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<title>Library：アラン・アトキソン｜コラム他｜e&apos;s Inc. - </title>
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<title>新マンハッタン計画</title>
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<![CDATA[<p>多くのアメリカ人にとって、９月11日に起きた同時多発テロの惨劇は、今も生々しく脳裏に焼きついている。私が言葉を交わす人々も、ほとんど皆、以前のように外出したり、買い物を楽しんだり、ディズニーランドへの旅行を計画するなど考えられない、と言う。</p>

<p>ほとんどの人たちが、いまだ慰めを求める気にすらなれずにいる。</p>

<p>だからこそ、近頃ニュースで取り上げられているように、この国の政治家たちが国民に向かって発破をかけている言葉は、恐ろしいほど虚しく響くばかりだ。買い物しよう、お金を使おう、休暇の計画を立てよう、景気をよくしよう、だなんて。要するに、消費しよう、という呼びかけだ。</p>

<p>これほど多くのアメリカ人に直接的、個人的な打撃を与えた９・11テロの衝撃の深さは、他国に住む人々には理解されにくいかもしれない。世界の惨事のスケールから考えれば、死者6,000人というのはさほど大きな数字ではない。最近、インドや中央アフリカでは自然災害により多数の犠牲者が出たが、その数と比べるとゼロがいくつも足りない。あるいはユダヤ人大虐殺や、あの恐ろしい「マンハッタン計画」の産物である1945年の広島原爆投下でも、犠牲になった民間人死者数は桁違いに大きな数である。</p>

<p>しかし、９月11日に失われた6,000人の命は、そうした数字をはるかに越える影響をもたらしている。アメリカ合衆国という国は、人の動きが多く、人間関係が広範囲にわたるところだ。アメリカ人は、転職回数も多いし移動範囲も広い。ほとんど国中の人々とつながりがあるといってもいい。知人の知人、と６人分知人の糸を手繰れば、世界中のあらゆる人にたどりつけるという「６次の隔たり」説は、ここ米国で生まれたものだ。実際はたった２人分でつながることもよくある。</p>

<p>つまり、自分の知人、あるいは知人の知人が、同時多発テロの犠牲になったという人は驚くほど多いことになる。しかも大抵、その知人とは一人ではなく複数だ。</p>

<p>こうした個々人の喪失感は、当然のことながら、人々に計り知れない悲しみをもたらし、また深い自省を促しつつある。必要なだけ時間をかけて、自分を振り返ってみよう。考えるべきことはたくさんあるのだから。</p>

<p>私自身が以前にも増して痛切に考えさせられたのは、この国の経済が、いや、実のところこの国の国民性が、どれほど大きく消費に依存しているかということだ。国のリーダーたちが「金を使おう」と必死に煽るのは、こうしたことも理由の一つである。不景気だからと皆が消費を控えると、経済は徐々に停滞していく。だから、消費の勧めも理由があってのこと。国民に消費行動を起こさせ、来るべき世界的不況の痛みを軽減しようとの狙いなのだ。</p>

<p>しかし、このように消費を呼びかけるのは、ひどい皮肉でもある。政治家が奨励する旅行や車など物を買うという消費行動は、ほとんどが海外の石油への依存度をますます高めることにつながるからだ。そもそもアメリカが中東からの石油に依存していたことこそ、長く悲惨な外交政策のもつれを生み出す発端となったのだし、そこから生まれたさまざまな怒りが、ひいては世界規模のテロの陰謀へとつながっていったのではなかったか。</p>

<p>非道なテロ行為をアメリカ人の消費のせいだと言っているのではない。人道に反する犯罪は許されざるものである。しかし、米国の消費、特にエネルギー消費のあり方が、地政学的、あるいは経済的な脆弱さを生み出してきたという事実に目を向けようと私は言いたいのだ。世界の産油量に占めるＯＰＥＣ（石油輸出国機構）加盟国産の石油の割合が次第に増すだろうと考えられるため、こうした脆弱さは将来も大きくなるばかりだろう。</p>

<p>私たちが、何かとてつもなく思い切ったことをしない限りは、だ。</p>

<p>テロに立ち向かうための包括的な戦略の一つとして、私たちは自らのエネルギー政策を根本から見直すべき時に来ている。しかも米国のエネルギー政策だけではなく、先進工業国全体のエネルギー政策を変えなければならない。</p>

<p>各国がエネルギーを自国で賄い、エネルギーの持続可能性を確保することを目指すのだ。</p>

<p>９・11の教訓を胸に、大規模な研究開発プロジェクトを立ち上げようではないか。いまだかつて世界に例を見ないようなプロジェクトを。科学技術のあらゆる知見を結集しよう。そして、クリーンで安全かつ安定したエネルギー資源をできるだけたくさん開発しよう。</p>

<p>ただし、原子力エネルギーは問題外だ。テロの脅威がはびこる時代に、危険な標的となるものを増やすなんて、ばかげた話だからだ。原子力発電所が一カ所でも爆破されれば、一瞬にして何千という命が失われ、その後もゆっくりと命は奪われ続ける。そして地球は広範囲にわたって汚染され、何世代もそれが続くのだ。</p>

<p>だから、原子力ではなく、水素燃料電池や太陽発電用のソーラー・パネル、風力タービンを推し進めよう。一人一人が省エネルギーの達人になろう。まだ名前も知らない未知のエネルギー源を見つけだそう。地球温暖化や中東へのエネルギー依存問題、都市の大気汚染といった問題を解決しつつ、同時に、ネットの世界よりもっと地に足のついた、形あるものをベースにして「新ニューエコノミー」を作りあげていこう。</p>

<p>そして、こうした取り組みを「新マンハッタン計画」と名づけてはどうだろう。先のマンハッタン計画の忌まわしい遺産を清算し、テロで亡くなった6,000人もの人々や彼らが愛していた人、つながりのあった人など、図らずも犠牲となった多くの人たちのことを記憶に刻み込むために。</p>

<p>うまくいったからといって、悲劇が消え去るわけでも、失ったものが取り戻せるわけでもない。しかし、もし成功すれば、この国を、そして世界を、わずかでも元気づけることにはならないだろうか。</p>]]>

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<title>ピッツバーグ－不死鳥のように甦る持続可能な都市</title>
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<modified>2007-07-26T07:58:30Z</modified>
<issued>2007-07-26T07:56:35Z</issued>
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<![CDATA[<p >「アメリカで最も持続可能な大都市」を考えるとき、オレゴン州のポートランドが挙がることが多いだろう（ポートランド市民ならなおさらのこと）。ポートランドは確かに、「都市成長境界線」を開発したことや、ヨーロッパ方式の交通システムを取り入れたこと、そして全体的に清潔で環境に配慮されているという点で、アメリカの草分け的存在である。</p>
<p >しかし、ピッツバーグに注目いただきたい。</p>
<p >「“持続可能な都市ピッツバーグ”という表現はいかにも矛盾ではないか」と反射的に思われるかもしれない。鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー、銀行家のアンドリュー・メロン、食品会社を創業したヘンリー・ジョン・ハインツのような実業家を輩出したこの都市は、煙突が立ち並ぶ重工業の街として、米国人の意識に焼きついている。</p>
<p >この街の空気はかつて非常に汚れていて、スモッグで薄暗いために街灯が一日中灯されていた。また製鉄業やほかの産業がコストの低い海外へ移転してしまってからは、さらに失業の街としてのイメージもある。</p>
<p >しかし、1990年代初め、ピッツバーグ地域はめざましい復活を始めた。川はきれいになり、環境汚染などで利用されなくなっていたかつての工業地帯は再開発され、新しいテクノロジー企業が生まれるなど、いまやピッツバーグは、多様で回復力のある経済を擁する魅力的な都市になった。</p>
<p >町にいながら、三本の川でカヤックや釣りができ、何キロメートルものサイクリング・コースを楽しんだり、ハヤブサの巣作りを見ることもできる。運がよければ、オオアオサギに出くわすこともあるかもしれない。これは数十年もの間、この地域でまったく姿を見かけなくなっていたが、今よみがえりつつある種（しゅ）の一つだ。</p>
<p >また、ピッツバーグは、建築中のものも含めて、米国の民間環境建築基準であるLEED（エネルギー・環境設計リーダー）によって認証・登録された環境共生型建築物の数では、米国内でトップクラスである。</p>
<p >ただし誇張するのはやめよう。まだ「世界で一番環境に優しい都市」の話をしているわけではないのだから。ピッツバーグ地域は今なお大気汚染問題を抱えている。しかしその問題は、通りを車で走るのに昼間でもヘッドライトをつけなくてはならなかったかつてのものに替わり、今日では、地上のオゾン濃度が米国環境保護庁（EPA）の定める基準を満たしているか、否かという地域論争に関するものになっている。</p>
<p >さらにこの地域では、米国内に蔓延している「スプロール（ドーナツ化）現象」がかなり進み、問題になっている。1982年から1997年にかけて、建築物や道路は約40％増えた。一方、人口は実際のところ減少している。</p>
<p >大きな社会問題もまだ残されている。例えば、多数派である白人と、アフリカ系アメリカ人の低体重児の出生数を比べてみると、その格差が少しずつ広がっていることがよくわかる。</p>
<p >しかし「改善への動き」を尺度とするなら、ピッツバーグは不死鳥のように灰の中から確実に蘇りつつある。当社がピッツバーグでの長期にわたる持続可能性の動向を分析したところ、総合持続可能性指数（原則として、１から100で表した各動向の値を組み合わせて平均化した数値）は、この10年間着実に伸び続けていた。総合点は、100点満点中57点から64点へと７点アップした。</p>
<p >そしてその数値の伸びは、われわれが方位になぞらえて設定した「持続可能性の方向性指標」、つまり、自然（N）、経済（E）、社会（S＝）、個人の幸福（W）のすべてに反映されていた。部分的には良くなったものも悪くなったものもあったが、全体的には明らかに良い方に向かっていた。</p>
<p >なぜだろう？　ピッツバーグでは何がうまくいっているのだろうか？</p>
<p >簡単に答えると、地域で一生懸命改善に取り組んだことが実を結んできたのだ。（「ハインツ」や「メロン」といった名前のついた）地元の財団は、事情に精通した非営利団体の創設に投資してきた。地元の環境保護活動家は、圧力をかけたり、実証プロジェクトを実施したり、「静かな外交」を織り交ぜることで効果的な役割を果たしてきた。地元の大学は、都市設計に関する新しい考え方を提起して、全国的に注目された。地域の経済振興団体は、これまでにはなかった新たな事業を地元に誘致するのに懸命になってきた。</p>
<p >つまり、ピッツバーグが変わりつつあるのは、市民が変えようとしているからなのだ。</p>
<p >全米のあらゆる都市と同様に、ピッツバーグも依然として問題を抱えている。しかしそれでもなお、この地域がますます「持続可能」になっている理由はごくシンプルで、ただ誰もが改善に本気で取り組んでいるということだけだ。動向を調べ、何が改善に役立つかを理解すること。そしてまさにこの地域の勤勉さを誇る歴史の通り、言葉より行動を重んじるということなのだ。</p>]]>

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<title>新しいニューエコノミー</title>
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<modified>2005-06-13T14:46:38Z</modified>
<issued>2005-06-13T14:46:11Z</issued>
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<summary type="text/plain">私たちの経済を見直し、再編し、うまく設計し直すことで、さらに効率よく、環境に配慮...</summary>
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<![CDATA[<p >私たちの経済を見直し、再編し、うまく設計し直すことで、さらに効率よく、環境に配慮し、なおかつ収益性も高い経済をつくろうという、本格的な動向を示す兆しが次第にいたるところで見られるようになっている。</p>
<p >項目１：ガソリンと電気を併用する世界初の量産型ハイブリッド車が発表されたことは、2004年までに市場に参入する予定の燃料電池車と並んで、自動車業界ではその幕開けとなったフォードのモデルTの登場以来、初の本格的な革命の始まりを告げるものだ。</p>
<p >項目２：各国首脳や財界のトップが一堂に会する世界経済フォーラムは、最近スイスで開催されたダボス会議で、人類が直面する最も差し迫った問題として地球規模の気候変動を取り上げた。</p>
<p >項目３：多くの国では、自然食品市場が、ほかのどの食品部門をもしのいで急成長している。消費者が、ほんとうに体に良い高品質のものを選んで購入することで、こうした食品を支持しているためだ。(有機野菜を食べると精子の数が増加すると示唆する新しい研究のおかげで、この傾向は強まる一方だろう！)</p>
<p >世界中の政財界のリーダーが自然の価値を再評価し、その価値を文明のバランスシートに再び組み込み、持続可能な進歩のあり方を新たに創造しようとしている。このような前兆を無視し、「新しいニューエコノミー」とも呼ぶべきものを推し進めている認識やイノベーションの台頭に抵抗し続ければ、時代の波からはるか遠く取り残されることになるだろう。</p>
<p >逆に、世界経済の環境意識の高まりを絶好の機会ととらえれば、成功が待っているだろう。何が起ころうとしているのかを見通す先見の明がある人々は、その見返りに思いがけない利益を手にするだろう。端的に言えば、持続可能なビジネスは儲かるのだ。それも、とびっきりに。</p>
<p >成功の秘訣は、２種類の成長をきちんと分けて考えることだ。一つはいわゆる「経済成長」。もう一つは、われわれが使っては捨てるモノの量が増える「成長」。この二つは全く異なる現象でありながら、あまりに長い間、誤って、そして危険なまでに混同されてきた。</p>
<p >思い出してみよう。経済成長とは単に貨幣の流れの増加に過ぎない。国内総生産(GDP)で測っているのがまさにそれで、一国の経済が「成長」しているか否かの重要な指標として、経済学者が用いているものだ。</p>
<p >GDPは経済活動の指標としてもてはやされる反面、進歩を測る方法としては悪評高い。GDPは、取引されたすべてのドル、円、ユーロをもれなく計上していく。しかし、そのお金がコンピュータチップの購入に使われたのか、それとも石油流出の後始末に使われたのかは一切問わない。GDPの成長が往々にして自然破壊と結びついているため、GDPという指標は環境保護主義者にとって格好の悪口のネタになっているが、それももっともなことである。</p>
<p >しかし、多くの環境保護主義者が信じているのとは裏腹に、経済成長は本来「持続不可能」というわけではない。ただし、モノの流れと切り離されていれば、であるが。モノの流れ(資源の使用と廃棄)が減ってもなお、お金の流れ(流通額)を増やすことは可能である。</p>
<p >実際、このデカップリング(資源・エネルギー消費量と経済活力の分離)がすでに始まっていることが指標に現れている。例えば米国経済においてさえ、エネルギー消費の増加を伴わずにGDPが増加し始めている。多くの先進工業国で「物質集約度」(触媒、型枠、電力、空気、水などの間接材と直接材すべてを合わせた物資の投入)の低減が進み、資源効率は年々向上している。価値ある美しい世界を次世代に伝えたいのなら、こうした傾向を歓迎し、さらに加速させていくべきである。</p>
<p >持続可能性へ転換する動機はいたるところにあり、単に環境上の理由だけではない(それも重要なのだが)。すべての原料はコストであり、すべてのエネルギーはコストであり、すべての廃棄物はコストである。そのようなコストを削減することで、利益が拡大し、必然的に母なる地球への負荷が減り、人々の生活が向上する。誰もが得をする。それが、持続可能性というものだ。</p>
<p >それはまた、21世紀の大きな課題でもある。地球の資源や野生動植物の生息地を奪い去ったり、あるいは有害物質や放射性廃棄物、温室効果ガスといった廃棄物で地球を埋め尽くすことなく、私たちの経済を活気づけ、繁栄させ、誰にでも生活必需品や、快適でゆとりある生活をもたらす経済を再構築する必要があるのだ。</p>
<p >課題という意味では、これはかなり困難なものである。だが、この課題に挑まなければどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。孫世代の生きる世界が、ひどく貧しい人々であふれ、毒素に病み、気候変動にあえぎ、野生動物や澄んだ夕焼けを見るという希望すら持てないところだと知りつつ死んでいく、そんなことを望む人がいるだろうか。どうすれば、そうした可能性を考えることさえできるというのだろう。</p>]]>

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<title>足るを知る</title>
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<modified>2005-06-28T06:06:33Z</modified>
<issued>2005-06-13T14:44:32Z</issued>
<id>tag:www.es-inc.jp,2005:/lib/alan/column//17.153</id>
<created>2005-06-13T14:44:32Z</created>
<summary type="text/plain">私のスウェーデン人の友人が持っているタオルは２枚だ。実際は３枚持っているが、３枚...</summary>
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<name>seki</name>


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<![CDATA[<p >私のスウェーデン人の友人が持っているタオルは２枚だ。実際は３枚持っているが、３枚目は旅行に行くときしか使わない。浴室で使うタオルは、汚れたら洗濯し、そしていよいよだめになった時にはまた２枚買う。その時には質の良いものを選ぶから、長持ちする。</p>
<p >「２枚あればじゅうぶんだもの」と彼女は言う。「これでラーゴゥム（Lagom）よ」</p>
<p >そのスウェーデン語は、「これでこと足りる（enough）」と訳すと、正確にはちょっと違う。この「lagom（ラーゴゥム）」という言葉は、歌のようなメロディーで発音される。「la」は下がり調子で「ラー」。「gom」はそれよりも短い音節で、「home」（ホゥム）と韻を踏むように「ゴゥム」と発音し、「la」の出だしの高さに戻る。意味は、「程よくちょうどいい量」といったところだ。</p>
<p >この言葉を知って、なんと感激したことか！過剰消費や大量消費への反論を考えようとすると、英語にはこういうすてきな単語が全くないため、言葉に詰まってしまうのだ。 </p>
<p >「こと足りる（enough）」と言う言葉は、ほとんどのアメリカ人の耳には、その前に「かろうじて」が付いているように聞こえる。どういうわけか、「こと足りる」といっても決して足りているように聞こえないのだ。</p>
<p >「バランス（balance）」はいかにも難しそうだ。私自身だっていつもバランスがとれないでいる。「充足（sufficiency）」はどうも経済の専門用語のニュアンスだ。マーケティング業界で最近はやっている「シンプル（simplicity）」でさえも、道徳心が強い人や、ひどく多くのモノに圧倒された重症患者の心くらいにしか響きそうにない。</p>
<p >私たちは、ちょうどいい量とはどのくらいなのかを考えるための概念を必要としている。そしてそれを言い表す言葉が、スウェーデン語にはある。</p>
<p >この「lagom（程よくちょうどいい量）」という考え方は、ケーキから二酸化炭素排出量に至るまで、すべてのものに当てはめることができる。では、チョコレートケーキの「lagom」とはどのくらいの量だろうか。私なら、たいてい「こと足りる量」よりもちょっと多めを考えるだろう。では、二酸化炭素ならどうか？それは、地球の生態系がちょうど吸収できる量であって、それ以上ではない。つまり、「lagom」の許容量は「こと足りる量」より大きいけれども、上限はあるのだ。</p>
<p >アメリカ社会が「lagom」の概念を中心に成り立っていたとしたら、どうだろう。ただし、スウェーデンがそういう社会だと言っているわけではない。私の友人は過激なタイプではないが、周りのスウェーデン人よりは熱心な「lagom」主義者だ。（かつての北欧の海賊、バイキングたちが「程よくちょうどいい量」だけを略奪する姿なんて想像できるだろうか！）</p>
<p >アメリカ人にいたっては、この単語の発音さえうまくできない人がほとんどだろう。でも、私はこの言葉にちょっと心をひかれている。なぜなら、「こと足りる」にも「充足」にも、「シンプル」という言葉にさえも感じられない魅力的な響きが「lagom」にはあるからだ。</p>
<p >世界中のほとんどの人は、「こと足りる量」では満足しない。もっと欲しいのだ。人々は、必ず必要最低限以上のモノを欲しがるものだし、ある研究によると周囲の人が持っているよりも多くのモノが欲しいと感じるそうだ。</p>
<p >このような「もっと欲しい」という欲望は、ヒトの体内に深く刻み込まれているようである。人類は何千年もの間、過酷な自然環境と社会環境の中で生き抜いてきた。必要以上の量を確保することは、いつの時代でも、不透明な将来の不測の事態に備えるための第一の防衛策だった。行く手に嵐（あるいは、あらゆるモノを略奪していく海賊のバイキングたち）が控えていると思えば、まずモノを蓄える行動に出るのだ。</p>
<p >だから、「こと足りる量」や「自発的なシンプルさ」といった考え方は、今後も一部の人たちからは好まれる一方で、大多数の人々（あるいは、あらゆるモノを人々の家に詰め込もうという、いわば略奪の逆の行為に必死の企業群）を変えるだけの力を十二分に持っているとは決して言えないようである。</p>
<p >けれども、スウェーデン語の「lagom」を表す適切な訳語を見つけられさえすれば、この素晴らしい感覚を世界中に広めることができそうだ。なぜなら、この言葉は、人々が実際には何を求めているか、に訴えかけるからだ。</p>
<p >例えば、良い靴を履くことはとても嬉しいことだと認めよう。良い靴を欲しがっても、誰も責められたりしない。だけど、１人の人間に15足の靴が本当に必要だろうか？　答えはノーである。かと言って、１人１足で足りるかというと、それもノーだろう。</p>
<p >「lagom」という言葉では、人が必要とし欲しがるモノは時と場合により変わるということを認めている。人は、良いモノも欲しがれば、心地よさを求めたり、そして安全も望んだりする。必要最低限より多くのモノを得ることが、単なる欲望ではなく、不可欠である場合もあろう。「こと足りる量」よりも多くを求めることが許されるばかりか尊重されるとなれば、たぶんみんなも、どのくらいがちょうどいい量かを考える気になるかもしれない。 </p>
<p >われわれアメリカ人の生活が「lagom」の範囲をはるかに超えているのは明らかだ。私は時々、コストコやサムズクラブなど、たくさんの消費財であふれかえった巨大なディスカウントストアをぶらつくことにしている。その広さといったら、潜水艦の組み立て工場がすっぽり収まるほどだ。メキシコ料理のタコスの材料からトランポリンや、木でできた船の模型まで、何でもケース単位で買える。ショッピングカートの大きさは小型車のようだ（いや、車は買えない－まだ今のところは）。</p>
<p >こういう店の売り場を歩き回っていると、いくつもの全く異なる感覚が心をよぎる。ひとつは、生々しく強い消費欲。それから、道徳観に基づく激しい怒り。さらに、環境問題を考えての心の痛み。</p>
<p >しかし、例のスウェーデン人の友人をこのような店に連れて行ったところ、彼女の反応はもっと現実的だった。「ここではずいぶんお金を節約できそうね。まとめ買いした方がいいものもあるし」。（タオルは別だけど。）「でも、こういう店だとつい買いすぎてしまいそうね」</p>
<p >ありあまるほどのモノが必要な人はいないし、実は本当のところたいていの人はそんなに多くのモノを望んでもいないのだ。とはいえ、少なすぎるのはいやだと誰もが思っている。たぶんわれわれの描く持続可能な世界では、ありあまるほどのモノを欲しがらせるような誘惑をほとんどなくしながらも、すべての人がただ「こと足りる量」ではなく「lagom（程よくちょうどいい量）」を得られるべきだろう。</p>
<p >さて、新しく覚えたこのすてきな言葉についてまだまだ書きたいことはたくさんあるが、おそらくこのあたりが「lagom」だろうか。</p>
<br />
<p ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/img/lagom.gif"><img alt="" src="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/img/lagom-thumb.gif" width="200" height="161" border="0" /></a></p>]]>

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<title>ほら！　アメーバがやってくるぞ！</title>
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<modified>2005-06-28T06:04:47Z</modified>
<issued>2005-06-13T14:30:30Z</issued>
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<summary type="text/plain">その日もまた、私は持続可能性についての会議に出席していた。会場は、大きな高速道路...</summary>
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/">
<![CDATA[<p >その日もまた、私は持続可能性についての会議に出席していた。会場は、大きな高速道路脇の巨大なショッピングモールの端に建つ大型ホテル。およそ会議のテーマに似つかわしくない場所である。</p>
<p >このような皮肉には、今までにもあまり出くわしたことがない。そう言いたいところだが、実際の私は、これ以上の皮肉を受け入れる余裕がもうどこにも残っておらず、何かの拍子に泣き崩れてしまうのではないかと感じ始めていた。</p>
<p >しかし間もなく、素晴らしいことが起きた。私は泣き出しそうになったが、それははるかに嬉しい理由からだった。</p>
<p >事の始まりは、カリフォルニア州パロアルト市の職員、ジュリー・ワイスのプレゼンテーションだった。「1999年当時、市の職員の間では、『持続可能性』は禁句として知られていました」と彼女は語った。「公式の場でその言葉を使うことは、事実上一切禁止されていたのです」。</p>
<p >それから5年。現在のパロアルト市は、持続可能性プログラムを有し、持続可能性のための政策を掲げ、持続可能性報告書を毎年作成している。そして、市当局そのものも「環境に優しい事業体」の認証を受けている。市としてこの認証を受けたのは、全米でも同市が初めてである。こうした一連の活動に、守衛からコンピュータ・ＩＴスタッフに至るまで、すべての職員が取り組んできた。</p>
<p >同市では、エネルギー使用量を17％削減した。所有する重機の燃料をバイオディーゼルに転換し始め（すでに20％まで転換済み）、洗浄剤や害虫駆除システム、印刷溶剤も、毒性の低い、あるいは全くないものに切り換えた。節減されたコストは、すでに数十万ドルにも及んでいる。</p>
<p >何が変わったのか？「持続可能性」を禁句と呼んでいたパロアルト市は、いかにして持続可能性のリーダーに変貌したのか？「最初に取りかかったのは、適切な人材を引き入れることでした」。ジュリーはこう言って、説明を始めた。新しいアイデアを持った「イノベーション考案者」について。アイデアを広めるのを得意とする「イノベーション推進者」について。そして、主流派の人々にアイデアを妥当なものと感じさせるのに一役買う「イノベーション実行者」の発掘について。‥‥どれもずいぶんと聞き覚えのある話だった。</p>
<p >次に彼女は、この「文化の変化のアメーバ」という戦略を説明するため図式を示し、こう言った。「スライドに出典を記しておいて正解でした。というのも、このアラン・アトキソン氏は今日ここにお見えになっていますので」。</p>
<br />
<p ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/img/amoeba.gif"><img alt="" src="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/img/amoeba-thumb.gif" width="340" height="211" border="0" /></a></p>
<p >私が何よりじんときたのは、アメリカの持続不可能な巨大インフラの中心のようなこの場所で、再び「変化は可能である」ことを目の当たりにしたことだ。戦略的思考を持ち、長期にわたって粘り強く活動する献身的な人々は、良いアイデアを取り上げ、それを賢明に人から人へと広めることができるのだ。そうする中で、人々の行動や文化も変化し、重荷にあえぐ地球に人類がかける負荷を軽減することができるのだ。</p>
<p >しかし、この小さなアメーバがささやかながら役に立ったのかもしれないと思うと、くすぐったい気もした。1990年にロバート・ギルマン（「文化はアメーバの如し‥‥」）とエベレット・ロジャーズ（イノベーション普及理論の生みの親）のアイデアを元に作られたこのアメーバは、戦略的なイノベーション推進に関するトレーニングや企画立案支援において中核的役割を果たしており、国連の研修プログラム、企業、ＮＧＯ、そしてもちろんパロアルトのような自治体と、世界中で利用されている。</p>
<p >しかし1990年当時はまだ、友人（今はキリスト教ユニテリアン派の牧師であるデュアン・フィケイセン）の意見を参考にしながら、私がそれをまとめたばかりだった。ワークショップを開いてほしいという依頼に応じて考えたのだ。ワークショップの舞台となったのはシアトルでの画期的な「地球と精神」という会議で、1,200名が集まり、多くの環境への取り組みが始まるきっかけとなった。そうした取り組みは、あるものはプロジェクトや組織に発展し、中にはそれを生涯の仕事にする人も出てきた。</p>
<p >会議の出席者の中には、例えばオレゴン州ポートランドのノースウェスト・アース・インスティテュート（ＮＷＥＩ）の創設者である、ディック・ロイとジーン・ロイがいた。当時ディックはポートランドでトップクラスの企業弁護士だったが、彼とジーンは環境問題への懸念を日に日に深めていた。それで２人は「地球と精神」会議に出かけ、そこで私が初めて行ったアメーバ・ワークショップに参加したのだった。その時には「イノベーション普及ゲーム」と呼んでいたものだ。</p>
<p >これに触発されたロイ夫妻は、家に戻るとすぐにポートランドからの出席者全員に呼びかけて集会を開いた。すると一人残らずすべての人が姿を見せた。</p>
<p >その集会からはさらに多くの集会が生まれ、そうした集会の中から、ポートランドで自主的な討論会を企画運営する非営利組織を始めようというアイデアが生まれた。ときには職場で、またときには昼食を共にしながら、環境問題について議論しようというものだ。</p>
<p >そのプログラムは大成功を収め、今や全米50州へ広がっている。これまでに何千人もの人々がＮＷＥＩの自主的な討論会に参加してきた。さらに、その中で驚くほど多くの人々が、自分たちの組織や地域社会で変化を起こそうという思いに駆られてきた。</p>
<p >ディック・ロイが最近よこした便りには「文化の変化について考えるたびにアメーバのことを思うよ」とあった。そしてその通りなのだ。ＮＷＥＩが体現している多くの素晴らしいものには、文化の変化を起こすための賢明な戦略－つまり現在“行動中”のアメーバ－があるのだ。イノベーション普及理論を知れば、あるアイデアがゼロからスタートし多くの人に受け入れられるまでに何が必要なのか、理論上だけでなく現実に即して理解できる。</p>
<p >現在のアメーバは、トレーニングや企画立案の枠組みとして以前より洗練されてきているが、ディック・ロイとジーン・ロイはアメーバをロールプレイング・ゲーム形式で経験した最初のメンバーだった。そのロールプレイング・ゲームは、新しい（そして持続可能な）アイデアを導入し、一人ひとりがそれを受け入れるようになる方法を探るプロセスを、実演して示すものだった。</p>
<p >参加者はさまざまな教訓を得るが、とりわけ、アイデアというのはうまくパッケージ化されていなくてはならないこと、またそれを伝える人は信頼感があり、コミュニケーション能力に長けていなくてはならないことを学ぶ（そのアイデアが実際には誰の思いつきだったのかは問題ではない）。こうした人々はイノベーション推進者と呼ばれ、アイデアは人々がすでに持っているほかのニーズと結び付いたときに普及しやすくなることを知っているのだ。</p>
<p >イノベーション推進者が真っ先に学ぶ最も大事なことは、「アイデアを誰に示すか」ということである。無関心な人に関心を持ってもらおうとしたり、反対派を変えさせようとすると、挫折しておそらく失敗する。</p>
<p >しかし、好奇心が強くて物事を受け入れやすい人々、そして自分たちをさいなむ不安に対処するための何かを心から求めている人々を、そっと引き入れたなら、（変化を起こすのに）必要不可欠な数の人々が集まり始めるだろう。そしてその不可欠な人々は、「アメーバ」の残りの部分―あなたの組織や地域社会、あるいは社会全体―を、新しい方向へと力強く引っ張っていくだろう。</p>
<p >オレゴン州全土に小規模な自主的討論会の種をまく戦略は、ＮＷＥＩの出発点であり、非常に賢明なイノベーション普及戦略だった。この戦略は、「初期導入者」イノベーションの普及理論で使われる用語。特にマーケティング担当者が新しいアイデアを説明・宣伝する対象者で、そうした新しいアイデアを受け入れる可能性の高い人々）を引き寄せたが、反動主義者（現状から既得権益を得ていてイノベーションを執拗に拒む人々）からの反感を買うこともなかった。</p>
<p >言い換えるなら、この戦略は誰にも害がないように見えたのだ。だが今やオレゴン州は、持続可能性の活動を育む世界的な拠点となっている。そして、変化を導いてきた驚くほど多くの人々が、ＮＷＥＩによって何らかの影響を受けている。</p>
<p >ジュリー・ワイスは、パロアルト市の普及戦略を、いくつかのポイントに簡潔にまとめた。すなわち、プロジェクトを人々が従来持っている関心と関連付けることにより、そのプロジェクトの影響力を高めること。次にそうした人々の関心に沿う新しい目標を提示すること。そして、チャンスが到来したらすぐその波に乗れるよう、広めたいアイデアの「ソーシャルマーケティング」を万全にしておくこと。</p>
<p >ＮＷＥＩは、すでにこれらもすべて実行済みで、現在ではＮＷＥＩモデル自体が全国的に広がっている。（持続可能な）イノベーションの普及を促すイノベーションそれ自体が普及しているのだ！　これはもう「メタ普及」というべき、文化の変化を真に加速させる戦略である。</p>
<p >ＮＷＥＩとパロアルト市はたった２つの例に過ぎないが、その陰にはほかに数百もの同じような例が存在している。すなわち、素晴しい変化の戦略―もちろんアメーバは必要ない！―が、誰かの素晴しいアイデアを、多くの場合わずか数年で、大企業全体、都市全体、あるいは地球全体へと広めていった例だ。</p>
<p >このようなプロセスは、変革を起こすための現実的で実際的な要素である。こんな風に考えてみてほしい。人間の文化を構成する、私たちの周りのすべてのこと―文字通りあらゆること―が、かつてはイノベーション、すなわち誰かの素晴しいアイデアだった。</p>
<p >イノベーション推進者が、鍵となる最初の段階で効果的な働きをしたおかげで、受け入れられたそのアイデアは速度を増してさらに遠くへと広がっていき、ついには「生活の一部」となった。古くて効率の悪いアイデアは、多くの場合、そのプロセスの中で脇へと押しやられていった。</p>
<p >これこそが、まさに今、持続可能性について起きていることなのである。</p>
<p >こんな素敵なプロセスに参加しているなんて、最高だと思わないかい？</p>]]>
<![CDATA[<p >この記事は、<a href="http://www.nwei.org/">ノースウェスト・アース・インスティテュート（ＮＷＥＩ）</a>のニュースレターである『アース・マターズ』の依頼を受けて作成されたものを基にしています。</p>
<p >「文化の変化のアメーバ」についての詳細は、彼の著書、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569632149/junkoedahiro-22/249-2131828-5647519">『カサンドラのジレンマ　地球の危機、希望の歌』（PHP研究所、2003年)</a>の第9章、または <a href="http://www.atkisson.com/" onclick="window.open(this.href); return false;" >http://www.atkisson.com/</a> をご覧ください。</p>
<p >和訳：佐野真紀、小島和子、服部陽子</p>]]>
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<title>希望の歌</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/050613_231929.html" />
<modified>2005-06-13T14:27:57Z</modified>
<issued>2005-06-13T14:19:29Z</issued>
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<summary type="text/plain">アランはシンガーソングライターでもあり、環境や持続可能性に関わる歌もたくさん作っ...</summary>
<author>
<name>seki</name>


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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/">
<![CDATA[<p >アランはシンガーソングライターでもあり、環境や持続可能性に関わる歌もたくさん作っています。彼が私や翻訳者たちにCDを贈ってくれました。『カサンドラのジレンマ』を翻訳した、実践和訳チームのメンバーが「自分の一番好きな曲に訳詞をつけてみました」と、翻訳をしてくれました。また、メルマガで紹介したところ、土佐弁バージョンを送ってくれた方もいました。標準語バージョン、関西弁バージョン、土佐弁バージョンと合わせてご紹介します。</p>
<p >
 
</p>
<h3 ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/050613_231929.html#e382aae383aae382b8e3838ae383ab" id="e382aae383aae382b8e3838ae383ab" ></a>オリジナル</h3>
<p >I VOLUNTEER</p>
<p >Words and Music (c) 1997 by Alan AtKisson<br>In memory of Joe Dominguez</p>
<p >How much is enough?<br>How much does anyone require?</p>
<p >Can I be both kind and tough?<br>Can I put faith before desire?</p>
<p >Right now, for all time,<br>I vow to try...</p>
<p >I volunteer to be simple<br>I volunteer to love<br>Every living thing<br>Like a mountain stream<br>That flows out o'er the land</p>
<p >I volunteer for the journey<br>From here to heaven's gate<br>I will do my part<br>I place my heart<br>In your gracious hands...</p>
<p >How then shall we live?<br>Let us live lightly as a feather</p>
<p >How much shall we give?<br>Let us give everything, together</p>
<p >One heart, one mind<br>All humanakind...</p>
<p >I volunteer...</p>
<p >
 
</p>
<h3 ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/050613_231929.html#e6a899e6ba96e8aa9ee38390e383bce382b8e383a7e383b3" id="e6a899e6ba96e8aa9ee38390e383bce382b8e383a7e383b3" ></a>標準語バージョン</h3>
<p >1. どれだけのモノがあれば、いいんだろ</p>
<p >愛と希望<br>勇気だけで　十分さ</p>
<p >やってみようよ<br>今すぐ</p>
<p >（繰り返し）<br>シンプルに生きるんだ<br>ひとを愛し<br>この世界すべてをいつくしみながら</p>
<p >大地をうるおす<br>川のように<br>わたしたちは、この星を旅してく</p>
<p >2. 本当にそんなことができるの？</p>
<p >どんな風に<br>覚悟したらいいの？</p>
<p >カンタンなことさ<br>やってみよう</p>
<p >（繰り返し）<br>　　（訳詞：とよたか　あきえ）</p>
<p >
 
</p>
<h3 ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/050613_231929.html#e996a2e8a5bfe5bc81e38390e383bce382b8e383a7e383b3efbc88e381aae381abe3828fe381aee3818ae381a3e381a1e38283e38293e38390e383bce382b8e383a7e383b3efbc89" id="e996a2e8a5bfe5bc81e38390e383bce382b8e383a7e383b3efbc88e381aae381abe3828fe381aee3818ae381a3e381a1e38283e38293e38390e383bce382b8e383a7e383b3efbc89" ></a>関西弁バージョン（なにわのおっちゃんバージョン）</h3>
<p >1.　ぎょうさん　モノが<br>なんぼあったら、ええんやねん　　　</p>
<p >ほんまは　そんな<br>いらんのんと　ちゃうんかな</p>
<p >わてらの　暮らし<br>変えたろか</p>
<p >（繰り返し）<br>いらんもんなんか<br>買わへんのや<br>シンプルに生きたら、気持ちええやんか</p>
<p >わてらはみんな<br>地球市民<br>この星を、ほんまは　愛してる</p>
<p >2. 毎日を豊かな気持ちで　過ごすんや</p>
<p >やさしく　タフに<br>自由に生きていけるんや</p>
<p >わてらは　今<br>決めたんや　</p>
<p >（繰り返し）<br>   （北河内のアッキー：なにわバージョン）</p>
<p >
 
</p>
<h3 ><a href="http://www.es-inc.jp/lib/alan/column/050613_231929.html#e59c9fe4bd90e5bc81e38390e383bce382b8e383a7e383b3" id="e59c9fe4bd90e5bc81e38390e383bce382b8e383a7e383b3" ></a>土佐弁バージョン</h3>
<p >どればあ　モノがあったらええがぜ？<br>はちきんといごっその心意気だけで上等やないが<br>試しに暮らし方変えてみるかえ</p>
<p >田舎風に生きてみるき<br>家族と友達、近所のおんちゃん、おばちゃん<br>おじい、おばあ、子供らあの笑顔見ながら</p>
<p >そして、山と川と海を大事にして暮らすき<br>森から川へ流れて土佐湾にでていきゆう水みたいに<br>おらんくの池で泳ぎゆう鯨みたいに<br>自然に人生を生きてみるきねえ</p>
<p >けんどそんなことできるが？<br>なんかこらえんといかんがやないが？<br>案外簡単ちや。とりあえずやろうや。</p>]]>

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<title>サンタへ−北極の氷が融けているんだって？</title>
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<modified>2005-06-12T21:53:19Z</modified>
<issued>2005-05-26T09:05:12Z</issued>
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<summary type="text/plain">サンタへ 今年は、以前の僕に比べると、かなり「おとなしく」していた。子供ができる...</summary>
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<![CDATA[<p >サンタへ</p>
<p >今年は、以前の僕に比べると、かなり「おとなしく」していた。子供ができると少し落ち着くものらしい。今年は僕もけっこういいプレゼントがもらえそうだね。</p>
<p >でも、今回僕がクリスマスに本当に望んでいるものは、サンタの君でもプレゼントすることはできないだろう。なぜならそれは、この地球に新しいエネルギーシステムをプレゼントしてほしいってことだから。そして、温室効果ガスの排出量をこれ以上増やさず、地球規模の気候の大変動を止めてほしいってことだから。</p>
<p >僕がどんなに辛抱強く、愚痴ももらさず子守りをしたところで、奇跡が起こるというクリスマス・カジノで山積みのチップを手に入れ、一発逆転をねらうなんて無理な話なんだろうね。これまでの人間の業（ごう）を奇跡の力で帳消しにするなんてことはできないんだ。</p>
<p >でもね、サンタ、今や地球の温暖化は君の存在よりずっと現実味のある話なんだよ。</p>
<p >どこかの政治家たちや自動車業界の広告主たちが、まるで何も起こっていないかのように見せかけたようと、自然はただその営みを続けるだけってことは、君もよく知っているよね。</p>
<p >実際、君なら自然の法則の不変性を僕より知っているだろう。なにせ1970年代以来融け続け、今や40％も薄くなってしまった氷の上で暮らしているんだから。今世紀中ごろまでには、大きな居住用ボートが必要になるかもしれないね。君と小人の妖精たち、そして住むところを失った数千頭の北極グマたちのために。</p>
<p >そして、水田の半分が沈んでしまうというバングラデシュに対しても、僕たち人間が何とかすることができるという望みはゼロらしい。最近インドで開かれた気候変動についての国際会議のニュースを見たかい？</p>
<p >「産業界に肩入れする専門家たちは、ニューデリーで開催された温暖化防止会議での方向転換に小躍りした」と、2002年11月3日付のニューヨークタイムズは伝えていたよ。「方向転換」とは、世界が地球温暖化を食い止めたり温暖化の速度を緩めたりすることを、基本的にあきらめてしまうことさ。</p>
<p >「産業界」（全部じゃないよ−中には環境のことを真剣に考えてる業界もあるんだ）は、もう技術革新に投資したり、炭素税を払ったり、自社製品を作り直したり、ゼロエミッションエネルギーシステムに転換する必要がないので大喜びさ。</p>
<p >タイムズ紙は、「今や議論の中身は、避けられない気候変動にどう適応するか、ばかりである」と書いている。</p>
<p >ねえサンタ、気候変動が避けられないってことは知ってるよ。なにしろそれはもう始まっているのだからね。僕は子供のオムツを替えるあいまに科学雑誌を読むようにしている。だから、温暖な気候帯の生物種が北極や南極に向かって移動しつつあるとか、壊滅的な被害をもたらすエルニーニョの発生回数が増えているとか、そういった数千とは言わないまでも数百の兆候が「地球の温暖化が引き起こすであろうと予想されている影響と一致する」ことを知っているんだ。</p>
<p >僕は僕なりに根気強く学んできた。おかげで、「仮に今CO2やその他の温室効果ガスの排出を止めたとしても、地球の気温は何年もの間上昇し続ける」という事実−このことはMIT（マサチューセッツ工科大学）の大学院生だって3人に2人は知らないんだぜ！−も知ることができた。</p>
<p >この現象は「システムにおける遅延」といって、夏の日が（君や僕が住む北半球では）6月21日を境にだんだん短くなっていくのに、気温の方はその後も上昇しつづけるのと同じ理屈で起こるんだ。</p>
<p >「システムにおける遅延」については、サンタ、君も知ってるはずさ。君だって、プレゼントの贈り先リストを書き上げたあとに、もう一度見直しをするだろう。いい子や悪い子の情報が、遅れて報告されることもあるからね。</p>
<p >でも、遅延があろうがなかろうが、僕はあきらめるつもりはない。大好きなアンデス山脈の氷河やスウェーデンのスキー場が消滅していくのを、ただ見ていることはできない。</p>
<p >地球温暖化に誘発されてやってくる次のハリケーンがニューオーリンズのバーボン・ストリートを吹き荒れ、あの町を約6メートルの水底に沈めてしまうなんて、考えたくもない（バーボン・ストリートではみんな「ハリケーン」というカクテルをよく飲んでいるけれど、こっちのハリケーンは反対に僕たちを飲んじゃうかもしれないんだ）。</p>
<p >ねえ、サンタ。大の大人がポリエステル製の赤い衣装を着た架空の人物に泣きついて助けを乞うなんて、どうかしてるよね。それは僕にも分かっている。それでも僕は、「世界の指導者」と呼ばれるような人たちにでなく、君にこの手紙を書いている。「世界の指導者」のほとんどは温暖化の問題について、身勝手にもさじを投げてしまっているんだ。時としてご褒美に値しないような子供たちにさえ予期せぬプレゼントを配って歩く君は、僕たちの唯一の希望のように思えてならない。</p>
<p >だからサンタ、お願いだ。化石燃料を燃やさずにすむ、何か別の方法をその袋から出してくれないか。</p>
<p >今すぐじゃないとだめなんだ。そして、比較的安価で、簡単に普及するものでなければならない。なぜって？　考えてもごらんよ、サンタ。エネルギーはみんなが欲しがっているものなんだよ。</p>
<p >僕たちにとって必要な食べ物もエネルギーで育つし、水だってエネルギーを使って運んでいる。交通機関だってエネルギーがなければ動かない。でも、僕たちのところに今あるエネルギーは……、よくないんだ。エネルギーは、僕たちが一番必要なものであると同時に、一番の悩みの種なんだ。今こそそれを大きく変える時なんだよ。</p>
<p >たとえば、本気で地球の温暖化を何とかしようと思うのなら、地球上のすべての自動車に今とは違うモーターをつけなくちゃ。石炭火力発電所は全部取っ払って、代わりに最先端の技術を使った水素燃料電池をずらりと並べる。あるいは、かなり奇抜だけど、宇宙そのもののパワーを取り込むテスラコイル装置なんてのもいいかもしれない。</p>
<p >トナカイの力でスイスイ滑る、ゼロエミッションのそのすてきなソリに、サンタがそんなものを用意してくれているかどうかは分からない。けど、何か1 つくらいいいものを持ってるだろう？　僕たちは、クリスマスも間近というこの時期に、またもやエネルギーをめぐって戦争を始めようとしている。</p>
<p >でも、僕は決して望みを捨ててはいないよ。人類は、こと地球の扱いとなるとまだまだどうしていいのやら困ってしまう、愚かな生き物かもしれない。だけど、僕たちだって努力はしている。そりゃあ企業会計で不正を働くような連中だって中にはいるけど、君からプレゼントをもらえるくらいのことはしてきたつもりさ。</p>
<p >サンタ、お願いだ。新しいエネルギーシステムをくれないか。地球の気候を安定させてほしい。僕たちのひ孫の世代にも、一面の雪景色、軒から下がるつらら、そして真っ白な雪だるまのあるクリスマスを、プレゼントしてやってほしいんだ。</p>
<p >それともいっそ、僕たち自身でそれをやってのけるだけの勇気と力をくれないか。</p>]]>

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