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被災地・石巻の今~サードステージ代表理事 杉浦達也さんのお話 その3「サードステージの立ち上げ、そして今後へ」

2016年10月31日
被災地・石巻の今~サードステージ代表理事 杉浦達也さんのお話 その3「サードステージの立ち上げ、そして今後へ」

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https://www.flickr.com/photos/jetalone/8198375777

シリーズでお届けしている、石巻で活動を続けている杉浦さんのお話、これが最後になります。被災地・石巻での取り組み、拠点づくり、そしてこれからについて、ぜひ共有していただければと思います。

本当に大事な活動を続けられていると思います。これから行政の支援が少しずつ減っていく中、ぜひ杉浦さんたちの活動が続き、地域の人々を支え続けてくれることを願っています。

末尾に、支援のお願いがあります。ぜひご協力いただければうれしいです。私からも、どうぞよろしくお願いします!

~~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~~~~~~

・サードステージ立ち上げについて

JENの事業の中で、最後に牡鹿半島事業が残りました。「まだこれから」というところもあったんですけれども、JEN自体は緊急支援団体という性格から、2015年10月末に石巻事務所を閉じることになりました。

そういう話になってきた段階で、私と新井は今後の話を進めていました。「自分たちでできることは何か」「まず、自分たちがやりたいことは何か」「その中で、自分たちで見極め納得がいくこと」「自分たちでちゃんと目的を持ってできることは何か」と。

私たちの中では、「居心地のいい居場所を見つけるために、心を動かすきっかけをつくりたい」という思いが大きかった。それで、「サードステージ」という団体を立ち上げようという話になりました。

ファーストステージは震災前の暮らしがあって、セカンドステージは震災後の大変だった暮らしがある。そして、サードステージとして、大変だった暮らしから、「これからの心動く次の一歩を共に歩むことができないか」「一緒にきっかけをつくることができないか」という思いで、「サードステージ」という一般社団法人を2人で立ち上げました。

立ち上げは2016年1月20日です。これは私がわがままを言いまして、1月20日が死んだおふくろの誕生日だったものですから、「2016年の1月に立ち上げたいね」という話が出ていたので、「どおせだったら20日に」とわがままを言って、1月20日にしました。

現在は、2つの事業を柱として活動しています。1つ目の柱は、「自立生活支援事業」として、石巻市の仮設住宅や在宅被災者に関わりながら、自立生活支援の委託を受け活動をしています。2本目の柱は、「牡鹿半島事業」で、「おしかリンク」の活動や「寄らいん牡鹿」「牡鹿半島ネットワーク協議会」「浜へ行こう!」などを通して、牡鹿半島に関わりながら事業を進めています。

・自立生活支援事業について

自立生活支援事業は、まだ次の一歩を踏めない方々に寄り添いながら、これからの進むべき道を一緒に考えていきたい、そのきっかけをつくってあげられたら、という思いでやっています。それが今、私たちが仮設住宅などに入って活動している理由です。

石巻の中には、まだ大変な所はいっぱいあります。進んでいない所もいっぱいあります。1つの大きな一歩の区切りとして、皆さんが仮設住宅から出れて、少しでも自立した生活へ、次のステージへ行けることが大きいのかなと思っています。

現在仮設住宅に入っている方の中でも、まだ先の予定を決めていないという方々を担当しています。

今後、仮設住宅の集約が始まってきますが、先の予定を決めてない理由も明確になっていない方がたくさんいらっしゃいましたので、その方たちの理由を明確化していく。

なかには「どうしたらいいかわからない」という方もいらっしゃるので、「こういう制度が使えて、こういう方法がありますよ」とか、「まず一緒に、1回窓口に行きましょう」と促すなかで、今後の計画を考えるきっかけを作っています。

なかには、「いや、そんなのまだ後でいい」と言う方もいるので、「そうではなくて、今のうちから先のことも考えて準備しておきましょう」と働きかけています。気持ちだけでも意識を持ってもらわないといけないので。

私たちで話をしに行っても聞いてくれない人や、いつ行ってもいなくて会えない、連絡が取れない、という方もいます。

ただ、私たちも前職から、ニーズ調査やアセスメント調査など、いろいろな調査で仮設住宅に入らせてもらった経験もありますし、これまでも人と接する仕事をずっとしてきたものですから、コミュニケーション能力を常に意識しています。

最初1分話せれば、10分話せる。最初の1分間が大事だと思っています。アンテナを張りながら、その人が答えやすい、その人が話しやすい雰囲気や態度をまずつくっていく。その人が答えた内容を、ちゃんと拾って、その上で話を進めていくというところを意識しています。そうすると、相手からも話してくれます。

私たちには、最後の決め台詞があるんですよ。別れ際に、「またくっから、この顔とこの体は絶対に覚えておいてね~!」(私達は大変ふくよかな体型です!)。そう言うと、「それは確かに忘れないね~!」と皆さん笑ってくれます。

最後に笑って別れるというのが、次に会うときにすごく活かされるんです。会うと、向こうからニコッとしてくれます。「あんだだず、まだちたのが!」「あ~、あんどぎのあんだだず!」みたいな。「名前を覚えてください」と言ったことはないです。「この顔とこの体を覚えてください」です。この体型は、私たちにとってはあくまでも商売道具(キャラクター)ですから。(笑)

この自立生活支援事業は、基本的に平日に動き、週末などの時間を調整し、牡鹿半島での事業を行っています。牡鹿半島での活動は、いろいろな団体やネットワークを通じて行っています。

・牡鹿半島事業

・おしかリンクについて
1つは、「おしかリンク」という団体です。おしかリンクでは私が理事としてかかわっています。

おしかリンクを立ち上げた者は、もともとも牡鹿半島に住んでいた人ではなくて、震災後に復興支援に携わって頑張ってきた人です。おしかリンクを立ち上げたあと、何度か話し合いをしていく中で、「半島に暮らす方々との繋がりが薄いので、なんとかしてほしい」と言うお願いがあり、「それなら牡鹿半島をコーディネートしてあげるよ」と、区長さんや行政・団体・地域などを回り、まずおしかリンクの名前を覚えてもらいながら、事業説明をして行きました。そこから「理事になってください」という話に。「牡鹿半島のために頑張るのであれば、私も協力するよ」ということで一緒にやっています。

おしかリンクは、ワンストップ窓口としての役割や、外からの移住などをメインに活動いる団体です。

・寄らいん牡鹿について(寄らいん=寄っていってね、と言う方言です)
「寄らいん牡鹿」は、地域住民の助け合いの会で、私も青年部・部長としてかかわっています。

自分たちの親世代である寄らいん牡鹿の代表、副代表合わせて、会員は約80名以上いますが、青年部として、親世代と子ども世代の中間に入り、より良い活動につなげ、役員として会議に参加しながら、他地域や他活動とのマッチングから交流を生み出しています。

寄らいんでは「ふれあい部会」というサロン活動のなかで、お茶っこだったり、お茶っこバスツアーなどを行っています。また、「助け合い部会」では、「草刈りができない」、「ごみ出しができない」、「病院の付き添いをしてほしい」など、困っている方々を助け合いましょうという活動です。

「何かをしてあげる」だけの仕事ではなく、住みよい地域を作る仲間同士、共に助けあい、学びあい、育ちあいながら、いろいろなアイデアや自分の特技を持ち寄って「ありがとう」を言える居場所作りを行いながら、地域資源の宝物を磨きあっています。

・牡鹿半島ネットワーク協議会について
「牡鹿半島ネットワーク協議会」では、代表兼議長を務めています。

牡鹿半島にかかわっている行政、企業、団体、警察など、約30団体以上が参加しています。

牡鹿半島の共通課題や参加者達の課題を同じ目線で話し合うことで、「自分たちの身近な人間が何をやっているか」を共有し、「一緒にできることや協力できることがないか」と話し合いを行い、お互いに活かし活かされる活動です。

みんな牡鹿半島が好きで、牡鹿半島のために、一緒に考えて、協力してやっていきましょうと。

牡鹿半島に来たけれど全然つながりがなかった団体も、会議に参加することで、みんなとつなげてあげる事が出来ています。今では、協議会に参加し、つながった物同士一緒の活動も多くなってきています。

その中の共通課題の一つとして、みんなでゴミ拾いなどの活動を始め、全7回にわたり、牡鹿半島の県道2号線を掃除しています。

この活動も、はじめは私と新井の2名から始めたんですが、今では70名~90名の方々が一緒に活動してくれてます。共に課題解決に向け、「安心して暮らせる町づくり」をして行くための取り組みをしています。

・浜へ行こう!について
「浜へ行こう!」では、事務局長を務めています。

「浜へ行こう!」は、震災を機に、支援やボランティアなど、様々な応援をしてくださった全国の方々に「感謝の気持ちを伝えたい」そして「よりたくさんの人との交流を続けていきたい」という浜の住民の思いから、未来の浜づくりのための交流の場として始まった、浜の新しい取組みです。

漁業の醍醐味や、春夏秋冬の牡鹿半島の環境や、人を含めた資源を知っていただくと共に、復興についてじっくり話し合える場となっています。

石巻市の東端に位置する牡鹿半島は、リアス式海岸から成り、周りを大小様々な島に囲まれています。また、黒潮と親潮がぶつかることによってできる「世界三大漁場」と呼ばれる海域に突きだしているため、通年で様々な魚介類が水揚げされます。そんな「自然の宝庫」とも言える環境の中で、住民と交流しながら生業や暮らしを体験し、たくさんのことを「見て、聞いて、感じて、伝えて」人とつながることの温かさを感じてほしいという願いを込めて、現在まで20回の活動を行ってきました。

回数を重ねる中で、住民の方々にも「自分たちのものとして出来るように」との思いで進めてきましたが、浜の皆さんの努力により、以前の忙しい日常が戻ってきて、なかなか浜の方々だけでは運営が難しくなってきたので、そこに私たちも一緒に関わり、活動をしています。

今年はサードステージの運営1年目ということで、「災害を乗り越えた地域力から学ぶ、牡鹿半島の浜へいこう!」として、企業や学校などを対象とした教育旅行(防災教育を含)の受け入れを中心に、三つのねらいを掲げて取り組んでます。

1.牡鹿半島の人、食、自然から成る豊かな暮らしを体験し、当たり前となっていた日常を振り返り、生きることの尊さや身の回りの物事の大切さを学び、感謝の気持ちを育む。

2.災害により育まれた「互助・共助」の地域力から仲間の大切さ、チームの力強さを学び、「チームだからこそ個人が活きる」という意識を磨く。

3.東日本大震災の震源地に最も近い牡鹿半島で、震災について学び、防災について考え、自分の役割と行動する意識を備え、自ら選択する力を身につけ伝える。

来年からはまた一般の方々の受け入れもできたらと思っています。そして、新企画「浜ザップ」(仮称)も考えております。浜ザップとは、自然の中での活動を通して、心と身体が健康的に動くきっかけが作れる!!気力や体力は使った分補充し、体重少減と明日からのモチベーションアップを!!

・最後に

浜の人って、話をすればするほどいい人だと分かってくるんですけど、取っ付きにくいというか、話下手な人が多いんですよ。男性ならなおさら。シャイな人が多いというか、最初は取っ付きにくいことが多い。自分の本家は牡鹿半島の侍浜という所にあります。

でも、最初から「おれ、地元だよ」と入ったわけではなくても、必ず「どっから来たのや」となる。「おれ、本家侍浜だよ」と言うと、「あ~、なんだ」と、そこで一気に距離が縮まる。「なんだ。だから杉浦か」と言われて。侍浜はほぼ杉浦さんしかいませんので、あそこで「杉浦さ~ん」と言うと、みんな出てきます。(笑)みんな親族ですから!(笑)言葉「方言」なども含めて、安心してもらうことが大切ですね。

・私が活動している中で思っていること。

震災前から、そして震災後さらに住民の皆さんは不安を抱えています。そして、自分たちの住んでいるところがどうなってしまうのか。少しずつ気づいています。そんな中で「みんな安心できる居場所が欲しいんだろうな」ということです。

仮設住宅に暮らす方や、牡鹿半島に暮らす方、1人でも多くの人々が家や地域・仕事・学校・そして人生の中で居心地のいい居場所を見つけるために、今後も一緒に動いていければと思ってます。

そして震災を機にたくさんの方々が県外などから来て、いろいろなきっかけを作ってくれている事に感謝しており、そのきっかけをよりよい形として活かし活かされる為にも、地元の人が一緒に動かなければと思い、活動しています。

昔私は石巻に魅力がなかったので、東京にでました。何か居場所が見つかると思ったからです。

しかし、その後、「石巻に魅力を作りたい」「自分が魅力に気づけなかっただけでは無いか」と戻ってきて、その後震災になり今、震災を機に一番感じたこと、一番思っていることは、自分がそうだったからというのもありますが、「心が動くきっかけをつくっていきたい、その中で地域の皆さんと一緒に、居場所を見つけていきたいな」ということです。

・枝廣さんとの心に残っているエピソード

今回、紹介して下さいました枝廣さん(私は勝手に姉さんと呼んでます)には、震災直後の緊急支援活動中に、アドバイスやおいしいご飯!
そして何よりも、震災直後でいっぱいいっぱいな私
ガムシャラに走っている私
そして、止まれない私たくさんのことを毎日考えている私
に研修の機会を作り、外へ出してくれました。

震災後、始めて瓦礫や臭くない所へ連れ出してくれたのです。

研修といっても、そのときの私には他のことなど何も考えることが出来なかったのです。

そのとき、それに気づいていた枝廣さんが、そっと私に「何も考えなくていいからね」とひと言

そのとたんに私はなぜか涙が出てきて、なぜかほっとしていました。(いつもならこんなこと感じないし、今でももっと大変な人たちが居るから、感じてはいけないと思っていた)

この研修中に私は心が動き、夜の風呂場では普段地元では同じ被災者同士で話せない、話さないことも、「外に伝えたい」「感じてほしい」という思いから、自分から話していたのです。

この日を境に、私は次のステージへと心が動き出す事が出来たのです。ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

~~~~~~~~~~~~~引用ここまで~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後の部分は、当初の原稿にはなく、杉浦さんが原稿の確認をお願いしたファイルに追加してくれたものです。

ちょっとでも立ち止まってもらえたら、ちょっとでも自分を大事にする時間を持ってもらえたら、と思って、年に2回開催している「自分合宿」にお誘いしたことが、こんなに喜んでもらえて、こちらこそうれしいなあと思います。2日目の朝「温泉で3時間話していた」と聞いてびっくりしましたが(^^;

杉浦さんたちの活動、これからも応援していきたいと思います。休日もなく働き続けている杉浦さんや新井さんが安心して活動を続けられるよう、活動資金を応援していただけたらうれしいです。


寄付金お振込み口座
ゆうちょ銀行 新中里支店
口座名:一般社団法人サードステージ
店名:八一八(読みハチイチハチ)
店番:818  
預金種目:普通口座
口座番号:3861050

※お振込みの際は、必ずお振込みいただいた方のお名前(企業・団体名)をサードステージお問合せメールにてお知らせください。
(お問い合わせフォームは以下のサイトの下の方にあります)
http://thirdstage2016.wixsite.com/ishinomaki


石巻を訪問するといつも「お帰りなさい!」と迎えてくれる杉浦さんたち。
「忘れずにいてくれることがいちばんの励みになる」といつも言っています。

その活動に現地で参加し、いろいろお話を聞くような機会も計画したいと思っています。企画ができたら、またご案内しますね!

 

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