| カテゴリー:システム思考を学ぶ |
| 時間的遅れと世代間倫理 |
二酸化炭素の排出を今日やめたとしても、大気中の濃度上昇はすぐには止まりません。今日1000トン排出したとすると、そのうちの400トンは100年後もまだ大気中にとどまっています。そして150トンは、今から1000年後も大気中に残っているのです。 フィードバック・ループには、「時間的な遅れ」が必ずあります。うえの二酸化炭素の例を考えるとよくわかるでしょう。もし今日から、二酸化炭素の排出をゼロにしたとしても、その効果が出るまでには、何十年、何百年とかかります。同じような「時間的な遅れ」が、いろいろな面であります。汚染物質が食物連鎖に入り込んで、人間が病気になるまでの時間もそうです。 人口問題でいえば、赤ちゃんが生まれてから、始めて子どもを生むことができるようになるまでの約15年の遅れなど。「人間が成熟することに固有の時間の遅れのために、変化する状況に対応して出生率を変化させても、それによって人口が変化するまでには、避けることのできない遅れが存在する」ということです。 『成長の限界』では、「このような自然の遅れは、技術的手段によっては制御できないと述べています。
この「時間的な遅れ」があるからこそ、「現在」被害を受けることのない私たちが「本当はいけないこと」をやったり、打つべき手をぐずぐずと打たないでいるのですが、「将来世代にツケを回す」とか「世代を越えた暴虐行為」といわれるように、将来世代には、「身に覚えのない」被害をあちらからもこちらかも受ける・・・という状況を作りだしています。 せめて、スピードをゆるめなくては。フロンや二酸化炭素が十年、百年というスパンで影響を与えてくるなら、新しい物質を作ったり使ったりするスピードも、十年、百年というゆっくりしたスピードで進まないと、「目隠しをして、猛スピードで、さらにアクセルを踏み込んでいる」状態になってしまいます。 ところが、実際には、9秒に1つずつというスピードで新しい化学物質が作り出されているそうです。 アクセルを踏んでいる私たちは、衝突するまえにきっと車から降りてしまいますから、自分たちは怖くないのかもしれないですけど・・・。 加藤尚武先生などが提唱されている「世代間倫理」は、まだ生まれていない被害予定者?の声を、今の意思決定に取り入れるための考え方の一つです。現在の民主主義のしくみでは、将来世代の声が現在の意思決定に反映されないのです。
|
| ← 前の記事 | index | 次の記事 → |
