くに達した水は大気中に蒸発して地表に塩分を残した。やがて、塩分は蓄積し土地から生産力を奪っていったのである。

小麦の栽培を塩分に強い大麦に代えることで、シュメール文明の衰退に一時的な歯止めがかかりはした。しかしそのことは穀物収穫量の低下を表面的に抑えただけで、根本的な解決につながるものではなかった。塩分の濃度が増すと、やがて大麦の収穫量も減少していった。食糧供給の落ち込みが、かつて栄えたシュメール文明の基盤を揺るがせ、土地の生産性の低下とともに文明は衰退していったのである。

米大陸で、シュメール文明と同じ運命をたどったのが現在のグアテマラの低地で発達したマヤ文明である。この文明は紀元250年頃から、文明の崩壊が始まる紀元900年頃まで隆盛を誇っていた。シュメール文明と同様、マヤ文明にも高度で生産性の高い農業が発達していた。段々畑を作り、その周りに水路をめぐらせ水を供給していたのだ。

シュメール文明と同じように、マヤ文明の崩壊も食糧供給の破綻に関連していたようだ。マヤ文明の農業を衰退に導いたのは、森林伐採と土壌の浸食であった。加えて、当時頻発した干ばつの影響もあっただろう。さらに食糧不足をきっかけに都市国家間の争いが起こったと言われている。現在、この地域はかつての自然がよみがえり、密林と化している。

アイスランド人は、牧草地帯が荒廃し取り返しのつかない状態になる前に、団結して放牧に制限を加えることで政治的な転換点(ティッピングポイント)を越えることができた。シュメール人やマヤ人にはそれができなかった。行動が遅すぎたのだ。

今日、私たちがなしえた成功も、また今抱えている問題も、元を正せば同じこの1世紀にわたる世界経済の異常な成長が原因である。経済成長を表わす年間生産高の単位は、かつては数十億ドル(数千億円)であったが、今では数兆ドル(数百兆円)にもなっている。実際、近年のモノとサービスの年間生産高の増加分だけをとってみても、1900年の世界経済の全生産高を上回っているほどである。

経済が飛躍的に増大している一方で、淡水や林産物、海産物などをもたらす地球の供給力は増加していない。人類全体の需要が初めて地球の再生可能な供給を上回ったのは1980年頃だった。今では、生態系に対する需要と地球の持続可能な供給力の格差はほぼ30%にまで広がっている。私たちは目先の需要を満たすために、地球の自然という財産を食いつぶしながら、まさに衰退と崩壊の準備を進めている。

人間の経済活動や存在そのものが地球の生態系や天然資源に完全に依存しているということを、科学技術が高度に発達した現代文明ではとかく忘れがちである。例えば、私たちは気候システムの恩恵によって農業に適した環境を得ている。淡水が手に入るのは、水循環のおかげである。また、岩石を土に変える長期的な地質学的変化があるからこそ、地球はこれほど生物学的に豊かでいられる。

現在、あまりにも多くの人が地球に対して過剰な要求をしており、地球の資源を使い果たそうとしている。森林は縮小を続け、過剰な放牧により、広大な面積の草地が年々砂漠化し、さらに、世界人口の半数を抱える国々では地下水の汲み上げすぎで地下水位が回復せず、水不足が深刻化している。

人間は誰しも森林や湿地、サンゴ礁、草地など地球の生態系がもたらす恵みと機能に依存している。生態系には、浄水、授粉、炭素隔離、洪水制御、土壌保全などさまざまな機能がある。科学者1,360人が4年にわたり世界の生態系を調査した「ミレニアム生態系評価」では、調査した生態系機能24項目のうち15項目が劣化しつつある、または限界点をすでに越えているという結果が出ている。例えば、人々に主要なタンパク源を供給してきた世界の海洋漁場は、今やその3/4がすでに利用し尽くされているか、あるいは乱獲状態にあり、その多くが壊滅寸前にある。

広大なアマゾンをはじめとする熱帯雨林という生態系にも大きな負荷がかかっている。現在、熱帯雨林の20%が牛の放牧や大豆栽培のために開墾されている。さらに22%が伐採や道路建設による環境悪化によって太陽光線が林床まで達し、地面が乾燥して森林火災を引き起こしやすい状態になっている。このように火災への抵抗力が低下した森林では落雷などによる自然発火から火災が広がりやすい。

科学者たちは、アマゾン熱帯林の半分で開墾、または環境悪化が進んだ時が転換点(ティッピングポイント)となるだろうと予測している。つまり、そこまで到達すれば、もはや取り返しはつかず、熱帯雨林の復元は不可能になる、ということである。

米マサチューセッツ州のウッズホール研究所の科学者であるダニエル・ネプスタッドはアマゾン一帯の調査から、将来、この地域では「地球規模の火災」が相次ぎ、乾燥しつつある熱帯雨林を焼き尽くすだろうという見通しを示している。同氏によれば、アマゾンの木々に吸収される炭素は人為的活動で排出される炭素の約15年分に相当し、もしアマゾンの森林破壊がティッピングポイントを越え、取り返しのつかないところまで進めば、この文明の運命を決しうる大規模な気候変動が引き起こされるという。

ある資源に需要が集中するという現象は、初めはほんの数カ国だけでみられたものであっても、徐々に他国にも広がっていく。例えば、ナイジェリアとフィリピンはかつては林産物の純輸出国であったが、現在は輸入国である。タイではすでに森林の大部分が失われ、森林伐採が禁止されている。中国でも自国の木材需要を満たすため、シベリア、そしてミャンマーやパプアニューギニアなど東南アジア諸国のなかでわずかに残る森林保有国に目を向け始めている。

井戸が干上がり、草地の砂漠化が進み、漁場が枯渇し、土壌が侵食されると、そこに居住する人々は国内の別の場所、あるいは国境を越えて移住することを余儀なくされる。地球の限界を越えた土地では経済活動が困難になるため、環境難民を生み出してしまうのだ。

現代社会は、同時にいくつもの環境問題に直面しており、しかも問題同士が絡み合い複雑な様相を呈している。シュメール文明やマヤ文明など過去の文明は一地域に属し、文明の興隆や衰退が他の地域に与える影響はほとんどなかった。しかし、現代文明は地球規模である。私たちは、この文明を救うために力を合わせるのかそれとも、文明崩壊の犠牲者として甘んじるのかという二者択一を迫られている。

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seki 2010-02-13T18:42:05+09:00
再び食糧生産を考える─80億の人口を抱える世界のために http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100131_130421.html                        レスター・R・ブラウン

2005年4月、世界食糧計画と中国政府は、中国向けの食糧支援を年末に終了するという共同声明を出した。一世代前には数億の国民が慢性的な食糧不足にあえいでいたこの国にとって、これは画期的な出来事であった。中国は食糧援助に頼らなくなったばかりか、瞬く間に世界第3位の食糧援助国に変貌してしまったのである。

中国のこうした成功の鍵は1978年の経済改革にある。この改革で農業の集団体制、いわゆる「生産隊」が解散となり、家庭請負制が生まれた。個々の農村では、土地は戸別に配分され、土地に対して長期の賃貸契約が結ばれた。この方針転換は中国農民のやる気と創意を刺激し、穀物の収穫高は1977年から86年の間に50%増加したのだった。経済の急速な拡大による所得増加や、人口増加率の鈍化、穀物の収穫高上昇などにより、中国は食糧不足問題を10年以内でほぼ解消した。事実、過去にこれほどの速さでここまで食糧不足を解決した国はほかにない。

食糧不足は中国では解消されつつあるが、多くの発展途上国では蔓延している。特に顕著なのがサハラ砂漠以南の国とインド亜大陸の一部の地域である。その結果、発展途上国で飢えに苦しむ人々の数は、近年で最も少なかった1996年の8億から、今では10億を超すまでに増加している。こうした増加の一因には食糧価格の高騰や世界の経済危機がある。強力なリーダーシップ不在の中で、食べ物にありつけない人の数は、今後世界中でさらに増えていくだろう。その中でも最も被害を受けるのが子供たちである。

この問題を片付けるには、食糧需要の伸びが供給の伸びを上回るという長期的な傾向に対処する必要がある。1950年以降、世界の穀物収穫高は3倍に増えた。その一つの鍵は、収量の多い小麦やコメ(日本で最初に開発)、ハイブリッドトウモロコシ(米国で最初に開発)の導入がいくつかの発展途上国で急ピッチで進んだことである。

生産性の高い種子の普及は、灌漑農地が3倍に増えたことや化学肥料の使用が11倍にも膨らんだことと重なり、世界の穀物生産を3倍にも増やしたのだ。灌漑農地の拡大や化学肥料の増加により、世界中の多くの耕作地では土壌の水分や養分面での制約が根本から取り除かれることとなった。

しかし、今や見通しは変わろうとしている。灌漑用水の減少や、化学肥料をさらに追加しても伸びない収穫高、地球温暖化による気温上昇、農作以外への転用による耕地の減少、燃料費の高騰、収量を高める技術の開発余地が少なくなったことなど、農民はいろいろな問題に直面している。

それだけではない。毎年人口が7,900万人ずつ増え、農産品に対する需要は急速に高まっているし、畜産物をもっと口にしたいと思っている人がおよそ30億人もいる。さらに、ガソリンやディーゼル燃料の供給が逼迫していることを受けて、数百万の自動車利用者が燃料を穀物由来のものに切り替えている。農民や農業経済学者たちには今や方々から難問が突きつけられている。

世界中で、農業技術開発が行き詰まり、それに伴って耕作地の生産性を高める勢いに衰えが見られる。1950年から1990年の間では、1ヘクタールあたりの穀物の収穫高は世界全体で毎年2.1%ずつ上昇し、世界中の穀物生産高を急速に伸ばしていた。しかし、1990年から2008年では年間わずか1.3%上昇しただけである。その理由としては、化学肥料を新たに追加しても収穫が増えにくくなったことのほかに、灌漑用水が頭打ち状態になったことがある。

そこで必要となるのが、耕作地の生産性を上げるための新たな考え方である。その一つに、干ばつや冷害に強い穀物への品種改良がある。米国では育種農家が干ばつや冷害に強いトウモロコシの品種を開発した結果、トウモロコシの栽培が西側にも広がり、カンザス、ネブラスカ、サウスダコタ州でも栽培が可能になった。

米国最大の小麦生産地帯であるカンザス州は、トウモロコシの生産を増やすために、干ばつに強いトウモロコシを栽培するところと灌漑農法を行なうところを地域毎に分け、両者の組み合わせによって今では小麦よりもトウモロコシを多く収穫している。

土壌の水分に余裕がある場合には、1年に2回以上収穫する多毛作の耕地を増やすという、土地の生産性を上げるためのもう一つの方法がある。実際、1950年以降に世界の穀物収穫量が3倍に増加したのは、アジアでの多毛作が大幅に増加したためでもある。中国北部では小麦とトウモロコシ、インド北部では小麦と米の二毛作が、中国南部とインド南部では米の二期作または三期作が、よく行われている。

華北平原で冬小麦とトウモロコシの二毛作が普及したことにより、中国の穀物生産量は急増し、米国と肩を並べるまでになった。冬小麦の収穫量は1ヘクタールあたり5トン、トウモロコシも同じく平均5トンである。この2種類の作物を交互に栽培すれば、年間ヘクタールあたり10トンを生産できる。中国の米の二期作の収穫量は、年間ヘクタールあたり8トンである。

40年前にはインド北部では小麦しか生産されていなかったが、収穫時期の早い高収量の小麦と米の登場によって、稲を植えつける前に小麦を収穫できるようになった。この小麦・米の二毛作は、今ではパンジャブ州とハルヤナ州の全域、ウッタル・プラデシュ州の一部で広く行われている。この方法は、合わせて年間ヘクタールあたり5トン収穫できるため、インドの12億の人口を養うのに役立っている。

米国でも、早く収穫できる品種への改良と、多毛作を促進する栽培方法の開発を同時に行えば、収穫高は大幅に増加するだろう。中国の農家が広範囲にわたって小麦とトウモロコシの二毛作を行えるのなら、米国の農家も、農業研究や農業政策が後押しするようになれば同じことができるだろう。

そのほかにも、冬の気候が温暖で高収量の冬小麦が育つ西欧でも、夏のトウモロコシなどの穀物、または秋まきの油料種子との二毛作を増やせるだろう。霜の降りない生育可能期間が長いブラジルとアルゼンチンでは、広範囲にわたって小麦またはトウモロコシと大豆などの多毛作が可能である。
米国や西欧の大半の国、日本を含む多くの国では、肥料の使用量が、それ以上使
用量を増やしても収穫量がほとんど伸びないところまできている。しかし、アフリカの大部分など、肥料を追加使用すれば収穫量が一気に増える地域も残っている。残念ながらサハラ以南のアフリカでは、肥料を必要とする村に、低コストで輸送するインフラ設備がない。サハラ以南のアフリカ諸国の大半では、養分の枯渇によって穀物収穫量が低迷している。

アフリカにおけるこの問題への取り組みとして、穀物とマメ科の木を同時に植えるというひとつの有望な対策が行われている。木は当初はゆっくり成長するため、まず穀物が成長し、収穫される。それから苗木が急速に成長して1メートルほどの高さになり、アフリカの土壌に不可欠な窒素と有機物を含む葉を落とす。

その後、木は切られ、燃料として使われる。ナイロビの国際アグロフォレストリー研究センターの科学者たちが開発した、この単純で現地に適した技術によって、土壌が豊かになるにつれ、数年のうちに穀物の収穫量を倍増できるようになった。

地域によっては収穫量増加が見られるものの、全体的な食糧生産拡大の勢いが弱まっていることは否めない。したがって、人口の安定化や、食物連鎖の下位の食物の移行、既存の収穫物の生産性向上を真剣に検討せざるをえなくなるだろう。

世界全体で食糧と人口の好ましいバランスを達成できるかどうかは、できるだけすみやかに人口を安定させ、豊かな人々が不健康な、肉の大量消費をやめ、収穫物の自動車燃料への転換を制限することにかかっている。また、土地の生産性を上げたときと同じように水の生産性を向上させるとともに、収量減につながる気温の変動や頻繁な干ばつを防いで気候を安定させるための、協調した取り組みが必要なのだ。このような対策を組み合わせれば、全人類を養うに足る食糧の確保への道を切り開けるだろう。

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seki 2010-01-31T13:04:21+09:00
押し寄せる環境難民 http://www.es-inc.jp/lib/lester/newsletter/100126_091814.html                        レスター・R・ブラウン

21世紀初頭の人類の文明は、拡大する砂漠と上昇する海面のはざまで押しつぶされそうになっている。人間の居住を支えることのできる生物学的に生産性のある陸地面積で測定すると、地球は小さくなってきている。人口密度の高まりの要因はかつて、人口増のみであった。今では容赦なく進行する砂漠化もそれに拍車をかけており、予測されている海面上昇も間もなく影響してくるだろう。地下水の過剰揚水のため帯水層が枯渇する中、さらに何百万もの人々が水を求めて移住せざるを得なくなっている。

サハラ以南のアフリカ、主にサヘル諸国における砂漠化の進行により、何百万もの人々が住む場所を失い、南に向かって移動するか北アフリカへ移住することを余儀なくされている。2006年チュニジアで開催された国連砂漠化防止会議の推定によると、2020年までにサハラ以南のアフリカから最大6,000万人が北アフリカおよび欧州に移住する可能性があるという。こうした移民の動きは既に何年にもわたって進行中である。

2003年10月中旬、イタリア当局はアフリカからの難民を乗せてイタリアへ向かう船を発見した。2週間以上漂流したあげくに燃料と食料と水は底を尽き、乗り込んでいた者の多くはすでに命を落としていた。初めのうちは死者が出ると船外に放り投げられていたが、いつからか生き残っていた者たちは遺体を持ち上げて海に放り込む力さえ無くしていた。死者と生存者が同じ船に乗っている光景は、救助隊員が述べたとおり、まるで「ダンテの『神曲 地獄篇』の一場面」のようであった。

難民はリビアから出航したソマリ族だと見られているが、生存者は本国へ送還されるのを恐れ、自分たちの母国がどこなのか明かそうとしなかった。彼らが政治難民なのか、経済難民なのか、もしくは環境難民なのかは分からない。ソマリアのような破綻した国家からは、そうした3通りすべての難民が生み出される。確かなのは、ソマリアが、人口過剰、過放牧、その結果生じる砂漠化によって国の遊牧(牧畜)経済が破壊されてしまった生態学的な災害の一例であるということだ。

おそらくソマリ族の最大の移住先は、破綻しつつある別の国家イエメンであろう。2008年、推計5万人の移民と亡命希望者がイエメンに到着した。この数は2007年の70%増である。また2009年の最初の3カ月間に、前年同期比で30%増の移民が流入している。これだけの人口が増えるだけで、すでに持続可能ではないイエメンの土地と水資源にいっそう負荷がかかり、国の衰退が早まってしまう。

2006年4月30日、バルバドス島沖で釣り人が漂流している船を見つけた。全長約6メートルのその船には太陽と海水のしぶきにさらされ「ミイラ同然」と化した11人の若者が乗っていた。死が間近に迫る中、走り書きを残した人がいた。二つの遺体の間に押し込まれていたメモにはこう記されていた。「私はセネガルに住む家族に仕送りをしたいのです。申し訳ありません。さようなら」。

そのメモを残したのは、クリスマスイブにセネガルを出航した52名の集団の一人であることは明らかだ。この船は、欧州への足掛かりであるカナリア諸島を目指していた。彼らは約3,200キロメートルの距離を漂流しカリブ海に流れ着いたに違いない。同様の話はほかにもある。2006年9月の最初の週末、警察当局が数隻のモーリタニアからの船をだ捕したところ、乗船者は合わせて、過去最多の1,200名近くに上った。

ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグア、エルサルバドルなどの中米諸国に住む人々にとって、多くの場合、メキシコは米国への玄関口となる。2008年、メキシコの入管当局は約3万9,000人の身柄を拘束し、約8万9,000人に国外退去を命じたと報告した。

グアテマラとメキシコの国境に位置するタパチュラ市では、職を求める若者たちが北へ向かって市内をゆっくりと通過する貨物列車を線路沿いで待っている。列車に乗り込める者もいれば、失敗する者もいる。ジーザス・エル・ブエン・パストール避難所には、乗り込もうとした際につかまりそこね、列車の下敷きになって手足を切断した25名が身を寄せている。

避難所長のオルガ・サンチェス・マルティネス氏は、こうした若者たちにとって、これは「彼らのアメリカンドリームの終焉」なのだという。地元の司祭であるフロール・マリア・リゴーニ氏は、列車に乗り込もうとする移住者たちを「貧困が招いた神風特攻隊」と呼んでいる。

今日、追いつめられた人々が決死の行動に出た結果として、イタリア、スペイン、トルコの海岸に死体が打ち上げられない日はない。またメキシコ人が連日、米国で職を得ようと命懸けでアリゾナ砂漠を渡っている。毎年、平均約10万人以上のメキシコ人が農村部を離れる。生活するには小さすぎる、あるいは浸食されすぎている土地を捨ててメキシコの都市部を目指すか、米国に不法入国しようとしているのだ。アリゾナ砂漠を縦断しようとする人々の多くが、その過酷な暑さで命を落としている。2001年以降、アリゾナ州との境界沿いで発見されている死者は、毎年約200人に上る。

2050年までに、世界の人口は24億人増加する。増加のほとんどが、地下水面が既に低下している国々で生じるため、水難民は珍しくなくなるだろう。それが最も顕著になるのが、人口が水の供給量を上回り、水不足に陥っている乾燥・半乾燥地帯である。インド北西部では、帯水層が枯渇し住民が水をもはや手に入れられなくなっていることから、村が捨てられつつある。中国北部と西部、メキシコの一部では、何百万人という住民が、水不足によって離村を余儀なくされるかもしれない。

砂漠化が進むことで、増大する人口はさらに縮小を続ける土地に押し込まれている。ダスト・ボウル【訳注:1930年代に砂塵嵐の被害を受けた米国中南部の大草原地帯】では300万人が移住させられたが、中国の黄塵地帯で進んでいる砂漠化は、何千万人もの人々に移住を迫ることになるかもしれない。

アフリカもこの問題に直面している。サハラ砂漠はモロッコ、チュニジア、アルジェリアに住む人々を地中海に向かって北へ押しやっている。干ばつと砂漠化に必死で対処しようと、モロッコはその地理的条件に合わせて農業を見直し、穀物の耕作地を比較的水が少なくてすむ果樹園やブドウ畑に変えつつある。

イランでは、進行する砂漠化や水不足によって廃れた村々がすでに何千カ所にも達している。テヘランから車で1時間ほどのところにある小さな町、ダマーバンド周辺では、88カ所が廃村と化している。またサハラ砂漠がナイジェリアを覆い尽くしていくにつれ、農民や遊牧民は移動を迫られ、生産性はあるが徐々に狭まっている土地に押しやられている。たいていの場合砂漠化による難民は、都市部へ流れて多くが不法住居区に落ち着くが、国外に移住する者もいる。

ラテンアメリカでは、砂漠化が進み、ブラジルとメキシコの両国民が移住を迫られている。ブラジルでは、約6,600万ヘクタールの土地が影響を受けており、その多くが北東部に集中する。乾燥・半乾燥地帯の占める割合がブラジルよりもはるかに大きいメキシコでは、耕作地の荒廃は今や5,900万ヘクタール以上に及んでいる。

現在、砂漠化と水不足が何百万人もの人々に移住を強いている一方で、世界の人口が低地の沿岸都市部と稲作地帯の三角州に集中していることを考えると、海面の上昇によって将来移住しなければならない人が激増することは間違いない。その数は、いずれ何億人にも達する可能性があり、なぜ気候と人口の両方を安定させなければならないのかについて、説得力のある根拠の一つとなっている。

結局のところ、海面の上昇に関して問題となるのは、沿岸部の住居や産業施設が大損害を被った場合に、多くの人々を移住させるという政治的・経済的な負荷に耐え得るほど、世界各国の政府が強固であるかどうかである。

今世紀中に、私たちは急速な人口増、砂漠化の進行、海面の上昇といった、前世紀に自らが種をまいた流れによる影響に対処しなければならない。私たちが採るべき道はシンプルだ。こうした流れやそれに飲み込まれてしまう危険を食い止めることである。

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seki 2010-01-26T09:18:14+09:00